第266話

 聖王暦一九三四年五月三日 十一時四十三分

 ログレス王国 王都中央区 シンリック大聖堂内部


「ガリア大公」


 ガリア大公が身廊に戻って早々、秘書が嬉々として駆け寄ってきた。秘書は興奮を抑えきれない様子で、ガリア大公の耳元に顔を近づける。


「大聖堂周辺二十キロ以内に、ステラ王女と思しき人物の姿が確認できません。たとえ車を走らせていたとしても、時間的にもう間に合わないかと」


 その報告に、ガリア大公は満面の笑みを浮かべた。両手に力強い拳を作り、周りを憚らずに勢いよく席から立ちあがる。


「そら見たことか! 神はやはりわしに味方した! さあ、こんな茶番はもう終わりだ! 即刻、ログレスをガリアの支配下に――」


 ガリア大公が歓喜の雄叫びを上げ、無作法に主祭壇の前に立った――その時、不意に、床、天井、壁が小刻みに震え出した。突然の異変に、賓客たちは当然として、議席持ちの騎士たちすらも怪訝に周囲を見渡す。


「な、なんだ!? 地震か!?」


 狼狽するガリア大公――そして、後ろを振り返る。

 主祭壇のさらに奥、後陣の壁に装飾された巨大な彫像――両腕を下に大きく広げた顔のないローブ姿のそれは、生前の聖王を模ったものだ。この震動は、そこを起点に生じていた。


 そして、さらなる異変が起きる。

 聖王の彫像が、ぼろぼろと崩れ始めたのだ。やがて、頭から足元にかけ、縦に大きな亀裂が入る。


 聖堂内にいた全員がそれに目を見張っていると、彫像が左右に割れて瓦解した。

 ガリア大公と賓客たちから、動揺の悲鳴が湧き上がる。議席持ちの騎士たちも、臨戦状態に構えた。


 激しい粉塵が後陣に蔓延する中、その奥から、重々しい扉を開ける蝶番の音が鳴った。


 次に聞こえたのは、激しく咳き込む声が二人分――それが誰かの疑問に持つ前に、粉塵の中から、その二人が姿を現した。


「エレオノーラさん、時間は!?」

「十一時四十五分! 間に合った!」


 彫像が崩壊した床の真下には巨大な鉄の扉があり、そこから、ステラとエレオノーラが出てきたのだ。


 エレオノーラが懐中時計を確認し、間に合ったことにステラは安堵する。


「す、ステラ王女……!」


 ガリア大公をはじめ、聖堂内部にいた全員が吃驚し、呆然とした。

 それは騎士たちも同様で――総長のユーグが、驚いた顔のままステラに近づいた。


「ステラ王女殿下、何故そのような場所から……?」


 ステラは、体にまとわりついた粉塵を落としながら、ユーグに向き直った。


「この王都の地下には、王宮を中心にした隠し通路が張り巡らされているんです。中世後期から王族だけが知る秘密だったんですが、これでもう二度と使えなくなっちゃいましたね。でも――」


 はは、と面目なさそうに苦笑したステラ。しかし、すぐに表情を改め、ガリア大公を見遣る。


「戴冠式には間に合いました。さあ、ガリア大公――」


 ステラの青い双眸が、ガリア大公を捉えた。

 ガリア大公は怯み、狼狽に顔を歪ませる。


「この国を返してもらいます。その王冠を聖女に被せてもらえれば、私はログレス王国の女王に――そして、その瞬間に、国家元首不在を名目にしたガリア公国の代理統治は終わります」


