第271話

 ガリア軍の侵攻を迎え撃つ決戦の日の三日前――シオンとエレオノーラは、他の議席持ちの騎士たちよりも一足早く、現地に到着した。決戦の舞台となるガリア公国とログレス王国の国境線沿い近く、かつて、シオンとステラが初めて出会った場所のすぐ近くだ。

 そして、そこにはエルフの領域がある。ガリア公国による代理統治下ではその住処を奪われていたが、ログレス王国が主権を取り戻したことで独立自治区として再認可され、今では多くのエルフたちが戻っている。


 エルフたちの生活は、機械文明こそないものの、それ以外は人間とほとんど変わらない様相だった。時代としては中世期頃の生活様式に近い。石畳を敷き詰めた道路に、木造の家屋が多く建ち並んでいる。家畜の馬や牛を飼うための牧場もあり、かつてシオンとステラが入った神秘的な隠れ家とは打って変わり、非常に生活感のある場所だった。


「古代エルフ語か。読めないわけではないが、調べながらになるだろう。それなりに時間はかかると見込んでほしい。私たちも普段使っているわけではないからな」


 独立自治区が再認可されたことで名実ともに正式な族長となったエルリオが、シオンから受け取った冊子を開きながら言った。


 シオンとエレオノーラが先んじて現地入りしたのは、エルリオに古代エルフ語の翻訳を頼むためだった。


「この日記一冊全部となると、どれくらいの時間が必要だ?」


 シオンが訊くと、エルリオは眉間に皺を寄せた。


「一週間はかからないだろうが、やってみないことには何とも言えない。幸い、古代エルフ語に精通している同胞はいる。その有識者次第だ。急いでいるのか?」


 今度はシオンが難しい顔になった。


「ここだけの話にしてほしいんだが――三日後、ここの近くの国境にガリア軍が攻めてくる」


 シオンの言葉に、エルリオが目を見開いた。


「なに!? 急いで避難しなければ――」

「ガリア軍は俺たち騎士団、議席持ち全員で迎え撃つ。誰一人としてここには踏み入らせないから安心してほしい」

「い、いったいどういうことだ?」


 狼狽するエルリオを落ち着かせ、シオンはこれから起きることの説明を始めた。

 教会がガリア公国を粛清すること、ログレス王国を守護するという名目で騎士団が戦いに参加すること、その戦場がこのすぐ近くであること――そして、現地の調査を理由にし、“リディア”の日記の翻訳を目的に、先行してエルフの領域にシオンとエレオノーラが入ったこと。


 エルリオはシオンの話を聞き、納得して頷いた。


「なるほど。それで、御身が先んじて現地調査を名目にここに来たと」

「ああ。知己のエルフの様子を見に行きたいとそれらしい理由を付けて、自分から名乗りを上げた」


 一通りの説明を聞き終えたエルリオが、どこか憂いを帯びた瞳でため息を吐く。


「ガリアを粛清、か……」

「あまり喜んでいないな。アンタらエルフにとっては、ガリアは憎い存在だろ」

「確かに、ガリアがこれまでやってきたことは赦せない。だが、アリスを保護してくれたような心優しい人間がいたことも事実だ。その区別をすることなく国を亡ぼすと聞いては、なんとも言えない気分だ」


 シオンとエレオノーラは、同意するように目を静かに瞑った。エルリオの台詞を聞いて、かつてガリア公国のルベルトワという都市で出会ったドミニクという初老の男を思い出したのだ。基本的に亜人への差別意識が強いガリア人だが、ドミニクは奴隷として売られていたハーフエルフの少女、アリスを買い取り、手厚く保護していた。そのような人間もガリア公国にいることが、エルリオの胸中を複雑にしているのだろう。


「さっきも言ったが、この話は他のエルフには言わないでほしい。知られて避難で混乱が生まれれば、不用意にガリアを刺激することにもなりかねない」

「理解している。それに、この話を広めては、エルフたちの中でよくない機運が蔓延しかねない」


 エルリオの言葉にシオンが眉根を寄せた。


「どういう意味だ?」

「御身が言った通り、我々エルフは基本的にガリアを憎んでいる。それが滅ぶとなれば、粛清を契機に各地の亜人達が人間たちにあらぬ敵意を向けることも考えられる」

「前にリズトーンで会ったドワーフも同じようなことを言っていた。そのドワーフも、亜人の立場が強くなると勘違いして、人間たちに向ける敵意が過激になることを懸念していた」


 シオンが言って、エルリオは深く頷いた。


「歴史的に仕方がないこととはいえ、不要な憎しみの連鎖を生み出すことは誰も本意にしていないはずだ。一部の者の声が大きいばかりに、人間と亜人の間に新たな戦火を呼び起こす可能性もある」


 エルリオの言う通り、という顔でシオンは聞いていたが、何かを諦めたように肩を竦める。


「だが、どのみち時間の問題だと思うがな。結局、ガリアが粛清されることに変わりはない。先に知るか、後で知るか、その違いだけだ」

「少なくとも、ここのエルフたちは私が何とかしよう。ここぞとばかりに、人間への意趣返しを考える者がいないとも限らない」

「確かに。世の中が全員、アンタみたいに分別の付く奴ばかりだったらいいのにな」


 シオンからの何気ない賛辞に、エルリオは不意に表情を暗くした。


「分別、か。私だって、族長としての立場と責任からその判断ができているだけだ。仮に私がただのエルフだったら、妹と姪を含めた多くの同胞の命を奪ったガリアを赦せず、果ては関係のない人間にも憎しみの矛先を向けていたかもしれない」


 空気が重くなり、嫌な沈黙が流れる。それを断つように、エルリオは大きく頭を横に振った。


「とにもかくにも、この冊子の翻訳については承知した。御身たちとガリア軍との戦いが終わった後にすぐ渡せるよう、尽力する」

「恩に着る。じゃあ、俺たちはこれで」


 そう言って、シオンは踵を返した。あとにエレオノーラが続き、エルフの領域から立ち去ろうとする。

 と、そこへ――


「黒騎士殿」


 エルリオが、改めてシオンに声をかけた。


「女王陛下と共に我らの“家”を取り返してくれたこと、心より感謝申し上げる。本当に、ありがとう」


 そう言ったエルリオの顔は、感無量といったものだった。

 シオンは振り返り、驚いたような、呆けたような顔になる。だが、どこか気恥ずかしさを感じたように、すぐにまた前を向いた。

 その様子を隣で見ていたエレオノーラが、嬉しそうに顔を綻ばせた。

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