第251話
シオンは“帰天”を使い、“天使化”した。直後、刀を横一閃に鞘から引き抜き、目の前を上下に分断する。
二体の異形の天使たちは、そうやって容器ごと斬り裂かれた。間もなく、容器の切り口から滲み出た培養液が徐々に水圧を増し、数秒後に容器は音を立てて勢いよく割れた。
研究室が踝まで培養液で満たされた状態になり、同時に、周囲の計器がけたたましい警報音を鳴らし始めた。
「いきなり、酷いことするね」
薄暗い室内が、不気味な赤い光の点滅で照らされる。
ドシャ、という生々しい音を立てて、二体の異形の天使たちは床に伏した。
それを見たメンゲルが、眼鏡のブリッジを指で上げながら、怒りを抑えた声で言った。
「ここ、僕の大事な研究施設なんだけど――」
しかし、シオンはそれ以上の怒気を孕んだ相貌で、メンゲルの首筋に刀の刃を突き付けた。赤黒い光と稲妻を纏った悪魔を彷彿とさせるシオンの姿に、メンゲルは怯み、すぐに押し黙った。
「ここにいる教会魔術師はお前一人だけか? 他の乗組員は?」
「僕しか乗っていないよ」
「なら、お前を殺せばこの艦は堕ちるな」
シオンが吐き捨てるように言うと、メンゲルは失笑して肩を竦めた。
「勘弁してくれよ。もうそろそろ、僕だって腰を落ち着けて研究する場所が欲しいんだ」
しかし、それには構わず、シオンは、メンゲルの首筋に刃を走らせようとした。
刹那、
「ネフィリム」
メンゲルのその小さな一言に、二体の天使たちが、息を吹き返したかのように反応した。
それまで人形のように動かなかった天使たちが、突然、電源を入れられたように立ち上がった。そればかりか、目にも止まらぬ速さでシオンの身体を突き飛ばし、瞬時にメンゲルから引き剝がした。
完全に不意を突かれたシオンは、なす術なく床を転がり、壁に体を打ち付けた。床を浸す培養液に顔を顰めながら、シオンはメンゲルを睨む。
メンゲルは、両脇に異形の天使たち――ネフィリムを付けながら、赤い警報灯を眼鏡に反射させ、佇んでいた。
「壱号、弐号、艦を守れ。その騎士を艦から追い出すんだ」
転瞬の間、シオンに向かって、壱号と弐号が強襲した。
それが戦闘開始の合図だった。
シオンと天使たちは、数秒の間に幾度となく衝突し、周囲の機材を破壊しながら施設内を縦横無尽に飛び回った。天使たちに武器はなかったが、異形に伸び、発達した手足と爪は鞭、あるいは鎌のように機能し、シオンの刀による斬撃を悉く弾いた。また、強力な電磁気力を用いて、周辺の機材を雪崩のように投げつけ、終始シオンを追い立て、圧倒した。
その様子を遠くから見ていたメンゲルが、満足げに口元を緩ませる。
「お兄さん、相当強いらしいけど、一人でこの子たちを相手にするのはさすがに無謀だと思うよ。なんせ、単純な戦闘力なら、“天使化”した騎士と同等以上だ」
おそらく、その言葉に嘘はないのだろうとシオンは思った。かつて、グリンシュタットの軍事基地で相手取った異形の天使――クラウディアと戦った時も、その強さは身に沁みて体感した。パーシヴァルと軍隊を相手にした直後とはいえ、あの時も、同じ議席持ちであるハンスとリカルドとの共闘でなければ、勝つことは難しかっただろう。
シオンは当時の戦況を思い出しながら、一度、メンゲルたちに正面から向き直った。
「ひとつ、聞きたい」
「ん?」
唐突なシオンの問いかけに、メンゲルは間抜けに返事をした。
「お前が死んだら、こいつらはどうなる?」
すると、メンゲルは眉根を寄せながら、軽く肩を竦めた。
「別に、どうも? 今はただ魔物と同じ調教制御をかけている。指揮者がいなくなれば、後は本人たちが好き勝手に生きるだけだよ」
「なるほど」
瞬間、シオンが目にも止まらぬ速さで刀を投擲した。シオンの手を離れた銀閃は、瞬きする間もなく、吸い込まれるようにメンゲルの首元へと到達する。
「……あれ?」
メンゲルは、自分の首元から生える刀の柄に目を剥きながら、がくりと両膝を付いた。
「なんで僕に刀が――」
血の泡混じりに何かを言おうとしたが――肉薄したシオンが刀を握って上に振り抜き、メンゲルの頭部を縦に両断した。
メンゲルは、頭部に赤い花を咲かし、完全に沈黙した。
「今、楽にしてやる」
シオンは、刀を軽く振って血を払い、残された二体のネフィリムに対峙した。
※
シオンが空中戦艦に乗り込んでからすでに三十分が経過した。
依然として、空の戦況は劣勢だった。しかし、シオンのおかげなのか、彼が艦に乗り込んでから、放たれる飛竜の数は目に見えて激減した。プリシラとエレオノーラの乗る機体が確実に飛竜を撃ち落としていることもあり、この調子でいけば、どうにかして王都に突入する算段を付けられる。
