1-12


「さぁ、今のうちに! これで全てを終わらせますわよ!」

苦悶の声を上げる『原初の者プライマル』の手から近くの建物に飛び移ったリンカが、新たに生み出した氷の槍を構えた。

「もちろん。ありったけの準備はしてきた」

決して慌てた様子も無く、いつの間にか大ぶりの瓶を手にしていたクロエ。

それを今まさに飛び掛からんとしていた幽魔の群れの中心へと投げつけると、大部分がバタバタと倒れていく。

「……お前、もしかして……」

「キミたち、何をボサッとしているのさ! 戦うつもりで来たんだろう!? この隙に畳みかけるよ!」

タイキの肩を蹴り、灰色ネコは跳ねるようにして奥の通りへと駆けていく。

「分かったわよ、やってやろうじゃないってのよ!」

「……くそ」

状況をようやく飲み込みかけたタイキは、舌打ちしつつ眼前のクロエを見つめた。

「……お前、最初から全部知ってたのか?」

コクリとうなずいた彼女は、ポツリと吐き出す。

「一緒に演技してくれていると思ってた」

「……引っぱたくのは2発にしてやる」

心の中でも舌打ちしながら、彼女の隣で『原初の者プライマル』を見つめる。

中空から数本の氷の槍が射出されるが、すぐに薙ぎ払われて撃ち落とされる。

その直後に大きな竜巻が駆け抜けていったが、周囲の動いていた幽魔を数匹巻き込んだだけに終わった。

そしてそれを追いかける形で、1本の氷の槍が『原初の者プライマル』の腕を貫いた。

……が、立ちどころに傷はかき消えてしまう。

「って、おい、効いてねぇぞ!」

「よく見て。効いていないんじゃなくて、自己修復。傷つくたびに周囲の幽魔から力を吸い取っている」

言われた通り、『原初の者プライマル』が傷つくたびに周囲の幽魔の数は少しずつ減っていった。

だが、それもすぐに後から別の幽魔が現れ、状況は全く変わっていない。

よくよく見ると先ほど頭部に付けられた傷も、既に跡形も無く消え去っていた。

「……くそ」

自身に出来る事は、戦いの様子を見守る事だけ。

そういえば、先ほどクロエがギフトについて何かを言っていたような気がする。

それを思い出そうとしたその時、リンカが受け身を取りつつそばに降り立った。

「……お前」

「まさか、わたくしが本当に取り込まれたとでも思っていたんですの? 随分と舐められたものですわね。あなたの『底』が知れますわ」

心底心外だとでも言うかのような色を浮かべてから、新たに生み出した槍を見つめながら彼女がポツリと吐き出す。

「あと、もう1つ」

「……あんだよ。つかそんな事よりも……」

ふと横を向くと、10メートルほど先から幽魔の集団がゆっくりと近づいてきていた。

目の前に『原初の者プライマル』がいるのはもちろん、周囲には先ほどのクロエのマジックアイテムの影響から脱しつつある大群がいる。

言うまでもなく、ここは敵地のど真ん中だった。

「昨日わたくしのギフトを見て、十分すぎるほどに強力な力、と言いましたわよね」

「……ああ」

そこでようやく、彼女が視線を槍から『原初の者プライマル』、そして近づいてくる幽魔へと向けた。

「実はですね、あなたたちの前ではまだ本気を出していませんの」

「……?」

「見せて差し上げますわ。わたくしの『底』を」

その時、近づいてきた数匹がタイキたちに飛び掛かろうとし、それに気づいたマソラが突風で薙ぎ払おうとするが既に遅く――

次の瞬間、襲撃者全てが紅蓮の炎に焼き払われた。

「……え?」

いつの間にか、リンカの手にしていた氷の槍が音を立てて蒸発していく。

そしてその代わりに、辺りに立ち込める熱気。

「……さあ、短期決戦と行きましょうか」

額に脂汗を浮かべた彼女はニヤリと笑んだ。



溶けた氷による蒸気が辺りを白く染める中、『原初の者プライマル』へと視線を向けるリンカ。

「ちょ、ちょっと金持ち、アンタいつの間にそんな――」

「……わたくしのギフト、氷の能力だなんて最初から一言も言っていませんわよ?」

彼女の手の内には氷の槍の代わりに、炎が渦巻いていた。

「申し遅れましたわね。能力名は『極寒業火ヒートクーラー』。要するに温度調節ですの。そしてわたくし、炎の方が戦闘能力は数段高いと『セントラル』からも評価されておりまして」

