第261話
聖王暦一九三四年五月三日 十時三十分
ログレス王国 王都中央区 中心部大通
ユリウスとプリシラはバイクを停め、目の前の障害物を正面に見据えた。それまでの距離は残り五十メートルほど。黒い試験管、あるいは石柱のようなそれは、軍用車の荷台の上で異様なプレッシャーを放っていた。
「爆弾――なわけないか。だったら、軍用車ごと王女の乗っている戦車に突っ込ませるだろうしな、ガリアなら」
歩みを進めながら、ユリウスが言った。煙草に火を点けたあと、いつでも攻撃ができるように鋼糸を周囲に展開させる。
隣では、プリシラが槍を手に、周囲を伺っていた。
「ガリア兵たちは何故あの車から離れていったんだ? それどころか、他の兵士の気配もない。魔物もだ」
先ほどまでの激戦地から打って変わり、あまりにも無機質で静寂な空気に気味が悪いと、プリシラが顔を顰めた。
それから間もなくして、試験管に動きがあった。
耳障りなアラート音がけたたましく鳴り響くと同時に、試験管の至る箇所から白い蒸気が噴出する。次に、縦に亀裂が入った。重々しい音を上げながら扉のように開き、中から大量の透明の液体が溢れ出す。
そして、そこにあったのは、白いヒト型の何かだった。
大きさは一般的な成人男性の二、三倍ほどの大きさで、全身に白い甲冑のようなものを纏っている。機械的な制御をされているのか、甲冑の表面には緑色の血管のようなものが規則的に走っており、不快に脈打ち、点滅していた。甲冑の関節部分からは地肌が微かに覗いており、本体は石膏のような白い筋肉の繊維でできていることがわかった。
「新種のゴーレム――って、わけじゃなさそうだな」
「ああ、恐らく、シオン様が言っていたネフィリムというやつだ」
ユリウスとプリシラは、以前シオンから聞いた話を思い出し、そう結論付けた。ネフィリム――人間と亜人の体、それに“騎士の聖痕”を利用して造られる化け物。シオンの話にあったそれと特徴が酷似していたからだ。
「天使化したシオンでようやくまともに相手できるって話だったが――」
「どのみち、やるしかない」
二人は意を決し、駆け出した。やるなら、まだ動いていない今しかない。
そう思った矢先、ネフィリムが徐に動き出した。一歩、足を踏み出し、試験管の中から外に出る。
しかし、その時すでに、ユリウスとプリシラは、ネフィリムの眼前に迫っていた。
二人の鋼糸と槍が、ネフィリムを強襲する。
刹那、まばゆい光が、ネフィリムを中心に一帯を包み込んだ。
ユリウスとプリシラは即座にそれに反応した。足に力を込めて踏みとどまり、勢いよく後ろに跳ね、距離を取る。
咄嗟の出来事に両者とも目を見開くが――遅れて感じた肌のひりつきと衝撃波に、怪訝に眉を顰めた。
「なんだ、こいつ? 何しやがった!?」
「狼狽えるな! おそらく、リリアンがよく使う電磁気力の操作と同じだ! 斥力と引力を操っている!」
プリシラに言われ、ユリウスは煙草を吐き捨て、舌打ちした。
「“天使化”したシオンと同等って話は、あながち嘘じゃないみてぇだな!」
そして再度、ネフィリムに肉薄する。
二人は瞬き一つの間にネフィリムに迫り――まずはユリウスが鋼糸を放った。鋼糸はネフィリムの体に絡みつき、動きを封じる。その隙に、プリシラが地下の水道管から多量の水を噴出させ、氷の波をネフィリムに浴びせた。
これでもう、指一本動かすことができないはず。
止めを刺すべく、プリシラが大きく上に跳躍し、槍の切っ先を眼下のネフィリムに向けた。
「とった!」
プリシラの槍は、軽々と甲冑を突き破り、ネフィリムの頭部に突き刺さった。
これで終わったと、プリシラが槍を引き抜こうとするが――
「――!?」
突如として、槍の突き刺さった傷口から、ミミズのような触手が何本も生えた。触手は槍をがっちりと掴み、その力の強さにプリシラが目を見開く。
そして、白光と破裂音。
閃光弾でも炸裂したかと思うような現象だった。
だが、
「プリシラ!?」
そんなちんけなものではないことは、プリシラが証明した。
プリシラが、人形のように地面に倒れてしまう。
突然の不可解な出来事に、ユリウスは呆然と立ち尽くしたが――ネフィリムが、自身を拘束する氷と鋼糸のことなどまったく意に介していないかのように右腕を動かし、頭部に突き刺さる槍を自ら引き抜いた。
そして、足元に転がるプリシラに向け、槍を突き刺そうと振り上げた。
