第264話

 聖王暦一九三四年五月三日 十時五十五分

 ログレス王国 王都中央区 中心部大通


 ギルマンの注意が完全にシオンに向いた。

 この好機を逃さまいと、エレオノーラは自身のライフルを拾って手に取り、立ち上がる。


「ステラ! シオンが食い止めている間に行こう!」


 ステラは、シオンとギルマンが対峙する光景をじっと見ていた。


「ステラ、早く!」


 再度エレオノーラに声をかけられた時、ステラの両拳に力が籠められる。


「シオンさん!」


 呼ばれて、シオンは聞き耳を立てた。


「お願いします、そいつをぼこぼこにしてください。手加減はいりません」


 意を決した表情で、ステラが言い放った。

 それにシオンが、


「任せろ」


 大剣を構えなおし、応えた。

 それを聞いたギルマンが、周囲に電気を纏いながら哄笑する。


「俺をぼこぼこにする? 大きく出たな、黒騎士! リズトーンの時と同じように行くと思うなよ! 今の俺は、神に等しき存在と思え!」


 転瞬の間隙、ギルマンがシオンに突撃した。弾丸にも匹敵する速度で繰り出された突進攻撃――シオンはそれを、大剣を盾にして防ぐ。


「お前、やっぱりギルマンか……!」

「馴れ馴れしく神の名を呼ぶな! 無礼だぞ!」


 続けて、ギルマンの体が青白く発光し、強烈な電撃が周囲に迸る。

 電撃が放たれるほんの一瞬前、シオンは咄嗟に後ろに飛び退き、間一髪のところで直撃を免れていた。


 ギルマンはさらに追撃を試みる。天高く飛び上がり、今度は落雷の如き速度で垂直落下した。シオンの体を潰すべく繰り出された踏みつけは、常軌を逸脱した衝撃波と轟音を生み出し、辺り一帯のアスファルトを激しく捲り上げた。


 立ち込める粉塵――刹那、“天使化”シオンがそこから横に飛び出し、一拍遅れてギルマンも鏡像のように姿を現した。

 暴れる白亜の巨神と、怒れる悪魔――両者の殺し合いは、それからさらに激化した。


 その隙に、ステラとエレオノーラは大聖堂へと向かうべく、勢いよく駆け出した。


「シオンのおかげで、あの化け物の注意が完全にこっちから逸れた! このまま聖堂まで――」

「エレオノーラさん、王宮に行きましょう!」


 突然のステラの提案に、エレオノーラが驚く。


「王宮!? ここからだと、聖堂と完全に逆方向だよ!?」

「確実に戴冠式を成功させるためです、王宮に向かってください!」

「王宮に何かあるの?」

「ガリア大公のやり方は知っています。きっと、私が聖堂に入った時のために、何らかの罠を仕掛けているはずです。それこそ狙撃手や、出入口に爆弾なんかも仕掛けているかもしれません。あのヒトがどういう人間かは、今までの旅の中で嫌というほど理解しました」

「だからって、なんで王宮に?」


 怪訝に尋ねたエレオノーラに、ステラは勝利を確信させる笑みを見せた。


「王族のお約束です」







 聖王暦一九三四年五月三日 十一時一分

 ログレス王国 王都中央区 中心部大通


 西区と中央区を隔てる運河で繰り広げられた戦いは、ガリア軍が西側に撤退する形で終結した。主力である戦車と強化人間を失った兵力では、エルフと、ライカンスロープの軍人を中心に編成されたログレス軍を圧倒することができず、結果的に大敗を喫することになった。


 これで王女が追われることはないだろうと、エルリオたち亜人部隊は彼女を援護するべく中央区に向かった。その道中、大聖堂へと続く大通が、見るも無残な光景に変わり果てていたことに、一同は揃って言葉を失い、驚愕した。


 そして――


「こちらの騎士はまだ生きている! 急いで手当を!」


 作戦に参加していた男女の騎士が二人、虫の息で倒れているところを発見した。

 女騎士の方は完全に脈がない状態だったが、ユリウスという男の騎士にはまだ息があった。地獄の業火にでも焼かれたのか、全身に酷い火傷を負っている。そのうえ、左わき腹には槍で突き刺されたような傷があり、誰がどう見ても致命傷だった。


 エルリオは、ユリウスのポーチを探った。黒騎士から聞いた話では、確かポーションと呼ばれる騎士専用の応急薬があるはずだ。使えば、瀕死の状態でも息を吹き返すほどの効力があるとのことだが、それはあくまで騎士だけに使うことが許される秘薬であり、ただの人間や亜人では、その強力な効果に体が耐えきれず、死に至るとも説明された。


 それほどまでの劇薬であればと、エルリオは僅かな望みをかけて、ユリウスの首元にポーションを打ち込んだ。


 そして、効果はすぐに表れた。

 投薬されて間もなく、ユリウスは体を激しく強張らせた。直後、大きく目を見開き、何度も咳き込む。


 それにエルリオたちが驚いていると、


「……ガリア軍と王女は?」


 ユリウスが、満身創痍の状態でそう訊いた。

 エルリオは、騎士の生命力に恐怖を覚えつつ、驚きに噛みながら口を開く。


「ぼ、防衛ラインにいたガリア軍は王都の西側に撤退した。もう今から追ってくることはないだろう。王女は我々も今追っているところで――」


 エルリオの説明を最後まで聞かず、ユリウスはふらふらと歩き出した。向かう先は、横たわるプリシラだった。

 ユリウスはプリシラの隣に立つと、何を思ったのか、鋼糸を彼女の胸元に突き刺す。そして、魔術でそれに電気を流し込み――心肺蘇生を試みたのだ。一回、二回、三回と、プリシラの体が一定間隔で大きく跳ね上がる。