温度調節と言うには強力過ぎるギフトによって作り出された、紅蓮の炎。

「……最も、こっちの方はあまり使いたくはありませんけどね。……昔の嫌な事をどうしても思い出すものでして」

そう言う彼女には、明らかに周囲の熱気とは別の理由で脂汗が滲んでいた。

そして炎はいつの間にかタイキたちを囲む形で周囲を円状に走り、隔離空間を作り出していた。

タイキたち全員と『原初の者プライマル』を、周囲の大量の幽魔の群れと隔てる炎の壁。

そしてちょうど壁を乗り越えようとした数匹の幽魔が、一瞬で消し炭へと変えられた。

「なんつー……お前、まだ余力残ってたってわけ――」

その瞬間、『原初の者プライマル』の腕が3人を狙って振り下ろされる。

「……!」

「おどきなさいな」

タイキとクロエを両手で脇に突き飛ばし、自身も飛び退って避けたリンカは、同時に炎の槍のようなものを2本『原初の者プライマル』目がけて撃ち込んだ。

カウンター気味に放たれたそれは両肩に難なく命中し、『原初の者プライマル』が大きくのけぞる。

焼けていくそばから修復されてさほど効いてはいないようだったが、炎が消える様子は一向に無かった。

「元『我が主』に贈り物ですわ。動きを阻害する炎のくさびと壁の監獄はお気に召しまして? ……さ、やるべき事は分かっていますわね、ネクロマンサー」

クロエがうなずいたのを確認してから駆け出す彼女は、数メートル先で既に戦っていたマソラに視線を向けた。

「周囲からの邪魔が入らない今のうちにカタを付けますわよ、そこのあなた!」

「あたしには、マソラって名前が、あるんだってのよ、覚えとけっ!」

それに呼応するかのように突風が辺りに巻き起こり、最後の戦いの火ぶたが切って落とされた。



タイキの視界の先で、戦う2人の少女。

風が駆け抜けた先を、炎が追う。

マソラに向きかけた『原初の者プライマル』の注意を、もう片方がタイミング良くそらす。

肩に突き刺さった炎の楔のおかげで『原初の者プライマル』の動きはある程度は阻害されているようではあるが、決して油断は出来なかった。

そして運良く付いたかすり傷は、すぐさま修復されてしまう。

そんな光景をただ見守る事しか出来ないままにいたタイキは、隣で魔方陣に光を流し込んでいたクロエがふとポツリとつぶやいた事に気づいた。

「……前言った事、覚えてる? トオルに調べてもらった、リンカの過去」

「……あん?」

「家が幽魔に襲撃された事件で焼け跡からただ1人生き残った、いえ、ただ1人生まれたヘブンズキャリア」

「……ああ」

こんな時に何を言い出すのだろうと思いつつも、彼女の言葉に耳を傾ける。

指先から決して意識はそらさずに、クロエは続ける。

「確か、前にトオルが言いかけたはず。リンカが請けた仕事には1つの共通点がある、って」

「……?」

「全てゼロ、だった」

魔方陣はその大きさを増し、今まで通りならおそらくそろそろ完成だと思われた。

「巻き込まれた被害者の数。殺された人はもちろん、新たに生まれたヘブンズキャリアの数も含めて」

「そこまで優秀だってか、アイツは。……いや」

そこでふと同時に思い出す、リンカが何度か『セントラル』での仕事を失敗したとかいう話。

幽魔を倒すという仕事よりも何よりも、他の誰も巻き込まない事を優先する。

「……もしかして……」

確か初めて会った時、彼女は自分たちを蘇生した事をクロエに食って掛かっていたが、それが示す事はつまり。

「……なるほどな」

心の中で舌打ちし、隣の彼女に視線を向けた。

「……ったく、どいつもこいつも素直じゃなかったって事かよ」

と、その時。

「……術式完成。炎の壁を媒介として、『原初の者プライマル』と周囲の幽魔の力の流れを遮断する」

炎の円の内部が白く光り輝くと同時、クロエがポツリとつぶやいた。

「こんな時に小難しい事言ってるんじゃないってのよ! もっと分かりやすく――」

「要するに、傷ついても『原初の者プライマル』はもう自己修復できなくなった。ただし10分も保たない応急処置」

息切れし始めてきたマソラにクロエが返すと同時、炎の波が『原初の者プライマル』の片腕を舐めた。

表面だけではあったが一瞬のうちに炭化した腕の一部は、少し遅れてボロボロと崩れ落ちる。

「上出来ですわ」

主の危機を察したのか、周囲の大型の幽魔が一斉に炎の壁に飛び込む。

が、それすらもリンカの作り出した業火は全て飲み込んでしまう。

「すっげ……」

タイキがふとつぶやいたその時、『原初の者プライマル』がもう片方の腕を振り上げた。

その標的は、ちょうど肩で息をしている最中のマソラへと――

「トオル」

クロエが耳元に片手を当てて、ふとつぶやくように口にすると同時。

近くの雑居ビルの屋上数か所から、ほぼ同時に真っ白な糸のようなものが射出された。

