第252話

「こうして見ると、圧巻の一言だね……」


 南西の空を覆いつくす入道雲――“王の盾”を見て、エレオノーラが呟いた。

 その隣に立つステラが、感慨深げに頷く。


「島に到着する最後の方は、あの中を通ってきたんですよね、私たち」


 飛行機が着陸したのは、予定通り、王都南西の海岸から二十キロほど北に向かって離れた場所にある、未開拓地の平原だった。

 無事に到着できた飛行機は、十七機――残念ながら、三機は飛竜の群れとの交戦中に墜落してしまった。


 時刻は午前四時を回った頃――シオンたち一行は、飛行機から積み荷を順次降ろしている最中だった。


 そうやって、ぼーっと薄明の空を見上げるステラとエレオノーラだったが、ユリウスの鋭い視線が二人に向けられる。


「おら、あんまりぼさっとしてんじゃねえぞ。もうガリア軍には空から島に侵入したことに気づかれたはずだ。急いで王都に向かう準備を整えるぞ」


 はーい、と緊張感のない軽い返事が二人から返り、ユリウスは苛立ち気味に舌打ちした。飛行機の中の荷物を掴み、露骨に乱暴に地面に投げ捨てる。


 その傍らでは、シオンが両手で地図を広げ、プリシラが懐中電灯を片手に、共に次の移動経路を確認していた。

 そこへ不意に、ログレス軍の中尉、ブラウンが近づく。


「黒騎士殿、無事で何よりだ。飛竜の群れを突破できたのも、貴方の活躍あってのことだった。貴方が戦艦内部に潜入したおかげで、送り出される飛竜の供給が鈍り、その隙に群れを抜けることができた」


 ブラウンが賛美の言葉を送ったが、シオンは、拒否するような面持ちで、小さく首を横に振った。


「礼は全部が終わった後でいい。今は次のことだけを考えよう」

「かたじけない」


 どこか、面目なさそうにブラウンは微笑した。自国の軍人だけではどうにもできなかった歯痒さと、騎士という強大な戦力が味方である心強さの間に、妙なジレンマを覚えているような顔だった。


 それには構わず、シオンは話を続けた。


「飛行機は荷物を下ろしたら破壊する。それが完了次第、騎士団が用意した簡易基地に移動だ」


 シオンの言葉に、隣のプリシラが難色を示した。


「ガリア軍はすでに我々が到着したことに気付いているはずです。間もなく追跡も始まるでしょう。もし、私たちの移動より相手側の捕捉が早かった場合は、簡易基地に到着したとして、補給の時間はあまり見込めないかもしれませんね」


 おそらく、プリシラの言ったことは現実になるだろうと、シオンは思った。ここから簡易基地までは遮蔽物のない平原が続き、一度進んでしまえば身を隠すことがほとんどできない。そんな開けた場所を何時間もかけて移動すれば、ガリア軍はすぐに位置を特定する。簡易基地にたどり着いたところで、補給をする間もなく襲撃に遭うのは、容易に想像ができた。


 一方で、その懸念は予め想定していたことでもあった。


「一度、郊外の市街地に身を潜めてやり過ごすのはどうだ? 当初からそのリスクは想定済みで、回避策として考えられていた案ではあるが……」


 ブラウンの提案に、シオンは小さく頷いた。


「戴冠式は明日の正午に開催される。今から三十時間以上の時間の開きがあることを考えれば、いったん身を隠して時間稼ぎをしつつ、やり過ごした方がいいかもしれないな」


 シオンがそう言った直後、積み荷を降ろし終えたユリウスが飛行機から飛び降りた。それからすぐに煙草に火を点け、一服する。


「教皇たちと騎士団が王都の大聖堂に着くのは何時だ? 何も正午ぴったりに王女を送り届けなきゃならないってわけじゃねえ。騎士団が大聖堂に入ったタイミングでさっさと王女を預けちまえばいい。大聖堂の中なら、要人警護の名目で騎士団が王女を守っていいんだろ?」

「予定では、騎士団が午前七時、ガイウスたち教皇庁の面々と十字軍が午前十時に現地入りする。つまり、午前七時から正午までの五時間の間に、俺たちはステラを大聖堂に送り届けなければならない」


