第3話 決意

 翌日、講義を終えるといそいそと教室を出て校門を抜けた。

 まだ人気の少ない歩道に出たところで背中ごしに声がした。


 スケボーの音が近づいてくる。

 観念するしかない。歩みを落として振り向いた。

 

 「よっ」


 頭までフードを被った谷山はバックパックにボードを装着する。

 一緒に歩く気らしい。


「で、どうなのよ?」


「――なにが?」

 無駄だとわかっていてもささやかな抵抗ヲ試みる。


「2つある。ゼミのことはまぁいいや。お前が決めることだし―― で、どうだった? 七海ちゃん」

 

 講義が終わる前から準備していたというのに、結局逃げられ無かったと言うことだ。

 


「ファミレス入って話を聞いたよ。実際俺は大したことをしたわけじゃなかったけど、感謝してるって言ってくれるのを否定することもないし、って感じかな」

 投げられた直球に素直に返してみたが、そこで終わるハズはない。


「ふーん。――連絡先、交換した?」


「――――必要に迫られて。――ちょっとしたことがあってハンカチ貸した。洗って返す、って言われて、それで」


 そこ、く・わ・し・く。な要求に詳細を話すと、


「なるほどね。――それって完全に脈ありってことじゃん」

 遠くを見る目をした谷山はしばらくして、で、どーすんの? と前置きしてから返事を待つことなく続けた。


「お前のことだから多分断るんだろうなぁ、って気はしてる。お前さ、コミュ力あるのに人を避けてるだろ? その上妹属性苦手とか言ってたし。――これを言った上でなんけだど、あの娘と付き合うのはアリだと思うよ」

 

 一呼吸あって、さらに続いた。


「こんなチャンスめったにない、と思うわ。それにな、あの娘はただ可愛いだけじゃないだろ? すごくいい娘だろ? それは俺にだって分かる。――――お前のことはよくわからんけど、なんか考え方とか変わるかもしんないじゃん?」


 今まで自分のことを深く話したことはない。何気に初めての深く切り込んできた言葉に思わず顔を向けた。しばらく目と目があっていた。

 

 突然、至極真面目な顔はふにゃっと緩んで、

「うまいこといったら、友達しょーかいして! って頼んで! お願い! 可愛い娘には可愛い娘が集まるの法則~」


 いつものおどけた奴がそこにいた。

 

 とくにリアクションすることもなく淡々と歩く。


 谷山は名前(苗字だけど)に呼ばれるのか浮き沈みが激しい。

 けれどそれにめげげることなく、下ったり登ったりも楽しんでいるように見える。

 そんな彼にスケボーはうってつけの足なのかもしれない。正面からぶつかって乗りこなして行く。そういうタイプだ。

 

 一見軽く見えるこの男がバイトに明け暮れるのは、奨学金を少しでも早く返すためだ。

 遊ぶ時間がなくても、精一杯大学生としての恩恵に預かろうとしている彼は見た目以上に真剣に今と向き合っている。

 

 一人暮らしを理由に、有り余る余暇をバイトに当て、ただ時間を埋めるように学校に通っている俺を見透かしたような視線が痛い。


 自分の距離感を取り戻すように、いつものように、仮面をつけて本心を隠して歩き続けた。





 「あらためて、よろしくお願いします(スマイル)」

 そこで止まっていたメッセージアプリが鳴ったのは次の日のことだった。

 ちょうどバイトまで時間があいている。待ち合わせ場所にしたあのショーウィンドーの前で彼女は待っていた。


 立ち話で済ませようと思っていた。


 だから彼女が「ハンカチありがとうございました」と言いながら鞄を開けるのにほっとした。

 封をされていない女の子らしいカラフルな紙袋の中には地味なハンカチがしっかりとアイロンがけされている。


「こんなまでしなくてよかったのに。でも、ありがとう」


「いえ、こちらこそ。わたしがドジですいません」


 いえいえ、いえいえ、そんなお見合いは、彼女の懇願するような瞳に見つめられて終わった。大きなショールに埋もれていた口元があらわになって、子犬のような顔がじっと見あげてくる。


