第253話

 シオンたちは、メリッサたちがお産の準備に本格的に取り掛かったタイミングで、合流地点となる廃校舎に向かった。廃校舎には、ガリア兵と遭遇することもなく到着することができ、間もなくして、ユリウス、プリシラのいる二つの隊とも無事に合流した。


 廃校舎は、外壁を赤レンガで固められた五階建てで、いくつもの小さな尖塔を有した昔ながらの建築様式だった。

 シオンたちは、藪の生い茂った庭園を潜り抜けて廃校舎内に入ると、見晴らしのいい最上階の図書室に移動し、そこで暫く身を潜めることにした。


 その道中、ステラの様子がおかしいことに、ユリウスとステラが気づいてシオンに説明を求めたが――シオンは、人心地が付いたこのタイミングで、ようやく重々しく口を開いた。


 シオンは、メリッサたちとの別れ際に、彼女からフィーラムの実状を少しだけ教えてもらった。

 フィーラム全体がガリア軍専属のブロッセル(娼館)になったのは、ガリアが王都を実効支配してから間もなくのことだった。

 まず、フィーラムに済む住民たちは一度すべて強制的に退去させられ、王都中央での労働に従事させられることになった。そうしてゴーストタウンになったフィーラムには、王都に住む若い女が集められるようになり、市街地全体がガリア兵たちの専属娼館として機能するようになった。

 住民の退去によってできた空き家には、常に何人もの少女たちが待機し、彼女たちはそこでガリア兵たちを性接待でもてなすことを強要された。その過程で妊娠した少女たちは、また別の空き家に集められることになり、出産が終えるまで軟禁されるとのことだった。

 さらには、少女たちが出産した赤子はすべてガリア軍によって回収された。そして、出産を終えた少女は、またガリア兵の性接待要員にさせられる――そんな循環体制が、一年ほどの間に出来上がったと、メリッサが教えてくれたのだ。


 それをたった今、ユリウスとプリシラ、それと三十人弱のログレス軍の兵士たちに、シオンが口頭で伝えた。


 ユリウスとプリシラは、それを無表情かつ無言で聞いていた。一方、ログレス軍の兵士たちは、怒りに歯噛みし、身を小さく震わせた。


 ふと、ブラウンが立ち上がり、壁を拳で勢いよく殴りつけた。


「これほどまでの怒りと屈辱を覚えたのは生まれて初めてだ!」


 それは他の兵士たちも同じ思いのようで、漏れなく兵士たち全員が、嫌悪と沈痛に顔を顰めていた。


 しかし、ユリウスはそれをどこか冷ややかな目で見遣った。煙草に火を点け、白けたように鼻を鳴らす。


「腐ってもてめぇら軍人だろ。現在進行形で他国から侵略されてんだ、こういうことを目の当たりにする覚悟くらい、最初からしておけよ。いちいちでけぇ声で当たり散らすな」


 ユリウスの言葉に、ブラウンは激しい剣幕になった。ユリウスの胸倉を両手でつかみ上げ、壁に体を打ち付ける。


「お前に人並の感情はないのか!? 自国民の女子供が凌辱されたと聞いて、平気な顔をしていられる方がどうかしている!」


 そこへ、シオンが仲裁に入った。ブラウンの腕をやんわりと下げ、ユリウスと距離を取らせる。


「俺たちは騎士団の任務で、従騎士の頃からこういう現場をそれなりに見てきた。良くも悪くも耐性ができている。文明発達が未熟な小国で起きた紛争の鎮圧、大規模な盗賊団、あるいはマフィアの掃討作戦、そういった現場では、人種問わず、女子供が道具扱いされている場面に遭遇することが多かった。ユリウスの肩を持つわけじゃないが、こういう時にこそ冷静になれと、師からは徹底的に叩き込まれている。自分の精神状態を守るためにもな」


 シオンの落ち着いた声色に、ブラウンは若干の平静を取り戻した。だが、片手で目元を覆い、力なく床に座り込む。


「だが、それにしたって……中世の侵略戦争ではないんだぞ!」


 その言葉には、プリシラが反応した。


「ガリアにとっては、中世の侵略戦争と何も変わらないのだろう。もしくは、その延長戦と考えているか。いずれにせよ、長年、ログレスと因縁を持ち、亜人の奴隷化をいまだに合法としている国だ。ガリア国民の多くが、侵略先の国民を“戦利品”として捉えるような倫理観を持っていたとして、違和感はない」