 それを聞いたプリシラが、小さく唸りながら口元に右手を添えた。


「ガリアは確か、一秒でもステラ様の到着が遅れたら、女王への即位を認めないと言っているんでしたよね」

「ああ。ガイウスもそれを了承した。到着が遅れた場合は、即時、戴冠式を取り止め、ガリア公国がログレス王国の全地域を支配することを正式に認めると」

「戴冠式を開催させるためにやむを得なかったとはいえ、なかなかにシビアな条件を設定しますね……」

「もとより、ガイウスは戴冠式を利用して聖女を確実に呼びつけることができればそれでいいんだ。ステラが女王になるかならないかは、あいつにとっては二の次なんだろう」


 シオンはさらに続ける。


「いずれにせよ、今すぐに王都の中心部に向かうには早すぎるし、補給の成功率も惜しい。まずは郊外の市街地に身を隠して、ガリア軍をできるだけ撒こう」


 一同が頷いたあと、ブラウンが地図の一点を指さした。


「であれば、ここから三時間ほど歩いた場所にフィーラムという住宅街がある。そこを目指そう。ガリア軍も駐在しているだろうが、重要視されていない地域だ。小隊規模の兵士の数しか配置されていないだろうし、強化人間や魔物のような高コストの戦力も置いていないはず。何より今は、王都の中心部にほとんどの兵士を割いている状況だしな」

「具体的にはどうやって向かう。三十四人全員がぞろぞろ向かったら、さすがに目立つんじゃないか?」


 シオンが訊くと、ブラウンは右手の指を三本立てた。


「隊を三つに分けて、三方向からフィーラムに侵入する。もちろん、ステラ様は黒騎士殿のいる隊へ。フィーラムには、市街地から少し外れた場所に、数年前に廃校になった校舎がある。フィーラムに入ったあとは、そこで合流できれば」


 それを聞いたユリウスが怪訝に眉を顰めた。


「その廃校舎をガリア軍が基地代わりにしている可能性はねえのか? 撒くために立ち寄ったのに、わざわざ敵に見つかるなんてザマになったら笑えねえぞ」

「いたらいたで、全滅させればいい。ブラウン中尉の話が本当なら、俺たち騎士がいれば、一時間もかからないで完全制圧できる」


 シオンの案に、ユリウスは少しだけ嗜虐的な笑みを見せた。


「なるほど、それもそうだな。どうせ長居もしねえし、皆殺しがバレる前に簡易基地に向かえば、ちゃんと撒けるか」


 話がまとまったと、シオンたちは頷く。

 その時、ふとプリシラが周囲を注意深く見渡した。


「シオン様、そろそろ移動を開始した方がよさそうです。まだ距離はありそうですが、王都方面から多数のヒトの気配が近づいているのを感じます」


 言われて、シオンとユリウスも感覚を研ぎ澄まして周囲の環境を伺う。すると、プリシラの言う通り、何かが慌ただしくこちらに向かって近づいてくる様子が感じ取れた。


「飛行機をさっさと破壊して、フィーラムへ急ごう。ステラとエレオノーラ、ブラウン中尉は俺と同じ隊、ユリウスとプリシラはそれぞれ別の隊に入って兵士たちをサポートしてやってくれ」


 シオンの指示を合図に、全員が一斉に動き出した。







 シオンたちがフィーラムに着いたのは、飛行機の着陸現場を出発してから約三時間後だった。空はすでに青く、朝日が街中に差し込んでいる。しかし、街中に充満する霧のせいで視界は良好とは言えなかった。一時的に身を隠したいシオンたちにとっては好都合な天候ではあるが、住宅街の静けさも相まって、どこか不穏な雰囲気が感じ取れる。


「閑散としているな」


 フィーラムの住宅街は、同じような外観をした木造の一戸建てが規則正しく並ぶ景観だった。郊外とはいえ王都の一部であるためか、それなりの富裕層が住まう区画なのだろうと思わせるほどには、高級感と清潔感で溢れている。