 毅然と言い放ったステラに、ガリア大公は暫く固まった。だが、次第に怒りで顔が歪み、その身を小刻みに震わせる。

 そして、自身の懐に手を忍ばせ――


「舐めるな小娘!」


 拳銃を取り出そうとした瞬間、議席持ちの騎士たちが一斉に動いた。


 Ⅴ番レティシア、Ⅵ番セドリック、Ⅶ番アルバート、ⅩⅡ番メイリンが、すべての出入り口の前に立ち、扉を封鎖。

 Ⅷ番リカルド、Ⅸ番ハンス、ⅩⅠ番ヴィンセントが、聖堂内に潜んでいた狙撃手、暗殺者全員を武器で威嚇。

 Ⅱ番イグナーツ、Ⅳ番ヴァルター、Ⅹ番ネヴィルが、聖堂内にいたガリア公国関係者を魔術で拘束。

 Ⅲ番リリアンが、ステラとエレオノーラの前に立ち、電磁気力の防御障壁を展開。

 Ⅰ番ユーグが、ガリア大公の眉間に、剣の切っ先を突き付けていた。


 一秒もない間隙の制圧に、パーシヴァルが賛辞の口笛を吹く。守られたステラとエレオノーラも、議席持ちの騎士たちが見せた本気に、揃って腰を抜かす勢いで驚愕した。


 ユーグが、剣の切っ先以上に鋭い視線を以て、ガリア大公を睨みつける。


「ガリア大公、何をなされるおつもりで? ここは厳粛な儀礼の場。どうかお静かに」


 ガリア大公は、心臓を死神に鷲掴みにされたかの如く、慄き、顔を青ざめさせた。


「これ以上この場をかき乱すというのであれば、大公といえども、一切の容赦はいたしません。それとも、今ここで我々議席持ちの騎士十二人とやりあいますかな?」


 淡々と放たれるユーグの言葉はいたって柔和であったが、そこに込められた殺気は、聖堂内を緊張で凍てつかせた。

 ついにその重圧に耐えきれなくなったのか、ガリア大公は泡を吹いてその場で気絶する。


 ユーグは嘆息し、剣を下ろした。


「では、改めて戴冠の儀を。聖女アナスタシア、よろしくお願いいたします」


 聖女が立ち上がり、王冠を手に取った。







 聖王暦一九三四年五月三日 十一時四十五分

 ログレス王国 王都中央区 中心部大通


「鬱陶しいハエどもが!」


 ギルマンが吼え、周囲を取り囲むエルフや兵士たちを電磁気力の斥力で吹き飛ばす。至近距離で受ければ、亜人であっても全身の骨が粉々になるほどの威力を持つ衝撃波だ。エルフと兵士たちは、強風に煽られた木の葉のように飛ばされ、続々と建物の壁や大通のアスファルトに叩きつけられる。

 だが、それでもすぐに態勢を立て直し、ギルマンへの攻撃を再開した。


「二年前、黒騎士殿は我らのために一人立ち上がり、ガリアを相手に戦ってくれた! そればかりか、連れ去れた何人もの同胞をステラ王女と共に取り返してくれた! 何としても守り抜くんだ!」


 エルリオの鼓舞に呼応し、亜人たちから雄叫びが上がった。

 ギルマンが、それを見て煩わしそうに顔を歪め、今度は電撃を放とうとする。

 そうはさせまいと、ユリウスとプリシラが鋼糸と氷で猛攻を仕掛け、ギルマンの体を刻んでいった。


「神に仇なす愚か者どもが! それほどまでに黒騎士の命が大事か!」


 わが身を顧みない絶え間なく続く強襲に、ついにギルマンが激怒した。

 大通の空に、五つの巨大な球雷が作られる。そして、ギルマンを中心にしたドーム状の衝撃波と同時に、そのすべてが爆発した。


「――!」


 ユリウスとプリシラ、亜人と兵士たちが、悲鳴を上げながら吹き飛ぶ。周辺のビルや街灯、電柱は瞬く間に瓦礫と化し、大通は荒野と見紛うほどの凄惨な場に変わった。

 亜人と兵士たちは当然として、ユリウスとプリシラすらも、大爆発の衝撃に耐えきれず、倒れた場から動けないでいた。


 それを一瞥したギルマンが、天高く飛び上がった。


「さあ、これで終わりだ! 今度こそ、最大出力の“トールハンマー”を貴様に浴びせてやる!」


 そして、両掌をシオンに向け、そこに夥しい量の電気を収束させる。収束する電気から生じる強烈な磁場が、周囲の塵や瓦礫を綿毛の如く浮かび上がらせた。


「シオン! 目ぇ覚ませ!」

「シオン様!」


 ユリウスとプリシラが呼びかけるも、シオンはうつ伏せに倒れたまま指一つ動かさない。

 そして――


「ゴミカスもろとも、跡形もなく消えて無くなれ、黒騎士!」







 シオンが初めてヒトを殺めたのは、小姓から従騎士になって間もなくだった。

 “帰天”を使える素質を騎士団に見出され、聖王騎士団副総長にして議席Ⅱ番のガイウスに師事することに当時は恐縮していたが――そんな甘い感情は、すぐに捨てざるを得なかった。