 「あの、付き合ってもらっていいですか?」


 ドキッ。


 心臓が跳ねた。


 そこまで深刻な言い方でもないのに。


「このあとお買い物をしなきゃいけなくて、付き合ってもらえると嬉しいんですけど……」


 やっばりそういうことだった。



 イタズラに成功したような茶目っ気のを浮かべた彼女の顔をみていると、長い間封印してい気持ちが起き上がってくる。

 小さな女の子にかまってあげたくなっている。

 それが自分でも不思議だった。


 駅ビルに入ってショッピングモールに続くエスカレーターに乗ることにした。


「男の人にどういうものをあげたらいいのかよくわからなくって。ケータくんも教えてくれないし」


 えっ、そういうことなの?

 お店はどこもクリスマスモードだ。

 それにケータくん??


「あ、今ちょっとアセってくれました? ふふふ。贈る相手は大学の教授です。お父さんみたいな歳の人ですよ。家族ごとお世話になってて、お母さんがお歳暮を贈るからあんたも何か一緒に入れないさいって」


「そういうことか」


 学内に知り合いがいるんだ……そういえば、まだ志望した理由聞いてなかったな。


「それとケータくんは携帯コンシェルジュですよ。漠然とした質問に答えられほどAIもまだ賢くないみたいで」


 やられた、と思うと一緒に、妙に納得もしてしまった。


「何がいいと思います?」


 話しながら歩いて、ついさっきのことで短絡的なのだが「無難にハンカチとかがいいんじゃない?」という何気ない一言は、思った以上の好反応で即決された。

 フォーマルめな紳士服のショップに向かう。


「どうな柄がいいですかねぇ?」


 箱に入ったハンカチを手にとって見比べる彼女はグレンチェックのミニスカートからスキニーな足がのびている。つい目が行ってしまっていたのをごまかすように

「チェックとかかまいいんじゃない?」目の前にあるあった似た柄を手に取ると、

「それ、いいですね。うん。センスいいかも」

 お気に召した様子でほっとした。


 帰り道は同じ方角だった。駅を出て通りを渡り、雑貨屋やカフェが並ぶ小道を歩く。いつも通る帰路なのだが、この道は大きな公園に繋がっている。

 

 公園に入って池をめぐるように木立の並ぶ遊歩道を歩いた。

 恋人らしき二人組がボートに乗っているのが見える。


 彼女が舗装された歩道から外れて土の上を歩いてゆくと、犬を散歩させているおばさんに出会った。

 人見知りとは無縁に見える彼女は、いつのまにかミニチュア・プードルの茶色い毛並みをなでている。

 

「またねー」


 飼い主の背中と、ちょこちょこと歩く焦げ茶色の毛玉に手をふる笑顔には屈託がない。


「あの犬、ナナミさんとよく似てた」


「あのこ、男の子でしたよ」


 むーー。 

 どうせわたし男っぽいし、髪短いし、体ちっちゃいし、ぶつぶつぶつぶつ。

 座り込んで地面にのノ字を書きだしてあわてた。


「ごめん。かわいくカットしてあたっからメスかと思った」

 上げた彼女の顔がぱっと明るなって


「かわいいって言ってくれたから許します」

 えへっ、っと笑みがこぼれた。



 公園を出て彼女と別れ、一度自分のアパートに戻ることにした。

 彼女といた時間は心がわらわらとして、楽しかったような、疲れたような。

 なんとなく、ひとりで歩く道ゆきに安堵している自分がいる。


 ひとりが安らぐ。


 そう思うと急に肌寒くなったような気がしてコートの襟を立てた。





 