 だが、街の外に一切の人の往来がないため、その上品さが、不必要に無機質な雰囲気を街全体に及ぼしてしまい、異様な冷たさを醸し出していた。


 そんな場所で、シオンたちは今、とある家と家の間の細道に身を潜めているところだ。


「おそらく、住民はガリア軍に外出を制限されているんだろう。その割には、兵士が巡回している様子がみられないが……」


 ブラウンがそう言って、不安げに眉を顰めた。

 その隣のシオンが、ステラとエレオノーラを背中に、建物の陰から少しだけ身を乗り出す。


「いないならいないで好都合だ。このまま廃校舎に――」

「待って、向こうから軍用車が走ってくる」


 エレオノーラがシオンの肩を引いて、建物の陰に再度身を隠した。

 見ると、大型の軍用トラックが一台、まっすぐこちらに向かっている。今はまだ建物が死角になっているが、通り過ぎた時に横目を向けられたりされては、目についてしまう。


 咄嗟にブラウンが足を動かした。


「こっちだ。こっち側の建物の陰に」


 そう言って、シオンたちを手招きする。

 シオン、ステラ、エレオノーラは急いでブラウンの後に続いた。


 そして、新しく盾にした建物の裏口部分に、改めて身を隠す。


 軍用トラックは、そこから百メートルほど離れた場所に、間もなく停車した。運転席と助手席から、小銃で武装した二人のガリア兵が降りる。

 二人のガリア兵は、軍用トラックの近くで立ち止まったまま、手元の用紙をパラパラと捲りながら、談笑を始めた。


「あの兵士たち、何をしているんだ?」

「手元の紙を見て、何かの確認をしているようだが」


 シオンとブラウンが不思議に言葉を漏らしている矢先、ガリア兵に動きがあった。

 ガリア兵たちは今度、トラックの荷台を開けた。しかし、荷台の中に入ることはせず、声を上げて降車の指示を出した。


 すると、荷台から、続々と人間が降りていった。


「降ろされているのは、ここの住民か? だが、妙だ。何人も同じ家に入っていく」


 シオンがそう言った通り、降りる人間たちは、まるで家畜小屋に戻される羊のように、続々と同じ家に入っていった。

 その光景を見ていた時、今度はエレオノーラが訝しげに眉を顰めた。


「なんで、若い女の子ばかり……」


 さらに異様だったのは、荷台から降ろされて家の中に入っていくのが、全員、若い人間の娘だったことだ。一番若くて十歳前後、一番老いていても二十歳は過ぎていないように見える。


 一同がそうやって、不気味な光景を怪訝に見ていた時――


「誰?」


 盾にしていた建物の一階にある半開きだった窓から、若い女がシオンたちを見て、そう声をかけてきた。

 歳はステラと同じくらいで、栗色のショートカットヘアーと、地味なワンピースが印象的な娘だ。


 意識をガリア兵たちに集中しすぎたと、シオンは後悔に舌打ちする。

 シオンたちはすぐさま踵を返し、移動を始めた。


 だが、ステラだけは、その若い女を見たまま、立ち尽くしていた。

 シオンが急いでステラの腕を引く。


「ステラ、何をしている。早く――」

「メリッサ……?」


 途端、ステラが、うわ言のようにそう言った。


 メリッサと呼ばれた少女は、その呼びかけ応じるかのように、表情を少しだけ明るくした。


「……ステラ? ステラ!?」


 そして、ステラとメリッサは互いに確信を得たかのように、短い喜びの声を上げた。両者とも、その目には涙を滲ませている。

 どうやらこの少女、ステラとは既知の間柄のようだ。


 しかし、そんな再会も束の間――


「まずいぞ、兵士がこちらに近づいてくる」


 ブラウンの言う通り、ガリア兵たちがこちらに向かって歩みを進めていた。まだこちらには気づいていないようだが、今から逃げだしても、すぐに気配や足音で気づかれてしまう。