飛行機の隊列は、すでに“王の盾”上空の四分の三以上を走破していた。間もなく、王都の都市部を肉眼で確認できる場所にまで到達する。
ここまで来ることができれば、飛竜の群れから逃れるための“強攻策”を使うことも選択肢に入れることができた。
この劣勢の状況であれば、恐らくその策を使わざるを得ないだろうと、ユリウスは考えていた。彼の予想通りであれば、あと数分もすれば、隊の指揮を執るログレス軍の兵士から、その旨を知らせる無線が飛んでくるはずだ。
そうして、ユリウスが次の作戦に向けて心構えを決めていた矢先――不意に、空中戦艦の甲板が爆発した。
目を凝らしてみると、“天使化”したシオンが勢いよく飛び出したところだった。
「何やってんだ、あの野郎?」
直後、ウサギを追いかけまわす猟犬の如く、白くて不気味なヒト型の何かが二体、シオンを襲撃した。
その異形を目にした途端、ユリウスは背筋を凍らせながら嫌悪感を抱き、顔を顰めて吃驚した。
「あいつ……いったい何と戦ってやがる!?」
生理的な嫌悪感を抱かせる見た目にも驚くが、ユリウスは、その強さにも目を剥いた。二体の異形のヒト型は、“天使化”したシオンを相手取り、彼を追い詰めているのである。もしかすると、あのままではシオンがやられてしまう可能性もありえた。
そんな考えが妙な焦燥感を駆り立てた時、機内に無線が繋げられた。
『各機、聞こえるか!』
一瞬のノイズの後、兵士の声が起こる。
『つい五分ほど前に我々は“チェックポイント”を追加した! そして、今のこの状況――このまま“王の盾”上空を航行し、飛竜の防衛網を突破するのは非常に困難であると判断した! そのため、これより本隊はプランBを発動する! 全機、“王の盾”への突入準備を開始しろ!』
やはりそうきたか、とユリウスは舵を握る手に力を込めた。
プランB――つまりは、“王の盾”内部を飛行することで、飛竜の群れを振り切る作戦である。チェックポイントを追加したことで、“王の盾”内部で機体が受ける雷撃と暴風のダメージを充分に耐えられる飛行距離にまで王都と接近しているのだ。
各機が順次“王の盾”への突入態勢を取り、徐々に高度を落としていく。
だが、ユリウスはまだそれに続くわけにはいかなかった。
「クソが、さっさとあいつを回収しねぇと!」
シオンを回収しなければと、ユリウスは自身が乗る機体を空中戦艦に急いで近づけた。
すると、今度は無線から別の声が聞こえた。
『ユリウス! シオン様を早く回収しろ! このままでは、一人空に放り出されてしまうぞ!』
プリシラが焦りと怒りの声で言ってきて、ユリウスは舌打ちを返す。
「んなことわかってる! 今迎えに行っているところだ! てめぇら、周辺の飛竜をどうにかしてくれ!」
ユリウスの依頼を受け、プリシラとエレオノーラの機体が、空中戦艦の周辺を飛ぶ飛竜に攻撃を開始した。エレオノーラの火炎が切り開いた経路を、ユリウスの機体が猛スピードで突き進む。
「まずいぜ……空中戦艦の高度も急速に下がり始めている。このままだと、シオンが生身のまま“王の盾”に入っちまう!」
※
メンゲルを失った空中戦艦は、急速に高度を落としていた。墜落が始まっているのだ。
シオンがそのことに気を取られた一瞬、ネフィリムの壱号が、横っ腹に蹴りを入れてきた。シオンは苦悶に歯を食いしばりつつ、蹴りを入れてきた足を刀で斬り落とし、ネフィリムの胴体から分離させた。さらに、追撃の一太刀を浴びせる。
シオンの刀は壱号の頭部を上顎から斬り飛ばした。これが、通常の“天使化”した騎士であれば、それで終わるはずだった。いかに“天使化”した騎士であっても、頭部に深いダメージを受ければ即死は免れない。
だが――
「なんて再生力だ……!」
ネフィリムは、そうではなかった。
斬り飛ばされた頭部が、驚異的な速度で再生したのだ。その再生力は、吸血鬼をも凌ぐといっていいだろう。
シオンがそれに驚いていると、今度は弐号が死角から急襲してきた。
かろうじて反応することができたシオンが、刀を盾に、弐号の両手の爪を防ぐ。しかし、完全に力負けしてしまい、甲板の床に押し倒されたままの姿勢で固められてしまった。
その姿勢のまま、弐号がシオンに顔を近づける。
「ころして……おねがい……」
その頭部には眼球がない。しかし、空になった眼窩からは、常に血のようなどす黒い液体が、絶え間なく流れ出ていた。それらがシオンの顔に滴り落ち、彼は防御の力みとは別の要因で顔を顰めた。
直後、空中戦艦が大きく左に傾く。ついに、艦体が“王の盾”に捕まったのだ。
シオンが横に目を向けると、左右それぞれには夜空と“王の盾”が見えていた。
(もう艦内に入ってやり過ごすのは間に合わない!)
