第248話

 王都突入の決行日、空模様は曇天だった。

 シオンたちは、諸々の準備を進めていたグラーニャ共和国から場所を移し、今はログレス王国王都の西に位置する小国、ベルドラント王国にいた。騎士団が半ば強引なやり方で、作戦開始の出発地点となる拠点をベルドラント国内に造ったのである。

 拠点として間借りした軍事基地には、大型の簡易テントがいくつも設置され、輸送されたグリンシュタット製の飛行機が並べられていた。


 ログレス王国の軍人たちが作戦開始に向けて忙しなく駆け回るなか――ふと、騎士団総長、ユーグ・ド・リドフォールが姿を現した。

 ユーグは一人、軍人たちの邪魔にならないよう、気配を殺すように歩みを進めた。

 そして、会話をしていたシオンとイグナーツの近くに立つ。


「首尾は?」


 ユーグの姿を見たシオンとイグナーツは驚きに目を見開いた。

 イグナーツはユーグに向き直り、軽く会釈をした。


「これはこれは。まさか、総長がおいでになられるとは」

「今日が作戦決行の日だ。そう思うと、この目で現場を確認したくなってしまってね」


 ユーグが軽く肩を竦めると、イグナーツは小さく笑った。


「今のところは順調ですよ。予定通り、王都に向かって出発できそうです。亜人達も、今頃は奴隷に扮して王都に向かっている最中でしょう」

「それはよかった。引き続き、よろしく頼む」


 次にユーグはシオンを見た。


「シオン・クルスくん」


 シオンは、ユーグに声をかけられ、反射的に姿勢を正した。


「今回の作戦、成功のカギは間違いなく君になるだろう。ガイウスもそれを見込んでいる。だが、心苦しいことに、君たちが一度、王都に入ってしまった後は、我々騎士団は直接手を貸すことはできない。どうか、ステラ王女を頼む」


 落ち着いた声で激励の言葉をかけるユーグに対し、シオンは緊張の面持ちを少しだけ暗くした。

 そんなことはわかっている――そんなセリフが、態度に表れていた。


「……最善を尽くします」


 ぼそりとシオンが言うと、ユーグは初老の顔に小さな皺を増やして笑った。ユーグなりに場の緊張を解そうとしているのかもしれないが、シオンとしては何とも居たたまれない気持ちにしかならなかった。騎士団総長からの無言の期待は、この上ない重圧でしかなく、不必要に息が詰まる思いだった。


 シオンがそんな感情に負けて沈黙していると、


「それで、出発はいつだ?」


 ユーグが、イグナーツに直近の作戦について説明を求めた。


「今から二時間後、日没に合わせます。突入組が“王の盾”に差し掛かるころには夜中になるでしょう。順調にいけば、夜が明ける前に島に着陸できるはずです」


 イグナーツは煙草に火を点けて一服したあと、さらに説明を続けた。


「突入組の着陸場所は、王都南西の海岸から二十キロほど北に向かって離れた場所にある未開拓地の平原です。付近にガリア兵がいないことは確認済みですが、完全に気づかれないのは不可能でしょう。着陸後は、速やかにこの場所に移動してもらいます」


 そう言って、イグナーツは懐から地図を取り出し、シオンとユーグの目の前に広げた。煙草の光が示した場所には、赤い×印がマーキングされている。

 シオンは首を傾げた。


「なんだ、ここは?」

「貴方たちのための簡易基地だと思ってください。それなりの物資も置いてあります。都市部に侵入するための準備はそこでするといいでしょう。ちゃんと有効活用してくださいよ? ガリアの目を盗んで、こっそり騎士団で作ったんですから。バレるんじゃないかと、冷や冷やしましたよ」


 その言葉以上に、イグナーツの苦労は表情に出ていた。煙草を咥える彼の口元には、嘘偽りのない苦笑が重々しく浮かんでいた。

 イグナーツはさらに続ける。


「ただ逆に言えば、私たちが直接手伝えるのはここまでです。あとは、どうにかして、自力で都市部に侵入してください」


 鋭い目つきで、釘を刺すようにイグナーツは言った。

 シオンはそれを正面から受け、力強く頷く。


 その後、イグナーツとユーグは二人で今後の作戦について話を始めたため、シオンは一度この場から離れることにした。折角なので、この隙にステラたちの様子を見ておこうと、彼女たちがいる場所を回ることにする。


 最初に向かったのは、すぐ隣で飛行機の調整をしていたユリウスのところだ。

 ユリウスは、シオンが近づくのを確認するなり、何かを雑に投げ渡してきた。


「おらよ。今のうちに調節しとけ」


 シオンが受け取ったのは、ヘルメットだった。


「てめぇは俺と一緒の飛行機だ。操縦士は俺、お前は複座だ。複座には、飛竜を検知するためのレーダーが積んである。お前の役割は、それを見て安全確認するのと、細かい制御システムの管理だ。操縦している間は、細かい制御まで気が回らねぇからな」


