第2話
「いやいやキンさん、ありくいに感化され過ぎっしょ」突っ込んだのは羽柴である。
木下の均はヒトシと読むが、キンとも読める。羽柴はギンジ。それでこの二人は互いをキンさんギンさんと呼び合い、周りもそれに合わせている。
ありくいというのはアニメの略称だったはず。正式名称は長くて忘れてしまった。
「確かにありくいの影響なんだけど、なんか俺たち、ふわっとし過ぎじゃない?」
「どういう意味かな?」大瑠璃が不満げに言った。
彼は惰性で部長になった割に独裁者の気があり、部員から意見されることを嫌う。
「ふわっとしてるっていうその発言自体がふわっとしてない?」
「まぁふわっとはしてますよね」と、中條が珍しく発言したので、全員が「!」となった。
「中條さんどっちの意味? キンさんの発言が? それとも僕らが?」
「どっちもです」
おお、なんだこのピリッとした雰囲気は。
木下の奇妙な発言で、淀んだ部室に気流が生まれている。
「テーマを決めたいってこと? でもいつも言ってるように、二文の根底にあるのは『自由』なんだよね。何かテーマを決めてしまったら自由じゃなくなる」
「木下くんは」中條が言った。キンさん、とあだ名では呼ばないようだ。「テーマが欲しいんですか? 青春がしたいってどういう意味ですか?」
「テーマのことは置いといて、何かみんなで目指せる目標が欲しいなって」
「ああ、なるほど。目標ね」と、羽柴。「売上目標ぐらいあってもいいんじゃないスか?」
大瑠璃は苛立たしげにトントンと机を叩く。「それはつまり、売れる本を出そうってこと? 売れるために書くわけ?」
「実際、多少は売れないと厳しくないスか? 出店料もかかるわけだし」
5000円である。
我々は大学のコピー機を使えるので、印刷費が格安で済む。一般の参加者と比べればペイするのは難しくない。
「じゃあ、出店料さえ回収できればよくない? 売れるために書くっていうのは、なんか違うと思う」
大瑠璃はそう言うが、売れているものしか日頃読んでいないのにどうして「売れる」を否定するのか、俺にはちょっとよくわからない。
「お金の問題じゃなくて」と、中條。「売りに出すからには売れたいです、私は」
確かに……という空気が流れた。
俺もそうだ。売るからには売れたい。
「そりゃそうだろうけど」大瑠璃が流れに抵抗する。「じゃあ、アレ? 最近の売れ筋を分析して、それに合わせて書こうってこと? そういうのってさ、浅ましくない?」
「たまにはそうのもいいんじゃないスか?」羽柴が言う。「今回が二文の集大成とか、誰かの引退試合ってわけでもないんだし」
「いや、たまにはって軽くて言うけど、部の方針をそんな気軽に変えられても困るな」
「私も困る」と、ここまでずっと黙っていた名取が喋った。「急に売れ筋書けって言われても、〆切間に合うかわかんない」
いやいやいやいや(爆笑)。あなたどういう条件でも絶対破るでしょうが。むしろ方向性固定されたほうが早いまであるのでは。
「すいません」中條が挙手した。「いったん話戻しませんか。木下くんの言う『目標』って『売上の』でいいの?」
木下に視線が集まる。
「そうですね。売上ってことになると思います。中身は比べようがないし」
「比べるって、何と?」
「一文に、勝ちたくないですか?」
一文に、勝つ!
その目標はシンプルで力強く、輝いていた。脳内物質がドバッと溢れ、一気に心臓へと流れ込む。いや脳汁が血管に流れたら死ぬわ。死ぬのか?
とにかく俺は俄然やる気になった。そして、木下をそそのかしてくれたありくいというアニメに感謝した。帰ったら観てみよう。
「おもしれーじゃん」と、羽柴が不敵な笑みを浮かべ、「やりましょうよ部長!」と焚きつけた。
木下と羽柴をキモオタコンビなどと内心見下していたことを反省したい。俺なんかよりずっと行動力がある。少なくとも今この場では。
「私も賛成です」中條がメガネを光らせる。
「いや、そりゃ確かに、青春っぽいかもしれないけどね……」大瑠璃はモゴモゴ言う。「売上にこだわるってのは、やっぱり自由じゃないと思うんだよなあ……」
「逆じゃないですか?」と言ったのは俺である。
中條が珍しく発言したとか名取が初めて喋ったとか偉そうに言ったけれど、何を隠そう、ずっと黙っていたのはこの俺に他ならない。
沈黙したまま状況が好転するのを待つなんて、そんな後ろ向きな姿勢では一文に勝つなんてとても無理だ。
大瑠璃が俺を見た。「逆って?」
「海外に出て初めて日本のことがよくわかる、みたいに、何か不自由そうなものがあってこその自由なんじゃないですか?」
ずっと思っていたのだ。自由過ぎて自由がわからない。
「ああ……うん、まぁ……」
おそらく、大瑠璃も内心は折れたいのだろう。プライドが邪魔して「やろう」と言えないだけだ。
「えー今さらそんなこと言われても……間に合うかな〆切……」
……。
いったん名取は放っておこう。
「勝てば自由の良さを証明できますよね」んなわけないと思いながら俺は言った。だいいち一文は「純文学寄り」とは聞くがそこまで「不自由」とは限らない。
強引なダメ押しだったが、大瑠璃には効いてくれたようだ。
「よし、わかった。みんながそこまで言うなら、やってみよう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます