第260話

 聖王暦一九三四年五月三日 十時一分

 ログレス王国 王都西区 中央区境界付近 封鎖駅構内


 準備は整った。

 亜人部隊を動かすための信号弾はすでにステラが放ち、シオンたちは駅構内の出入り口付近にて、出撃の時を伺っていた。


 中央区の方角から小さな爆音が鳴ったのは、それから時計の分針が一分を指し示した時だった。


「始まった」


 シオンが言って、さらに爆音が二回、三回と立て続けに鳴り響く。ユリウスが確認のため、駅の大窓から外の様子を見た。


「どうだ、ガリア軍の注意は中央区側に向いたか?」


 シオンの問いに、ユリウスは芳しくない顔で肩を竦めた。


「向いてはいるが、いまいちだな。多分、こっちのやろうとしていることに勘付いているぜ、ありゃあ」


 ユリウスの見解を聞いたあと、シオンはステラたちが待機する場所に駆け足で向かった。そこには、戦車が一台と大型輸送車が二台、それにバイクが三台ある。


 シオンは手早く装備の確認を終え、バイクに跨った。


「これ以上待っていてもガリア軍を混乱させることは難しいだろうな。そろそろ出撃しよう。俺とプリシラが先陣を切る。ユリウスはステラとエレオノーラが乗る戦車の護衛を頼んだ」


 シオンの指示を合図に全員が頷き、それぞれが出撃態勢に入った。

 ステラが乗る戦車には、砲台の代わりとなるエレノーラ、運転手にブラウンが乗り込む。二台の輸送車には残りのログレス兵が乗り込んだ。ユリウスとプリシラもバイクに跨り、シオンを挟んで陣形の先頭に並ぶ。


 全員の準備が整ったところで、シオンは戦車のハッチに立つエレオノーラを見遣った。


「エレオノーラ、ステラを頼む。お前も死ぬなよ」

「うん。シオンも死なないで」


 シオンがバイクのアクセルを回し、エンジンを吹かした。マフラーから勢いよく排ガスが噴き出したのを合図に、ユリウスとプリシラもアクセルを回す。


「橋の先に展開している戦車隊は俺が潰す。プリシラは強化人間と魔物を頼む。ステラが通れる道を最優先に確保してくれ」

「かしこまりました」


 戦車と輸送車の発進準備も整い、一同は改めて駅の東口に向き直る。

 そして――


「行くぞ!」


 シオンの号令を合図に、シオンとプリシラがバイクを走らせた。二台のバイクはタイヤで床を焦がしたあと、トップスピードの状態でガラス張りの扉を壊し、駅構内から飛び出した。

 直後、待ち構えていたガリア兵たちから一斉に銃弾が放たれる。それに混ざり、向こう岸に控える三台の戦車から砲弾が撃ち込まれた。

 シオンとプリシラはそれを難なく躱し、橋へと急接近する。

 あと数十メートルで橋に差し掛かる――その時だった。


「今だ、爆破しろ!」


 ガリア兵の一人が叫んだのとほぼ同時に、橋の中央が大爆発を起こす。ガリア軍は、こちらの進軍に備えて橋に爆弾を仕掛けていたらしく、進路を断つ作戦を決行したようだ。


 しかし、


「プリシラ、頼んだ!」

「はい!」


 そんなことはシオンたちも容易に想定していた。

 シオンとプリシラは橋の入り口正面から左右にそれぞれ分岐し、河に向かって突き進む。そこでプリシラが槍を手に取り、手前の川岸に向かって投擲した。プリシラの手を離れた槍は川岸に突き刺さり、間もなく青い光を放出する。

 プリシラが得意とする氷の魔術――刹那、橋の下を流れる河が、一瞬のうちに凍り付いた。


 驚愕するガリア兵たちを尻目に、シオンは氷上を渡って対岸へと到達する。それから一歩遅れて、駆け抜け様に槍を回収したプリシラも追いついた。


 ガリア兵たちから一斉に狼狽の声が上がる。


「クソ、こいつら騎士だ! 迎撃し――」


 プリシラの魔術はまだ終わっていなかった。何かを叫ぼうとしたガリア兵の一人が、周囲の兵士もろとも、川から伸びた氷の槍に飲まれた。

 次にプリシラは、近くの消火栓をバイクで走り抜け様に槍で破壊する。栓を失った消火栓は水を勢いよく噴射し、岸辺を水浸しにした。そして、その水は瞬く間に氷の矢となり、展開していた魔物たちを次々に屠っていく。


