第263話

 聖王暦一九三四年五月三日 十時四十七分

 ログレス王国 王都中央区 中心部


 立て続けに鳴り響く雷鳴――エレオノーラは、堪らず戦車のハッチを開け、上半身を外に出した。


「あの雷……もしかして……」


 空は雲一つない快晴で、とてもではないが自然現象で起きた雷だとは到底思えない。となれば、考えられるのは魔術によるもの――しかし、あれだけの規模の落雷を発生させられる魔術師など、数えられるほどしかいなかった。

 嫌な予感が頭をよぎりつつ、エレオノーラは戦車の中に戻った。


「エレオノーラさん?」


 隣で怪訝に眉を顰めるステラを無視して、エレオノーラは運転席に座るブラウンの肩を掴んだ。


「ブラウン中尉、急いで! さっきから鳴っている雷、ヤバいかもしれない!」

「もうこれ以上の速度は出せない! だが、あと十分もかからないで――」


 そこまで言いかけて、ブラウンは噤んだ。

 突如として起きたのは、不可解な現象――大通に並ぶ街頭や電柱、信号機などから、小さな火花が音を立てて幾度と上がる。まるで、ステラを追跡する導火線のように、後方から勢いを増していった。


「なんだ!? 何が起きている!?」

「街灯や電線から火花が!」


 やがてその導火線が戦車に追いついた時、戦車が急にやる気を失ったように停まってしまった。エンジンも完全に止まり、ブラウンが操縦席のハンドルとレバーを慌てて操作する。


「どうなっている!? 動かなくなった!」

「電子制御のための基板や回路がやられたんだ!」


 エレオノーラの見解を聞いて、ステラはすぐに立ち上がった。


「戦車から出ましょう! ここからなら歩いても間に合います!」

「待って、先にアタシが外に出て様子を見る!」


 ステラを押しのけ、エレオノーラが先に戦車の外に出る。軽く辺りを見渡し、攻撃の気配がないことを確認したあと、ステラに手を伸ばした。ステラの手を取り、まずは二人が戦車から降りる。

 その後に続き、ブラウンもハッチから身を乗り出した。

 その時だった。


「ステラ様――」


 ブラウンがステラの名を叫びながら、彼女の背を強く押した。

 直後、戦車が吹き飛ぶ。

 刹那の狭間に見えたのは、何かが超高速で戦車の装甲を貫いたこと――おそらくは、その時に生じた衝撃と熱が原因で、中の燃料に引火し、戦車が爆発したものと思われる。


 エレオノーラとステラは爆発の衝撃で大通の脇に放り出された。幸いにも二人とも大きな怪我もなく、すぐに立ち上がることができた。

 状況を確認するため、改めて周囲を見遣ると――


「ブラウン中尉!」


 大破し、横転した戦車のすぐ近くで、ブラウンが倒れていた。燃え立つ戦車の熱をもろに感じるはずの距離だったが、ピクリとも動かない。

 ステラが咄嗟に駆け寄ろうとしたが、エレオノーラが腕をつかんで止めた。


「駄目、アンタはこっち! 何か来る!」


 エレオノーラは切迫した声を上げ、ステラの腕を勢いよく引いた。二人はそのままビルの路地裏に入り込む。

 すると、そのすぐ五秒後、何かが空から降りてきた。


 それは、ヒト型の異形だった。エレオノーラとステラは言葉を失い、息を潜めて目を見張る。

 それの体躯はヒトの二、三倍ほどの大きさがあり、白い鎧のような装甲を着込んでいた。関節部分の隙間から見えるのは、白い筋肉の繊維――以前、シオンから聞いた、ネフィリムという化け物の特徴だった。


 ネフィリムは、燃え上がる戦車を軽々とひっくり返し、中身を確認する。頭部の鎧は何かを突き刺された後のように割れており、そこからは、巨大な眼球がカメレオンの如く、ぎょろぎょろと動いていた。


