第249話

『間もなく“王の盾”上空、作戦領域に入る。全機、攻撃準備』


 日没に合わせ、王都への突入部隊は一斉に海へ飛び立った。それから約四時間後、二十機の小型飛行機で編成された編隊は、機首のプロペラから獣の唸り声のような駆動音を出しつつ、今まさに“王の盾”上空へと差し掛かろうとしていた。


 星空の下、飛行機の群れの眼前に巨大な雲海が広がったタイミングで、先の指示が無線を通じてノイズ混じりに伝えられた。


 シオンは、操縦席の後部座席にて、各計器の状態を慎重に見た。とりわけ、索敵用の電波レーダーの動きを注視した。しかし、シオンは表情を険しくし、怪訝に眉を顰めた。


「飛竜どもは?」


 シオンが何かを言う前に、ユリウスが訊いてきた。シオンはレーダーから目を離さないまま口を動かした。


「レーダーに敵影は映っていない。もしかすると、“王の盾”内部の雷の影響を受けている可能性がある」

「電波干渉を受けているってか? この暗さの中、目視で飛竜を見つけるのは酷だぜ。俺たちはともかく、ログレス軍の兵士たちには無理だろ」


 突入作戦に向け、事前の情報収集は騎士団の総力を挙げて念入りに行った。しかし、ここまで殊更に事実が情報と食い違うことは、シオンにとっても予想外だった。計画では、とっくに飛竜との交戦状態になっているはずである。そうなっていない理由を勘で言ってみたが、それにしても違和感が拭えない。


 シオンは無線通信の回線を開き、別の機体――プリシラとエレオノーラが乗る飛行機に状況を訊くことにした。


「プリシラ、そっちで敵影は確認できるか? こちらのレーダーには何も映っていない」

『私たちのレーダーにも何も映っていません。出発前のブリーフィングでの情報では、すでに飛竜の一体や二体に遭遇しているはずなのですが……』


 同じ状況であるとの回答が返り、シオンは無線を切った。

 それからキャノピー越しに、機体の周囲を見渡す。先行する自分たちの機体とプリシラたちの機体――それから数百メートル後方に、ログレス軍兵士たちが操縦する十八の飛行機が飛んでいる。その中心にいるのが、ステラが乗る機体だ。無線で聞くまでもなく、それらからも不安と警戒の雰囲気が伝わってきた。


「嫌な予感がする」

「もっと先行して様子を見てくるか? このまま何もないってことはねぇだろ」


 ユリウスの提案にシオンは頷いた。


 直後、後方を飛ぶ飛行機の一つが、爆発した。機体は左翼を失い、黒煙と炎を上げながら“王の盾”へと落ちていく。


「なんだ!?」


 シオンは思わず声を上げた。次に、レーダーを確認する。すると、ほんの数十秒前まで何も反応を示さなかったレーダーに、無数の敵影が映り込んでいた。


 シオンは目を見開き、改めて周囲を見遣る。


 驚くべきことに、シオンたちの後方からいくつもの黒い巨影――飛竜が迫っていた。鋭利な二本の角を携えたトカゲの頭に、黒曜石を彷彿とさせる鱗を纏うその姿は、まさにファンタジーの伝承に伝わる竜を体現していた。頭から尾を含めた全長は十メートルを超えており、蝙蝠のような翼膜を備えた翼に至っては、その倍に迫る大きさである。小型飛行機よりも一回り大きなその体躯は、体当たり一つで、機体を航空不可能な状態にしてしまうのだ。


「後ろから!? いつの間に回り込んでいやがった!?」


 ユリウスが吃驚しながら機体を無理やり後ろに旋回させる。その間、シオンは無線を開き、急いでプリシラに指示を出した。


「プリシラ、急いで戻れ! ステラの乗る機体が飛竜たちに狙われている!」


 飛竜の出現に合わせ、ログレス軍の兵士たちも装備された機関銃で応戦していた。だが、一体を倒すのに三機以上を必要とする戦況だった。しかも、一体を撃ち落としている間に、新たな飛竜が三体以上姿を現すような有様である。