 次に、ユリウスが口を開いた。


「それと、はっきり否定しておくが――俺たちだって人間だ。冷静ではいられるが、何も感じてないわけじゃねぇ。てめぇらと同じ程度には、胸糞悪いと思っているはずだぜ」


 ブラウンをはじめとしたログレス軍の兵士たちは、それきり黙り込んで静かになった。


 ふと、シオンは図書室奥の壁際を見た。そこにいたのは、まるで魂を失ったように沈黙するステラと、その隣で彼女に寄り添うエレオノーラだ。


 ステラは、友人たちの受けた仕打ちを耳にしてからというものの、文字通り、もぬけの殻のようになってしまった。メリッサから話を聞いてから今まで、歩くどころか、言葉一つ、発せられていない。椅子に座り、俯いた顔は、ショックを受けた時のまま完全に固まっている。


「エレオノーラ、ステラの様子は?」


 シオンが二人に近づいて訊いた。

 エレオノーラは弱々しく首を横に振る。


「まだ、立ち直れていないみたい」


 そう言ってエレオノーラが優しくステラの肩を摩ったが――やはりステラは、微動だにしなかった。


 そんな有様を見ていたユリウスが、苛立ち気味にずかずかとステラに近づいた。


「おい、いつまでも甘ったれた態度取ってんじゃねぇぞ。辛いのはてめぇじゃなくて、てめぇのお友達だろうが。なんでてめぇが意気消沈してんだよ」

「ユリウス」


 すかさずプリシラが割って入って、ユリウスを止めた。舌打ちして面白くなさそうにするユリウスを尻目に、プリシラはシオンを見遣った。


「それにしても、そのメリッサというステラ様のご学友、とても強い少女ですね。先ほどのシオン様から聞いた話も、彼女が独自に収集した情報なのでしょう?」


 シオンは、少しだけ不快に眉根を寄せ、頷いた。


「……いつかガリアに仕返しをするため、復讐心だけを頼りに、機密情報の一つでも掠め取ろうと兵士の相手をしていたらしい。そうは言っていたが――実際は、無理にでも娼婦のような振る舞いをしなければ、正気を保つことすらできなかったんだろう」


 ユリウスが新しい煙草に火を点け、テーブルの上に腰を下ろした。


「そのメリッサってやつが仕入れた情報についてだけどよ、どうにも引っかかる点がある」


 ユリウスの言葉に、シオンは目配せで同意した。


「少女たちが産んだ子供を、ガリア軍が定期的に回収しに来るってところだな?」


 聞きながら、プリシラが表情を曇らせた。


「まさかとは思いたいのですが、その……」

「実験に使われている、と思うのが妥当な線だろう。おそらく、メンゲル主導で取り組んでいたネフィリムの製造だろうな。亜人の奴隷と合わせれば、実験材料が潤沢に揃うことになる」


 淡々と言ったシオンの推理に、ブラウンたちログレス軍の兵士たちが揃って顔を顰めた。


「吐き気がする……!」


 そこで、エレオノーラが勢いよく立ち上がった。ステラを守るように、小さく腕を広げる。


「ねえ、ステラの前でそういう話はもうやめようよ。この子、本当にどうにかなっちゃうよ……」


 その後に訪れた一瞬の静寂が、全員の同意だった。

 話題を切り替えるように、すかさずユリウスが口を開く。


「で、こっからどうする? 今のところ、予定通りっちゃあ予定通りだが。このままガリア兵たちをやり過ごして、落ち着いたタイミングで簡易基地に向かうか?」


 ブラウンが両手の拳を握りしめた。


「この国の一人の軍人として、私個人の思いだけを言えば――フィーラムにいる少女たちを今すぐにでも解放してやりたい。だが……」


 言葉を詰まらせたブラウンに代わり、


「明日、戴冠式を無事に成功させれば、それも自動的に叶う。今ここで個別に行動を起こすのは、あまり得策じゃないな」


 シオンが続きを話した。

 今ここでフィーラムを解放したとして、王都を取り戻すことに関しての優位性はほとんど得られない。むしろ、王都中央に控えるガリア軍に、ステラの居場所を気取られる危険性すらある。であれば、いっそ、明日の戴冠式を確実に成功させることが、フィーラムを解放する何よりの策だった。