ただの糸にしか見えないそれは、『原初の者プライマル』に絡みついても一向に千切れる気配を見せなかった。

「……アナタたちは殺させない」

「……そうかよ」

炎の壁に阻まれてよく見えないが、今しがた糸が飛んできた方向に目を向ける。

「トオルはサポートに回らせてる。あの2人への戦闘支援」

あの小動物がどうやったらそんな大掛かりな準備が出来るのかは分からなかったが、今はそれどころではないとばかりにタイキは首を振った。

動きの大部分が封じられた『原初の者プライマル』に、リンカがつかつかと向かっていく。

その途端『原初の者プライマル』の大口が開き、そこに光が集まっていった。

「下がりなさい」

とっさに片手を耳元に当てたクロエを再度突き飛ばす形で、リンカが1歩前に出て手を宙にかざす。

瞬間、吐き出された熱線とリンカの炎が激突した。

辺りにまき散らされる熱気による灼熱地獄。

原初の者プライマル』とリンカ、その体格差は7、8倍ほど。

熱線と炎がぶつかる境目が、段々とこちらに近づいてくる。

「……おい!」

とっさに、クロエを小突くが。

先ほどなら力負けしていましたわね。……でも、」

その場に座り込んだマソラでさえも、あっけにとられて拮抗する様子をただ見つめているだけだった。

「……この程度、押し切りますわ。わたくしに支援など不要です」

宙で大きな爆発音が響くと同時、地上に灼熱の爆風が降り注ぐ。



ふと辺りの熱気が薄まり、思わず閉じていた目を開くと。

いつの間にか、あの氷の牢獄がタイキたちの周囲を覆っていた。

数歩先、その場に立っていたのはリンカだった。

「念には念を入れてみましたが……この程度だったとは興ざめですわね」

そのさらに数メートル先、炎の壁の境界付近に『原初の者プライマル』が倒れていた。

拘束用の糸も、炎に焼き尽くされたのか影も形も見えなかった。

残っているものと言えば、先ほど撃ち込まれ、くすぶり続けている炎の楔のみ。

と。

ゆっくりと『原初の者プライマル』へと歩み寄ろうとしていたリンカが、唐突にその場に崩れ落ちた。

同時、氷の檻が砕け散る。

「……おい!」

「……はしゃぎすぎましたわね。流石にわたくしもエネルギー切れですわ」

悔しそうに自身の手の平を見つめながら、彼女が吐き出す。

「あとは再封印するだけです。あなたたちにお任せしますわ」

「……」

それと同時、クロエが無言のまま例の小瓶を取り出した。

「わたくしはしばらく動けませんが、そこまで弱体化させれば問題ないでしょう」

……。

ピクリともしない『原初の者プライマル』と、それに恐る恐る近づいていくクロエを見つめながら、タイキはへたり込んだリンカへと吐き出した。

「……にしても、どういった心境の変化だよ。昨日までなら追い返そうとしたのに、今回はあっさりと俺たちと共闘しようだなんて」

「覚悟を決めただけですわよ」

息を整えながら、彼女が口にする。

「この街において、相手の狙いは最も強いこのわたくし。ではその次は?」

ふと、その隣で同じように座り込んでいるマソラが口を開きかけたが、先ほどまでの事を思い出したのかすぐに押し黙る。

「あなたたち2人ですわ。あの小動物を別にすれば」

「……?」

「人間ではなく、霊体に近くなおかつ力というエサを持ったあなたたちは、幽魔からすれば絶好のおやつですわよ」

「だから俺には力なんてものは――」

こちらの言葉を遮り、彼女は続ける。

「そんなあなたたちが、いつかわたくしの目の届かないところで襲われないとも限らない。だから短期決戦にした方がいいと判断した。それだけですわ。わたくしが守り切ればいいだけですしね」

「……」

「それにあなた。生き返っておいて本当に力……ギフトが無いと思っていて?」

「……?」

「あなた、1度死ぬ前と比べて、ここ数日で何か変な事はありませんでしたの?」

確か、クロエも先ほど似たような事を言っていた。

「最近起きる変な事と言えば、ストレス性の幻覚くらいしかねぇぞ。なんか唐突に数字が見えたりするだけで、特に戦えそうな事は何も」


『5』


「そうそう。ちょうどこんな風に――」

ふと前方を見やると。


原初の者プライマル』の片腕が、疲労し切って動けないマソラへと伸ばされ。

タイキ自身も手を伸ばすが、それが届く前に彼女の胸元は貫かれていた。


「なっ――」

再度瞬きをすると、目に入ったのはその場に座り込んだまま不思議そうな色を浮かべる幼なじみの姿。

同時、ゆっくりと起き上がった『原初の者プライマル』が、先ほど見た幻覚と同じように片腕を彼女へと伸ばしていて。

「ちっ、くっしょおおおっ!!!」

その間に、とっさにタイキは飛び込んだ。

『1』

そして、視界が鮮血で赤く染まった。

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