第250話

 空中戦艦の甲板に降り立ったシオンは、すぐに身を翻して横っ飛びに跳躍した。そうやって高速移動したシオンの残像を、飛竜の顎が上下の鋭い牙で捕える。

 直後、シオンの踵が、飛竜の閉じられた上顎に勢いよく振り下ろされた。飛竜は鼻先をあり得ないほどに歪な形状に変形させ、そのまま“王の盾”へと吸い込まれた。


 一頭を屠った矢先、続けて二頭の飛竜がシオンに向かって強襲してきた。


 シオンは刀を引き抜き、先に襲い掛かってきた一頭を迎え撃つ。噛みつきの攻撃に合わせて体の軸をずらし、すれ違いざまに飛竜の首筋を刃で斬り裂いた。斬られた飛竜が血飛沫を上げながら甲板を転がるのを一瞥すらせず、シオンはすぐに二頭目に向き直った。


 二頭目の飛竜は、その巨躯を上空から勢いよく叩きつけるように、シオンに突進してきた。シオンがその一撃を躱すと、飛竜はすぐに体勢を整えて二発目の突進を繰り出した。

 シオンは、刀を鞘に一度納め、腰を低く落として構えた。

 そして、迎撃の抜刀斬りで、飛竜の頭部を斬り飛ばす。


 瞬く間に三頭の飛竜を屠ったことで、他の飛竜から慄きと恐れの感情が垣間見えた。まるで、シオンから逃げるように、空中戦艦から離れていく。


 これを好機と、シオンは甲板を走り、艦内に続く扉へ向かった。

 ドアノブに手をかけ、開けようと力を込めるが、さすがに飛行中は簡単に開くようにはなっていなかった。


「力づくで開けるしかないか」


 シオンは顔を顰めた後、“帰天”を使って“天使化”し、扉を蹴破った。

 その後、早々に艦内に侵入し、拳銃を手に周囲を警戒する。目に入ったものはすべて敵という前提で、不意な襲撃に備えつつ、奥へと歩みを進めた。


 艦内の廊下は薄暗く、視界の頼りになるのは、等間隔で配置された足元灯だけだった。そのせいで、内装の造りは、鉄板がむき出しの打ちっぱなしであることくらいしかわからなかった。


 艦内に侵入してから三分ほどが経過したころ、シオンは、ようやく何かの部屋に続く扉を見つけた。今度は、鍵がかけられていない。


 シオンはドアノブに手をかけ、徐に回した。まずは、音を殺しながら一センチほど軽く開け、数秒、反応を伺う。そのまま音を立てずにさらに扉を開いたあと、ゆっくりと部屋に入り、奥へ進んだ。


 先ほどまでの廊下とは打って変わり、部屋の中は天井の照明のおかげで明るかった。内装が白一色であることも相まって、思わず目を細めてしまうほどだ。

 部屋には診察台のようなものが幾つもあり、それらの脇には、医療用の器具が押し並べて置かれていた。


 それらを見て、シオンはここが医務室だと考えた。

 だが、それにしては、やけに重々しく、空気が悪い。


 怪訝に思いながら進んでいるさなか、シオンは、部屋の中で何者かを見つけた。白衣を身に纏っていることから、恐らくは船医だろう。幸い、あちらはまだシオンのことに全く気付いていない。


