1-14
目が覚めると、見覚えのある黄ばんだ天井が視界に飛び込んできた。
最近やっと見慣れてきた、寄宿舎の天井。
自分自身が自室内のベッドに寝かされていた事に、タイキはようやく気付いた。
「夢……、だったのか……?」
枕元の時計を見ると、平日の昼下がりを示していた。
学校へ行かなければと頭の片隅で思うが、面倒になってきて考えるのをやめた。
それから近くに転がっていた空のペットボトルを掴み取り、目を閉じる。
『3』
うっすらとした頭痛を感じながらゴミ箱へと放ると、見た光景通りゴミ箱のフチに当たって落ちた。
「……」
ふと部屋の出入り口がノックされて、遠慮がちに入ってきたのは。
「やあ。気が付いたかな」
「……?」
見覚えのない、自身と同年代と思われる小柄な少年。
「まだ走ったりはしない方がいいよ。あまり回復してはいないからね」
言いつつ、冷えた紙パックの乳酸菌飲料を手渡してくる。
「マソラもちょうど先ほど目が覚めてね。キミたちが寝ていたのは、大体20時間ほどになるかな。……あ、学校の件は、色々と手を回しておいたからね。キミたちがいない事を怪しむ人は、誰もいないはずさ」
それから妙に馴れ馴れしい彼は、軽く咳払いをした。
「一応、結果の報告だけしておくよ。『
「……」
「キミとマソラはご覧の通り。しばらく寝ていれば元通りになるはずさ。クロエも無事、僕も何事も無かったよ」
「……?」
「ただ、リンカは応急処置を受けたけど……」
その言葉で、とっさに頭が回転を始めたような感覚に襲われる。
「おい、まさか……!」
思い返すのは、炎の壁が消えた光景。
そしてあの時彼女は、自分が死ぬと炎の壁は消えると口にしていた。
が、相手は慌てて手を振る。
「あ、いや、無事さ! 命に別状はない……んだけど」
そこで見覚えのない少年は言いよどみ、
「多分、キミが直接話を聞いた方が早いかな。じゃ、僕はこれで。やるべき事が立て込んでいてね」
ようやく、相手の声にどこか聞き覚えのある事に気づく。
そしてちょうど部屋を出ていく相手の後ろ姿が、どこかネコのようにも見えた気がして――
「おいっ、待てお前!」
手を伸ばすも、それより早く相手は部屋の外に消えてしまった。
身支度をどうにか整えて寄宿舎を飛び出す。
ほぼ同時に、同じようにどこか崩れた服装の幼なじみも飛び出してきた。
「ねぇ、金持ちがどうの、って知らない女の子が……!」
「ああ。俺の方は多分……いや、こっちも知らねぇ奴が来たが、それよりも……」
2人して辺りを見回していると。
「全く、待ちくたびれましたわよ」
背後の外壁に寄りかかり、いつものように扇子で自身をあおいでいるのは。
「何よ金持ち……そのカッコ」
頭から上半身まで、ミイラ男よろしく包帯でグルグル巻きになった人物がため息をついた。
「全く……。ド貧民と関わるとロクな事にはなりませんわね。こんな見苦しい姿になるんですもの」
顔に巻き付けられた包帯を外しながら、ムスッとした表情でリンカがつぶやく。
「お前……それ、大丈夫なのか……?」
「ええ。処置が大げさなものですから。傷はいくつかありますが、大した事はありませんわ」
心の中で、そっと胸を撫で下ろす。
先ほどの彼が何か言っていたが、特に大怪我は無いようだった。
「今回は助かりました、とだけ言っておきますわ。あなたたち2人とも。大きな貸しにしておいて差し上げますわね」
「何だってのよその態度。アンタなんかあたしたちがいなかったら……」
それを無視する形で、リンカは背を向けた。
「さて。あなたたちの無事も確認した事ですし、わたくしは帰りますわよ」
「え、もう?」
マソラが何かを言いたげに、どこからか取り出した2台の小型ゲーム機を掲げるが。
「こう見えて、しばらく療養が必要なものでして」
「……?」
「わたくし、魂を喰われる寸前でしたの。命は助かったものの、ギフトの根本となる霊的素養は手酷く傷ついていまして。今ギフトを使うと反動で死ぬと医者にも言われておりますの」
「……そうかよ」
それがさっきの彼が言いかけた、リンカの被害。
