2-1
「♪~」
5月の初旬の商店街を、1人の少女が鼻歌交じりに歩いていた。
片手には旅行用のトランクを引き、もう片手に持ったペロペロキャンディを口に咥える。
時おり地図を取り出しては確認し、辺りを見回しつつもその足取りは止まらない。
「たっのしみ、たっのしみ♪ 会うのいつぶりかしらん」
まだ日も高くあまり人通りのない中、少女が引くトランクの音だけがガタゴトと響いていく。
「確か、こっちの方に住んでるって電話で言ってたから……もうじき着くかしら」
何度か地図をひっくり返し、ついでに太陽にかざしたりしながら、やはりガタゴトと音を響かせて歩いていく。
「ええと、こっちがこうであれがああだから……きっとこっちよね」
地図の上部には大きく「通っている学校はここ!」と手書きの文字が躍っていて、それを確認した彼女はより一層上機嫌に駅方向へと進んでいった。
「さ、待ってなさいな。おねーちゃんが会いに来たわよん♪」
そして視線の先に近隣の高校の生徒であるらしき男女の2人組が留まり、笑みを浮かべた彼女はその2人に近づいていく。
「……?」
商店街を歩いていた天道寺マソラは、今しがたすれ違った自身よりも少し小柄な人影を振り返った。
何やら可愛い身内がどうのこうの、もう待ちきれないなどと口にしていた気もするが、そんな事よりも。
「……あー、かったるいってのよホント……。なんでせっかくのゴールデンウィークに補習なんてするのよ……」
大きくため息をつき、それでも学校方面へと重い足取りを踏み出す。
それは4月の末ごろ、自身の成績が下の下――要するに下から数えて3番目くらい――に位置する事に業を煮やした数学の教師が、その辺りの生徒を集めて臨時の補習授業を開くと宣言した事に端を発する。
マソラ自身としては当然行きたくもなかったが、あの血も涙もないヤクザじみた幼なじみに半ば脅迫強要され、寄宿舎を追い出される事に。
「あー、もう! やっぱ死ぬほどめんどいし、バックレてゲーセンでも行くかっての!」
クルリと背を向け、駅方面に向かって歩き出そうと――
した瞬間、手にしていた携帯電話が鳴り響く。
「……げ」
画面に目をやると、そこに表示されていたのは今しがた思い浮かべていた幼なじみの名前。
顔をしかめながらも、通話ボタンを押す。
「……はい、もしもし?」
「時によ、お前今から補習に行くんだよな? 面倒になってバックレようとか考えてないよな?」
「も、もちろんだってのよ!」
まるで今の自身をどこからか監視しているかのような言葉に、慌てて周囲を見回す。
「ああ、ならいいんだ。悪かった」
「そっ、そうよ! あたしは今から真面目に補習に……」
「んなの、ちょうどお前の部屋を掃除している俺の気のせいだよな」
同時、通話口の奥から掃除機の音が聞こえた。
「って、何よそれ! あたしそんなの許可した覚えは……」
「ああ、先日お前を起こしに来た時に部屋の汚れが気になってな。大丈夫だ、ご近所さんにもう挨拶回りは済ませてある」
そして聞こえる、小気味良いゲームのパッケージの開封音。
「それでだ。まさか補習に出ないなんて事があったら、ハタキが勝手にそこらのゲームのディスクの裏側に埃を塗り込んでしまうかもしれん」
「ひっ、人質を取るなんて卑怯よ!」
「あー、そんな事よりも、お前のリボルバー大佐フィギュアが排水溝掃除をしたいっていうのを、俺が止めないかもな。……あー、そんな頭を突っ込むくらい熱心に掃除を手伝っていただけるなんて感激でございますー」
そんな心底わざとらしい声と共に、何やらちゃぷちゃぷと水音が聞こえた。
「な、な、な……っ」
「ってなわけだ。……分かったらちゃんと真面目に補習行けやオラァ! 化学の先生が次にお前が補習とか指名課外とかにちゃんと来なかったら、連帯責任で俺とお前の試験点数を平均値にするとか抜かしやがったんだぞ!」
「分かった分かったちゃんと行けばいいんでしょ!」
それだけ叫び、通話を切る。
「……はぁ」
それから大きくため息をつき、げんなりとした気分で再度学校への道を踏み出す。
あの極悪非道な幼なじみの手にかかれば、下卑た笑い声をあげながら大佐フィギュアの腕をもぎ取って口に放り込むくらい朝飯前なのだろうから。
再度ため息をついてから、マソラはのそのそと歩いて行った。
……そんな彼女を大通りからそれた小路地から見つめる、とある人影にも気づかないまま。
「……よし、あとは掃除機だな」
幼なじみの部屋を片付け始めてしばらく経った頃合い、西原タイキは白頭巾から垂れる額の汗をぬぐった。
来た当初はゲームのパッケージやレシート、それにスナック菓子のゴミ類や脱ぎ散らかした衣服類などなどが乱雑に散らばっていた汚部屋。