 日に日に寒さが厳しくなってゆく。

 講義とバイトに明け暮れた数日が自分を冷静にさせていた。


 このままじゃいけない。


 ゼミは決められていないままだ。そもそも入ろうという意思が乏しい。

 自分の中では、もうどうでもいいことになり始めている。

 

 けれど、彼女のことはそういうわけにはいかない。


 そう思っているところに連絡が来た。

 バイトの予定もない。


 また駅から公園に続く道を二人で歩くと、恋人達の聖夜に向かって最後の追い込みをかけている赤やグリーンの装飾が否が応でも目に入ってくる。

 せかされているような気がした。

 

 はっきりさせよう。


 期待をもたせて傷つけてしまう前に。


 けど、どうやって切り出そう。

 どうしたらいいんだろう。


 そんなことばかり考えて歩いていると、何かを感じたのか公園に入る手前で「今日はこっちに行ってみません?」と、彼女は路地を曲がった。

 行き先を聞かないままついて行った先は、公園に隣接している動物園だった。

 

 園内に入ってしばらくすると、昔は子どもたちの人気を集めていた像がいた飼育舎は記念館になっていた。

 もうなにもいない薄ら寂しい柵の中。


 記念館で実物大の写真を見る。


 「昔、お父さんと見に来たことがるんですよ」

  しんみりとした声で彼女は話しだす。


 「その時に、象の時間とネズミの時間の話になって」

  なかなか続きが来なくて、間が持たなくて、合いの手をいれた。

 「心臓が打つ回数が、ってやつだよね」


 「そうですね。像に比べてネズミは小さくて寿命も短いけど、心臓を打つ速さも早いから同じ時間を感じてるんじゃないかっていう話なんですけど――わたし、体が小さいじゃないですか。それを気にしてるのをわかってて連れて来てくれたんだと思うんです」

 

 何を言っていいのかわからないまま、時間が過ぎていく。


「そのとき、七海は心が大きいから大丈夫だよ、七つの海なんだから。それぐらい大きな心を持つ人になってほしい、そう思って名前をつけたたんだ。ってお父さんから聞いたんです」


 彼女が過ごしてきた時間が流れ込んでくる。


 そして僕が過ごしてきた家族との時間を思い出す。


「ごめんなさい。ダウナーな話になっちゃいましたね」


 そう言ってから、顔を上げた彼女はしっかりと前を向いていた。そこには大きな体で最後まで生きた像の写真があった。


「ありがとうございました。センセーと一緒にここに来たかったんですよ」


 元に戻った彼女と動物園を出て、公園に向かった。


 先生がセンセーになって、距離感が近づいている。





 公園の中をまた池に沿って歩いた。

 彼女は石畳を外れて土を踏んでいく。


 地上に顔をを出している木の根の上に乗った彼女は、綱渡りのようにとんとんと器用に渡りあるいてった。

 しなやかに両手を広げ、くるくると舞い降りてくる黄色い落ち葉の中を羽ばたくように、軽快に。


 木立こだちの下のベンチに先に座った彼女の隣に腰を降ろした。


「運動神経いいんだね。マネージャーやってるって言ってたけど、選手でも全然活躍できそう」


「んーと、走ったり飛んだり跳ねたりするのは得意なんですけど、球技はあんまりな感じです。それにわたし、人のお世話をするが好きなんですよ。仲間が試合で勝ったりするとみんなで一緒になって喜んだりして。ーー先輩たちや監督もかわいがってくれて、楽しいですよ」


 長い指を広げて口元にそえて、無垢に笑う笑顔がまぶしい。


 やっぱり素直ですごくいい娘なんだと思う。


 だからこそ。


 言わなきゃ。


 一陣の風が吹いて、落ち葉が降ってきた。


 お互いに無言の時間が過ぎていく。

 探している言葉は見つからない。


 「ちょっと冷えるね。温かい飲み物を買ってくるよ」


 頭の中をまとめる時間が欲しくて、席を外した。




  






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