第六章 ⅩⅢ番の帰還

第269話

 場所はアウソニア連邦のとある山岳地帯――騎士団本部の“円卓の間”に続く回廊を、シオンは歩いていた。その身に纏うのは、騎士の正装だ。カソックと軍服を掛け合わせたような特徴的な戦闘衣装で、フード付きのケープマントを羽織っている。暫く着慣れていなかった衣装に、若干着せられている感じは否めなかったが、その姿は、かつての騎士としての風格を完全に取り戻していた。


「ネフィリムの再生を阻害したとされる赤い光、まず間違いなく“悪魔の烙印”によるものでしょうね」


 隣を歩くイグナーツから、そんな見解が投げかけられた。シオンは、“円卓の間”に向かう間、王都での戦いの終盤で起きたことをイグナーツに相談していた。ネフィリムと化したギルマンを圧倒した赤い光の力――瀕死状態に陥った際に突如得た特異な力の正体が、“悪魔の烙印”によるものであることは、シオンもそれとなく察していた。だが、こうして最高位の魔術師の口から言われたことで、改めてそれは確信となった。


「“悪魔の烙印”が“騎士の聖痕”の力を抑制する印章であることを考えれば、何ら不思議なことではありません。調べてみないことにはわかりませんが、長い間、貴方が無理やり“帰天”を使い続けたことで他者への干渉制御ができるようになったのでしょう。もしくは、エレオノーラが今も続けている解呪のおかげかもしれませんね。印章の効果がいい塩梅で弱まり、他の魔術と同様に意思による操作が可能になったことも考えられます」


 それにシオンは無言で同意した。イグナーツはさらに続ける。


「いずれにせよ、今後、ガイウスたちと戦うことになった場合には、大きな力になるかもしれませんね。とりわけ、ランスロット、トリスタン、ガラハッドのように“帰天”を使える者たちに対し、特効的な攻撃ができることも考えられます。無論、ガイウス相手にも。怪我の功名というやつですね」


 皮肉っぽい笑みを浮かべたイグナーツに、シオンは小さく鼻を鳴らした。


「大怪我もいいところだ。だが、アンタの言う通りだとは俺も思う。それに、“天使化”の状態も以前より維持しやすくなった。ランスロットにはラグナ・ロイウで負けたが、今ならあの時よりも戦えるかもしれない」

「どうですかね。単純な実力で言えば、彼はアルバート卿よりも強いですよ。貴方がランスロットとまともに斬り合えるのは、お互いに戦い方を熟知しているからです。ですが、それはランスロットとて同じこと。あまり楽観的な期待は持たない方が身のためかと」


 ようやく見出した希望だったが、冷静な分析で出鼻を挫かれ、シオンは面白くなさそうな顔になった。それを見たイグナーツが肩を竦めて笑う。


「まあ、いい報告には違いありません。貴方が騎士団に帰還するタイミングでそのことが明らかになったのは、副総長の立場としても喜ばしいです。それはさておき――」


 そこで二人は足を止めた。

 目の前にあるのは、“円卓の間”へと続く巨大な扉だ。


「着きましね。どうです、久々に“円卓の間”を見た感想は?」


 イグナーツが大した興味もなさそうに訊いて、シオンは顔を顰めた。


「ここに入ったこと、実はほとんどないんだ。特別、何も思うことは……」


 回答に困るシオンを見て、イグナーツは声を上げて笑った。それから扉に手をかけ、


「では、改めて歓迎しないとですね。みんな、待ってますよ」


 そう言って、シオンを中に招き入れた。


 “円卓の間”には、すでにシオンとイグナーツ以外の議席持ちの騎士たちがいた。全員、自分の議席番号に着席しており――シオンの姿を見るなり、各々がそれらしい反応を静かに見せてきた。イグナーツがさっさとⅡ番の席に着席している間、シオンは少しだけ戸惑ったように、扉の前で暫く立ち続ける。


 そこへ、


「シオン卿、よく戻ってきてくれた。さあ、ⅩⅢ番の席に座りたまえ。それは、君の席だ」


 総長のユーグが、彼の自席の隣にあるⅩⅢ番への着席をシオンに促した。

 シオンは、若干の緊張を孕んだ面持ちで、席に向かった。背もたれにⅩⅢを刻まれた白くて大きな椅子――シオンは、一度その形をまじまじと見てから、徐に腰を下ろした。


 それを確認したユーグが、議席持ちの騎士全員が揃った部屋を見渡し、満足そうに頷く。


「二年前、騎士団は教皇庁の謀略により、同士討ちで危機的な状況に陥った。しかし、それを乗り越え、こうしてまた円卓の騎士十三人全員が揃ったことを、総長として非常に喜ばしく、そして誇らしく思う」