 間もなくプリシラの機体が交戦地帯に到着し、主砲から巨大な火炎が放たれた。エレオノーラの魔術が飛竜を一撃で沈めるが、しかし、それでも依然として飛竜の出現ペースの方が早い。


「こいつら、いったいどこから沸いて出てきている? “王の盾”の中からか?」

「どうなってやがる! あの飛竜ども、雷に耐性でもあるのか!?」


 見ると、飛竜たちは“王の盾”の中から飛び出ていた。だが、アレ自体は巨大な積乱雲であり、内部はあらゆる生物の存在を許さない、常識外れた暴風と雷の嵐のはずである。いかに飛竜であっても、その中を飛行することなどできるはずがなかった。


「いや、違う……」


 シオンが唸った。

 その赤い双眸には、雲海の中を突き進む、飛竜よりも遥かに巨大な影が映っていた。

 やがて、その巨大な影は徐々に高度を上げ、正体を宵闇の空のもとにさらけ出す。


「――空中戦艦!?」

「嘘だろおい!」


 目を疑う光景に、シオンとユリウスは揃って声を上げた。

 教会だけが独占的に有する世界最強の航空戦力である空中戦艦――それが、“王の盾”から出現したのだ。

 しかし、その機影は教会のものとは全く異なっていた。おそらくは、ガリア公国が独自に技術開発を進め、造船したものだろう。教会の空中戦艦が白と銀を基調にしているのに対し、目の前のそれはガリアのイメージカラーである青を基調としていた。


「やってくれたな、ガリア軍。まさか、空中戦艦を造船する技術があったとは」


 シオンが忌々しく歯噛みした。


「だが、騎士団のと比べるとだいぶ粗末だ。見た感じ、武装も大したことねぇ」

「おそらく、飛竜を搬送するためだけに運用されているんだろう。さしずめ、飛竜の巣と言ったところか」


 ユリウスの言葉通り、ガリアの空中戦艦には、教会のそれと比較すると、所々に粗が見られた。装備から察するに、戦闘力も飛竜の群れの方が脅威と考えてよいだろう。


 しかし、その一方で――


「やべぇぞ。プリシラとエレオノーラの攻撃が全然追いついてねぇ。いったい何体あの中に飛竜入れてやがるんだ」


 今この場においては、この上なく厄介な存在だった。空中戦艦から次々と出される飛竜に、プリシラとエレオノーラが乗る機体は、翻弄されるように苦戦している。


 このままでは、ステラが乗る機体が墜とされるのも時間の問題だ。


 シオンは、意を決した表情で身を乗り出した。


「ユリウス、機体を空中戦艦に近づけてくれ。アレを沈めてくる」


 シオンからの突然の指示に、ユリウスは目を剥いて振り返った。


「馬鹿な事言ってんじゃねぇよ、ハゲ。艦内がどうなっているのかもわからねぇのに、無邪気に突っ込む奴がいるかよ。てめぇが勝手に飛竜の餌になって終わりならまだいいが、最悪、騎士団が直接関与した証拠をガリアに握られることも考えられるんだぞ」

「空中戦艦の最大のメリットが、少人数の魔術師による運用であることを考えれば、おそらく乗組員はさほど多くないはずだ。乗組員を全員皆殺しにして艦の制御を失わせれば、あとは勝手に墜落する」

「てめぇはどうするんだよ。下は海だぜ? “帰天”で墜落の衝撃に耐えたあと、海のど真ん中で救助を待つのかよ?」

「墜落が始まったタイミングで脱出する。その時に迎えに来てくれ」

「んな器用なことできるかよ、クソが! 本当に馬鹿じゃねえのか、てめぇ!」


 しかし、シオンはユリウスの怒号などお構いなしに、シートベルトを外した。


「キャノピーを開ける。風圧で壊れないように、念のため鋼糸で押さえてくれ」


 そう言ってシオンはキャノピーを後方にスライドさせ、身を飛行機から乗り出した。


「おい! 話はまだ終わって――」


 ユリウスの制止も空しく、すでにシオンは機体から姿を消していた。


「クソッタレが! あの野郎、絶対ぶっ殺してやる!」


 シオンは、ユリウスのそんな悪態を風の音の中で聞きつつ、空中戦艦の甲板に降り立った。

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