 ユリウスの説明を受け、シオンは小さく頷いた。


「ステラは誰と乗る?」

「王女は、ブラウンっつー自国の兵士と一緒に乗る予定だ」

「その他は?」

「プリシラとエレオノーラは対飛竜向けの主力機だ。他の連中は知らん。ログレスの軍人たちで組み合わせを考えているはずだ。ちなみに、最終的にここから出発する飛行機は二十機だ。その二十機はすべて二人乗り、つまり、四十人が空から王都に侵入することになるな」


 それを聞いて、シオンは軽く目を瞑った。


「……そのうち、何人が無事に王都にたどり着けるんだろうな」


 ユリウスは鼻を鳴らし、新しい煙草に火を点けた。


「さあな。まあ、結局のところは、王女と俺ら騎士さえ王都に入ることができれば、あとはどうとでもなる。むしろ、役に立たねぇ軍人は、最悪、飛竜の囮になってもらわねぇとな――それくらいの気の持ちようで行けよ、てめぇも」


 突然、ユリウスからシビアなことを言われ、シオンは少しだけ面食らった。しかし、言わんとしていることも理解でき、すぐに表情を引き締めた。


「そうだな」


 ユリウスとはそれきり別れ、次にシオンはステラのもとに向かった。

 ステラは簡易テントの中で一人だった。搭乗に向けた装備の確認をしており、一足先にパイロットスーツを着込んでいた。


「調子はどうだ?」


 シオンの声掛けは不意打ちだったが、ステラは驚いた様子も見せず、苦笑をして見せた。


「緊張してます」

「俺もだ」

「そんな風には見えないですけどね」


 そんな軽口を言い合った後、ステラは近くの椅子に座った。それに合わせて、シオンも対面の椅子に座る。


「初めて会った時の約束から、ようやく手に届く場所にまで来たな」


 初めて会った時――ガリア兵に追われていたステラを、エルフの森で助けた時のことだ。時間にして一年も経っていないはずだが、今となっては遠い昔のことのように思える。


「ですね。実感はあまりないですけど」


 ステラが苦笑し、肩を竦めた。

 直後に続いたのは数秒の沈黙――しかし、間もなくステラが口を開いた。


「あの、訊いてもいいですか?」

「なんだ?」


 やけに神妙な面持ちで見つめてくるステラに、シオンは少しだけ身を強張らせた。


「もし、戴冠式に教皇が姿を現したら、シオンさんはどうしますか?」


 そう言ったステラの青い双眸には、憂いの色が浮かんでいた。


「復讐、しますか?」


 心配そうに眉根を寄せるステラに対し、シオンは大きな深呼吸を返した。それから一度天井を仰ぎ、改めてステラに向き直る。


「前に聖都で言った通りだ。お前を利用しての復讐は、もう考えていない。それに、今回の戴冠式では、議席持ちの騎士が全員教皇の警護に付く上に、ランスロットたちも居合わせることになる。あいつら全員を敵に回すような状況で、ガイウスを討つことなんて不可能だろうしな」

「でも、諦めたわけではないんですよね?」

「……ああ。だが――あいつを殺す前に、はっきりさせたいことが多くなった。なんであいつが“リディア”を恨んでいるのか、あいつが最終的に何を目的にしているのか。それがわからないうちは、ガイウスを殺すことはできないし、許されないだろうな。それに何より――」


 シオンが、ステラをじっと見据えた。


「お前を女王にするのは、俺の個人的な願いでもある。“リディア”が目指した世界を実現するためにも」


 すると、ステラは安堵したように口元に小さな笑みを浮かべた。


「シオンさん」


 ステラの声色は、先ほどまでとは打って変わり、明るかった。


「国を取り戻したら、今までのお礼、させてください。たくさん」


 いきなり話が変わり、シオンは眉根を寄せて首を傾げた。


「どうした、急に?」


 しかし、ステラは答えずに、勢いよく立ち上がった。それからテントの出入り口に向かって走り出し、


「言ってみただけです。それじゃ、次は王都で話しましょう」


 一度振り返ってそう言い残し、勢いよく外に出た。


 ステラの突然の行動に、シオンはしばし呆気に取られ、呆然とした。それから一分もしないうちに、後を追うようにしてテントから出る。


 その直後、


「シオン様、少しよろしいでしょうか」


 不意に、横から声をかけられた。

 声の主は、プリシラだ。


「なんだ?」

「最近、エレオノーラの様子が少しおかしい気がするのです」

「様子がおかしい?」


 プリシラの相談に、シオンは恍けた反応を返した。しかし、その理由は何となく察していた。おそらくは、“リディア”と、エレオノーラの母親が似ているという事実に、ショックを受けてからずっと悩んでいるのだろう。

