第255話

 廃校舎の最上階――図書室に、シオン、ユリウス、プリシラの三人が戻った。図書室には、先んじて、ステラとエレオノーラ、ブラウンたちログレス軍の兵士が待機していた。シオンたち三人が戻るなり、ブラウンが神妙な面持ちで立ち上がった。


 シオンは、図書室を軽く見渡した後で、ブラウンに向き直った。


「生き残りのガリア兵たちはどうした?」


 ユリウスとプリシラが生け捕りにしたガリア兵たちの姿が見当たらなかった。すでに全員処分したのかと思われたが、


「この国の主権を取り戻したあと、ガリアには改めて罪を認めさせる。その時の証言のために、二人だけ生かしておくことにした」


 ブラウンが他の兵士に顎をしゃくって指示を出すと、本棚の陰から、武装を解除され、目と口を布で塞がれた二人のガリア兵が引きずられて姿を現した。


「このあと一緒に連れまわすつもりか?」

「いや、兵士を四人、この街に残す。ただでさえ少ない戦力を削ることになってしまうが、仕方がない」


 シオン、ユリウス、プリシラが、揃って諦め気味に嘆息した。捕虜を簡易基地に同行させるわけにもいかないため、その判断しかないだろうと、納得せざるを得なかった。


 そんな時、不意にステラがシオンたちに近づいた。あの後、ずっと泣き続けたのか、目元は薄っすらと赤く腫れ、顔全体に少女らしからぬ暗い影が落ちていた。わずか数時間の間に、ひどく老け込んだように見える。


「チャルムス・グラスはどうしたんですか?」


 ユリウスが煙草に火を点け、軽く肩を竦めた。


「身動きが取れない状態で校舎裏の雑木林の樹に吊るしてきた。今頃、生きたままカラスかネズミの餌になっている。国を取り戻したあともまだ生きていたら、改めて刑にかけて止めを刺しゃあいい。ちなみに、裁判は俺たち騎士の間で済ませた。気に病む必要はねぇよ」


 そう言った後で、ユリウスは右手に持っていた小さな麻袋を軽く掲げた。麻袋の底は赤く滲んでおり、微かな異臭を放っている。


「あいつの“竿と玉”だ。戦利品として取っておくか? 礼はいらねぇぞ」


 ブラックジョークを言うようにして、ユリウスが嗜虐的な笑みを見せた。

 それを聞いたステラは、少しだけ驚いた表情をした。そのまま顔を俯かせ、今度は、複雑そうな面持ちになる。


「……お礼を言ってしまったら、私があの男を見逃した意味がなくなります。でも――」


 しかし、すぐさま表情を引き締め、面を上げた。


「ここで起きたことは、何があっても、一生忘れません。何もできなかった自分への戒めに」


 ステラのその言葉を聞いて、ユリウスは嬉しそうに鼻を鳴らして小さく笑った。

 麻袋は、中身を入れたまま、廃校舎の窓からどこか遠くへ投げ捨てられた。







 フィーラムを出発することにしたのは、日が完全に落ちてからだった。念入りにガリア軍の追跡を避けるため、視界が悪くなる夜を待った方がいいとの判断だ。

 西の空に太陽が完全に隠れたタイミングを見計らい、シオンたちはまず、廃校舎から街中に戻ることにした。そこから改めて簡易基地に向けて出発するわけだが――その間際、不意にステラが足を止め、周囲を見渡した。


 すると、そこにはメリッサが立っていた。街灯の薄明りをスポットライトに、一人、佇んでいる。

 ステラは、ふらふらと導かれるように、彼女に向かって歩みを進めた。何か言おうとしているのか、口は常に半開きの状態だったが、そこから具体的な言葉が発せられることはなかった。


