第267話
聖王暦一九三四年五月十日 十時三十分
ログレス王国 王都中央区 王宮 太陽の間
王宮にある太陽の間と呼ばれる客間は、ちょっとした納屋よりも遥かに広大な空間を有していた。白を基調にした内装には金の刺繍を入れられた派手な家具が並べられており、床一面に赤い絨毯が敷き詰められている。窓から差し込む日の光が十分であるためシャンデリアに火は灯っていなかったが、それに装飾された数えきれないダイヤが陽光を絶妙な塩梅で室内に散らしていた。
誰もが羨む豪奢な部屋であったが、そこに漂う空気は殺伐としていた。
客間では、ユーグとヴァルターが膨大な書類をテーブルに乗せ、終始険しい表情で話し込んでいた。ガリア公国から主権を取り戻したログレス王国の今後について、昼夜問わず、議論を交わしているところだ。
一息つこうと、ユーグがテーブルの上のティーカップに手を伸ばした時、部屋の扉が開かれた。入室したのは、イグナーツだ。
「陛下のご様子は?」
ユーグに訊かれ、イグナーツは肩を竦めた。
「相変わらず、働き詰めです。このままだと、あと三日もしないで過労死しそうな雰囲気だったので、無理やり寝かしつけました。戦いが終わってからのこの一週間、まともに寝たのは最初の三日間だけでしたからね」
王都を奪還したあと、ステラは今日この瞬間まで、ログレス王国復興のための段取りに昼夜問わず勤しんでいた。騎士団と教皇庁の助言を得ながら、主にガリア公国に対する賠償請求、制裁を中心に進めた。その中でも喫緊の対応として考えているのが、ガリア公国へ強制連行された国民の返還である。エルフやライカンスロープといった亜人はもちろんのこと、高度な専門能力を持つ技術者や医師、果ては女子供の多くが、かの国に連れ去られている状態だった。誰が、どこからどこへ、いつ、どのようにして連れ去られたのか、ステラは寝る間も惜しんでその調査報告に目を通し、ガリア公国への対応方針を検討していた。
「それでいい。折角、ログレス王国が主権回復したというのに、陛下に倒れられては意味がないからな」
そう言ってヴァルターは鼻を鳴らした。イグナーツがソファに腰を下ろす。
「まずは、ガリア公国に連れ去られた国民をどうやって取り戻そうか考えているようです。亜人だけではなく、人間もそれなりの数がいるようですから」
「我々騎士団に働きかけてもらえれば、いくらでも協力するとお伝えしてくれ。教皇庁――ガイウスからも、陛下への支援は惜しみなくするようにと言われている」
ユーグの言葉に、イグナーツはどこか不審な面持ちになった。怪訝に眉を顰め、煙草に火を点ける。
「ログレスに対するガイウスの態度、気になりますね。ガリアの侵略まがいの行為を黙認していたかと思えば、本格的な主権掌握を寸前のところで妨害し、最終的にはログレス復活の立役者となった」
「ガイウスにとって、あくまでガリアは利用するためだけの存在だったのだろう? 十字軍を結成したあと、大陸の世界情勢を二年以上前の状態に戻した――その政治力と戦略性こそ脅威的だが、それだけの話だと思うが?」
ヴァルターがそう見解を示したが、イグナーツはまだ懐疑的だった。
「私にはそれだけが目的とは思えないんですよね。総長はいかがです?」
話を振られ、ユーグもそれに同意した。
「私もイグナーツ卿と同じだ。教皇庁がログレス王国の復興に入れ込んでいることがどうにも引っかかる。まして、敵対関係にあるはずの我々騎士団との協力を前提にしているところが、あまりにも不気味だ」
次にユーグは、テーブルにあった書類を一枚手に取り、イグナーツとヴァルターに見せた。そこには、百人以上の人名が記され、そのうちの何人かは取り消し線で潰されている。
「ログレス王国の政治家たちのリストだ。線で消されている政治家は、主にガリアによって処罰された者だが――重要なのは、この朱書きで潰されている者たちだ。この者たち全員、秘密裏に始末されている」
イグナーツとヴァルターの表情が強張った。
「やったのは十字軍ですか? 何故です?」