 その考えを顔に出さないよう気を付けながら、シオンはプリシラの話に耳を傾けた。


「なんといいますか、どこか、上の空というか、ずっと何か考え事をしているような……」

「作戦に影響が出そうか?」

「いえ、そこまでは」

「ならいい。エレオノーラの様子は、後で俺も確認しておく」

「すみません、お手を煩わせてしまい……」


 しゅん、となってプリシラは視線を下に落とした。

 そういえば、自力で解決ができないことがあって頼ることがあると、こいつはいつもそうだったなと、シオンは思い出した。かつて、師弟として大陸各地を巡っていた時のことが頭に浮かぶ。


「お前は大丈夫なのか?」

「え?」


 シオンの気遣いに、プリシラは呆けた声を上げた。


「王都への侵入作戦、主力になるのはお前とエレオノーラだ。こんな大規模な作戦、騎士の任務でもなかっただろ。緊張していないか?」


 プリシラは、弱々しい笑みを浮かべた。


「それなりに、です。ですが、シオン様の弟子として一緒に赴いた任務と比べれば、全然……」

「俺といた時、そんなきつい任務、あったか?」


 シオンには心当たりが全くなく、思わずすぐに訊き返した。大変だと思った任務はいくつかあるが、どれもこれからの作戦と比較すれば、楽なものばかりだ。

 しかし、プリシラは、どこか呆れたような顔で肩を竦める。


「シオン様と一緒にいるときは、ずっと緊張していましたよ。緊張の種類には、いろいろあるものです」

「そうか? まあ、そうかもな……」


 納得したような、してないような気分で、シオンは首を傾げながら頷いた。

 プリシラはそれを面白そうに見て笑い、ふふっ、と口元を手で押さえた。その反応にもシオンは釈然としない面持ちを返したが――不意に、プリシラは真面目な顔になり、騎士の敬礼を見せてきた。背筋を伸ばし、剣を握った風に拳を模り、胸元に置いた。


「この任務、必ず成し遂げてみせます。貴方の弟子として恥じないよう、プリシラ・メイズ、身命を賭して任務に当たります」


 そう言って、プリシラは自身が乗る飛行機のもとへ帰っていった。


 最後にシオンは、エレオノーラのところに向かった。

 エレオノーラは、拠点の中心から大きく外れた場所で、一人休んでいた。ステラと同じくすでにパイロットスーツに着替えていた。両膝を抱えて地面に座り、ぼーっと拠点を眺めている。

 シオンが隣に座っても、エレオノーラはすぐには気づかなかった。


「大丈夫か?」


 シオンが声をかけて、エレオノーラはようやく反応した。


「シオン……」


 虚ろな表情でシオンを一度見遣ったが、すぐにまた正面に視線を戻した。


「アンタこそ、大丈夫?」


 そう言ったのは、“リディア”とエレオノーラの母親の件についてだろう。

 シオンはそれを察したうえで、口を動かした。


「あの時よりはだいぶ落ち着いた。今は何を考えてもわからないと、割り切った」

「そう……」


 エレオノーラは、ふさぎ込むように、顔を両膝に埋めた。


「ねえ、王都を取り戻した後、アンタはどうするの? 教皇への復讐は、まだ続けるの?」


 もごもごと声をくぐもらせながら、エレオノーラが訊いてきた。そんな彼女を見たシオンは、小さく息を吐いて、肩を竦めた。


「復讐は諦めていない。やられたことに対してのけじめを付けないと、さすがに気が済まない。だがその前に、ガイウスの諸々について、はっきりさせておきたいと思っている」

「“リディア”さんと、お母さんのこととか?」

「それもそうだし、あの男が最終的に何を目的にしているのか、もだ。ここまでのガイウスの行動には、目先の政治的な企みこそ殊更だが、まるで一貫性が見られない。敢えて自分から各国の信用を失うような動きばかりを見せている。いったい何のためにそんなことをしているのか、俺の個人的な話を抜きにしても、はっきりさせておきたい」


 その時、不意にエレオノーラは面を上げ、シオンを見つめた。


「……ねえ。ステラが王都を取り戻しても、まだアンタと一緒にいてもいいかな?」

「そうならざるを得ないんじゃないか? 結局、イグナーツは俺の背中の“悪魔の烙印”を解呪させたくて、お前を俺に同行させているんだろ」

「それはそうだけど……」


 シオンの回答に、エレオノーラはどことなく不満げだった。だが、すぐに力なく笑って、勢いよく立ち上がる。


「まあ、いいや。アンタの言う通り、嫌でもアタシはアンタと一緒にいなきゃ駄目になるだろうし。言っておくけど、アタシ、こう見えていろいろしつこいから」


 エレオノーラはそう言って、今度は満面の笑みを見せてきた。

 急にどうしたのだろうと、シオンは間抜けな顔で首を傾げる。


「そうか?」

「そうなの。それじゃ、アタシはプリシラと機体の最終調整があるから。また、あとでね」


 そう言い残し、エレオノーラは拠点の中心部に向かって走り出した。


 一人残ったシオンは、何気なく空を見上げた。

 曇っていた空には微かに亀裂が入り、西の赤い日が差し込んでいた。


 明日には王都にたどり着いている――そう思った瞬間、自ずと体に力が込められた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る