幕間 風呂
第268話
「いつまでこんなことやってんだ」
戴冠式を終えてから、はや一ヶ月が経過した。
シオンたちは馴染みのない平穏な時に戸惑いつつも、絶え間ない戦いで疲労した体を日常の中で労わった。今も、シオンとユリウスは、何もない平和な一日を終え、王都の王宮にある大浴場で体を休めていた。
そんな毎日を退屈としたユリウスが、耐えかねたようにシオンに訊いた。二人は浴槽に浸かりながら、眠るようにしていたが――シオンは閉じていた目をぱっちりと開けた。
「何が?」
「戴冠式が終わってからもう一ヶ月経つ。今日までずっとこの調子じゃねぇか」
シオンから離れたところいるユリウスが、急かすように言った。
「だから何が?」
「朝起きて、飯食って、てめぇと組手して、飯食って、昼寝して、だらだらして、風呂入って、飯食って、だらだらして、寝て――そのルーチンじゃねぇか」
シオンがまた目を瞑り、お湯に浸かり直す。
「聖都でステラを取り戻してから戴冠式まで、まともに休む暇もなかったんだ。たまにはいいだろ」
「限度があるだろうが。さすがに体がなまってきた。てめぇだってそろそろ暴れたい頃合いだろ?」
「動こうにも、騎士団がまだ具体的な方針を決められていない。勝手なこともできないだろ」
「それがつい最近まで騎士団に喧嘩売っていた奴の言う台詞かよ、クソが」
ユリウスは皮肉を込めて言ったあと、浴槽から上がった。それから近くのベンチに座り、足を組む。
「で、どうやって教皇を殺すつもりだよ」
急に話を変えたユリウスに、シオンは辟易した顔になった。
「また唐突に訊いてきたな」
「てめぇが王女を利用して暗殺しようとしていた時と状況はまったく違う。何より、一番の障害が四人の枢機卿だ。全員、お前より強ぇんだぞ。一対一の戦いに持ち込んでも、返り討ちに遭うのが目に見えている。まして、あの教皇と真正面からやりあったところで、勝ち目なんてねぇだろ。戴冠式っていうチャンスを失った今、教皇を仕留める機会はもうなくなっちまったようなもんだ」
「わかってる。だが、ガイウスを殺すことは諦めていない」
「だから、それをどうするって訊いてんだ」
シオンはユリウスを睨んだ。
「それがすぐにわかったら、誰も苦労していない。俺も、騎士団も」
「それはそうだけどよ」
そう言われては何も言い返せないと、ユリウスはバツが悪そうにそっぽを向いた。少しの沈黙のあと、ユリウスは徐に口を動かす。
「これは副総長から聞いた話だが――」
シオンの注意が再びユリウスに向く。
「ガリアはまだ燻っているらしい。散々な目に遭ったにも係わらず、性懲りもなく教皇にアプローチをかけているってよ」
「知ってる。それをガイウスが煩わしく思っていることもな。俺もイグナーツから聞いた」
なんだ、知っているのか、とユリウスが肩を竦めた。
「次はどうなるんだろうな」
「……ガイウスは冷酷な男だが、滅多なことでキレるような奴じゃなかった。少なくとも、俺が知っている限りでは」
「弟子らしい見解だな。で?」
「あいつが怒りの感情を露にするパターンは、大きく二つだった。一つは、理不尽なことがあった時。もう一つは、気に食わないことがしつこく降りかかった時」
シオンはそこで、自身の長髪を結い直す。
「もはや今となっては、ガイウスからしてみればガリアはどうでもいい存在だ。それがいつまでも身の回りにうろつかれていたら――」
「いたら?」
「あいつは容赦なく潰すだろうな」
シオンの言葉を聞いて、ユリウスは怪訝に首を傾げた。
「潰すって? ガリア大公を殺すってことか?」
「いや。最悪、国そのものを消すつもりで事を起こすかもしれない」
「んな馬鹿な」
「あいつはそういう男だ。容赦のなさだけで言えば、俺はあの男以上に徹底した奴を見たことがない」
「お前も似たようなもんだと思うけどな。弟子なだけあって」
ガイウスに似ていると言われ、シオンは露骨に顔を顰める。
「ガイウスは敵と認識したものを絶対に赦さない。ガリアのことは赦せないが、政治的な話だけを考えれば、そろそろ大人しくさせた方がいい」
「大人しくしなかったら?」
「俺たち騎士団か、十字軍を使うはずだ。ここだけの話、明日、俺たち議席持ちの騎士全員に招集命令がかかった。ガイウスの……教皇から勅命で」
それを耳にし、ユリウスは憐れみの息を吐く。
「……教皇の勅命で円卓の騎士が集められる――死神の宣告だな。ご愁傷さまだぜ」
折角、体を休めているのに、これ以上は話せば話すほど疲れるだけ――二人がそう思った矢先、男湯と女湯を隔てる壁の向こうで、姦しい声が反響した。
