茜と『常識』
「茜さまがヘルメットの素晴らしさを、尊さを、我々に思い出させてくれたのです」
「茜さまはヘルメットの代弁者。ヘルメットをかぶるにふさわさしいお方です」
拾った新聞には、そう書かれていた。
極秘インタビューに応じた二人の未来ある若者には布団圧縮袋の刑が執行されたとあり–––––茜は、心の痛みに目を伏せる。
茜は、ある都市の路地裏でビニールシートを広げていた。
売っているのはヘルメットだ。茜が外国から秘密裏に仕入れ、塗装し、ベルトを丈夫な物に交換した自慢の一品。
値段は、現在の市場価格とは比べ物にならないくらい激安だ。
––––10年前は、これが当たり前の価格だったのにな。
茜はひとりごちる。
茜は10年前から、細々とヘルメットを激安で売り歩いた。
そして、出会う人々に自分がいかにヘルメットを愛しているのか伝えた。
ほとんど子供の戯言だと思われて相手にされなかったが、時折耳を傾けてくれる人もいた。
そして茜の活動は水面下で徐々に勢いを増していき、気がつけば全国的な運動となっていた。
10年前、ヘルメットを義務感で着用することが当たり前の空気の中、ヘルメット愛好家は確実にいたらしい。
茜は嬉しかった。『脱・ヘルメット法』の強い風当たりの中、孤独なヘルメットオタク人生が初めて慰められた。
しかし若者の間で熱い支持を受けたヘルメット激安運動は活発化していき–––––政府からテロ認定をされた茜たちは、影を歩く存在となってしまった。
茜は大きく溜め息をつく。
ヘルメットをかぶった人々が朝日の下を歩く登校風景が懐かしかった。
「君! そこで何をしている!」
思い出に浸ることも許さず、パトロール中の警官が茜を見つけた。
「いいえ、何も!」
「何だと……ぐえ!!」
茜は素早くオーバーサイズヘルメットを警官にかぶせて目眩しをし、走って逃げる。
「ト……トトロキモア・茜だー!!」
茜は迷路のような路地裏の奥にどんどん入り込んでいく。
10年で、日の当たらない世界を走ることに随分慣れてしまったのだ。
しかし、今日は警官が多い。
茜は嫌な予感がしながらトランシーバーで同志に連絡し、警官のいない道を選んで逃げ続けた。
やがて、広場に躍り出た。
突然開けた視界に茜は困惑し……そして、はっと振り返った。
「とうとう君に会うことができたね、茜くん」
そこにいたのは、怨敵・真柴グレン蔵内閣総理大臣だった。
茜は奥歯を噛み締める。
「わたしをはめたな–––––!」
「そのとおりさ。私はずっと君と話したくてね」
周囲は武装した特殊部隊が取り囲んでいる。
銃を向けられて、茜は眉間に皺を寄せながら両手を上げた。
「話?」
「そう……」
真柴総理は布団圧縮袋を指でなぞった。
「君が、どうして『脱・ヘルメット法』にそこまで反発するか、をね」
茜は真柴総理の手つきでを見て苛立ちが募った。
しかし、銃口がぎらりと光っている。茜は観念して喋り始めた。
「……最初は、みんなと一緒だよ。『常識』
だからヘルメットをかぶっていたんだ」
真柴総理の頬がぴくりと動いたのを見逃さなかった茜だが、構わず続けた。
「……でも、わたし、特別ヘルメットが好きだった。『脱・ヘルメット法』で自由にヘルメットをかぶれる風潮がなくなっても、やっぱり好きだった」
茜はこれまでヘルメットと共にあった日々、ヘルメットを愛する人々とヘルメットについて夜通し語り合った日々、より安くて丈夫なヘルメットを故郷に届けるために世界中を奔走した日々を思い出した。
そして–––––。
「だから–––––驚いたよ。ヘルメットの素材を買い付けにA国へ行って知った。バカ高い関税を要求したのはA国じゃなくて–––––」
茜は両手を上げたまま、吐き捨てるように言った。
