第五章 王都奪還 後編

第257話

 聖王暦一九三四年五月三日 六時五十一分

 ログレス王国 王都西区 中央区境界付近 封鎖駅東口


 簡易基地での補給と休息を済ませたステラたちは、午前三時に、戴冠式開催の場のシンリック大聖堂がある王都中央区に向かった。

 しかし、ガリア軍はすでに中央区境界に軍隊を展開しており、広範囲に強固な防衛ラインを築いていた。中央区は太古の時代に造られた運河によって囲まれており、侵入するには随所にある大橋を渡るか、船を利用するしかない。当然、ステラたちは船の手配などできる余力もなく、大橋から渡る選択肢しか残されていなかった。


 中央区に続く大橋のうち、西区から伸びるものが最も短い距離であるため、ステラたちはそこからの侵入を試みることにした。大橋の近くには、今回の騒動によって封鎖された大型の鉄道駅があり、そこを臨時の拠点にした。


 そして現在、ステラたちがガリア軍と会敵し、すでに二時間が経過した。戦車、魔物、強化人間といった強力な兵装と圧倒的な物量で固められたガリア軍を相手に、ステラ率いるログレス軍はすでに劣勢を強いられていた。

 絶え間なく送られてくるガリア軍の兵士たちに、ステラたちは駅で身動きが取れない状況なのだ。


「包帯とガーゼを!」


 また一人、負傷した兵士が拠点にした駅の中に運ばれた。これで、戦闘不能になった兵士は八人――ログレス軍の兵力は、残り二十五人になった。


「簡易基地で補給した物資が、もう半分もないぞ……!」


 床に広げられた物資を見ながら、兵士の一人が焦燥の声で唸った。

 さらには、それだけではなく、


「物資もそうだが、何より我々兵士たちの士気も……」


 負傷した兵士を運びに来た別の兵士が、悔しそうに言った。

 おそらく、防衛ラインに展開されたガリア軍の兵力は一万を超えている。それに対し、こちらは騎士と教会魔術師を含めてたったの三十三人――わかりきっていたことだが、絶望的な戦力差としか言いようがなかった。その事実が、この上ない恐怖と焦りになり、兵士たちを心理的に追い詰めていた。


 しかし、それでも――


「諦めるな! 必ず勝機はある! 騎士たちがガリア軍の主力部隊を抑え込んでいる間に、何が何でもあの防衛ラインを突破するぞ! この戦いはガリア兵を倒すことが目的ではない! ステラ様を大聖堂にお届けすることだ! それさえ達成すれば、ログレスは解放される!」


 相手のわずかな隙を突き、短期決戦でステラを大聖堂に送り届けさえすれば、この戦いは勝ちなのである。


 前線から弾薬を補充しに来たブラウンが、そうやって兵士たちを奮起させた。それだけが、兵士たちの支えとなる最後の希望だった。


 負傷した兵士たちの目に、消えかかっていた闘志の灯が改めて宿る。


 その中で、


「包帯、持ってきました!」


 ステラが、応急処置に使う医療道具を抱えながら、負傷した兵士たちの間を駆け回っていた。彼女なりに、今できる最大限のことをやっているのである。


 ステラは、足を負傷した兵士の傍らに付き、急いで包帯を巻いて上げた。

 その直後に、兵士がおぼつかない足取りで立ち上がる。


「動かないでください! まだ安静にしないと――」

「ありがとうございます、ステラ様。ですが、もう行かないと……」


 そう言って、兵士は小銃を手に、銃声が鳴りやまない駅の東口へと向かった。

 その背中をステラが沈痛な面持ちで見送っていると、ブラウンが彼女の隣に付いた。


「正直なところ、死者がまだ一人も出ていないことが奇跡と呼べる状況です。正面の防衛ラインにいるガリア軍が守りに徹していることが大きな要因でしょう。しかし、このままでは我々が消耗する一方で、いつまで経っても本格的な攻撃に転じられません」