 五回目の電気が流され――ついにプリシラが小さく呻いた。そこにすかさず、ユリウスがポーションを打ち込む。


 プリシラは、苦悶の声を断末魔のように上げたあと――ユリウスの時と同じように、目を大きく見開き、激しく咳き込みながら息を吹き返した。


「さっさと立て。まさか、もう戦えねぇとか言わねぇよな?」


 ユリウスが当然のように言って、煙草を咥える。

 対して、プリシラは覚束ない足取りで立ち上がり、槍を手に取った。


「当然だ……まだ、戦える……」


 それから二人は、呆気に取られるエルリオたちを無視して――直前の瀕死状態が嘘であったかのように、駆け出した。







 聖王暦一九三四年五月三日 十一時十分

 ログレス王国 王都中央区 中心部大通


「まったく、“騎士の聖痕”の力は素晴らしいものだな! これを独占していた貴様ら騎士団には怒りすら覚える! ゆえに、これから訪れる貴様の死は当然の報いだと思え、黒騎士!」


 ギルマンがその巨体を大きく捻り、右腕を振り上げた。直後に放たれた拳が、戦車の砲弾の如くシオンに迫る。

 シオンはそれを難なく躱し、伸び切ったギルマンの腕を大剣で斬り飛ばした。ギルマンの体から離れた腕は丸太のように転がり、纏っていた鎧――機械化された装甲もろとも音を立ててばらばらになる。

 だが、その攻撃もむなしく、ギルマンの腕は即座に再生した。白いミミズのような触手が何本も断面から生え、瞬く間に腕を模る。


「機械化した箇所を破壊しても、生身になって再生するのか」


 シオンは忌々しげに顔を顰めた。それを見たギルマンが、これ見よがしに再生した腕を見せつける。


「無駄だ無駄だ! 機械化していた部位は、俺の体を外から制御するための物でしかない! 破壊されたところで何ら支障はない! むしろ――」


 再生したギルマンの腕に、夥しい量の電気が帯電する。


「生身になればなるほど、俺の力はさらに高まるぞ!」


 雄叫び上げながら、ギルマンが帯電した腕を地面に叩きつけた。落雷以上の衝撃と放電が地面を伝い、シオンを強襲する。シオンはそれを上に飛び退いて避けるが――そこに、いつの間にかギルマンが待ち構えていた。宙に浮いたシオンの体はギルマンに殴り飛ばされ、近くのビルの壁に勢いよく叩きつけられる。


「見ろ、これこそが神の力! 貴様とは格が違うのだ!」


 ギルマンは、シオンを殴り飛ばした腕を天高く上げ、悦に入った様子で声高に叫んだ。


「黒騎士、貴様はヒトの愚かさを体現した存在そのものだな! 二年前の戦争の時から何一つとして成長していない! 騎士という選ばれた存在であるにもかかわらず、亜人などという下等生物に肩入れするから身を滅ぼすのだ! わかるか!」


 立ち上がって体勢を立て直すシオンに、ギルマンが再度肉薄する。シオンは立ち向かい、大剣を振るった。ギルマンの顔面をたたき割り、次いで、勢いよく左肩に切っ先を突き刺した。

 しかし、


「世界の頂点には常に絶対的な強者が君臨し、そこに生きる下等生物は皆押し並べて支配されるべきなのだ! それこそが真の平和を成立させる! そう、神が治める楽園のようにな!」


 ギルマンはまったく意に介さず、シオンを横に蹴り飛ばす。

 シオンは、大剣をギルマンの左肩に残したまま、石ころのように地面を転がった。二十メートルほど転がり続けたあと、すぐさま立ち上がり、腰に携えていた刀を引き抜く。


「べらべらと余計なことを……聞いているこっちが恥ずかしくなる……」


 嫌悪して吐き捨てたその矢先、シオンに向かって、大剣が超高速で射出された。大剣を弾丸代わりに飛ばしたギルマンの電磁投射砲(レールガン)だ。

 シオンはどうにかそれの直撃を免れたが、大剣の質量が生み出す強烈な衝撃波に、再度体を吹き飛ばされた。


「聞こえているぞ! 神を愚弄するな!」


 先のシオンの攻撃で、ギルマンの頭部の鎧は完全に剝がれ落ちていた。そこにあったのは、表皮を失わせた醜悪で悍ましい白い顔――眼球と歯を剥き出しに、不気味な笑みを模っている。


 シオンは、全身を強く打った痛みに小さく呻きながら、どうにか立ち上がった。

 しかし、


「クソ……もう体力が……!」


 立て続けの連戦により、“天使化”を維持する体力も底をつきかけていた。受けた負傷も再生しきれず、出血も止められていない。


 そこへ、ギルマンが追い打ちをかける。


「さあ、裁きの時だ! 悪魔は地獄に還れ!」


 シオンの頭上に、巨大な球雷が作られていた。

 刹那、神の鉄鎚の如き稲妻が、シオンに降り注いだ。

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