第246話

 西の空で太陽が赤く染まり始めた頃、シオンはステラとホテルの一室にいた。長テーブルの上に大量に置かれた紙の資料を整理していた時、


「そこで寝たら風邪をひくぞ」


 両目を閉じかけて船を漕いでいたステラを目にして、肩を竦めた。

 シオンの呼びかけに、ステラはびくりと体を震わせる。


「え、あ、すみません」


 ステラは両手で自身の顔を揉みながら、椅子に座りなおした。

 その様子を見たシオンが、ため息を吐く。


「疲れているなら、今日はもう休んだ方がいい。俺たちのペースに合わせていたら体がもたないだろ」

「そ、そうですね。今、目を通している資料を確認したら、今日はもう終わりにします」


 ステラは小さく笑って、手元の資料に青い双眸を向けた。

 しかし、数秒の間を置いて、その視線はすぐにシオンに戻された。


「シオンさん」


 唐突に呼ばれ、シオンは少し間抜けな表情で振り返る。


「どうした?」


 ステラは、どことなく居心地が悪そうな顔になって、資料を手から離した。

 シオンがそれを不審に思っていると――


「……私、ダキア公国にいた時、教皇と色々話しました」


 沈んだ声で、そう切り出した。


「なんで教皇が“リディア”さんを失脚させ、命を奪うようなことまでしたのか――騎士団分裂戦争を引き起こし、シオンさんを黒騎士に仕立て上げた理由も、教えてもらいました」


 思いがけない話の内容に、シオンは口を半開きにして固まった。


「まだ、誰にも言っていません」


 そう言ってステラが目つきを鋭くしたのを見て、シオンは冷静さを取り戻す。


「……それで?」

「知りたいですか?」


 試すようなステラの言い方に、シオンは顔を顰めた。


「また唐突に訊いてきたな」

「今なら、ほかに人がいなさそうなので……リリアンさんもいないですし」


 盗聴能力を使えるリリアンがいないうえ、イグナーツたちも今はホテルから出ている。確かに、他人にあまり知られたくない内緒話をするならば、今が好機だ。


 シオンは、少しだけ頭の中で思案したあと、徐に口を開いた。


「教えてくれるか。なんでガイウスは、俺を黒騎士にして、“リディア”を謀殺したのか」


 ステラは、一度シオンから視線を外し、少しだけ俯いた。

 それから、唇を重たそうに動かす。


「……復讐――って言っていました」


 復讐――あまりにも予想外な動機に、シオンは間髪入れず怪訝に首を傾げた。


「復讐? 誰に対する? 俺か? それとも、“リディア”か?」

「“リディア”さんです。シオンさんを黒騎士にしたのも、“リディア”さんへの意趣返しの一部だったようです。“リディア”さんの大事なヒトであるシオンさんに、黒騎士という汚名を着せることで、復讐心を満たしたかったって」

「どうして俺が黒騎士になると、ガイウスは復讐心を満たせる?」

「黒騎士には、歴史的な背景から、何よりもまず“亜人を奴隷化した騎士”という汚名が付きまとうらしいです。一方で、“リディア”さんは、長年、奴隷廃止を大陸で訴え続けたヒト――シオンさんと“リディア”さんの関係を体裁的にでも相反するものにしたかったと」


 シオンの顔はますます訝しげに顰められた。


「あのガイウスが……?」

「どうしました?」

「いや、たとえそうだったとして、あの男にしてはあまりにも幼稚というか、短絡的というか……」

「やっぱり、シオンさんもそう思いますか? 私もそう思って、教皇本人に訊き返してみたんですけど――あの人は、それでも後悔はしていないと言っていました」


 ガイウスの動機を聞いて、シオンの感情は、怒りよりも戸惑いの方が大きな割合を占めた。まるで高度な謎かけを強いられているような感覚に陥りつつ、シオンはソファに座り、一度心を落ち着けた。


