弱小文芸部の超青春会議

森山智仁

第1話

「〆切厳守」

 部室のドアに貼られたその言葉はすでに風景の一部と化しており、文字列としての力を持っていない。

 2年の名取透子はどうせまた守らないのだろう。あの女は〆切を破ってこそいっぱしの物書きだと考えているフシがある。SNSで〆切やばい〆切やばいと連呼して、追い詰められることに酔っているのだ。

 部長の大瑠璃貴一郎(3年)はそんな名取にクソ甘い。名取のどこがいいのか俺には一切わからないが、大瑠璃の目には――まったく本当に驚いたことに――かわいく見えているらしい。外見が好みだから甘やかすというのは大問題だし、その弛緩した空気が部全体に伝播しているのはさらに大々問題である。

 月に一度行われるショートショートの読み合いは、名取を待つせいでいつまで経っても日程が決まらない。先に日程を決めて、遅れた者は不参加としてしまえばいいのに。

 木下均と羽柴銀治の1年キモオタコンビは、きっと〆切は守るだろう。だが内容は(※自主規制)。

 我が山岡大学第二文芸部は、純文学寄りの「文芸部」から昨年、自由を求めて独立した集団である。求めた自由はすぐに得られた。が、指針が存在しなかった。サークル紹介に書かれた「面白ければ何でもアリ!」というキャッチフレーズは、「今日何食べたい?」に対する「何でもいい」と同質である。ピュアな新入生だった俺は今年4月、堅苦しそうな一文を避け、二文を選んだ。そして、自由と無策は紙一重と知った。

 文芸部はあくまでも文芸部であってアニメ研究会ではない。だが自由を標榜する我が二文はアニオタを差別しない。結果、木下と羽柴はいつも二人でアニメの話をしている。しかも一話切りだの流し見レベルだの、やたらと上から目線である。それでいてアニメの原作者が夢だというのだから(※自主規制)。

「じゃ、文フリの〆切は9月末ってことでよろしいでしょうか」

「はーい」

 その淡々とした議決には、若者らしさの欠片もなかった。

 文フリとは「文学フリマ」のこと。言わばコミケの文芸版である。

 再来月に迫った文フリは二文にとって貴重な対外行事、年に一度の晴れ舞台と言える。だが俺の心中はどんよりと曇っている。そもそも高校だか中学あたりから曇りっぱなしであり、心が曇っているからこそ文学なんぞに片足を突っ込んだわけだが、この二文に入ったことでその雲は粘性を帯び、黒ずんで腐臭を放ち始めた。

 文芸部に入れば文芸の話ができると思っていた。ところが、木下と羽柴はアニメの話しかしないし、名取は〆切の話しかしない。大瑠璃はいわゆるベストセラーしか読んでいなくて、感想を言語化する習慣がない。

 一文からの独立を扇動したのは大瑠璃ではなかった。独立時点で8人いた部員は光の速さで4人になり、翌年も籍を残したのは大瑠璃と名取だけだった。名取は〆切のことしか頭にないので、なし崩し的に大瑠璃が部長職を引き継いだらしい――と、同じ講義を取っている一文所属の先輩から聞いた。小生意気に独立なんぞした集団が無惨に瓦解する様は、見ていてさぞ愉快なのだろう。

 文フリには部として一冊、短編集を出すことになっている。しかし、拵えは所詮コピー本だし、無名の学生が「自由」に書いた寄せ集めなんて売れるわけがない。

 ラインナップはきっとこうなる。


 名取:作家が主人公の話

 木下:最近見たアニメの下位互換

 羽柴:同上

 大瑠璃:喫茶店が舞台のハートフルストーリー

 俺:未定

 中條:SF


 2年の中條美季は今年、新歓も落ち着いた5月の末、ふらりとやってきた謎のメガネ美女だ。ほぼ四六時中、無地のカバーのかかった本を読んでいる。今は何を読んでるんですかと聞けば答えてはくれるが、それ以上会話が続かない。そのジャンルもバラバラで好みがわからない。わかっているのは既婚者ということぐらいだ。左薬指の小さな指輪が圧倒的な存在感を放っている。

 閑話休題。とにかくそういうわけで、まったく統一感のない短編集になることは目に見えている。表紙は大瑠璃がテキトーにフリー素材か何かで作るのだろう。表紙どうするんですかという話題すら出ない。

 きっと売れないだろう。だが文フリには物好きが集まる。何部かは売れるだろう。それでいい――と、恐らくみんな思っている。たまたまお忍びで(忍ぶ必要があるのだろうか)来ていた大手出版社の編集者の目に止まって、自分の才能さえ発掘してくれればいい。なんてのは夢の見過ぎだとわかってはいても、その可能性がトリカブトの致死量ほどでもあればいいと、俺自身も思っている。

 発掘されたいなら公募なり投稿なりしたほうがいい。無論、それはそれでやる。短編集を出すのは、まぁ文芸部員だから。部が出店するのは、まぁ文芸部だから。一応、まぁそういう、アレだから。「まぁ」がびっしりとこびりついた、成り行きの成れの果て。強い意志はどこにもない。

「あの」と、ミーティング終了直後、手を挙げる者があった。

 木下。キモオタコンビの片割れ。


「青春、しませんか?」


 急に何を言い出すんだこいつは。

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