神様にさえ出逢わなければ
▼登場人物
寺の住職(男性)
住職の妻(女性)
インド人の幽霊(男性)
■寺の門前をホウキで掃く住職。そこに妻が歩いてくる。
住職「おかえり。買い物ありがとな」
幽霊「アナタ、オ坊サンデスカ? オ若イデスネ」
住職「は? なに当然のこと言ってんだ」
住職(待てよ? この変なアクセントとイントネーション――そういうことか)
幽霊「私ノ願イ、聞イテクダサーイ!」
住職「だーっ! わかった、わかったからとりあえず中入れッ」
■寺の客間。
住職「で、あんたはなんで俺の奥さんに憑いてんの」
幽霊「私、出稼ギニ来タ、インド人ノ男ナノデスガ。サッキ、引ッタクリニ刺サレマシタ」
住職「は!? どこで!? この近くで!?」
幽霊「散歩カラ帰ル途中、水神公園ヲ通ロウトシタノデース」
住職「あー、あの辺は前に露出狂がしょっちゅう出たりもしたからな」
幽霊「後ロカラ相手ガブツカッテキテ、オ腹ガ痛ミマシタ。荷物ヲ全部奪ワレタノハ覚エテマース。意識ガ朦朧トシタラ、コノ女性ニ入ッテタノデース」
住職「犯人の顔とか見てねえのか?」
幽霊「ワカリマセーン」
住職「遺体は近所の人が警察呼んで鑑識に回されてるか、犯人が証拠隠滅で隠してるか……」
幽霊「ソンナコトハドウデモイイノデース」
住職「いいの!?」
幽霊「コノママ死ヌナンテ、悔シスギマース。未練ガアルノデース」
住職「あぁ、願いがどうとか言ってたな」
幽霊「ヴィシュヌ様ノモトヘイク前ニ叶エタイノデース」
住職「ヴィシュヌ? あんた、ヒンドゥー教徒か?」
幽霊「オー! ニッポンノオ坊サンモ、ヴィシュヌ様ヲ知ッテルノデスカ!」
住職「この通り実家が寺だから、宗教学は学生の時にかじったんだよ」
幽霊「素晴ラシイデース!」
住職「で、願いって?」
幽霊「一度デイイカラ焼肉ガ食ベタイノデース!」
住職「いや、ヒンドゥー教徒なら牛肉食っちゃヤバくね!?」
幽霊「ヤッパリ、ダメデショウカ……」
住職「ヒンドゥー教って聖牛崇拝だろ」
幽霊「確カニ、三大神ノオ一人、シヴァ様ノ乗リ物ハ『ナンディン』トイウ牡牛デース」
住職「そういや、こっちでどんな仕事してたんだ?」
幽霊「焼肉屋デース」
住職「だからなんでヒンドゥー教徒なのに焼肉屋で働いてんの!? メニューもほぼ牛肉だろ!」
幽霊「私ハニッポンデオ店ノ面接ヲ色々受ケマシタガ、ナカナカ採用サレマセンデシタ。デスガ、ソノ焼肉屋ノ店長サンダケハ、『オレ、インドニスゲー興味アルカラ!』ト受ケ入レテクレタノデース」
住職「へ、へぇ……」
幽霊「私モ最初ハ牛ノ肉ヲ食用ニスルノハ抵抗モアリマシタガ、オ店ノ皆サンノオカゲデ、ニッポンノ食文化ガ深ク学べタノデース」
住職「まかないはどうしてたんだ? 店で出るだろ」
幽霊「インドノヒンドゥー教徒ハ、ベジタリアンガホトンドデース。私モ野菜ダケヲ食ベマシタ」
住職「なるほど」
幽霊「死ンデカラ思イマシタ……セメテ一度ハ自分デモ焼肉ヲ食ベタイト」
住職「ヒンドゥー教って、確か水牛だけは崇拝対象外だよな?」
幽霊「ハイ。水牛ハ悪魔『マヒシャ』ノ化身ノ一ツデ、死者ノ王『ヤマ』ノ乗リ物トサレテマース。ニッポンノ焼肉屋ニハ、水牛ヲ食ベラレル所ハアルノデショウカ」
住職「探せば多少はあるんだろうけど、見つける前にあんたが成仏するかも――あ、ヒンドゥー教じゃ成仏って言わねえよな」
幽霊「輪廻転生デース。私モイツカハ生マレ変ワルノデショウ」
住職「じゃあ、その時は日本人になれるといいな。焼肉たらふく食えるぞ」
住職(水牛を今すぐ用意するのは無理だし、こうなったら――)
住職「ちょっと待ってろ。肉、焼いてやるよ」
■牛肉をホットプレートで焼く。
幽霊「オー、焼肉オイシソウデース」
住職「それ食ったら召されろよ、ヴィシュヌのとこに。牛肉食った奴がいけるのかどうか知らねえけど」
幽霊「キット、ヴィシュヌ様モ許シテクダサイマース。トコロデ、オ坊サン」
住職「ん?」
幽霊「奥サンハ、私以外ノ霊ニモ憑カレルコトガアルノデスカ」
住職「ああ。重度の霊媒体質でな」
幽霊「レーバイタイシツ?」
住職「霊に憑かれやすい体質ってこと。高校のときに知り合ったんだけど、当時から毎日のように憑依されてたからなぁ。俺が毎回霊を
幽霊「ナルホド。デスガ、仏教ノ僧侶ハ結婚デキナイノデハ?」
住職「うちは浄土真宗って宗派だからな。許されてる」
幽霊「仏教モ奥ガ深イノデスネ」
住職「インドにも多少はいるんだろ、仏教徒」
幽霊「ハイ。釈迦様モ、ヴィシュヌ様ノ十化身ノ一ツデスカラ」
住職「お釈迦さんは神じゃなくて仏だけどな、日本の仏教じゃ。神として生まれたんじゃなくて、人間が神みてえな存在になったようなもんだから」
幽霊「ダカラニッポン人ハ神ヲ信ジナイノデスカ?」
住職「仏がどうこうっつーより、神の存在自体を信じる必要がねえからだと思う。奥さんもそうだし」
幽霊「ニッポンハ『ヤオヨロズノ神』ダト聞イタコトガアリマース。色々ナ場所ニ神ガイルノデスネ」
住職「そうそう。民間伝承や昔の古い書物に神の話は多いけど、結局神って自分の目には見えねえもんなんだよな。だから見えるもんのほうを信じやすいっつーか、人間が仏になるって考えのほうが身近に感じるんじゃねえのかな。俺の個人的意見だけど」
幽霊「インドハ国自体ガ神ヲ信仰シテマース」
住職「そうだよな、だからカースト制度とかあるんだもんな」
幽霊「文化ノ違イ、面白イデース」
住職「おっ、肉がいい感じに焼けたぞ。ほら、食ってみな」
幽霊「ン~、ジューシーデオイシイデース! コレガ
住職「マジで食っちまった……まあ、気に入ったならいいけどよ」
幽霊「突然ノオ願イダッタノニ、本当ニアリガトウゴザイマース」
住職「どういたしまして」
住職(復讐目的だったら、俺も問答無用で祓っただろうな。温厚な霊でよかった)
幽霊「ゴチソウサマデシタ」
住職「はい、お粗末様。引ったくり事件は警察が解決するだろうし、安心しな」
幽霊「ソウデスネ……」
住職「よし、経でも唱えるか」
幽霊「ゴメンナサイ、少シ待ッテクダサイ」
住職「何?」
幽霊「奥サンノオッパイガ大キクテ素晴ラシイノデ、揉ンデモイイデスカ?」
住職「だめに決まってんだろうが~!!」
■住職は妻の頭を思い切りはたく。
住職(ヤベッ。いつもの癖で、読経前に殴って追い出しちまった)
妻「あれ? あたし、なんでいつの間にか家にいるのー?」
住職「今回はインド人の霊に憑かれてたぞ」
妻「へぇー。てか、ホットプレート出したの?」
住職「わりぃ。晩飯用の牛肉、一切れ使った。インド人が焼肉食いたがったから」
妻「えー? ちょっと残念だけど……頭がじんじんして気持ちいいから許すー」
住職「通常運転だな」
妻「もっと強く殴って! いじめて! 罵って!」
住職「まだ夕方だぞ、落ち着け!」
住職(神様にさえ出逢わなければ、もっと別の知り合い方をしてたかもしれない。ちょっと変わった形での国際交流も、たまには悪くなかった)
蒼樹台本集 蒼樹里緒 @aokirio
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