「ガリア兵たちのこの行いを鑑みるに、ステラ様が戴冠式を成功させるとは、微塵も思っていなさそうですね。仮に、ログレス王国が主権を取り戻した暁には、この件も明るみになり、あらゆる方面から強烈な非難を受けることでしょう。最悪、教会法にも触れ、教皇庁からも厳しい制裁を受けることになりかねません。曲がりなりにも、代理統治を名目にしているのに……」


 プリシラの考えに、ユリウスも頷いた。


「確かにな。もしかして、一定の地位と権力を持ったどっかの馬鹿が、面白おかしく勝手なことしているんじゃねぇか?」


 直後、シオンが少しだけ視線を泳がせた。


「シオン? もしかして、何かまだアタシたちに言っていないことあるの?」


 その微妙な変化を、エレオノーラは見逃さなかった。

 シオンは観念したように息を吐き、


「言おうか、迷っていたが――フィーラム全体をブロッセルにしたのは、チャルムス・グラスというガリア軍中将の指示らしい」


 そう説明を始めた。


「チャルムス・グラス……確か、ガリア大公の息子だったか?」


 ユリウスが訊いて、シオンは頷いた。


「ああ。チャルムス・グラスは、形式上、ログレス王国代理統治の最高指揮官に任命されている」

「形式上……国のトップの息子だから、とりあえずそれなりの役職に就けているってことか?」

「そんなところだ。そもそも、チャルムス・グラスは軍人としての訓練を何も受けていないらしい。ガリア大公――カミーユ・グラスがその地位に付いた時、一族の権力強化のため、ついでに息子を軍の中将にしたというだけだ。実態は、親の七光りに便乗した、ただの道楽息子でしかない」

「なるほど。そのバカ息子が、権力任せに好き勝手やっているってことだな」


 シオンはさらに説明を続けた。


「それと、もう一つ――明日の戴冠式に備え、あと数時間のうちにチャルムス・グラスがこのフィーラムに避難してくるらしい。明日の王都中央ではログレス軍とガリア軍の衝突が想定されることから、事前にガリア大公が息子に避難命令を出したそうだ」


 ユリウスが嫌悪に顔を顰め、唾を床に吐き捨てた。


「その避難先に自分が作ったブロッセルを選ぶってのが、そいつのクズさをこれ見よがしに証明しているな。自国の軍人たちが間近で命張って戦っている間でも、自分だけは腰振って気持ちよくなろうってか」


 説明を終え、シオンは改めてステラに向き直った。


「ステラ」


 しかし、呼びかけてもステラは相変わらず反応を示さない。


「お前が望むなら、チャルムス・グラスを始末してやる」


 それでも、シオンは話し続けた。


「だがそれは、国を取り戻すためという大義には直結しない。明日の戴冠式さえ成功させれば、フィーラムも含めて国を救えるからな。そしてそのあと、チャルムス・グラスは然るべき手続きを以て処されることになる。つまり――」


 シオンはそこで一度区切り、ステラの目の前に立った。顔を俯けたままのステラの前で、床に片膝をつく。


「お前の個人的な感情で復讐するなら、今しかない」


 直後、ブラウンが身を乗り出すように前進し、勢いよく首を横に振った。


「いいえ、ステラ様、これは復讐ではありません。チャルムス・グラスを討つことは、自国民を守るための正当防衛です」


 それを聞いたユリウスが小馬鹿にしたように肩を竦めた。


「ぬるいこと言うなよ、シオンが今言ったばかりだろうが。このタイミングでチャルムスをぶっ殺すことに、国としての大義名分なんかねえよ。誰もが認める正当性を得たいなら、事が片付いた後で戦犯として裁判にかけて死刑にでもしたらいい」

「郊外の市街地を敵国に占領されているんだぞ! それを解放することに、国としての大義名分がないわけないだろう!」

「だからいちいち大声出すなって。いずれにせよ、決めるのは王女だ」


 ユリウスのその言葉を最後に、また暫く長い沈黙が生まれた。


 次に誰が喋るのか、その場にいた全員が重い空気に居心地の悪さを感じていた時――


「――殺してください」


 悪魔の囁きのような声が起こった。


「チャルムス・グラスを殺してください」


 ステラが顔を俯けたまま、もう一度、そう言った。

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