第265話

 聖王暦一九三四年五月三日 十一時十五分

 ログレス王国 王都中央区 シンリック大聖堂 五階ロッジア


 シンリック大聖堂のロッジアからは、王都中央区の西側を広く見渡せた。今日は雲一つない快晴で、空からは陽光がさんさんと降り注いでいる。今日でなければ、ここから吸う空気も格別のものであっただろう。血と硝煙の臭い、しきりに鳴り響く砲撃音と雷鳴が、その景観を最悪のものにしていた。


 ガイウスは、一人ロッジアに立ち、未だ戦闘が続く中央区を眺めていた。とある地点で立て続けに激しい雷光が幾度となく起きていたが――特大のそれが中央区を白く染め上げたのを最後に、静かになった。


 ガリア大公がガイウスの背後から現れたのは、そんな時だった。


「こんなことになるのなら、始めからわしの言うことを聞いておけばよかったですなぁ」


 にやにやと下卑た笑みを浮かばせながら、ガリア大公はガイウスの顔を覗き込んだ。


「どうです、素晴らしい力でしょう? たとえ猊下であっても、あのネフィリムを止めることは簡単にはできますまい」


 挑発するような言葉をかけられたが、ガイウスは無表情のまま、前を向いていた。


「猊下の真意はあずかり知らぬところですが――この戴冠式が成功することは万に一つもあり得ませんぞ。大聖堂の周辺には多数の狙撃手を控えさせています。出入口の扉は当然、すべての窓にも爆薬を仕掛けております。ステラ王女がこの大聖堂に入ろうとした瞬間、この国は終わりです」


 半ば必死な様子で自身の勝利を謳うガリア大公――しかし、ガイウスはまるでその存在をはじめから認識していないかのように、無視した。

 殊更に相手をされず、ガリア大公は怒りに身を震わせ、顔を赤く染め上げる。


「もういい! とにかく、約束は守ってもらうからな、アーノエル六世! 戴冠式までに王女が来なければ、即刻、この国はガリアの支配下に置かせてもらう! いいな!」


 そう吐き捨て、ガリア大公は大聖堂の中に戻っていった。

 それと入れ替わるように、今度はランスロットがガイウスの背後に立った。


「ガイウス様。少々、干渉しすぎたのではありませんか? バレてはいないようですが、ネフィリムの球雷を打ち消したのは、さすがにやりすぎかと」


 珍しくランスロットが苦言を呈して、ガイウスの傍らに付く。


「やはり、ガイウス様であっても、実の娘を見捨てることはできませんでしたか? あれはステラ王女ではなく、“紅焔の魔女”――エレオノーラ・コーゼルを助けたものでしょう。それにしてもまさか、あの娘がガイウス様の子供だとは……」


 未だに信じられないといった口調で、ランスロットは尋ねた。

 そこでようやく、ガイウスは反応を示した。小さく鼻を鳴らし、空を軽く仰ぐ。


「いい天気だな。こんな日でなければ、ここから眺める景色はさぞ素晴らしいものだっただろう」


 ランスロットが小さく笑う。


「貴方らしくありませんね。弟子としてお仕えしていた時、一度でもそんな感傷に浸るような言葉を聞いたことはありませんでした」

「師は弟子の前で格好をつけるものだ。そう簡単に弱みを見せるわけにもいかない」

「先ほどの発言は立場を弁えないものでした。どうか、ご容赦ください」


 ランスロットは冗談めかして、やや慇懃無礼に腰を曲げた。だが、すぐに表情を引き締め、改めてガイウスに向き直る。


「ところで、聖堂の中には戻られないのですか? あと四十分ほどで正午になります。ステラ王女が間に合うにしろ、間に合わないにしろ、その結末を見届けないのですか?」

「聖女をここに呼び寄せることができた時点で、一番の目的は果たせた。結果がどちらに転んでも構わない。しいて言えば――王女が間に合う方が、先々の選択肢は増えるだろうな」


 ガイウスの回答を聞いたランスロットは、どこか悟った面持ちで、静かに目を瞑った。


「無礼を承知で申し上げます。実子と顔を合わせてしまったら、決心が揺らぎそうですか?」

「それだけはありえない。万に一つもな」

「さすがでございます」


 ランスロットは緊張を解き、安堵の息を吐いた。次に、ネフィリムが暴れているであろう地点を見遣る。


「パーシヴァルから聞いた通りでしたね。あのネフィリム、とてつもない強さだ。ガラハッドであれば楽に勝てるでしょうが、私が本気を出しても厳しい戦いを強いられるでしょう。まして、シオン程度では到底――」