「殺しは今回が初めてだったか。気分はどうだ?」


 始めてガイウスと共に担った任務は、国家を跨いで悪事を働く巨大な盗賊組織の殲滅戦だった。良くも悪くもマフィアのような社会的な影響を及ぼさない代わりに、動物的な欲求に身を任せてあらゆる凶悪犯罪に手を出す、タチの悪い犯罪集団だ。災害のように何の前触れもなく小国の集落に姿を現し、略奪と殺戮を繰り返す――年々、凶悪化するこの組織に大陸の国際社会は酷く悩まされ――大陸四大国の総意もあり、ついに騎士団が動くことになった。


 そして、シオンはその戦いで、初めてヒトを殺めた。


「慣れそうに、ありません……」


 盗賊組織の拠点となっていた海沿いの外れにある洞窟――オイルランプが照らす微かな明かりの下には、ガイウスとシオンが斬り伏せた盗賊たちの死体が、死屍累々と転がっていた。


「慣れる必要はない。割り切ればいい」


 淡々と冷酷に言い放つガイウスだったが、シオンはその脇で小さく吐いていた。死体から放たれる血と脂の臭い、それと自身の道徳的な罪の意識が、シオンを苦しめた。


 ガイウスは、剣に付着した血糊を払い、嘆息する。


「シオン」


 呼ばれて、シオンは涙で滲んだ赤い双眸をガイウスに向けた。


「こいつらはどの国にも籍を置いていない、文字通りの無法者だ。強盗、強姦、放火、殺人――ヒトがやることとは到底思えない所業を当然のようにやらかしている。たとえ、それらがこいつらの生きる術であったとしても、ここまで成熟したヒトの社会――今この時代、この世において、それを赦すことは絶対にできない。法で裁くことができないのであれば、その命を刈り取ることが正義だ。そして、俺たち騎士は、それを執行することが許されている」


 ガイウスが諭すが、シオンはそれでも受け入れられなかった。動物や魔物を殺すのとはわけが違う。倫理的な理屈を抜きにして、本能的な感情が、シオンに殺人を赦さなかった。


「シオン――」


 シオンのそんな胸中を悟ったのか、ガイウスはさらに続けた。


「この世に神などいなければ、善悪すらもない。あるのは、正義だけだ。つまり、立場と力、結果だけがこの世のすべてを取り決めている」


 踵を返したガイウスの背中が、遥か遠い存在に見えたことを、シオンは鮮明に覚えている。


「今から言うことを心得ておけ。お前が騎士の責務に耐えるため、師である俺から送る――救いの言葉であり、呪いの言葉だ」


 ――すべての不義を斬り伏せろ、その身に悪魔を宿そうとも。







 聖王暦一九三四年五月三日 十一時四十八分

 ログレス王国 王都中央区 中心部大通


 シオンが目を覚ましたのは、ギルマンが今まさに雷を放つその間際だった。

 瞬時に意識を覚醒させ、残った力をすべて使い、“帰天”を発動させる。赤黒い光と稲妻を纏い、刀を手に取った。頭上には茨状の光輪が現れ――しかし、それはいつものように前面が欠けていなかった。


 シオンは立ち上がり、渾身の力で刀を逆袈裟に斬り上げた。刀身は虚空を薙ぐが、赤黒い一閃が稲光の如くギルマンに向かって走る。“天使化”の力によって増幅された斥力は実体を伴わない光速の斬撃となり、ギルマンの右腕を二の腕から斬り落とした。ギルマンの手元で蓄えられていた球雷は制御を失い、その場で大爆発を起こす。

 ギルマンは、自身の雷に身を焼かれながら地上へと堕ちた。そして、すぐにまた再生が始まり、焼け焦げた体表が戻る。


 しかし――


「無駄な足掻きを。腕を斬り落としたところで、すぐに再生――」


 シオンが斬り落とした腕は、再生しなかった。本来であれば、切断された腕の断面から細い触手が何本も生え、すでに腕を模っているはず。代わりにそこにあったのは、赤黒い光と稲妻だった。それは、“天使化”したシオンの身を焦がし、苦しめるものと同じだった。