「相変わらずうるせぇな。風呂くらい静かに入れねぇのかよ」
ユリウスが心底迷惑そうな顔で悪態を吐いた。
一方で、シオンは体を肩までお湯に浸かり、徐に息を吐く。
「……こういう暇な時間も、懐かしく思う時がすぐ来るんだろうな」
そうやって暫く体を温めていたが――
「それにしても本当にうるさいな。この声、またエレオノーラとプリシラか」
あまりの騒々しさに、シオンも堪らず眉間に皺を寄せた。
※
「アンタ、なんで最近お風呂の時テンション低いのさ? お風呂嫌いだっけ?」
体を洗い終えたエレオノーラが、浴槽に入りながらステラに言った。ステラは、エレオノーラの体をまじまじと見ながら、悔しそうに顔を逸らす。
「いえ、そういうわけじゃないんですが……」
そう言ったステラの視線は、直前までエレオノーラの胸元を捉えていた。それを見ていたプリシラが、ハッとする。
「ステラ様、ご安心ください。エレオノーラはただのデブです」
「焼き殺すぞ」
「やってみろ」
すかさず、エレオノーラとプリシラが睨みあって互いに臨戦態勢に入るが――ステラの目は、今度はプリシラの胸に向けられた。
「私からしてみれば、プリシラさんも相当なもんなんですが……」
ステラはそう言って、自身の胸と二人の胸を見比べた。エレオノーラに関しては、文字通りの豊満な体つきで、衣服を纏っていたとしてもそのボディラインが嫌でも強調されるほどだ。プリシラはエレオノーラほどではないにせよ、負けず劣らずのスタイルを誇り、騎士であるがゆえに引き締まった体で、極論、女であれば誰もが敬う理想的な体形であった。
ステラは、自分の体を死んだような目で見下ろしながら、深い溜息を吐く。
それを見たエレオノーラが、
「アンタ、まだ十五歳でしょ? そんなもんでしょ」
肩を竦めて言った。彼女なりのフォローのつもりなのだろうが、ステラにとっては何の慰めにもならなかった。
「じゃあ訊きますけど、エレオノーラさんはいつぐらいからおっぱい大きくなったんですか?」
「覚えてない。重たいなぁって感じたのは、アンタくらいの時だったかな」
「ほら!」
ステラが腕を振ってバシャバシャとお湯を激しく捲り上げた。
それを見たプリシラが、やんわりと首を横に振る。
「ステラ様、エレオノーラはデブなだけです。比べてはいけません」
「いや、だからプリシラさんもかなりでかいじゃないですか。何食べたらそうなるんですか」
「こればかりは遺伝とかもあるので、的確なことは何も……」
エレオノーラは先のプリシラの言動に舌打ちをしたあと――自身を落ち着かせるように息を吐いた。そして、改めてステラを見遣る。
「アンタのお母さんとかお祖母ちゃんはどうだったの? 大きかったらまだ望みはあるんじゃない?」
「それなり、ですかねぇ……」
「じゃあアンタもそうなるんじゃないの?」
しかし、ステラはあまり期待してない面持ちでしょんぼりとした。
プリシラが、ステラの隣にそっと近づく。
「ステラ様、女の魅力は胸の大きさで決まるものではありません。どうか、気を落とさずに」
「それは、持ってるヒトの台詞ですよ……」
「考えてみてください。例えば、今のお話を男に当てはめてみましょう。自分の身長の高さや陰茎の大きさを誇らしげに吹聴する男に何の魅力を感じますか。逆にドン引きするのがヒトというものです」
「いや、もういいです。そういう話でもないんです」
惨めにフォローされたとして、ステラはますます気分を沈めた。
エレオノーラがやれやれと肩を竦める。
「あのね、ステラ、乳がでかいと、それはそれで苦労すんのよ。むしろ、損得で考えたら圧倒的にでかい方が損してる」
「だからもういいですって」
ついにステラはへそを曲げてしまった。
プリシラが、はあ、と憤りと呆れの吐息を漏らす。
「エレオノーラ、お前のせいでステラ様が機嫌を損ねたぞ。一国の女王だぞ。どう責任を取るつもりだ」
エレオノーラが、顔を顰めてプリシラを睨む。
「最初にステラを拗ねさせたのはアンタでしょうが」
「そもそもお前が余計な脂肪を蓄えなければ済んだ話だ。痩せろ」
ついに、エレオノーラが額に青筋を浮かべて、浴槽から立ち上がった。
「お前、真面目に焼き殺すぞ……!」
プリシラもそれに応じて、浴槽から勢いよく立ち上がる。
「だからやってみろ。騎士に勝てると思うのか?」
ステラは、二人が揺らす彼女のコンプレックスを見て、鼻の先まで体をお湯に浸からせた。
「私の目の前で揺らすのやめて……」
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