「逃げられたか。だが、まだ近くにいるな」


 ネフィリムはそう言って、二人のいる場所に視線を向けた。

 エレオノーラがステラの腕を引いて、ビルの裏口から内部へ侵入する。


 悍ましい怪物を目の当たりにし、ステラは青い顔で慄いた。


「は、早く逃げないと……!」

「このままビルの中を移動しよ。姿が見えなければ、さすがに――」


 エレオノーラがそう言いかけた時、突如として目の前が白い光に包まれた。二人は咄嗟に後ろに倒れ、それの直撃を免れる。

 間もなく視界に映ったのは、焼き潰され、跡形もなくなったビル群だった。二人のいるビルは、まるで巨大な剃刀で削り取られたかのように、綺麗に縦半分になくなっている。


「どこだ! ステラ王女! さっさと出て来い!」


 ネフィリムが、何らかの魔術を行使してそれをやってのけたことは、その怒号が証明していた。

 エレオノーラとステラは、現実とは思えない光景に戦慄し、恐怖した。互いに身を抱き合い、辛うじて正気を保っている有様だ。


 しかし、それをあざ笑うかのように、さらにネフィリムが奇怪な声を上げる。


「面倒だ。俺の言うことを聞くつもりがないというのなら、こちらにも考えがある」


 刹那、太陽の光をかき消すほどの眩い光が起こった。同時に、激しい衝撃波があらゆるものを消し飛ばす。


 本来であれば、エレオノーラとステラの体も、周りの瓦礫と同様、粉々になっていたことだろう。だが、エレオノーラが咄嗟に魔術で強固な防壁を作り上げ、自身と二人を守った。

 しかし、完全に防ぎきることはできず、二人は紙人形のように吹き飛ばされてしまう。


 大通に身を投げ出されたエレオノーラは、混濁する意識のなか、全身に激痛を覚えながらも、何とか立ち上がった。

 焼け落ちた周囲の状況を確認したが、ステラの姿がどこにも見当たらない。


 早く、ステラを聖堂に届けなければ――その一心で、エレオノーラは、自身に鞭打つ思いで歩みを進めた。


 ふと、首に何かが纏わりついたのは、その時だった。


「“紅焔の魔女”か。若くしてその才を見出され、騎士ではないにもかかわらず、聖王騎士団副総長イグナーツ・フォン・マインシュタインの弟子となった女魔術師」


 エレオノーラの体は、強烈な力で、首元から何かに引き寄せられた。


「そして――」


 エレオノーラの首には、白い触手が巻き付いていた。体は持ち上げられて宙に浮いており――眼前には、ネフィリムの顔があった。


「アーノエル六世ガイウス・ヴァレンタインの隠し子! 覚えているか、まだ貴様が子供だった頃、その事実が明らかになった場に俺がいたことを?」


 ネフィリムの眼球が、エレオノーラの姿を捉える。そのあまりにも醜悪かつ悍ましい容姿に、エレオノーラは思わず短い悲鳴を上げた。


「――いや、今となっては、もはやそんなことはどうでもいい。それよりも、俺はどうにも許せないことがある。貴様に触れて、たった今、理解できたぞ!」


 ネフィリムはそう言って、エレオノーラの首を絞める触手の力を強めた。


「まさか、“混ざり者”だったとはな! そうと知っていれば、リズトーンで真っ先に消し炭にしていたものを!」


 苦悶の声を上げるエレオノーラ――呼吸ができない息苦しさよりも、彼女はネフィリムの言葉に怯えていた。


「どうして知っている――そんなことを言いたそうな顔だな? この体は色々と便利だぞ。周囲の物質から放たれる微弱な電磁気力を読み取り、ありとあらゆる情報が俺の中に取り込まれていく。生物の構成情報、遺伝情報すらもな!」


 ネフィリムが、エレオノーラの体を天高く持ち上げる。


「まったくもって汚らわしい! 人間と亜人の混血など、考えるだけで身の毛がよだつ!俺がこうして蘇ったのは、貴様のような不純物をこの世から一掃するためだ! わかるか!? だからこそ神は、この地上に俺を神として君臨させたのだ!」


 はじめ、エレオノーラは抵抗していた。徐々に強まる触手の力に、必死になって抗った。だが――


「貴様然り、貴様の母親然り、存在してはならない生物だ! 兵士たちの慰み者にすらならん! そんなものがこうして俺の世界にいることに、吐き気すら覚える!」


 ネフィリムから言葉が一つ放たれるたびに、その力を失わせた。自身の存在を真っ向から否定され、やがて生きる意思すらも、消えていく。


「この世界に、貴様の居場所はないと思え!」


 いつの間にか、目からは止めどない涙が溢れていた。目前にした死の恐怖によるものではない。自身と、最愛の母の命を否定された怒りと悲しみから生まれた、形容しがたい悔しさから出たものだった。