 すると、メリッサが窓から上半身を外に乗り出し、建物の裏口を指さした。


「この家に入って! そこの裏口、鍵開いているから!」


 もう迷っている暇はないと、シオンたちはすぐさま裏口の扉を開けて、家の中に入った。


 入って間もなく、メリッサが駆け足でこちらに向かってきた。


「メリッサ!」「ステラ!」


 直後、ステラとメリッサはぶつかるように近づき、お互いを強く抱きしめた。


「生きてたんだね、生きてたんだね……!」

「メリッサも無事で……よかった……!」


 そうやって二人は、泣きじゃくった顔で互いの無事と再会を喜んだ。

 ステラがハッとして、シオンたちに振り返ったのは、それから三十秒ほどしてからだった。


「あ、あの、紹介しますね。この子、同じ学校に通っていた友達のメリッサです」

「メリッサです」


 ステラに紹介されたメリッサが、シオンたちに軽い会釈をする。シオン、エレオノーラ、ブラウンの三人は、戸惑いつつも会釈を返した。


 次にステラは、シオンたちの方に立って、メリッサに向き直る。


「えっと、メリッサ。この人たちは……その、なんていうか――」

「知ってるよ。ステラのボディーガードさんでしょ。もしくは、兵隊さんたちか」


 メリッサに言われ、ステラはきょとんとした顔になる。


「まさか、あのお馬鹿でやんちゃなステラが王女様だったなんてね」


 メリッサはそう言って、近くのテーブルに置いてあった新聞を拾い上げ、見せつけてきた。そこには、ステラの写真が載せられており、彼女が王女であることが記されていた。


「新聞で顔を公表されていたか」


 シオンが、少しだけ忌々しそうに言った。おそらくは、ガリアがログレス国内のメディアに圧力をかけ、掲載させたのだろう。今となっては、ログレス国内でステラは、指名手配犯のような扱われ方をしているのかもしれない。


 それには構わず、ステラはメリッサを前に、暗い面持ちでいた。どうやら彼女は、親しい友人にも自分の身分を明かさずに生活していたようだ。

 今まで黙っていたこと、国がこのような状態になっていること――そこから生まれる罪悪感が、ステラの表情から如実に見て取れた。


「……ごめん、ずっと黙ってて」

「別に気にしてないよ」

「でも……」

「何をそんなに暗い顔しているの?」


 低い声で謝罪したステラに対し、メリッサはあっけらかんとした様子だった。

 しかし、それでもステラは悲痛な顔で、メリッサに頭を下げた。


「だって、今のこの国の状況は――」

「明日の戴冠式に出て、女王様になるために戻ってきてくれたんでしょ? ステラならそうするって、みんなわかっていたよ」

「……みんな?」


 不意に、“みんな”という言葉が出て、ステラが呆けた。


「こっち来て」


 そんなステラの腕を、メリッサがやや強引に引っ張り、家の奥に連れていく。シオンたちも慌ててついていった。


 すると、


「ステラ!」


 通された部屋はリビングで、そこにはまた別の三人の少女がいた。いずれもステラやメリッサと同年代で、おそらくは彼女たちもステラの学友なのだろう。


「ケイミー! ジェシカ! アニー!」


 その予想通り、ステラがまた嬉し泣きの顔になって三人に駆け寄った。それからステラと少女たちは、嗚咽混じりに体を抱き寄せあい、再会を喜んだ。


 一見すると感動的な場面だったが――シオン、エレオノーラ、ブラウンの三人は、いまだに困惑と怪訝に眉を顰めていた。

 何故なら――


「どういうことだ? ここは君の家じゃないのか? 何故、子供が保護者もいない家に朝早くから何人もいる? 避難でもしているのか?」


 シオンの言葉通り、どう考えても不自然な状況だからだった。


 途端、メリッサが、口元に笑みを携えたまま、急激に表情を曇らせた。


「……私たち、“用済み”にされたんです」


 直後、ステラと再会を喜んでいた少女の一人が、急に床に蹲り、苦しみ始めた。

 ステラが慌てて少女の身体を支える。


「ケイミー!? どうしたの!? ケイミー!?」


 ケイミーと呼ばれた少女は、表情を酷く歪めていた。

 そして、シオンとステラたちは、彼女の足元を見て、固まった。


「……え?」


 ケイミーの足元が、濡れているのだ。それも、彼女の股下から滲み出る体液によって。

 メリッサが、ケイミーの肩を取って立ち上がらせ、他の少女二人に指示を出す。


「ジェシカとアニーは、ケイミーを隣の寝室に連れていってあげて。私はこのあと準備するから。“予定日”まで、まだ三週間はあったはずなんだけど……」

「“予定日”……?」


 淡々と言ったメリッサの台詞から、ステラがその言葉を拾った。

 ケイミーが他の二人の少女によって寝室へと運ばれたあとで、メリッサはシオンたちに振り返った。


 同時に、自身の下腹部を、軽く撫でる。


「……私たちみんな、妊娠しているの」


 そこには、細身の少女らしからぬ、微かな膨らみがあった。


「ガリア兵の子供、身籠っちゃって……」


 メリッサが、唇を震わせながら、声を絞り出した。


「ねえ、ステラ……私たち、なんでこんな奴隷みたいな目に遭っているのかな? 何も悪いこと、していないのに……ただ、普通に暮らしていただけなのに……!」


 泣き崩れたメリッサを前に、ステラは呆然と立ち尽くした。

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