これまでにない焦りに、シオンは顔を酷く歪めた。
そんな時、突如として、シオンに覆いかぶさっていた弐号の身体が勢いよく吹き飛んだ。遅れて感じたのは、強烈な熱波と光だ。
それは、エレオノーラの火炎だった。彼女たちが乗る機体から射出された炎が、弐号の身体を吹き飛ばし、シオンから引き剥がしたのだ。
体を炎で激しく損傷させた弐号は、そのまま“王の盾”へと落ちていく。弐号の姿が雲の中に消える直前、激しい雷光と轟音がそれの周囲に起こった。その刹那の狭間に見えたのは、木炭のような黒焦げ状態になり、暴風に身を嬲られて夜の闇に消える弐号だった。おそらく、もう生きていないだろう。
シオンは急いで立ち上がった。空中戦艦が、“王の盾”に対し、ほぼ垂直に船体を傾ける。シオンの身体は、“王の盾”に向かって甲板の上を滑り落ち始めた。
「シオン! 飛び乗れ!」
滑り落ちる先に、キャノピーを開けたユリウスの機体が空中戦艦と並走する形で横切る。
シオンはそれに合わせて甲板を蹴り、機体に飛び移ろうとした。
しかし、
「――っ!」
シオンが宙に飛んだタイミングに合わせて、今度はネフィリムの壱号が襲い掛かってきた。
壱号は悲鳴のような雄たけびを上げ、シオンに助けを求めるかの如く、大鎌を彷彿とさせる両腕を振り回す。
シオンはそれを迎え撃った。
“王の盾”から発せられる雷と暴風が周囲に吹き荒れるなか、シオンは異形の天使と激しい剣戟を繰り広げた。
「シオン!」
ユリウスが機体を旋回させ、シオンを呼ぶ。
その時、シオンの刀が、ネフィリムの両腕を斬り飛ばした。剣戟を制したシオンは、とどめを刺すべく、ネフィリムの首筋に刃を突き立てる。
「ハアアアアアッ!」
そして、喉を震わせ、力いっぱいに刃を袈裟懸けに走らせた。
ネフィリムの胴体は斜めに両断され、そのまま、“王の盾”へと吸い込まれる。
「――ありがとう」
最後に、そんなか細い声が聞こえた。
それに不意を突かれたシオン――沈痛な思いに、顔を顰める間もなく、
「つかまれ!」
ユリウスが、機体から手を伸ばして叫んだ。
シオンのすぐ近くを、ユリウスの機体が通るが――両者は手を取り合うことができなかった。
「オラぁ!」
しかし、ユリウスの指先から伸びた鋼糸が、シオンの手をすぐに捕らえた。
それから、ユリウスが力任せにシオンを機内に連れ込む。
シオンは、ほぼ追突するような形で機内の後部座席に乗り込んだ。
「体を固定しろ! 雲を抜けるまで揺れるぞ!」
すぐさまキャノピーが閉められ、二人を乗せた機体が“王の盾”へと侵入する。
それから数分、機体は暴風と雷に曝されながら、内部を突き進んだ。
そして――
「――“王の盾”を抜けた!」
“王の盾”を抜けて視界が晴れた先には、朝の薄明りに照らされた島が眼前に広がっていた。
「……ようやく辿り着いた」
島の中央には、いくつもの高層ビルが建ち並ぶ、巨大な都市が存在していた。
それを見たシオンが、感嘆に言葉を漏らす。
「――ログレス王国王都、キャメロットだ」
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