「だが、喜べ。汚物同然である貴様に、神である俺がじきじきに裁きを下してやろう。浄化の雷を以て、その身を清めろ」


 エレオノーラのすぐ頭上に、球雷が作られる。


「魂の一片すら残らないと思え!」

「待ちなさい!」


 間髪入れず、鋭い声が走った。


 見ると、体中ぼろぼろになったステラが、ネフィリムのすぐ隣に立っていた。毅然とした佇まいで、得体のしれない怪物を前に、厳しい顔つきで睨みつける。


 それに気づいたネフィリムが、ほお、と興味の先をステラに変えた。エレオノーラを拘束していた触手を解き、徐にステラの眼前に立つ。


「久しぶりだな、ステラ王女。俺のことを覚えているか? 姿かたちは変わってしまったが、ガストン・ギルマンだ」


 ネフィリム――ガストン・ギルマンの名を耳にしたステラが、表情をより険しくした。


「ガストン・ギルマン……リズトーンの時の……!」

「そうだ、記憶にあって何よりだ。貴様に会うため、地獄の底から蘇ったぞ」


 ギルマンの眼球が、不気味に蠢く。それに映し出されるステラだったが――彼女の覇気は、依然として消えることはなかった。


「さっさとここを退きなさい。私は、この先に用があるんです」


 それを聞いたギルマンが、短い嗤笑の声を漏らす。


「そうはいかない。お前はここで俺に殺されることになっている。以前のように、生け捕りの話はナシだ」


 床に倒れたエレオノーラが、体を引きずり、ステラのもとへ行こうとした。


「ステラ……逃げて……」


 だが、彼女の意に反し、あまつさえステラは、ギルマンに食って掛かろうとする気迫でその場から動かなかった。


「私は殺されません。私は、この国の王にならなければならないんです」


 ギルマンが大声で笑う。頭部の鎧の隙間から、大きく開かれた下顎が覗いた。


「たいそうな事を言うようになったな、王女よ。だが、権力も武力もない非力な貴様が、この状況でどうやって王になる? 上を見ろ」


 天高くにあったのは、かつてリズトーンの惨劇で見た時と同じ、巨大な球雷だ。球雷は、視認できる速度で、瞬く間に大きさを増していく。


「再会を記念して、リズトーンの時と同じ――いや、三倍以上の威力を持った“トールハンマー”を喰らわせてやろう。ただの人間ごときが、神にも等しき存在である俺に楯突くとは笑止千万。傲慢にもほどがある」


 しかし、それでもステラは怯まなかった。ギルマンを正面に見据え、鋭い眼光を飛ばす。


「傲慢なのは貴方の方でしょう。リズトーンの時もそうでした。少しでも自分と異なる他者を目の当たりにした途端、排他的で攻撃的になる。自分の思い通りにならないとわかったら、子供の我儘のように周りを振り回し、力で抑え込もうとする。自分の物差しでしか他人を認められない。そんな幼稚な“ヒト”が神と同列なんて、ふざけています」

「口には気を付けろ、人間風情が! 俺が“ヒト”だと!? 不敬にもほどがある! 王だか何だか知らないが――すべてを超越した存在であるこの俺に対し、何たる無礼か!」


 激昂したギルマンに呼応し、周囲に電撃が迸る。

 ステラはまだ立ち向かった。


「そうですね、失礼しました。貴方はもう“ヒト”でもなんでもありません。ただの醜い化け物です」


 ステラの引かない態度に戦慄くギルマン――ついに、その怒りが頂点に達した。


「いい度胸だ! 神をも恐れぬ愚かなヒトの子よ! 今ここに、裁きの雷を落としてやろう!」


 天高く作られた凶悪な太陽が、いよいよ破裂の兆しを見せた。溢れ出した電気が周囲の建造物、電柱、電線、ガラスを瞬く間に焼き切っていく。


「ステラ!」


 エレオノーラが飛び出し、ステラの上に覆いかぶさった。それにステラが驚いて間もなく――


「この国ごと消えてなくなれ!」


 猛るギルマンに呼応し、球雷は――爆発する“はず”だった。

 突如として、“無数の光の剣”がどこからともなく飛来し、球雷をかき消したのだ。


 突然の出来事に、呆然とする三人――だが、すぐにギルマンは仕掛けをわかったかのように、エレオノーラを見遣った。


「お前の仕業だな、“紅焔の魔女”。小癪な真似をしてくれる。よもや、神の雷を打ち消してしまうとは! その罪、万死に値する!」


 言われて、エレオノーラは困惑した。そんなこと、彼女は一切した覚えがないのだ。一方で、間違いなくあれは魔術によって起きたもの――不可解な出来事に、エレオノーラは混乱するが――すぐにまた、目の前に注意を戻した。


「まあいい! ならば直接この手で、貴様ら二人とも葬ってくれる!」


 ギルマンが、腕を振り上げた。

 エレオノーラとステラは、互いに互いを庇うように抱き締めあう。


 刹那、白亜の巨体が、二人に覆いかぶさる――その時だった。


 二人の後ろから聞こえたバイクの走行音、そして、次の瞬間には、ギルマンの体が遥か遠くに吹き飛んだ。


 何が起きたのかと、エレオノーラとステラは恐る恐る目の前の景色を受け入れる。

 すると、そこには、


「誰かと思えば……また貴様が俺の邪魔をするのか」


 見知った一人の男の背中があった。


「貴様との再会も待ち焦がれていた――」


 吹き飛ばされたギルマンが立ち上がりながら、歓喜に声を震わせる。

 その視線の先には――


「会いたかったぞ、黒騎士!」


 シオンが、立っていた。

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