「始末されたのは、ほとんどガリアの内通者だ。リベラル政党に所属、左翼思想を持つ者が大半だが、中には保守派の政治家も含まれている。陛下を使って傀儡政治を企てていた連中だろうな。それらを綺麗さっぱり、戴冠式が終わって間もなく、ガイウスが十字軍を使って消した。そうして生き残ったのは、陛下に献身的かつ協力的な政治家たちだけだ」
ヴァルターが悩ましげにため息を吐いた。
「ずいぶんと過激なことをする。陛下の立場と身の安全を確保するためだとしても、少々やりすぎだ。このことが公になれば、あらぬ勢力から強い反発を受けることも考えられるぞ」
すると、ユーグはまた別の書類を取り出した。そこには、多数の送金記録が書かれていた。
「あの男はそれも想定済みだ。明るみになった時に騒ぎそうな連中には、金を握らせて最初から黙らせている。もしくは、十字軍が人質を取ってな」
「ここまで来ると、恐怖を覚えますね。ガイウスがそこまで手を回すということは、ログレス王国の復興は彼にとっても重要なイベントなんでしょう。しかし、いったい何故重要なのかがさっぱりです」
「その通りだ。ガイウスの最終的な目的がまったくわからない。ただ単純に、大陸の情勢を安定化させたいだけだとは思えん。ここまで教会がログレスに介入すれば、今度はログレスが必要以上の力を付けることになる。そうなれば、大陸諸国が無駄に不信感を募らせるだろう。聖女の身柄を引き渡した際にも問い詰めたが、有益な情報は何も引き出せなかった」
イグナーツは、そういえば、と言って煙草の火を消した。
「聖女、大丈夫なんですかね? ガイウスたちに身柄を引き取られた時、発狂していましたが」
戴冠式が終わった直後、聖女は教皇庁に身柄を引き取られた。その間際、聖女は周りを憚ることもなく、泣き喚くようにそれを拒否していたが、結局、パーシヴァルによってどこかへと姿を消されてしまった。
「あの取り乱しよう、命を狙われていたとしてもああはならない。聖女本人は、彼女が持つ“写本の断片”がガイウスの目的だと言っていたが、果たして本当にそれだけが理由で聖女を探していたのか?」
ヴァルターの疑問に、ユーグは目を瞑り、長い息を吐いた。
「聖女を目にした時のガイウスの怒り具合も気になる。あの二人の間に、我々が知らない何かがあるのか。今となっては、もう調べようはないがな」
そこで話を一区切り付け、ユーグは次に別の書類を取り出した。
「ところで、ヴァルター卿。さっき、気になることを言っていたな。空中戦艦を操舵した時、君が知らない機能が追加されていたとか」
ヴァルターが片眉を上げる。
「ああ。イグナーツが入ってくる直前に話していた件か」
イグナーツは首を傾げた。
「なんです、それ?」
「戴冠式が成功した直後、空中戦艦の制御をパーシヴァルから一時的に取り返したんだが――私の知らない機能が最近追加された形跡があった。解析しようとしたが、時間切れになってしまってな。結局、何もわからずじまいだ」
締まりのない結果に、イグナーツが苦い顔になる。
「肝心なところで役に立ちませんね、先生。自分の弟子がやったことくらい、ぱぱっと掌握してくださいよ」
「パーシヴァルはお前の弟分だ。そこまで言うなら、飲みにでも誘ってお前が聞き出してこい」
「そんな社交的な人間じゃないですよ、彼は」
互いに軽口を叩き合って、二人は肩を竦めた。
それを苦笑して見ていたユーグが、思い出したように声を上げる。
「ところで、今回の最大の功労者であるシオン・クルスくんたちはどうしている? そろそろ体も回復した頃だろう?」
訊かれて、イグナーツは、ああ、と答えた。
「シオンもユリウスもプリシラも、元気いっぱいですよ。まだ休ませていますが、三人とも、早く暴れたくてうずうずしているようです」
「頼もしい限りだな。であれば――」
「ええ。すでに手続きは済ませてあります。ユリウスとプリシラはもちろん、シオンも正式に騎士団に復帰させます。教皇庁――ガイウスが発行した免罪符を、ステラ女王陛下が持っていたので、とてもスムーズにいきそうです」