それを、パッケージ類は部屋の端に積み上げ、ゴミはゴミ箱に放り込み、衣服類は舌打ちしながらまとめて洗濯機に叩き込む事で、ようやく真人間の部屋と言えなくもない状況に変えていく。ついでにカビの生えかけていた浴室もピカピカに磨き上げた。
その代償に、自室から持ち込んだ床掃除用シートや洗剤の在庫があらかた無くなったが。
「……うっし」
自身の部屋から担いできた掃除機は、吸引音と共に細かいゴミを吸い取り始めた。
それをゆっくりと前後に動かしながら、ふとつぶやく。
「……なんで俺、アイツの部屋の掃除してるんだ……」
そうなのだ。昔から、気が付くとあのくそったれなゲーム廃人幼なじみの世話を自分がする事になっている。
朝叩き起こしにいったり、昼の弁当を作ったり、たまにこのように掃除をしたり。
「……」
そこでふと、こんな関係は今日限りで終わりだ、アイツの事なんかもう知らねぇ、と口に出そうとし。
「……。……まあ、いいか」
少しだけの間を置いて、軽い舌打ちと共にそうつぶやいた。
「……」
ようやくたどり着いた校門の前で、マソラは考え込んでいた。
このまま帰ってしまおうか。こっそり抜け出しても、あのプンスカヤクザ幼なじみには絶対バレはしない。というわけで面倒だから帰ってしまおう。
いやいや、先生はもちろん他の生徒たちから、どう密告されるか分からない。もしこの事がバレたら、あの陰険で目つきの悪いマフィア幼なじみはゲームのディスクをフリスビーにして遊び始めるに違いない。でもやっぱり面倒だから帰ってしまおう。
「……」
今彼女の脳内では、天使と悪魔が肩を組んで仲良くコサックダンスを踊っていた。
「……さ、帰るかっての」
両者が満場一致で出してきた結論を胸に、マソラはその場に背を向け――
「ふべらっ」
「あいたっ」
ふと感じる額への衝撃と、少し間を置いて走る臀部への激痛。
それが自身のすぐ後ろで立ち止まっていた誰かにぶつかった事に気づくまで、大して時間はかからなかった。
その場に尻もちをついたマソラとは対照的に、少しよろめいたもののすぐに体勢を立て直した相手。
「あいたたた……キミが勢いよく振り向くんだもの、鼻ぶつけたよ……」
言葉通り顔を抑えながら、どこか涙目になった人影を見上げる。
少なくとも自身の幼なじみよりは小柄な、見覚えのない少年。マソラと同じ学校の制服を着ているという事は、ここの生徒なのだろう。
「ええと、大丈夫かい?」
それから相手は、尻もちをついたままのマソラに手を差し出した。
それを無視して立ち上がった彼女は、相手に向き直る。
「何だってのよ、アンタも補習? そんな風には見えないけど」
「あー、まあね。僕もそんなところかな」
やはり記憶にないものの、どこか優等生じみた雰囲気を漂わせる少年は、どこか困ったように校舎に目をやった。
「ほ、ほら。早くしないと、補習始まっちゃうんじゃないかな?」
「……アンタ、よく見ればどこかで会った、ような? ……んー……?」
「じゃ、じゃあ僕はこの辺で! 補習頑張ってね!」
首を捻って顔を覗き込むと、相手は慌てたように手を振り、そのまま校舎とは反対方向に駆け出していった。
そしてその後には、マソラだけが残される。
「……何だってのよ」
ポツリと吐き出した彼女は、それからふと現在直面している面倒な現実を思い出した。
「ま、そんな事より帰ろーっと」
そして今しがたの彼の後に続く形でその場を去ろうとした彼女を、いつの間にか腕を組んだ各教科の教師陣が取り囲んでいた。
ひとしきりの掃除を終えて寄宿舎から出たタイキは、気分転換がてら街中を歩いていた。
「あー、クッソ疲れた」
まだまだ春の部類とは言えうっすらと暑さを感じなくもない陽気に包まれ、ふと立ち止まって大きく伸びをする。
今世間はゴールデンウィークの真っただ中。
成績が極限まで悪い幼なじみは知らないが、タイキ自身としてはただの自由な時間だった。
まだ数日ほど残っている休みを謳歌できるほど、平和な日常。
あのネクロマンサーの少女と彼女が連れ歩いている小動物はまだしばらくこの街に滞在しているようであったが、特に面倒な連絡を寄こしてくる事もなく。
両者共に一体何をしているのかは知らないが、たまに外出しては路上ですれ違う程度の日々を過ごしているようであった。
「平和だなぁ……。そうそう、こういうのでいいんだよ。このままずっと変わらないでくれ」
空を見上げながら満足げにうなずいたタイキは、近くのコンビニへと向かって歩き出した。
そう、それは先月の一件の事を忘れかけてしまうほどに平和な時間だった。
そして、物事の変化は忘れた頃にやってくるのだった。
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