第247話

 “マリア”――その名前を、刹那の間にシオンは頭の中の隅々まで調べた。一秒の間もなく、シオンは首を横に振った。


「いや……聞いたことがない」


 少なくとも、シオンが今までに耳にした人物のなかに、ハーフエルフに係る者としてその名前は存在しなかった。


 シオンの回答を経て、エレオノーラが何とも言えない表情で黙ってしまう。


「逆に、俺からもいいか?」


 不穏な空気が固まる前に、シオンがそう続けた。


「エレオノーラは、母親とは何歳くらいまで、どこに一緒に住んでいた?」


 唐突な質問に、エレオノーラは少し戸惑った視線の動きを見せた。


「ま、前に言ったかもしれないけど……七歳くらい、かな。場所は、アウソニア連邦の北西部にある小さな農村――モンティーノってところだけど……」

「俺は“リディア”とは六歳くらいまで孤児院で一緒に過ごしていた。つまり、エレオノーラが三、四歳の時だ。場所は、アウソニア連邦の南東部にあるバーリス。お前の母親と“リディア”が同一人物かもしれないという説は、幼少期の俺たちと同時に顔を合わせながら生活するのにはいくら何でも地理的に無理がある」


 シオンの整理に、エレオノーラは少しだけ安堵したような表情になり、その場に尻もちをついた。

 シオンはエレオノーラを立ち上がらせ、近くのソファに座らせた。


「エレノーラ、お前の母親は、そんなに“リディア”に似ていたのか?」

「顔の火傷みたいな傷がなければ、同一人物と言っていいくらいには。ねえ、“リディア”さんの顔の傷はいつ付いたの?」

「“リディア”は子供の頃、エルフの奴隷として扱われていた時があったらしい。その時に付いた傷だと言っていた――」


 答えて、シオンは固まった。

 不意な硬直に、エレオノーラが不安げに眉根を寄せる。


「どうしたの?」

「“リディア”に昔の話を聞いた時、同じ奴隷のエルフの話を聞かされたことがあった……」


 シオンは、重たい口を無理やり動かすように言った。


「奴隷商人に連れまわれている時、二人一組でずっと一緒に行動していたらしい。そのエルフのおかげで、自分は辛い奴隷生活を乗り越えることができたと言っていたのを覚えている」


 記憶の糸を辿りながら、シオンは徐に話した。


「もしかして、それがアタシのお母さんって言いたいの?」

「わからないが、可能性があるとすれば……」

「だとして、顔が似ている理由は? たまたま一緒になった奴隷ってだけだったら、顔まで似るなんてことはないはずだけど」


 それはどうだが、と、シオンは困惑した顔で俯く。これ以上話したところで何か結論を得られるはずもなく、思い当たることをただ述べるだけでは一層に謎を深めるだけだった。

 シオンとエレオノーラは、お互いに怪訝な顔を見合わせたまま、再び黙ってしまう。


 と、そんな時、部屋の電話がけたたましく音を立てた。


 ステラが慌てて電話に駆け寄り、受話器を手に取る。


「す、ステラです」


 ステラは暫く、電話の相手に向かって何度も頷いた。

 それから最後に、大きく首を縦に振り、


「――わかりました。シオンさんにも伝えておきます」


 そう言って、受話器を置いた。

 ステラは、シオンとエレオノーラに向き直る。


「もう少しでイグナーツさんがホテルに戻ってくるみたいです。戻ってきたら、また作戦会議を再開したいと……」


 シオンとエレオノーラは、緊張を解すように重たい溜息を吐いた。


「……直近は、王都の件もある。そっちに集中するためにも、この話はいったん忘れよう。もちろん、他言無用で頼む」


 そう言って、シオンは部屋の扉に向かって歩いた。


「エレオノーラの母親と“リディア”が似ていることは気になるが、今のところ同一人物という説はなさそうだ。二人の関係が何なのかは、王都の件が落ち着いた後に改めて調べよう」

「――仮に!」


 部屋から出ようとするシオンの背に、エレオノーラが勢いよく声をかけて呼び止めた。


「仮に、お母さんが“リディア”さんだったら、シオンは、色んなことをどう思う?」


 そう言ったエレオノーラの顔は苦しそうで、今にも泣きだしそうだった。

 シオンは、それを横目で見て、すぐに視線を外す。


「アタシのこととか、教皇のこととか、“リディア”さんのこととか」


 聞かれて、シオンはドアノブに手をかけた。


「……今は、何も考えられそうにない」


 そして、それだけを言い残し、部屋を後にした。

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