「真柴グレン蔵、アンタなんだってな!!」
真柴総理は無言だった。
茜はやりきれない感情を、地蔵のよう黙り込む真柴総理にぶつけた。
「しかもヘルメットの関税を上げてやった代わりに便宜を図ってもらうどころか、A国で生産される布団圧縮袋の7割を10年間も無理矢理輸入してたおかげで……A国から顰蹙買ってるんだって!? 一体どの口が関係改善なんて言うんだよ!!」
茜は口汚く真柴総理を罵り続けた。
やがて投げつける暴言が尽き果て、新鮮な酸素を求めて呼吸を繰り返す。
茜は呼吸が落ち着くのを待って、呟いた。
「一体、どうして……」
今度は茜が、真柴総理に問うていた。
それまで黙っていた真柴総理は、一歩踏み出す。
「『常識』……」
真柴総理は茜の目の前まで踏み出した。
「『常識』……『常識』……『常識』……」
茜は真柴総理に見下ろされる。布団圧縮袋が太陽の光を吸収して目に染みた。
「……そんなものは、クソ食らえだ!!」
真柴は茜の目を見て叫ぶ。
茜は目を見開いた。
「……かつて、私は限界集落に近いある農村で育った」
真柴総理は語り始めた。
「私の故郷でも、ヘルメットをかぶることは当然『常識』だった」
しかしその日の食事にも事欠く有様の真柴家は安価のヘルメットも購入できず、代わりに代々家業で造っていた布団圧縮袋をかぶっていたそうだ。
「それはそれは嘲笑されたものだよ」
真柴家は毎日村人にひどくされた。
「ヘルメットがないと頭がすーすーするのぅ」
「ほれ、空から槍が降ってきおったぞ。ヘルメットじゃのうて布団圧縮袋じゃ突き破ってしまうぞ」
「お前布団圧縮袋をかぶるのはさすがに頭おかしいよ……」
罵詈雑言の嵐の中、真柴グレン蔵は育った。
『常識』が、『常識』を守れない環境が、真柴家を苦しめた。
真柴グレン蔵の母は、ようやく金を工面して手に入れたヘルメットを床に置いておいたらけつまずいて頭を柱に打ちつけて他界した。
「–––だから私は『常識』というものを、逆に手玉に取ってやろうと思ったのさ」
真柴総理は両腕を大仰に広げる。
その背後には、ヘルメットではなく布団圧縮袋で武装した特殊部隊が茜を見つめていた。
「見てみろ。今では全国民が布団圧縮袋をかぶっている! 布団圧縮袋のテカリ具合の僅かな差でオシャレさを競うようになるほどに愛され、根付いている! 最早生活の一部だ。あんなにドン引きした目で見られた、布団圧縮袋をかぶるということが!」
一通り言い終えると、真柴総理は空に向かって高笑いした。
壊れたように、笑い続ける。
茜は、一時自分の眉間を多くの銃口が狙っているという事実を忘れて、笑いすぎるあまりむせ出した真柴総理を見つめた。
……この人は……。
「……あなたの立場には同情します」
茜は上げた手でヘルメットの端に搭載されたボタンを押す。
「……しかし、それはヘルメットを愛する者からヘルメットを奪う理由にはならない」
「!」
特殊部隊の周りを、ヘルメットをかぶった同志たちが囲んでいた。
茜が要請していた応援が到着したのだ。布団圧縮袋をかぶる者より、ヘルメットをかぶる者の方が多い。戦力差は一目瞭然だった。
「……ト、トトロキモア・茜ぇええ!!」
真柴総理が叫ぶ。布団圧縮袋の破れたところから、白い髪がはみ出していた。
「––––また会うことはないでしょう、真柴総理。あなたは好き放題しすぎた」
茜は同志たちに誘導され、その場を脱した。
脱出後、茜は真柴総理の罪を世間に公にし、間もなく真柴政権は音を立てて崩壊した。
その後『常識』に踊らされた男の姿を見た者はいなかった。
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