 シオンは最初、このまますぐに始末しようかと思った。だが、不意を突いて拘束すれば、艦内の情報を聞き出すことができると踏み、まずは威嚇することにした。


 拳銃を相手に向けつつ、抜き足差し足で、徐に背後から近づく。


 そして、あと数メートルというところで、


「動くな」


 シオンは殺気を込めた声で呼びかけた。


 相手は、一瞬上下に肩を震わせたあと、すぐに振り返ろうとした。


「振り返る前に両手を上げろ」


 すかさずシオンが言って、相手を指示に従わせる。

 相手が両手を上げ切ったところで、シオンは正面に回り込んだ。


 そして、驚きに目を見開く。そこにいたのは、なんと――


「おや? これはこれは、いつか見たイケメン騎士さんじゃないか。最後に会ったのは、グリンシュタットの軍事基地だったね」

「……メンゲル? こんなところで何をしている?」


 “流転の造命師”――フリードリヒ・メンゲルだった。かつて、二度に渡ってシオンと遭遇し、対立した教会魔術師の男である。


 メンゲルは、知った顔であることに安堵したのか、上げていた手をおろし、眼鏡のブリッジを中指で上げた。


「僕がやることなんて一つしかないだろう? 研究だよ」


 にべにもなく言い放ち、薄ら笑みを浮かばせた。

 シオンは拳銃の銃口を向けたまま、表情を険しくする。


「飛竜をここで製造しているのか」

「まあ、それもあるけど、メインはそれじゃない。飛竜の製造に関しては、この空中戦艦に身を隠させてもらうことを条件に、ガリア軍から依頼を受けてやっているだけだよ。たかが飛竜ごときに、僕が貴重な時間を費やしていると思われるのは、いささか心外だね」


 やれやれと、メンゲルは呆れたように肩を竦めた。

 対してシオンは、眉間に深い皺を刻んだ。


「身を隠させてもらう? 何から逃げている? 騎士団か?」

「それがさ、聞いておくれよ!」


 突然、メンゲルが声を張って訴えかけてきた。


「パーシヴァル枢機卿猊下の計らいで、“騎士の聖痕”を利用した蘇生実験をガリアの研究施設でやっていたんだけどさ、いきなり中止にさせられたんだよ! 身勝手だと思わないかい!? しかも、僕が研究したくてたまらない分野を目の前にして、なんの説明もなしにお預けするなんてさ!」

「話が見えてこない。どういうことだ?」

「今言った通りさ。グリンシュタットで君たち騎士団から逃げた後、僕はパーシヴァル枢機卿猊下の依頼で“騎士の聖痕”を利用した蘇生魔術の研究をガリア国内で続けたんだ。でも、ひと月ほど前くらいかな。急にその研究を止めろって言いだしたんだ。予定よりも計画が早く進みすぎているとかなんとか言っていたけど、僕からしてみたらいい迷惑だ」


 心底嘆かわしそうに、メンゲルががっくりと項垂れる。

 シオンは依然として警戒を解かなかった。


「それで、結局アンタはここで何をしている?」

「あと一歩のところで一定の研究成果が出そうだってことをガリアのお偉いさんたちに相談したらさ、なんとこの空中戦艦を貸し出してくれたんだよ! しかも、中に専用の研究施設まで作ってくれてさ! 太っ腹だよね!」