「あのバイクを止めろ! 戦車隊はステラ王女の方を――」


 ガリア兵のその怒号は、大気を震わせる轟音と共にかき消された。

 バイクから飛び降りたシオンが、“天使化”と同時に戦車を一台、砲台から叩き潰したのだ。シオンは続けて、運転席が存在する箇所に向けて大剣の切っ先を突き刺す。

 強化人間のガリア兵たちが慌ててシオンを討ち取ろうとするが、“天使化”したシオンは電光石火の如く次の戦車へと移動し、さらにもう一台を無力化した。


 それからわずか一分とせず、シオンとプリシラの手によって、橋の正面に展開されていたガリア軍は壊滅した。


「今だ! 戦車を出せ!」


 シオンが叫び、駅からステラを乗せた戦車が急発進した。前にはユリウスのバイク、両脇には輸送車を従えている。


 戦車を見たガリア兵たち――その顔には嘲笑が浮かんでいた。


「馬鹿め! 戦車の重さではさすがに氷の上は渡れないだろが!」


 だが、次の瞬間には、驚愕の表情に変わっていた。


 戦車の上に立つエレオノーラが、大杖のようにライフルを振るう。すると、破壊された橋が、青い光を放ちながら周囲の瓦礫を取り込み、瞬く間に元の状態に戻ったのだ。エレオノーラの物体変形の魔術だ。

 戦車は当然のようにその上を走行し、一瞬のうちに対岸へと渡り切ってしまう。


「き、騎士二人には構うな! ステラ王女はおそらくあの戦車に乗っている! 戦車を追え!」


 その指示を合図に、ガリア兵たちが一斉に攻撃対象を戦車に変える。シオンとプリシラが戦車と強化人間、魔物を食い止めているが、数の多い一般兵たちまでには手が回らないでいた。

 一般兵たちが軍用車やバイクに乗り込み、次々とステラの乗る戦車を追いかけにいく。


 そのうちの一台の軍用車が、戦車まであと数十メートルというところまで差し掛かった時――突如として、その間に爆発が起こった。ガリアの軍用車は黒煙を上げながら激しく横転し、街灯に当たって停止する。


 いったい何の爆発かと、シオンは周囲を確認した。


 続けて、大通沿いに立ち並ぶビルの上から降り注ぐのは、無数の矢だった。それも、普通のものではない。鏃に爆薬のようなものを括りつけた矢が、すさまじい速度、かつ正確にガリア兵の位置を捉えながら飛来しているのだ。


 こんな芸当、人間にはとてもできることではない。

 だとすれば――


「エルリオたちか!」


 シオンが上げた声に応える形で、建造物の屋上から次々と矢を構えたエルフたちが姿を現し、その中にはエルリオもいた。


 それに気づいたガリア兵たちが、揃って悪態をつき始める。


「クソ、中央で暴れていたログレスの亜人兵がもうここまで!」

「かまうな! 戦車を追え! 大聖堂に近づけさせるな!」


 エルフたちから次々と放たれる爆弾矢に怯みつつ、ガリア兵たちは戦車を追いかけようと必死になっていた。


 しかし、


「な、なんだこいつら!」


 戦車を追いかけていた軍用車の上に、続々と何者かたちが飛び乗っていく。そして、軍用車からガリア兵たちを引きずり下ろし、戦車の追跡を悉く妨害した。

 高速で走る軍用車に飛び乗る身体能力を有する者――それは、ログレス軍に所属するライカンスロープの兵士たちだった。騎士や強化人間ほどではないにせよ、人間では到底真似ができない動きで、ガリア軍の一般兵たちを蹂躙していった。