それから彼女は駅方面に1歩を踏み出しかけ、振り返ってマソラに扇子を向けた。
「誇りなさいな。今はあなたの方が強いですわよ。わたくしがリハビリを終えるまでは」
「今は……って何よ。そのうちまたすぐに抜かしてやるみたいな……」
「もちろんその通りですわね。貧乏人にずっと負けたままなんて、わたくし恥ずかしくて死んでしまいますわ」
「あああああ! やっぱりアンタ気にくわないっての! 今から徹夜スマッシュシスターズでどっちが上かをはっきりと……」
「そんな事よりも」
ふと時計を確認した彼女が、そっと吐き出す。
「おそらくはあの子も、今頃は帰り支度を始めている頃ですわね」
少しして、それがクロエを指している事に気づいた。
「帰る……ってか?」
「もちろんですわよ。今回の仕事は終わったのですから、『セントラル』に帰還させていただきますわね。わたくしも、あの彼女も小動物も」
「……」
そこで、この数日間の濃密で危険だった時間がようやく終わりを告げようとしている事に気づいた。
昨日まであれほど早く終わって欲しいと願っていたものが、間もなく去ろうとしている。
それは確かに喜ぶべき事なのであろうが、タイキには諸手を挙げて歓迎する気にはなれなかった。
「わたくしに構っている暇があるのなら、向こうを見送った方がいいのではなくて?」
「そうね! こんな陰険陰湿高飛車金持ちにあたしの予備コントローラー触らせてあげるなんて優しい事考える暇があるなら、ちびっこに挨拶とID交換してきた方がいいっての!」
鼻息荒く、ずかずかと例のマンション方面へと向かっていった幼なじみ。
その背を見つめながら、ふとリンカが何かをつぶやいた。
「……。ぎゃふん」
「何か言ったか?」
「……いえ、特に何も」
一昨日も訪れた、あのマンション。
最初に目に入ったのは、正面玄関前に停まっている数台の引っ越し業者のトラック。
辺りを見回しても、クロエやトオルらしき姿は見当たらない。
「おい、急ぐぞ!」
半ば自分に言い聞かせるように口にし、階段を駆け上がる。
彼女の部屋は確か……7階だった。
息を切らせてその階へとたどり着き、記憶を頼りにとある部屋のインターホンを鳴らす。
だがいくら待っても返事は無く、奥から人の気配は感じられなかった。
何度かノックを繰り返しても、結果は同じ。
ふと背後を振り向くと、数台のトラックはちょうどマンションの敷地を出ていくところだった。
そして、それを見送る人影もいないようだった。
「くそ、もう出発した後ってわけかよ……」
「……そう、ね」
しばらく待っても、あのネコが物陰からひょっこり飛び出してくるなんて事も無く。
これで本当に、ここ数日の怒涛の日々は終わる。
これからはあの2人と1匹と一緒にいるような、騒がしくて死ぬほど危険な時間はもう2度とやってこない。
だから、これまで通りの日常の中にいるだけでこの記憶もいつか薄れていくのだろう。
「……」
そう思っても、やはりどこかもやもやした感情が残った。
どこか寂しいような、映画の幕切れを見ないまま席を立ったかのような歯切れの悪さ。
「……おい、行くぞ」
その場に背を向けたタイキは、階段方面に足を向けながらそう口にする。
せめて何か一言言っていけ。その言葉を心の中で飲み込みながら。
「え、もう?」
「アイツらはもう帰ったんだろ。俺たちだけがいつまでもここにいたって仕方ねぇよ」
「……」
やはりどこか納得のいかないような表情を浮かべた幼なじみが、しぶしぶその場を後にする。
「……」
この数日間の日々を思い返しながら、2人だけで階段を降りる。
嵐のように突然やってきたネクロマンサーは、同じく嵐のようにあっという間に去っていった。
最初に自分たちを脅したあの言葉も、結局は嘘で。
だから……もしかすると今なら、きっと。
「それにしてもホント水臭いわねー。アンタは覚えてる? ちびっこの部屋」
青い空を見上げながら、幼なじみが吐き出した。
「家具もゲームも、全然無かったじゃないってのよ。きっと、こういう風にパパっと来てパパっと帰るために、最初からほとんど荷物持ってきてなかったんじゃない?」
