第4話 告解

 寒空の下、ベンチに座る彼女を背にして遊歩道に向かうとその先に池が見える。

 ボートに乗った幸せそうなカップルが見えて胸が苦しいような気がした。

 なんでだろう?

 いや、緊張してるだけだ。人を傷つけようとしてるのが怖いだけだ。

 夕暮れが近づいている。日が落ちるのが早い季節だ。

 とにかくどう話すのか決めなきゃいけない。

 

 すぐに着いてしまった売店の自販機には彼女のリクエストのミルクティーがなかった。

 それをいいことに入口付近にある自販機まで歩くことにする。

 

 そこに着いてもやっぱり頭の中はまとまらなくて、どういう風に話しても結局は傷つけるんだろうな。そればっかり考えて。

 とにかくなんとかしゃきゃと缶コーヒーのボタンを押す。

 ミルクティーのボタンを押すと彼女の顔が浮かんできた。

 ゴトン、落ちてきた紅茶の缶を持ったときに腹をくくった。


 結論を最初に伝えよう。シンプルに。ごめん、をつけて。


 夕闇の中を一歩、また一歩と彼女に近づくたびに緊張感が重くなる。

 石畳を降りてまだ黄色い落ち葉を踏んでゆく足がとても酷いことをしている気分になる。

 踏みにじる、という言葉が浮かんでくる。彼女が伝った木の根をまたいで、積み重なった落ち葉を踏みしめながらベンチに近づくと、そこに彼女の姿はなかった。


 いぶかしみながらベンチの表側にまわると二人の鞄が残されている。


 おかしい。

 彼女は荷物を置いたままどこかに行くようなことはしない。


 辺りを見回しても彼女の姿は見えない。


 もう一度、目を凝らして見渡すと、あの犬を連れたおばさんが手招きしているのが見えた。

 足早に近づいていくと公園の裏口のようにひっそりとあるトンネルを少し離れたところから中を指差している。


 コンクリートで囲まれた四角い空間が見えるようになるとすぐに走った。


 壁に背をつけた彼女を柄の悪そうな三人の男たちが取り囲んでいる。

 彼女の様子がはっきりと見えてくる。

 

 やめて下さい!! 

 いいじゃーん、俺らと楽しいことしにいこーよー。


 言葉では噛み付くようにあらがってはいても、ガタイのいい男たちに囲まれて成すすべのない小さな体がこっちを見た。


 「先生っ!!」


 潤んだ瞳が駆けてくる。



 ちっ、教師かよ。

 肩を抱きとめた彼女と自分に向かって吐き捨てられる舌打ちと汚い言葉。

 けれど先生と呼んだのは正解だったようだ。手を出すに出せない雰囲気の男たち。

 彼女の肩に右手をまわしたまま振り返って、薄暗いコンクリートの中を歩き出す。後ろで男達の、でも若すぎじゃね? という声がする。



 左肩を掴まれた。強く引かれて振り返るように体がまわると、腹に衝撃がきて背中が丸まる。

 黒いズボンの太ももが目の前にある。

 口の中に酸っぱいものが上がってきて、ショックに全身が痙攣して動くことを拒絶した体は吐瀉物を喉元でおさえこんでいるだけだった。


 コートのポケットから転がりでた2つの缶が、目線と同じ高さに見える。

 頬に触れている硬く冷たいコンクリートの感触。

 なんとか頭を動かして逆側を見た。彼女の姿はない。


 新しいおもちゃを手に入れたような男たちの靴底が降ってくる。


  

 頭を抱え、くの字に横になって、ただ耐えていた。



 遠くから彼女の声がした。


 「警察呼んだから!! すぐ来るって! 二分もかかんないって!」


 携帯を持った彼女の後ろには恐る恐るこちらを覗き込んでいる人影もある。


 男たちの動きが止まった。



 表情を引き締めて近づいてきた彼女に手を握られて起き上がる。

 足に力が入らず肩を借りた。


 ゆっくりと、まだ薄明るい外の景色にむかって歩く。


 

 ガクン、意識が揺れた。


 

 遅れて後頭部に激痛が来た。鈍い音をたてて中身の入った缶コーヒーがコンクリートの上を転がっていく。


 

 ざまー、男たちの捨てゼリフと笑い声、逃げる足音。


 


 鼓動が痛みになって繰り返す後頭部はしっとりと濡れていた。どす黒いもので汚れた手にハンカチが手渡された。


 外に出て、一番近くのベンチの腰を下ろすとほとんど同時に、自転車に乗ったお巡りさんが息を切らせながらやってきた。

 あの三人組か、そう言ったまだ若い制服は、彼女の落ち着いた適切な対応、を褒めていた。


 パニック状態が収まると自分の情けなさが身にしみた。


 幸いにも最後の一撃を除けば怪我はない。顔も殴られてはいない。打ち身が酷いくらいだからと言ったのだが、事件にするかどうかもあるし頭の怪我だからと、交番で調書を取ったあと病院に行くことになった。


 ご大層にMRIにまで乗せられて、病院を出るととっぷりと日が暮れていた。

 随分と気温が下がっている。


 途中で別れることを「家まで送ります」と拒んだ彼女と一緒に近所のスーパーまで来た時、心を決めた。






 学部向けのコーポと名のついたアパートの前で、部屋に上がることにうなずいた彼女が階段の後ろについてくる。


 自室のドアを開けて、冷蔵庫の上に乗った電子レンジや心ばかりの調理器具しかない廊下の台所を通って部屋の扉を開ける。

 