「ガリアとしては、私が大聖堂にたどり着くのを今日の正午まで妨害していればいいですから。無理にこちら側に攻め込む必要がないと、考えているんだと思います」

「せっかく、相手の主力部隊の注意をシオン卿たちが引き付けてくれているというのに……」


 今回の戦いに当たり、ステラたちは防衛ライン突破の戦力を大きく二手に分けることにした。


 一つは当然、眼前の防衛ラインを超え、ステラを大聖堂まで送り届ける部隊。そしてもう一つは、防衛ラインの戦力を減らすため、主戦力を引き剥がす部隊だ。

 それが、シオン、エレオノーラ、ユリウス、プリシラの四人のみで構成された部隊である。


 シオンたちは、防衛ラインの突破口となる駅の東口の反対――背中になる西口を敢えて手薄に見せかけ、ガリア軍を誘い込んだ。結論として、ガリア軍は見事にその餌に食いつくことになった。防衛ラインに展開された主戦力が、北と南から大きく回り込んで西口に集まったのである。


 そして、シオンたちがそれらを相手取っている間、戦力が落ちた防衛ラインをステラたちが一点突破する作戦だったのだが――


「仕方がありません。こっちの兵力はわずか三十人ほどです。ブラウン中尉がさっき仰ったように、まだ死者が出ていないことが不幸中の幸いとしか……」


 ガリア軍の主力を削いでもなお、圧倒的な物量差に、完全に押し負けてしまっていた。ガリア軍も王都に生半端な戦力を駐在させてはいないだろうと、覚悟はしていたが、その実、あまりにも見通しが甘かった。


「このままでは、王都中央に潜伏中の亜人部隊といつまで経っても合流できません。最悪、彼らが独断で動き出す可能性も考えられます。戦力を結集できなければ、それこそ大聖堂に着くことは……」


 ブラウンが難色を示し、悔しそうに歯噛みする。

 ステラは、懐から小さな懐中時計を取り出し、時間を確認した。


「あと数分で、騎士団が大聖堂に到着する……」


 戴冠式の開催が刻一刻と迫っている。

 この状況を打開するためには――







 聖王暦一九三四年五月三日 七時一分

 ログレス王国 王都西区 中央区境界付近 封鎖駅西口


「クソが、逃がすかよ!」


 ユリウスが腕を振り、鋼糸を眼前数十メートル先まで勢いよく伸ばす。そこには、強化人間の兵士で構成された部隊が、今まさに現場から退こうと、ユリウスのいる場所とは反対方向に駆け出しているところだった。


「撤退だ! 総員、防衛ラインまで下がれ!

「魔物の投入準備! しんがりにしろ!」


 逃げる強化人間たちが、後続に控える部隊に指示を出した。そこには、ガリア軍の軍用車が十数台あり、そのうちの巨大なコンテナを積んだものが、慌ただしい運転で前に出た。


「ユリウス、深追いするな! 魔物の群れが来るぞ!」


 プリシラの警告通り、巨大なコンテナが開かれたのと同時に、中に詰められていた無数の魔物が飛び出してきた。


 それを見たユリウスが舌打ちをして引き下がり――代わりに前に出たのはエレオノーラだ。

 エレオノーラはライフルを杖のように両手で持ち、地面のコンクリート道路に突き立てる。すると、進軍してくる魔物たちを取り囲むように、ドーム状の岩壁が勢いよく地面からせり上がった。


 魔物たちがそれに一瞬困惑した隙に、エレオノーラは今度、ライフルの銃口をそこに向けた。

 刹那、引き金が引かれ、炎の魔術が魔物たちを焼き払う。銃口から放たれた炎は、ドーム状の岩壁に当たって魔物たちの後方にも広がり、巨大な竈のような有様になった。


 一瞬のうちに魔物の群れを掃討したエレオノーラ――その隣に、今しがた戦車を一台叩き潰したシオンが付いた。

 シオンの武装は、彼が得意とする剣術のための刀が左右の腰に二本、そして手には、対戦車用にと騎士団が簡易基地で用意した巨大な剣が握られていた。鉄骨材に柄を付けただけのような粗末な見た目で、斬るというよりは叩き潰すことを目的にした大剣だ。