 ユーグの静かな喜びは、その穏やかな表情から読み取れた。だが、彼はすぐに目つきを鋭いものに変えた。


「話したいことは尽きないが、実を言うと我々にはその時間があまりない。目下、騎士団がこれからなすべきことをまずは話そう」


 ユーグが話を切り出すと、議席持ちの騎士たちは微かに姿勢を正した。


「諸君の目の前にある紙を見てほしい」


 その案内を受け、シオンは目の前の卓上に目を向けた。そこには、一枚の紙が裏面に伏せられた状態で置かれていた。そして、同じような紙が、十三人全員の前にある。


「アーノエル六世ガイウス・ヴァレンタイン教皇猊下が、騎士団の円卓に向けて発行した勅書だ」


 全員が手に取ったタイミングで、ユーグは紙の正体を言った。紙には偽造防止用の透かしが入っており、その上に固い文体で長い文章が明瞭に書かれていた。文末には教皇庁の公式文書であることを示す小さな印章と、教皇直筆のサインが刻まれている。

 そして、そこに書かれている内容とは――


「今日から一週間後、騎士団は教皇猊下直属の武装組織、十字軍と協力し、ガリア公国に対して制圧作戦を開始する。教皇猊下は、ガリア公国がこれまでに行ったログレス王国に対する代理統治を、他国への明確な侵略行為であると判断された。ゆえに騎士団と十字軍を投入しての粛清を決定。これを教会の総意であるとした」


 教会勢力を以てしての、ガリア公国への粛清命令だった。

 ユーグの説明を聞いた議席持ちの騎士全員の表情が、僅かに顰められる。とりわけ、シオンについてはその反応が大きかった。


「総長、これは――」

「君の言いたいことはわかる。それは、ここにいる皆が思っていることだろう」


 早速、シオンはユーグに何かを訊こうとしたが、そのことをわかっていたかのように制止された。


「だが、我々はこの決定に逆らうことはできない。何故なら、ガリアの不当行為の証明に、十分すぎる証拠があるからだ。何よりも、君自身がその目で見てきたことだ。この決定に逆らえば、教皇庁のみならず、大陸諸国からも騎士団の不義を問われる」


 ユーグの言葉に、イグナーツが頷いた。


「あまつさえ、現在ステラ女王陛下が最優先で進めているログレス王国国民の返還をガリアは渋っています。ログレスが主権を取り戻し、これまでのガリアの蛮行が白日の下に晒された今となっては、教会からの制裁は避けられませんよ」


 シオンが押し黙ると、またユーグが口を動かした。


「本作戦には円卓の騎士全員が参加することになる。これも教皇猊下からの指示だ。そして――我々は、ガリア公国とログレス王国の国境線で、“ガリア軍を迎え撃つ”」


 粛清であるにも係らず、迎え撃つということは――まるで、ガリア軍がこれからログレス王国に攻め入ってくるような表現であった。しかし、議席持ちの騎士たちは、誰もそれに疑問や驚きの様子を見せなかった。それは、シオンも同じであった。


「今の総長の言葉を聞いても、意外と皆さん驚きませんね。まあ、予想していることは、“その通り”ですよ」


 室内が落ち着いた雰囲気のままであることに、イグナーツはつまらなそうに肩を竦めた。


「ガイウスがまた謀りました。ガリア大公が、二年前の時と同じように、また教皇庁にログレス王国の侵略を黙認するように打診したようです。そして、ガイウスはそれを適当に受け流し――ガリア大公は見事に勘違いしました。今は、ログレスへの再征服を黙認されたとして、意気揚々としています。あの男も懲りませんね」


 それを聞いたユーグが、心底嘆かわしそうに目を瞑った。


「つまり、騎士団はログレス王国を守護するという大義名分も得ることになる。いよいよ、この決定を無視することはできない状況だ」


 もはや、騎士団が教皇の勅書に異議を唱える理由など何一つなかった。またも、ガイウスにしてやられたと、シオンは当然として、他の議席持ちの騎士たちも、顔に不快の色を見せた。


「詳細はまた明日に話す。今この場で伝えたいことは以上だ。そして、最後に――教皇猊下から、諸君への言伝だ」


 そこで一度、ユーグは切った。その顔には、何に向けられたものかはわからないが、明確な怒りの感情が浮かんでいた。


「“すべての不義を斬り伏せろ、その身に悪魔を宿そうとも”」

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