 互いの距離が目の前にまで迫った時、不意にメリッサが、ステラのことを強く抱きしめた。


「無事で帰ってきてね」


 メリッサのその言葉を聞いて、ステラは下唇を嚙み締めた。


「うん」


 ステラもメリッサの体に両腕を回し、声を震わせた。


「……ちゃんと、国を取り戻すから。みんながまた安心して暮らせるように」


 そう言って、ステラはメリッサから体を離した。

 メリッサが、シオンたちを見遣った。


「皆さん――ステラのこと、よろしくお願いします」


 メリッサに言われ、シオンたちはしっかりと頷いた。

 それから間もなく、一行は簡易基地に向けて歩み出した。

 メリッサは、ステラの姿が見えなくなるまで、ずっと彼女の背中を見送っていた。







「王になれば、ステラ様もいずれ手を汚すことになります」


 フィーラムを出発してから五分ほど経った時、唐突にプリシラがシオンにそう言った。一行から少し離れた最後尾で、二人は静かな会話を始める。


「私個人としても、ステラ様が怒りに身を任せて復讐を実行しなかったことは喜ばしいです。ですが、彼女が王となり、政治の世界に身を投じることになれば、遅かれ早かれ、秤に多くの命を乗せる決断を迫られることになるでしょう」


 神妙な声で言ったプリシラに、シオンが冷ややかな視線を返した。


「俺が甘い、そう言いたいのか?」


 その問いに、プリシラは沈黙で肯定した。

 シオンは小さなため息を吐く。


「政治は政治だ。ステラが王としての立場で命を鬻げることがあれば、それはそういう話だと割り切るしかない」

「それは……詭弁です。結局、ステラ様が他者の死に苛むことに変わりはありません」


 不安げな顔で、ぽつぽつと反論するプリシラだった。彼女なりにステラを案じての意見なのだろうと、シオンは思った。


「お前は、あいつを俺の弟子か何かと思っているみたいだな」


 シオンは軽く肩を竦めた。


「いずれ自分の判断で多くのヒトを死に至らしめることになるかもしれない。だから、今のうちに少しでも殺しに慣れておくべきだ――そう言いたいのか?」


 プリシラは肯定も否定もせず、少しだけバツが悪そうにシオンから顔を背けた。余計なことを話してしまったと、後悔しているようにも見える。

 そんな様子のかつての弟子を見て、シオンはもう一度ため息を吐いた。


「私利私欲の殺しと、立場と責務から生じる殺しはまるで性質が違う。そんなことはお前もわかっているはずだ。それとも、お前はステラが感情任せに政治を行う暴君にでもなればいいと思っているのか?」

「い、いえ、決してそんなことは……」

「そういうことだ。あれだけお膳立てされた状況にもかかわらず、ステラは憎しみの感情で殺しをしなかった。本当は、自分の手で確実に息の根を止めたいほどに憎んでいたはずなのに、だ。直前で自制できたのは、俺たちにはない、王になるための相当な覚悟と決意があったからだ」


 シオンの見解を聞いて、プリシラは微笑し、頭を弱々しく横に振った。


「ステラ様には、敵いませんね。私には、それができませんでしたから……」


 そう言ってプリシラが物思いにふけたのは、過去の自分の過ちを思い出したからなのだろう。“リディア”がハーフエルフであると、嫉妬の感情のままに密告し、シオンを破滅の道へと陥れた罪――徐々に思いつめた顔になるプリシラのこめかみを、シオンは人差し指で軽く小突いた。


「もう二度とその話はするなと、前に言ったよな」

「も、申し訳ございません」


 プリシラは慌てて謝罪し、姿勢を正した。


「後ろは俺が見る。お前はエレオノーラと一緒にステラの傍にいてやれ」

「はい!」


 勢いよく返事をして、プリシラはステラのもとへ駆け足で向かった。

 一行の最後尾で一人になったシオンは、少し離れた場所を歩くステラの背を見て、


「……ステラには敵わない。まったく、その通りだな」


 ぽつりと、そう呟いた。

 憎しみを募らせるかつての師を脳裏に浮かべながら。

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