「パーシヴァルたち教皇庁の意向に背いたということか? だから、ここで身を隠しながら、中止を要請されたにも関わらず研究を続けていると?」

「そういうこと。勝手に研究を進めていることがバレたら、何されるかわかったもんじゃないからね」

「経緯はわかった。で、お前はここで研究を進めて、何を造っている?」


 シオンの問いに、メンゲルはさらに興奮した様子を見せた。


「気になるかい!? いやあ、ようやく人に見せられるくらいになったっていうのに、全然その機会がなかったから嬉しいよ! ぜひ、その目で見て行ってくれ!」


 メンゲルは、銃口を向けられていることなど意にも介さず、突然、白衣を翻して歩き出した。


「こっちだ、僕に付いてきて!」


 まるで、子供のような無邪気な呼びかけだった。


「騎士の観点で、見た感想を聞かせてほしい! 他の人に見せるのは初めてだから、さすがにドキドキするね!」


 シオンは拳銃を下ろし、仕方なくメンゲルに付いていくことにした。

 白い部屋は思いのほか広く、その中にはさらに幾つもの小部屋が配備されていた。しかし、メンゲルの先導で案内されたのは、そのどれでもなく、下の階層へと続く扉だった。

 その扉にはいくつもの鍵がかけられており、メンゲルは慌ただしく、一つずつ外していった。よほど、重要な何かがあるのだろうか。


 扉から中に入ると、先ほどまでの白い部屋とは打って変わり、内装はまた薄暗いものになった。しかも、今度こそ灯と呼べるものはほとんどない。

 唯一の頼りは、壁に棚のように配置された何かの大型機械が出す、不気味な点滅だけだった。


 そんな、暗く、細い部屋を一分ほど歩き続けて、不意にメンゲルが立ち止まった。

 メンゲルが壁の基盤を操作すると明かりが灯され、一気に内装が露になった。


「どうだい? すごいだろう?」


 誇らしげに両手を広げるメンゲル――その背後にあったのは、二つのガラス状の大きな縦長の容器だった。中は無色透明の液体で満たされており、“何か”が一つずつ納められていた。


 それを見て、シオンは絶句した。


 かつて、メンゲルと二度対峙した際に、必ず目にすることになった“忌まわしき異形の天使”――それが、容器の中に入っていた。

 異形の天使たちは、体のいたるところにチューブが繋げられており、静かに眠っているようだった。


「ハーフエルフの奴隷とクラウディア嬢の実績データをもとに、ここまで人為的に再現することができた。分子、原子、素粒子、そして魂を組み合わせることで、思うがまま、“ヒト”を生み出すことができるようになったんだ。神の領域に、ついに僕は踏み込むことができたんだよ!」


 力説するメンゲルをよそに、シオンは呆然と容器の中をじっと見つめる。すると、何かのサナギのようにして、中身のそれらはむずむずと小さく動いた。


「これは全部……生きている、のか……?」

「もちろん。素体になった体を基点にすることで対応する魂を呼び戻し、蘇生させたんだ。負傷したガリア兵や、奴隷だった亜人を使って、いろいろ試してみた結果がこれさ」


 メンゲルが軽快な足取りで容器に近づき、頬をガラスに押し付ける。


「ほら、目を覚まして。お客さんが来たんだ。僕の研究成果を見せつけてあげてよ」


 そうやってメンゲルが容器の中身に呼びかけると――異形の天使たちは、目を覚ましたように頭を僅かに上げ、口を開いた。


「ころ、して……」

「くらい……こわい……」


 そして、そんな言葉が発せられた。口から出た気泡は、そんな思いを孕んだかのように、弱々しく液体の上に昇っていく。


「うーん、やっぱり知能の低下は止められないか。出来上がった時は、もう少しまともなコミュニケーションが取れたんだけど」


 メンゲルは、容器から顔を離した後、困ったように頭の後ろを掻いた。それから勢いよく振り返り、シオンを見遣る。


「とまあ、こんな感じで、課題はまだまだ山積みだね。魂と人体を自由に付け替えることは可能だとわかったけど、まだちゃんとヒトの形にすることができないし、知能の低下を止めることができていない。でも、ガリアの強化人間の技術があれば、それなりに実用化することができるという点はわかっている」


 しかし、シオンは無言のまま微動だにしなかった。

 その様子を、メンゲルは不思議そうに見て首を傾げる。


「どうしたんだい? 感動して、言葉が出ないのかい?」

「お前……ヒトの命を、何だと思っている」


 シオンは、顔を無表情のまま、絞り出すように言った。

 面食らったように黙るメンゲル――だが、次の瞬間には、洒落た漫談を聞いたかのように、小さく吹き出した。


「それを君が言うかい? 君だって騎士としてさんざんヒトを殺してきただろう? 拷問だってしたはずだ。むしろ、僕は君たちとは対極のことをやっている自負がある。世界に必要とされるのは、君たちのような暴力装置ではなく、“愛する者を蘇らせる術”さ」


 メンゲルは、自身の胸の前で両手を組み、あたかも祈りを捧げるように、目を瞑った。


「神だってきっと、僕のことを支持するはずさ」

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