「……ああ、そうかもな」
だからあの彼女は今頃、一昨日に部屋で見かけた数個のトランクと共にどこかで――
「うん?」
そこでふとある事を思い出し、大分地上が近くなってきた階段の手すりから真下を見やる。
既にそこにはトラックは見当たらなかったが、それよりも。
「……引っ越しのトラック、さっき何台か来てたよな……?」
「そうだったけど、それが?」
「確かアイツが持ってきた荷物は、結局トランクが数個だけだったはず……」
マソラの返答を待たず、そのまま階段を駆け下りて外に飛び出す。
「ちょ、ちょっと! 急にどうしたってのよ?」
それから先ほどトラックが停まっていた辺り、正面玄関から背後のエレベーターホールを振り向くと。
「……どうしたの、アナタたち。そんな慌てた顔して」
クロエが中身の詰まったスーパーのレジ袋片手に、こちらを見返していた。
「おいっ、お前! 今までどこに……」
「そうよそうよ! 金持ちの話じゃ帰ったって……」
ほぼ同時に詰め寄ると、相手はいつも通りの感情の色が薄い目つきで2人を順に見つめる。
「……まず、買い物行ってた。まだあの部屋住むから」
「……は?」
言いつつクロエがレジ袋の中から取り出したのは、インスタントコーヒーのパックやら菓子類やらトイレットペーパーやら、とどのつまり生活用品の数々。
「次に、帰るつもりだったけど予定が変わった。昨日のあの後、『セントラル』から追加の指示が出た」
重いのか、レジ袋を足元に置きつつ続ける。
「『
「……そうかよ」
何か非常に疲れたような気がして、大きく息を吐き出す。
「だから、『セントラル』から私物を取り寄せた。いつも使ってた日用品とか、仕事上の資料とか」
言いつつ、脇に山のように積まれた段ボール箱を見上げる。
「……」
先ほど見かけたあれは……荷物の搬出ではなく、搬入のトラックだったらしい。
「でもよ、リンカが言うには……」
「元々今回の仕事は、ワタシとトオルが請けたもの。彼女は『
「……なるほど」
疲労感がさらに倍増した気がしたが、ふとそこで何かが足りない事に気づいた。
「ところでよ……トオルはどこ行ったんだ?」
「荷物持ち。買い過ぎて持ち切れなかったから、押し付けて先に帰ってきた」
何か釈然としないものを感じたものの、そんな事は知らないクロエは続けた。
「とにかく、そういう事。帰還命令が出るまで、もうしばらくここにいる。数日程度じゃなくて、もっともっと」
「あ、じゃあさじゃあさ、一緒にゲームしない? 陰険金持ちはお断りだけど、アンタとかにゃんこなら貸してあげてもいいってのよ」
ふとマソラが先ほどの2台の小型ゲーム機を取り出してクロエに押し付け始めるのを、タイキはただ眺めていた。
これでようやく、日常が戻ってきた。
でもそれは今までとはどこか違う、少しだけ非日常の混じった日常。
そんな混じったものもいつしか呑み込まれ、いつか見慣れた日常となるのかもしれなかった。
「ボーっと立ってるだけなら、荷運び手伝って。ワタシじゃ重くて持てない」
ふとクロエから小突かれ、我に返る。
「って、だったらさっきの業者にやらせれば良かっただろうが!」
「嫌。部屋まで運んでもらうと追加料金を取られるから」
そう口にし、買い物袋を抱え直した彼女はエレベーターまで歩いていく。
「ったく……」
隠そうともせずに大きくため息をつくと、手近な段ボールを抱え上げてその後を追った。
何往復かの後、腕がすっかり筋肉痛になったタイキは、7階の手すりから外を眺めていた。
1階のエレベーターホールに積まれた荷物は全てクロエの部屋の中に運び込まれ、室内では彼女が荷解きをしているらしかった。
「……」
予想外の重労働に、ここ数日で何度目になるのかため息をつく。
結局のところ幼なじみは荷物運びをロクに手伝わないまま、先ほどマンションを飛び出していった。
どうやら、自室からここに据え置き型のゲーム機を持ってくる気らしい。
と。
「お礼」
背後から突かれ振り向くと、そんな言葉と共にクロエが例の乳酸菌飲料の紙パックを差し出してきた。
受け取ると、ひんやりとした冷気が伝わってくる。