 そこまで言いかけて、ランスロットはふとガイウスを見て驚いた。


「ガイウス様?」


 先ほどまでの無表情とは打って変わり、ガイウスの顔が微かに綻んでいたのだ。

 ガイウスは、また空を見上げた。


「本当に、いい天気だ」







 聖王暦一九三四年五月三日 十一時三十分

 ログレス王国 王都中央区 中心部大通


「驚いた、まだ息があるのか」


 雷撃の直撃を受け、ついにシオンは地に伏した。“天使化”も解除され、指一つ動かせない有様だ。

 そんなシオンの体を、ギルマンが片手で掴み上げる。首元を締め上げ、剥き出しの眼球で舐めるように見た。


「だが、もう立つこともままならんようだな」


 次に、もう片方の手のひらをシオンの顔面に向けた。そこに、音を立てて電気が収束していく。


「せめてもの慈悲だ。俺の体から直接放つ、最大出力の“トールハンマー”で止めを刺してやる。光栄に思え――」


 そこまで言いかけて、突如としてシオンを掴むギルマンの腕が何かによって切断された。シオンの体と、切断されたギルマンの腕はそのまま地に落ちる。周辺に漂うのは、何本もの銀閃――ギルマンが、横目でその元を辿った。


「何かと思えば、さっきの死にぞこないどもか」


 そこにいたのは、ユリウスとプリシラだった。二人はギルマンの視線に捕捉されると、即座に攻撃を再開した。

 ユリウスが周囲に鋼糸を張り巡らし、ギルマンの巨体に、見えない斬撃を無数に見舞う。鋼糸による斬撃はギルマンのもう片方の腕を斬り落とし――さらにそこへ、プリシラの氷が強襲した。地下の水道管から噴出した氷の槍が、ギルマンの体を悉く貫いていく。氷が触れた箇所は瞬く間にギルマンの全身を侵食し、切断された腕の断面にまとわりついた。それによって切断された腕の断面の再生が遅れ、僅かに生じたその隙を狙い、プリシラが声を上げながら突撃した。

 プリシラの槍が、氷漬けにされて動きの鈍ったギルマンの体を切り刻む。それに遅れまいと、ユリウスがギルマンの体に鋼糸を巻き付け、先に受けた雷のお返しとばかりに、大量の電気を流し込んだ。鋼糸を伝ってギルマンに流れた電撃は、体表を覆う氷ごとその巨体を焼き潰していく。

 だが、それでもギルマンには大したダメージを与えられず、すぐに再生が始まった。

 直後に、ギルマンは電磁気力で自身を中心にしたドーム状の衝撃波を放ち、ユリウスとプリシラを遠くに吹き飛ばした。


「雑魚が! その程度の攻撃で、俺が怯むとでも――」


 怒りに叫びながら、ギルマンは追撃の雷を放とうとしたが――突如、その異形の頭が吹き飛んだ。頭だけではない。立て続けに、再生したばかりの腕、胴体、足が爆発していく。


 爆発の正体は、ユリウスとプリシラの後を追ってきたエルフたちから放たれた爆弾矢だった。

 さらに、再生する暇は与えないとばかりに、次に追いついたライカンスロープの兵士たちと、ステラを守護していた生き残りのログレス兵――ブラウンたちからも、大型の銃火器による追撃が始まる。ガリア軍から鹵獲した対戦車用の肩撃ち式ランチャー、大口径の対物ライフルなどを駆使し、ギルマンの体を撃ち抜いていく。


 ギルマンの体が爆炎と黒煙に包まれ――しかし、それでもなお、ギルマンは体を元の状態に戻し、再び姿を現した。


「身の程を弁えない下等生物どもが、そろいもそろって!」


 吼えたギルマンの背中から巨大な触手が生える。翼膜のない羽を模った無数の触手は、エルフと兵士たちにすさまじい速度で伸びていった。


「俺を何だと心得る! 我こそがこの世の神なり――」


 しかし、触手は何かを捕える前に、生えた矢先に斬り落とされていった。ユリウスとプリシラが、鋼糸と氷で、虱潰しに叩いているのだ。


「さっきからでけぇ声でうるせぇな! 知ったこっちゃねえよ!」

「貴様もネフィリムであれば、その再生がいつまでも無限に続くわけではないだろう! だったら再生力が尽きるまで攻撃するまで!」


 ユリウスとプリシラの士気に呼応し、エルフと兵士たちも攻撃の手を一層激しくする。


「残った脅威はこの化け物だけだ! あと少し! あと少しだ!」

「ステラ様が戴冠式を成功させれば、聖堂にいる議席持ちの騎士たちも動ける! それまで時間を稼ぐんだ! これ以上ガリアの好きにさせるな!」

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