「どういうことだ? 何故、再生しな――」


 ギルマンが疑問を口にして間もなく、瞬間移動の如く肉薄したシオンが、残った左腕を斬り飛ばした。そして、その断面もまた、赤黒い光によって再生が阻まれる。


「どうなっている!? 何だ、この赤い光は!?」


 狼狽し、喚くギルマン――それを黙らせるかのように、シオンからの猛攻は続いた。顔面、胸部、ギルマンの体のありとあらゆる箇所にシオンの斬撃が迸る。


 シオンはまだ暴れることを止めなかった。


 無慈悲にギルマンの両脚も切断したうえで、四肢を失ったギルマンの体を蹴り飛ばし、地面に叩きつけ、踏みつけ――“天使化”の斥力操作の力を使い、掌から衝撃波を放ち、ゴミのように吹き飛ばす。


 もはやただの肉塊となったギルマンが、無様に地上を転がった。


「ふざけるな! こんなことがあってたまるか! 俺は神だぞ! すべての頂点に立つ存在だぞ!」


 なすすべなくギルマンはうつ伏せに倒れたが、頭部を上げ、なおも喚き散らした。最後の足搔きとばかりに、無差別に電撃を放つ。


「誰も俺に逆らうな! 俺が最強だ! 俺は神――」


 しかし、大きく開かれたギルマンの口に、シオンが刀を突き刺した。ギルマンは嘔吐くような苦悶の声を小さく漏らし、そのまま静かになる。


 そして――


「だったらあの世で大人しくしていろよ、神らしくな!」


 シオンが刀を斬り上げ、ギルマンの頭部を縦に裂いた。

 ギルマンは完全に沈黙し、間もなくその巨体を急速に劣化させ、跡形もなく崩壊した。


 怒涛の逆転劇に、時が止まったかのようにその場が静まり返る。

 だが、その静寂もすぐに破られた。


「停戦信号……?」


 大聖堂の方角から、空に向かって信号弾が放たれた。それは、大陸で共通認識されている停戦を促す色だった。

 続けて、立ち並ぶビル群の陰から、教会が保有する空中戦艦が何隻も姿を現す。


『ガリア軍は直ちに武装解除し、ログレス王国王都から撤退しろ。猶予は三時間。一人でもその存在を確認できた場合は、ログレス王国への侵略行為と見なし、即時、騎士団が殲滅する。繰り返す。ガリア軍は直ちに武装解除し、ログレス王国から退去しろ――』


 空中戦艦のスピーカーから流れたのは、ヴァルターの声だった。

 戦いの終わりを告げる言葉、それが意味するところは――


『この国は、ステラ女王陛下、御方の御座である』


 ステラが、戴冠式を成功させたということだった。


 呆然と立ち尽くしていたログレス軍の兵士、エルフ、ライカンスロープ――しかし、一秒を重ねるごとに、目に涙を滲ませる。


「勝っ、た……?」


 誰かが一人そう言って、


「勝った……!」


 また一人、勝利を噛み締め、


「勝った!」


 声高に勝鬨の声を上げ、


「勝ったんだ!」


 最後に武器を放り投げ、互いの体を抱き締め合った。


 それを待っていたかのように、シオンがその場に崩れ落ちた。死力を尽くした結果、全身の筋肉が力を失う。

 だが、地面に体を打ち付ける直前、ユリウスとプリシラがシオンの体を支えた。

 三人は何も言葉を交わさなかったが、口元には小さな笑みを浮かばせていた。







 聖王暦一九三四年五月三日 十七時三十二分

 ログレス王国 王都中央区 中心部大通


 ギルマンとの激闘を終えた大通に、西の赤い日差しが差し込んできた。

 未だ興奮止まない兵士と亜人たちは、負傷者の手当や搬送などを終え、どこからか仕入れた酒と食事を手に、一足早い宴を開いていた。

 それを遠目で見ていたシオン――ユリウス、プリシラと共に、瓦礫の上に腰を掛け、歓喜の喧騒を穏やかに見守っていた。


 そこに、空中戦艦のドローンが三隻、降り立つ。

 そこから最初に降りてきたのは、リリアン、アルバート、ヴィンセントだった。三人は周囲の安全を確認したあとで、ドローンの中に合図を送る。


 すると、次に出てきたのは、ステラとエレオノーラだった。


 エレオノーラがステラの背中を軽く押し、シオンの方へ歩かせる。

 それに気づいたシオンが立ち上がり、ステラの前に立った。


「やりました」


 そう言ったステラの頭には、大きな王冠が乗っていた。十五歳の少女の頭では大きさが合わず、手を離した瞬間に傾きそうな状態だった。

 しかし、


「似合ってる」


 シオンは穏やかな笑みを浮かべて、そう言った。


 そして、シオンとステラは、互いの右手を叩き合わせ、笑った。

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