「これ気に入ったから、さっき箱で買ってきた」
「……そうかよ」
ため息とともに吐き出し、飲み口にストローを差し込んで口を付ける。
隣では、クロエも同じようにしているところだった。
「……」
「……あんだよ」
ストローを口にくわえたまま、クロエはタイキを見つめていた。
「1つ聞かせて。今回の『
そう問われて、あの日の事を思い返す。
あの時、危険だと判断して自分はクロエに背を向けようとした。
正直に全てを話されても、きっと結果は同じだろう。
だから。
「さぁな」
そう言って、飲み終えた紙パックを握り潰した。
「……そう」
彼女の表情が曇ったが、タイキは気にせず続けた。
「けどよ……結局、俺もマソラもお前も、全員無事に生きてる。お前の仕事だって終わった。これ以上無いってくらいの最高の結末だ。他に欲しいモンはねぇ。だろ?」
そう、口にすると。
クロエは、出会ってから初めてうっすらと微笑んでいた。
「……色々とありがとう。今回の事も、荷運びも、この飲み物も。全部」
「……ああ」
「アナタたちが手伝ってくれたおかげで、無事に全部終わった」
それがきっと、クロエの本心であるのだろうとタイキは思った。
それからふと何の気なしに頭上を見上げると、そこにはいつもと変わらない青空が広がっていた。
「……そうだ」
部屋に戻ろうとしたクロエが、ふと足を止めた。
「アナタのギフト、未来予知で合ってる?」
「……合ってるけどよ、どこで聞いた?」
「『
「……」
「だから、ワタシからのプレゼント」
そこで再度、クロエはタイキを振り向いた。
「アナタのギフトの名前、考えてみた。まだ無いみたいだったから」
そして。
「『
「ああ……いいかもな」
告げられた名前を、口の中で反芻する。
名前など考える気も無かったが、言われてみればちょうど合っている気がした。
ふとその時、大きなボストンバッグを抱えた幼なじみがマンションの敷地内に駆け込んでくる姿が階下に見えた。
――それから数時間後の事。
「ほら。コーヒー入ったよ」
とある少年は、ソーサーに載せた白いカップをテーブルの上に置いた。
「……。熱い」
それを手に取った彼の相方は、焦げ茶色の液体に一口付けるなり、文句と共にカップをテーブルに戻す。
「今回はお疲れ様、だね」
先ほどいきなり大量の荷物が運び込まれたせいで少し手狭だと感じる室内を見回し、彼は相方をねぎらった。
「そうそう。上からの指示通り、あの2人の学校に僕の転入届けを出しといたよ。経歴とかの書類は大体偽装だけど……バレやしないさ」
今回の件で関わった、あの2人を脳裏に描きながら口を開く。
「それと、今回の引っ越し代と仕事の報酬は既に振り込まれたみたいだけど……」
「ワタシの分の報酬は、いつものところに全額寄付しておいて」
「ええと、キミが後先考えず出身元の児童施設に報酬を全額突っ込むのはいつもの事なんだけどさ……だからこの前クレジットカードも止められたし……。じゃあ、食費とかはどうするのかな……?」
「トオルのところから全額出して」
横暴な相棒に抗議しようと口を開くが、自身の周囲の異性は皆横暴である事を思い出してため息をつくだけに留める。
「ところで、これからはこっちの姿のままじゃ駄目かな?」
「やだ。襲われそうだから今すぐネコになりなさい。ならなくちゃ部屋から叩きだす。というか保健所に突き出す。そして苦しい苦しい殺処分」
「なんでッ!?」
頭を抱えて叫び、そこである事を思い出した。
「そもそも! キミが僕の分の偽装術式を持ってくるのを忘れたから、外でもずっとネコの姿でいなくちゃいけなかったんだけどさ!」
「そう。あとでペットフード買ってあげるから」
「いらないよっ」
「高級品」
自身の正体を分かっているはずなのに適当な事をうそぶく相方に、彼は諦めて自分の分のコーヒーを淹れ始めた。
おそらくはこれからも関わり続けるあの2人と、今後起こるであろう何かしらの出来事に思いを馳せながら。
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