第262話

 聖王暦一九三四年五月三日 十時四十五分

 ログレス王国 王都中央区 シンリック大聖堂内部


「ガリア大公、今までどこにいらしたんですか?」


 聖堂に戻ったガリア大公は、どこか晴れ晴れとした表情だった。

 それを怪訝に思ったパーシヴァルが、厳しい目つきで、それとなく問いただす。


「わざわざ言う必要が?」


 しかし、ガリア大公は嫌味ったらしい表情で突っぱねた。

 刹那、パーシヴァルが、心を凍てつかせたように顔から感情を消す。眼鏡の奥の双眸は鋭く細められ、殺意に似た気迫を携えていた。

 それを直視したガリア大公が、怯みながら咳払いをした。


「ちょ、ちょっとばかし、軍に直接指示を出しに行っただけだ」

「“零号”を動かしましたね? メンゲルに止められていたのに」


 パーシヴァルの表情は依然として厳しいものだった。珍しく、不快さと憤りに身を任せ、彼が持つ本来の冷酷な側面を態度に表している。

 ガリア大公はそれをしたり顔で見て、鼻を鳴らした。


「だったらなんだ? あれはガリア軍で研究、調達した“兵器”だ。そちらには何の関係もない話では?」

「最悪、王都が吹っ飛びますよ」

「ここにいれば、騎士たちが我々要人を守ってくれるのだろう? いや、守らざるを得ないのだろう?」


 黙るパーシヴァルの肩を、ガリア大公は愉快そうに叩いた。


「わしのことをしっかり守るように、騎士たちに伝えてくれたまえ、枢機卿猊下」


 そう言い残し、ガリア大公は高笑いしながら自席へと戻った。

 そんな二人のやり取りを遠巻きに見ていたイグナーツが、芳しくない様子でパーシヴァルの隣に立った。


「パーシヴァル枢機卿猊下、何かまずいことでも?」


 訊かれて、パーシヴァルはここで表情の緊張を解いた。やれやれと嘆息し、イグナーツに向き直る。


「まずいね。制御不能な超強いネフィリムが、王都に放たれてしまったらしい。ここにも被害が出るかもしれない」


 イグナーツが呆れながら肩を竦める。


「何やってんですか。馬鹿の手綱くらい、ちゃんと握っておいてほしいものですね。枢機卿ともあろうものが、とんだ失態です」

「返す言葉もないね。ケツはこっちで拭くから勘弁してよ、イグナーツ卿。同じクソジジイを師に持つ兄弟弟子のよしみでさ、お兄様」


 そんな切れ者二人の会話をすぐ近くで聞いていたガラハッドが、ガイウスの耳に顔を近づけた。


「ガイウス、必要なら俺が出る」


 だが、ガイウスは両目を閉じたまま何も反応を示さない。

 ただ事ではない雰囲気が徐々に聖堂内に漂うなか、ユーグも会話に参加した。


「いっそ、この非常事態に便乗してステラ王女を援護するか?」


 騎士団にしろ、教皇庁にしろ、このままガリア公国がログレス王国の実権を掌握することは都合が悪い。互いに敵対関係にあるものの、今は一時休戦、共同戦線を張っている状況である。協力し、大胆な謀をなすのであれば、この不測の事態こそ好機だった。


 そのことは、議席持ちの騎士全員、そして四人の枢機卿も同じ考えだった。

 あとは、最高権力者である教皇の判断を待つのみである。


「ガイウス様、いかがいたしましょう?」


 だが、ランスロットがそう訊いても、ガイウスは沈黙を貫いた。

 そこへ、


「何をこそこそと話しているのですかな? よもや、大聖堂の外で何か事を起こそうと考えてはおりますまい? ほんの少し前に貴方たちが仰った決まり事を、よもや自ら破ろうと?」


 一連のやり取りを見ていたガリア大公が、煽るように、声高にそう訊いてきた。

 騎士たちと、枢機卿たちが、侮蔑の眼差しをガリア大公に返す。ガリア大公は短い悲鳴を上げ、それきり身を縮めて黙り込んだ。


 それから数秒の間を置いて、徐にガイウスが口を開く。


「我々は何もしなくていい」


 その言葉に、騎士と枢機卿の全員が驚きに目を丸くした。

 直後、ガリア大公が、勝ち馬に乗ったように、辺りも憚らず、手を叩いて笑った。


「さすがは教皇猊下! 聡明であらせられる! さあ、我々はここで、ステラ王女のご到着を待とうではありませんか!」


 パーシヴァルが苛立ちに顔を顰めながらガイウスに詰め寄る。


「ガイウス、本当にいいのかい? 僕はお勧めしない。ガラハッドならアレも倒せる。僕かイグナーツがガラハッドのダミーを作って、そのあとこっそり――」

「腐ってもあそこにいるのは俺の弟子だ」


 ガイウスはそれだけ言って、パーシヴァルを黙らせた。


「あいつに任せてみるさ」


 そして、ガイウスが席を立った。







 聖王暦一九三四年五月三日 十時四十七分

 ログレス王国 王都中央区 西区境界付近


「なんだ、今の雷……?」


 やはり気のせいではない。この晴天の中で、先ほどから何発も雷が鳴り響いている。それも、ほんの少し前に起きた光と轟音は明らかに自然的に起きたものではなかった。


 シオンは、叩き潰した戦車の上で、王都中心部の空を見上げた。


「黒騎士殿、そちらは無事か!?」


 未だに銃弾が飛び交う戦場にて――シオンは、背後から急襲してきた強化人間を大剣の一振りで屠ったあと、戦車から飛び降りた。戦車を盾にしながら、駆け寄ってきたエルリオと共にいったん身を潜める。


「ああ、それよりも戦況は?」

「何人かやられてしまったが、おおむねこの場は我々が有利だ。御身が相手の主力となる戦車と強化人間を片付けてくれたことが大きい。それに、こちらも戦闘訓練を受けたエルフの同胞と、ログレス軍の亜人部隊が揃っているのだ。相手がガリア軍とはいえ、魔物と一般兵相手であれば、数で劣っていてもそうそう遅れは取らない」


 エルリオの報告は吉報だったが、シオンの意識は半分以上ここにはなかった。息を切らしながら、王都中心部の空を見上げている。


「あの雷、まさか……」

「気になるのか?」


 エルリオに訊かれ、シオンは無言でそれを肯定した。

 すると、


「黒騎士殿、御身はステラ王女のところへ」


 そうエルリオが提案した。

 シオンはすぐに首を横に振った。


「まだ敵の数が多い。確かに戦車と強化人間は片付けたが、アンタたちを見殺しにはできない」


 シオンの言葉を聞いて、エルリオは小さく笑った。


「私たちのことなら大丈夫だ。一般兵や魔物だけであれば、エルフとライカンスロープでどうにでもなる。御身は王女のところへ。二年前の無念を、共に晴らそう」


 言われて、シオンはさらに無言になった。それから、腰のポーチから応急用のポーションを取り出す。それを雑に自身の首に打ち込んだあと、勢いよく立ち上がり、エルリオに向き直った。


「すまない、頼んだ」

「共に幸運を」


 シオンは、ガリア軍のバイクを一台拝借し、跨った。アクセルを全開にし、ステラのもとへと向かう。

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