「クソッタレが!」
ユリウスはそこで意識を目の前に戻した。咄嗟に鋼糸を伸ばし、間一髪のところでプリシラを自身のもとに引き寄せる。
「おい、プリシラ! 何があった! おい――」
抱え上げて容体を伺ったが、プリシラはまったく動かなかった。両目を虚ろにし、口は半開きのまま、何も反応を示さない。
そればかりか――
「脈がない……!?」
心臓の鼓動すらなかった。
ユリウスが言葉を失うが――その間に、ついにネフィリムが攻撃に転じた。まとわりつく氷と鋼糸を斥力の衝撃波ですべて吹き飛ばし、地面から体を微かに浮かせる。直後、ネフィリムの頭上に、巨大な光輪が出現した。
「クソ、なんなんだこいつ!」
ユリウスはプリシラを建物の陰に置いたあと、ネフィリムに向き直った。
刹那、ネフィリムを中心にして、激しい雷撃が周囲に降り注ぐ。
ユリウスは鋼糸とフットワークでそれをすべて避けるが、それに意識を取られている間に、ネフィリムが眼前に迫っていた。
見開かれたユリウスの双眸に映っていたのは、ネフィリムがこちらに手のひらを広げている姿――そこには、小さな雷球が作られていた。
ユリウスは、ほとんど反射的に横っ飛びに飛んだ。間髪入れず、その判断が正解だったと理解する。ユリウスに向けて放たれたのは、雷の槍だった。それは、ビルのコンクリートすらも焼き焦がし、一部を炭にした。
「調子に乗りやがって!」
ユリウスが吼え、鋼糸をネフィリムに向けた。鋼糸は無数の斬撃となり、周囲の地面、街灯、電柱を細断しながらネフィリムに迫っていく。魔物はおろか、強化人間や並みの騎士であっても逃れることができない飽和攻撃である。
しかし――
「動きが速すぎる! どうなってんだ、鋼糸が追いつかねぇ!」
ネフィリムはそれを、ありえない速度で移動し、回避した。鳥のように空中を縦横無尽に飛んだと思えば――有機的な生々しい音を立てながら、骨格をヒト型から四足歩行の獣のように変え、地上を駆けまわる。今までに対峙したことのない変則的な戦い方に、ユリウスは狼狽と共に戦慄した。
「ふざけやがって――」
ユリウスが怒号を上げ、さらに鋼糸を加速させようとした。その矢先、ネフィリムが、鉄柵の一部を超高速でユリウスに向けて射出した。音速を遥かに超えた速度で飛来したそれは軽々とユリウスの左わき腹を撃ち抜き、その余波で彼をビルの壁に叩きつける。それは、鉄柵の一部を電磁気力で飛ばした即席の電磁投射砲(レールガン)だった。
ネフィリムは次に、呻くユリウスの首を掴む。そして、さらし首にするかの如く、高く持ち上げた。
ネフィリムとユリウスの真上には、いつの間にか巨大な雷球が出来上がっていた。
「クソッタレがあああ!」
ユリウスの咆哮――それをかき消すほどの轟音が鳴った。同時に起きたのは、破裂した雷球から放たれた巨大な雷だ。
光が止んだ先で、ユリウスは、ネフィリムに首を掴まれたまま、身を焦がして虫の息の状態になっていた。ずるりと、ユリウスの体がネフィリムから離される。
ネフィリムは、自身の両掌を見つめながら、ふるふると小刻みに体を震わせた。
「いい! 素晴らしい!」
併せて、感極まったように声を上げる。
「これが“騎士の聖痕”の力! これが世界を支配する力! これこそが神の力!」
誰もいなくなった王都の街並みの中で、一人、舞台俳優のようにしゃべり続けた。
「“機械仕掛けの雷神”――もはやその銘も必要ない! このガストン・ギルマンこそが、地上に降臨した神そのものだ!」
ネフィリム――ギルマンは声高にそう名乗り、恍惚とした様子で体を動かしながら、哄笑した。
そんな時、ふとギルマンの耳元に備え付けられた通信機からノイズが鳴った。
次に聞こえてきたのは、
『“零号”! 何を遊んでいる! さっさとステラ王女を始末しに行け!』
ガリア大公の声だった。
ギルマンはそこで正気を取り戻したように笑うのを止め、ぴたりと静かになる。
「そうだった。確か、そういう話だったな」
そして、ステラを乗せた戦車が向かった先に、視線を馳せる。
「感じるぞ――ここから約二キロ先」
呟いた瞬間、ギルマンの姿はその場から消えていた。
周りの高層ビルよりも遥かに高い高度まで飛び上がり、ステラの追跡を開始したのだ。
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