 何もない部屋だ。


 四角い黒いテーブルがひとつと通販で買ったベッド。それだけ。


 「うわっ、ほんとになにもないですね」


 言われた通りの自分の住処すみかを見渡す。

 寝具やカーテンが無地のグレーだからか余計にそう見える。

 木目がプリントされた寒気しい床板には、空になった水のペットボトルとスマホの充電コードが延びているだけだ。


 くすんだ白い化粧板の扉を開けて、別の服の上にコートを掛ける。空いているハンガーを出して彼女に渡した。

 全てのものがひとり分最低限しかない部屋の中で、自分が使っているつぶれ気味のクッションを彼女に差し出す。



 硬い床に座って話しを始めた。







 

 僕が育った家の玄関には家族写真が飾ってある。

 まだ無垢な笑顔に満ちた小3のぼくと小学校に入りたての妹、桜の下で見守るように微笑む両親。


 世間的には、羨ましがられるような家庭だと思っていた。


 郊外の一戸建て。そこで暮らしているのが、仮面まとった夫婦と劇団の子役その1、その2なんだ……、と気がつくまでは。 

 

 上場企業に勤める父と、子育てを一段落させ仕事に復帰して独立した母。

 

 お掃除ロボットに出迎えられて、いつの頃からか妹がやらなくなって僕の担当になった炊飯器からご飯をよそい、母が買ってくるお惣菜をそれぞれが都合のいい時間に一人で食べる夕食。

 寝に帰ってくるだけの父は休日も接待やらゴルフやら、どこにいるのやら。

 

 何かに麻痺したように、反抗期のなかった僕が黙々と義務をこなして小言から逃れることに専念するようになると、まるで自分の分まで背負ったみたいに刺々とげとげしくなってゆく妹が帰って来ない日が増えていった。


 さすがに我慢ならなくなった様子の父に声を掛けられ、久しぶりに四人が家に居たその日、父は母の管理不行き届きを責めた。

 それはいつしか「会社のトップが聞いて呆れる、愛想と色気で仕事をもらう下請け」になると「話し合う、っていうのは建前でやる会議やミーティングと同じじゃないのよ。派閥の太鼓持ちに何が出来るのか見せて欲しいものだわ」になった。


 家を満たしていた空気みたいなものが言葉という形を持って壊れた。


「ばっかじゃないの?」


 そう言い残して玄関を出て行った妹の姿を僕はその日以来見ていない。

 

 それでも日常という名の時を刻みつづける時計の針は止まることはなく、地方に転属になった父をいつもより高めなデパ地下の惣菜が彩って見送ると、セダンの車が置いてあった所にはすぐにカラフルな小型車が収まった。


 顔を知らない誰かが吸ったタバコの匂いがかすかにする。

 そんな時にかぎって母は機嫌がいい。

 そんな車内で、

 

「しっかりしなさいよ。じゃないとブラックなところで使い潰されるわよ」


 成功した、立派な、理想的な、大人の言葉に黙って頷いて、窓の外を流れる雨粒を見た。


 それでもいいよ。競って、傷つけて、傷ついて、すり減っていくよりも。


 独りで暮らしていくのがやっとでも。その方がいい。



 勝ち組のお手本に向かって心の中で呟いて、


「高校を出たら家を出る」

 

 そう宣言した。




 求めない。希望を持たない。頑張らない。



 

 そうゆうふうに生きてゆく。




 僕を俺に変えて、義務をこなして得た四年間の執行猶予。 




 自宅にいた頃を思い出すと今でも水の中にいるような気がする。

 独りでいることを決めたときからずっと、冷たいものが首の後ろにまとわりついている。


 そこから出た黒い霧が僕を取り巻いている。その先端が重たい水の中に広がっていく。

 それは墨のように流れ伝って彼女に届く。まとわりついて犯してしまう。そう感じながら僕は続ける。



 まだ親に甘えながらの学生だけど、一人暮らしを成立させるために働きはじめた。

 

 他人と深くは関わらず、適当な距離を保つにはどうしたらいいのか?


 それを会得するはずのバイト先で、いきなり責任あるポジションに据えられてしまった。 また「僕」を使わなくてはならなくなった塾では染み付いたものを思い出して戸惑った。


 けど、なんとか食らいついて講義をこなして、やっと慣れてきたかな、そう思えるようになった頃だった。

 

 「そんな時だったんだ。ナナミさんの志望校のことが話題になったのは」


 前しか見ていない彼女。

 それを見てきて困ったような顔をする講師。

 講師としての実績、予備校としての業績。大人の事情。

 そんな話に深くは入り込まず、どちらにも与しないように意識した。


 本人を目の前にして言うのはなんだけど、ひたむきな姿を綺麗だと思った。

心を打った何かが心の底から思い出を引っ張り出してきていた。


 「おにーちゃん、べんきょーおせーて」そう言いながら僕の机に自分のノートを広げて笑った小さな妹。自分がもっとちゃんと見て、ちゃんと向き合っていたらもしかして。


 真剣に前を向いている彼女に教えているように、妹とそうしていた自分があったのかもしれない。そう思うと目の前で頑張っている受験生を応援したくなっていた。

 自分ができなかった、消極的に犯してしまった罪を埋め合わせるように。


 君を妹に見立てて利用した。


 これからもそうやって、自分のことだけを考えて生きていくんだと思う。


 誰とも深い関係を結ばずに。



「――がらんどうなんだよ、僕は。この部屋みたいに。だから…………」



 その先を言葉にすると、またあの時みたいに形にして今を壊す。


 それでも言わなきゃいけない。


 僕には資格がない。


 でも。なかなか踏み込めない。

 

 さっきまで、はっきりと見えていた黒いテーブルの縁が滲んで揺れている。

 


 躊躇から生まれた空間に、落ち着いた黄色い声がゆっくりと舞い降りた。



 「わかりました」


 ひとひらの言の葉が、そこに響いた。

 



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