「ねえ、なんであいつら急に大人しくなったの? 数じゃ圧倒的にあっちが有利なのに」


 エレオノーラがそう訊くと、シオンは顔の汗を拭いながら肩を竦めた。


「もうそろそろ騎士団が大聖堂に入る頃だ。ステラを受け入れる準備が整ったから、本格的に守りを固めるつもりなんだろう」

「時間切れを狙っているってわけか。背後を手薄に見せかけて、せっかく敵の主力を駅の西口に集中させられたのに……」

「おそらく、もう主力部隊をこちらに送り込んでくることはしないだろうな。敵も馬鹿じゃない。それに、俺たちの正体にもさすがに気付いたはずだ。騎士たちと正面からまともに戦っても、無駄に兵力を減らすだけと判断したんだろ」

「それって大丈夫なの? 政治的に」

「交戦中は、イグナーツたちが何とかするさ。最悪、ガイウスが何かしらの手を打つはずだ。この案を持ちかけてきたのは、ガイウスだからな」


 そうやってシオンとエレオノーラが近況整理をしているなか、今度はユリウスが二人に声をかけた。


「おい、一度王女たちのところに戻ろうぜ。体制立て直すなら、今しかねえぞ」

「そうだな。あっちの状況も気になる。いったん、防衛ライン側の様子を見に行こう」


 三人は同時に頷いて踵を返した。

 そこへ、


「シオン様、この戦車、まだ動きそうです」


 プリシラが、今さっきシオンによって破壊された戦車の中から兵士の死体を取り出し、そう言った。しかし、砲台部分はシオンによって無残に折り曲げられている。


「動いたところで、砲台は駄目そうだな」

「てめぇが叩き潰したからな。鹵獲することも考えろって事前に打ち合わせしただろうが」

「それでも弾除けの盾くらいにはなる。ないよりマシだ、使おう」


 シオンの回答を以て、プリシラが戦車に乗り込んだ。プリシラはそのまま戦車を走らせ、駅の西口扉を破壊して中に侵入する。


「俺たちも東口に行くぞ。ステラたちと合流する」

「ねえ、もしこのまま時間切れになったら、どうなるの?」


 シオンがプリシラの後を追おうとした時、ふとエレオノーラがそんな疑問を投げかけた。


「ガイウスとガリア大公が約束した通り、ログレスはガリアのものになるだろう。そうなれば、王都に集められたガリアの戦力は今度、ステラを討ち取りにくるはずだ。王族の血筋を根絶やしにするために」


 シオンの見解に、エレオノーラは顔を顰めた。


「で、でも、そんなことになったらさすがに騎士団が――」

「ログレスがガリアに統合された後だと、ステラの処刑は国内の政治的な処置として扱われることになる。内政干渉に当たるとして、騎士団と教会は自由に動けないだろうな」


 シオンの言葉に同意するように、ユリウスが煙草を吸いながら頷いた。


「むしろ、そうなったら俺たちが騎士団にしょっ引かれることになるぜ。ガリアが勝てば、奴らは間違いなく俺たちのことを教会に訴える。元騎士が他国に武力的な援助をすることは教会法で禁止されているからな。体裁を保つために、騎士団は俺たちを処刑台に送り込むはずだ。ま、てめぇはただの教会魔術師だから、見逃してもらえるかもしれねぇけど」


 それを聞いたエレオノーラが、沈痛な面持ちで顔を伏せた。

 それには構わず、シオンは駅の西口に向かって歩みを進める。


「だからこの戦いは、どうあっても負けられない。なんとしてでも、ステラを大聖堂に送り届けるぞ」

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