シオンの復帰に和やかな顔をしていたユーグだが、それを聞いて、再び険しい顔つきになった。
「自分の弟子を黒騎士に仕立て上げたと思えば、事が片付けばあっさりとその功績を讃え、騎士団に戻すことを容認する――本当に、あの男の考えることはまったく理解できんな」
※
聖王暦一九三四年五月十日 十五時十一分
ログレス王国 王都中央区 王宮 三階ベランダ
「まだ休んでいたらどうだ?」
王宮の三階ベランダで、シオンは一人、風に当たっていた。不意に背後に気配を感じ取って振り返ると、そこには目を擦るステラの姿があった。
シオンが声をかけると、ステラは小さく欠伸した。
「目が覚めちゃったので、ちょっと外の空気を吸いに」
「今日は一日休めって、イグナーツにも言われたんだろ。無理はするなよ」
「はい、そのつもりです。今日はもう何もしない予定です。イグナーツさんに怒られちゃいましたし」
そう言ってステラは、苦笑しながらぼさぼさの頭を掻いた。次に、辺りをきょろきょろ見渡し、あれ、と声を漏らす。
「エレオノーラさんは? 一緒じゃないんですか?」
「さっき、プリシラとどこかに行った。ついでに言うと、ユリウスは体を動かしに庭に出た」
「そうですか」
ステラがシオンの隣に付いた。二人して、暫く王都の街並みを眺める。
「これで、私の旅は終わったんですよね」
ステラが言って、シオンは小さく頷いた。
「そうだな。今まで、本当によく頑張った」
「ありがとうございます。シオンさんがいたから、ここまで来ることができました」
すると、シオンは首を横に振って苦笑した。
「俺だけの力じゃない。エレオノーラや騎士団、それにお前自身の力があってだ」
そしてまた、静かな時間が流れる。暫くの無言のあと――ステラが、徐に口を動かした。
「シオンさんは、まだ続けるんですか?」
唐突な問いかけに、シオンは少しだけ間抜けな顔になった。口を半開きに、呆けるような顔でステラを見る。そうしたあとで、また視線を王都の景色に向けた。
「ガイウスとは、必ずケリを付ける。だが、その前に……」
「その前に?」
「あの男のことを、もっと知る必要がある」
シオンは続けた。
「次は、それを明らかにする」
「シオンさん」
ステラが、どことなく嬉しそうな顔で、シオンに向き直った。
「シオンさんは私の恩人です。だから、この先も、協力させてください」
その言葉に、シオンは嘆息気味に息を吐いた。
「お前は自国のことだけを考えろ。俺のことに構っている余裕は――」
「いいえ。陛下には引き続き、我々の協力者でいていただきます」
突然、二人の間に誰かが割って入ってきた。ベランダの出入り口を見ると、そこにはいつの間にかイグナーツがいた。
イグナーツは煙草に火を点けると、ベランダの柵に腰を預けた。
「もちろん、我々騎士団もログレス王国復興に最大限協力いたします。まあ、お互いに持ちつ持たれつといこうではないですか。で、差し当たって――」
イグナーツからシオンに向かって、何かが投げ渡された。シオンがそれを片手で受け取ると、
「シオン“卿”、貴方にはこれから、議席番号ⅩⅢ番の騎士として、バリバリ働いてもらいます。いいですね?」
イグナーツが少しだけ厭らしい笑みを浮かべて、そう言った。
シオンは手を広げ、渡された物を確認する。それは、騎士の身分を証明する“剣のペンダント”だった。
それを見たステラが、自分のことのように喜ぶ。
「やりましたね、シオンさん!」
イグナーツが煙草を吹かし、さらに続ける。
「エレオノーラも、正式に貴方と主従契約を結んでもらいます。ユリウス卿とプリシラ卿も騎士として復帰するので、あの二人は直属の部下として扱ってください。これから忙しくなりますよ。教皇罷免に向けて、我々もなりふり構わず動きますからね。覚悟してください」
シオンは“剣のペンダント”を握りしめ、イグナーツに鋭い視線を返した。
「望むところだ」
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