 結局、戦車の姿が見えなくなるまで、ガリア軍は誰一人してこの場から発つことができなかった。

 だが、まだガリア軍も戦車の追跡を諦めてはいなかった。通信兵たちが慌ただしく指示を出し合い、体制を立て直そうとする。


 それを見て、シオンがプリシラに声を張り上げた。


「プリシラ! お前もステラの護衛に行け! 俺はここで亜人兵たちとガリア軍を食い止める!」

「承知いたしました! どうかお気を付けて!」

「ついでにここの大通を氷で塞いでくれ!」

「かしこまりました!」


 プリシラはシオンの指示を受け、すぐさまバイクに跨り、出発した。去り際に、水道管の水を利用して氷の壁を築き上げ、大通りを大胆に塞ぐ。

 それを見たガリア兵たちから、驚きと焦燥の声が上がった。


「クソ! 北と南から大聖堂の方向に回り込め! 王女を必ず仕留め――」


 その策も空しく、追跡に向かおうとしたガリア兵は、エルフとライカンスロープに漏れなく刈り取られていく。


 そんな混沌とした戦場のなか、不意に、シオンに向かってエルリオが駆け寄ってきた。


「黒騎士殿!」


 シオンは振り返り、今しがた叩き潰した戦車の上から地上に降り、エルリオを迎えた。


「無事だったか。悪いな、囮にさせてもらった」

「こちらは大丈夫だ。その意図もすぐに理解できた。むしろ、我々に向かってくるガリア軍が少なすぎて、勝手にこちらから御身らの援護に出向いてしまった」

「いや、結果的に助かった。ここでガリア軍を足止めできれば、かなり有利になる」

「それで、これからどうする?」


 エルリオに訊かれ、シオンは大剣を握りなおした。


「ステラが大聖堂にたどり着くまで、この近辺にいるガリア軍を俺たちで抑え込む。戦車と強化人間は俺がやる、アンタら亜人部隊は数の多い魔物と一般兵たちを抑えてくれ」

「承知した!」







 聖王暦一九三四年五月三日 十時二十一分

 ログレス王国 王都中央区 中心部大通


「ま、まさか本当にあの防衛ラインを抜けられるとは! 信じられん!」


 戦車のなかで、ブラウンが嬉々として言った。その隣では、険しい顔でありつつも、ステラが安堵の息を吐いた。


 防衛ラインを突破した戦車は今、大聖堂に向かって真っすぐ進んでいる。道中、中央区に待機していたガリア軍の小隊からいくつかの妨害があったが、いずれも護衛するユリウスとログレス兵たちで難なく退けられる程度の脅威だった。稀に対戦車砲に遭遇することもあったが、それもエレオノーラが焼き払うことで事なきを得ている。


「シオンの読み通り、中央区の中心部に近づくほどガリア軍の防衛網が手薄になっているね。このまま一気に走り抜けちゃって!」


 戦車のハッチから上半身を出していたエレオノーラが、車内にそう呼びかけた。直後、彼女のすぐ近くで、何かが弾けたような音と火花が小さく上がる。堪らず小さな悲鳴を上げながら怯み、身をかがめるエレオノーラ――その周辺には、ユリウスの鋼糸が舞っていた。


「攻撃する必要がねえなら戦車の中に身を隠してろ! まだ狙撃兵が潜んでやがる!」


 先ほどの小さな火花は、どうやらエレオノーラを狙った狙撃兵からの攻撃だったようだ。それをユリウスが防いでくれたのである。


 そんなやり取りのあと、戦車の後ろから一台のバイクが急接近してきた。

 ガリア兵かと、その場の全員が一瞬身構えたが――追いかけてきたのは、プリシラだった。


 プリシラは、先ほどのエレオノーラとユリウスのやり取りを遠目で見ていたのか、やや呆れた顔でいた。


「あとの護衛は私とユリウスに任せろ! 中央区の中心部――ここまで来れば、さすがにもう強固な重装備はないはずだ! お前の火力は役に立たない!」


 プリシラの言葉に、エレオノーラが顔を引きつらせながら舌打ちした。


「癇に障る言い方しやがって」


 悪態をつきつつも、エレオノーラは大人しく戦車の中に入った。


「でもこの調子なら、大聖堂に一時間以上の余裕を持って到着できるね。ステラ、あと少しだよ!」


 エレオノーラが気持ちを切り替えるように、ステラに呼びかけた。

 だが、ステラの表情は、まだ予断を許していないものだった。


「ステラ?」

「……あのガリア大公が、このまま大人しく戴冠式の開催を許すとは到底思えません」


 ステラは低く唸るように言って、物思いに目を閉じた。

 それから数秒の沈黙ののち、徐に目を開き、運転席のブラウンを見遣る。


「ブラウン中尉、時間に余裕があるなら――」

「ステラ様、お待ちを」


 突然、ブラウンが声を潜めた。彼の視線の先をステラが追う。


「なんだ? 何かが前方に……」


 すると、進行方向一〇〇メートルほど先に、ガリア軍の大型軍用車が一台、大通を跨ぐように停まっていた。荷台は全開の状態で、そこには、大きな白い試験管のようなものが一本立てられている。兵士二人がその準備を整えていたようだが、試験管が完全に直立して間もなく、逃げるように慌ただしくその場から離れていった。


 エレオノーラが、プリシラとユリウスにそれを伝えようと、戦車のハッチを開け上半身を出した。


「プリシラ! ユリウス! 前に何かある! もしかして爆弾!?」


 目の前の障害物には二人もすでに気づいていたようで、各々武器を構えていた。


「わかっている! あれは私たちに任せておけ! お前たちは先に大聖堂へ!」


 プリシラはそう言って、ユリウスと共に真っすぐ障害物に向かっていった。

 それを見たステラ――彼女は、次の交差点を指差した。


「ブラウン中尉! 次を右折して、遠回りしましょう!」

「はい!」


 切迫したステラの声に、ブラウンは急ハンドルを切った。


 嫌な予感がする――不気味な静けさが、ステラの胸中を不安に苛ませた。

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