「どうしてそんなことが復讐になるんだ。それに、そもそもガイウスはなんで“リディア”に復讐なんて――」

「俺は“リディア”が憎くてたまらない――教皇は、そう言っていました」


 シオンは眉間に深い皺を寄せ、赤い双眸を鋭く細める。


「あの時の教皇の表情は、どう見ても普通じゃなかったです。まるで、本当に悪魔に取り憑かれたような顔で……」

「俺の知る限り、教皇と“リディア”にそれほど大きな接点はない。教会の内外でともに強い権力と影響力を持っていたが、どれだけ関係がこじれても、あくまで政敵という範疇は出ていなかったはずだ」


 シオンは右手で軽く頭を掻きむしった。


「なんでガイウスが“リディア”を憎んでいるのか、その理由は訊いたか?」

「それは、教えてくれませんでした……すみません」


 またわからないことが増えた――一連の出来事の真相について知ろうとすればするほど、ガイウスのことが分からなくなってくる――シオンは、今までに感じたことのない焦燥感に駆られた。ガイウスが“リディア”を憎んでいるという真実は、シオンにとっては寝耳に水でしかなかった。


 話がそこで停滞した時、不意に部屋の扉がノックされた。

 他の騎士たちは各々の役割を果たすため、ホテルにはしばらく戻ってこないはずだ。今このタイミングで自分たちに用があるのは誰だろうと、シオンとステラは顔を見合わせて揃って首を傾げる。


 怪訝な顔でシオンが扉を開けると、そこにはエレオノーラが立っていた。

 シオンは驚きつつ、エレオノーラを室内に入れる。


「エレオノーラ? お前、プリシラといたんじゃ――」

「シオン」


 走ってここに来たのか、エレオノーラは息を切らしていた。顔には汗を滴らせており、拭き取ることも忘れている様子だった。


 いったい何事かと、シオンが面食らっていると――


「“リディア”さんのこと、教えて」


 突然、そう訊いてきた。

 途端、シオンは渋い顔になる。


「悪いが、“リディア”のことはあまり話したく――」

「“リディア”さんは、ずっと教会のシスターをやっていたの?」


 しかし、そんなことには構わず、エレオノーラは食い気味に詰め寄ってきた。

 シオンは、若干気圧されつつ、眉を顰める。


「どういう意味だ?」

「言葉通りだよ。例えば、休職して、少し教会から離れていた時期があったとか」

「いや、そんなことはなかった。俺が子供の頃――騎士団に入団して小姓になる前は施設でずっと一緒にいたし、その後も、“リディア”はシスターとして教会で働いていた」

「アンタが騎士団に入ってからも、頻繁に会っていた?」

「なんでそんなこと――」

「答えて」


 大声とまではいかないものの、そう言ったエレオノーラの声量は、シオンとステラを驚かせるには充分なほどに張っていた。


「あ、ああ。中長期の遠征とかがない限りは、小姓の時も、従騎士の時も――騎士になってからも、週に一度は修道院に行って顔を合わせた」

「“リディア”さんは、ずっと修道院にいたの?」

「基本的には……。お前、さっきから何を知りたいんだ?」


 戸惑いつつ、シオンはやや不機嫌に訊き返した。

 すると、エレオノーラは、何かの確証を得たような顔になり、ドカッとその場に尻もちをついてへたり込んだ。


 そして――


「さっき、プリシラに“リディア”さんの写真を見せてもらったんだけど――私のお母さんと、“リディア”さんの顔がそっくりだった」


 シオンは両目を見開いた。エレオノーラのその言葉から、まるで頭に直接電極を刺されたような衝撃を受けた。


「それは――」

「でも! お母さんの顔には“リディア”さんみたいな顔の傷痕はなかった!」


 エレオノーラはすぐさま立ち上がり、シオンの両腕を掴んで叫んだ。


「それに、アンタから今聞いた限りでは、別人であることはほぼ間違いないと思う」


 エレオノーラの口調は、シオンは当然として、自分自身も落ち着かせるように早口だった。

 呆然とするシオンを前に、エレオノーラはさらに口を動かす。


「ねえ、シオン。“リディア”さんと話したときに、お母さんのこと――ほかのハーフエルフのこととかを、アンタに話したことはなかった?」

「い、いや、一度も聞いたことがない……」


 気の動転を抑えきれず、シオンの声は上ずっていた。


「じゃあ、この名前は?」


 しかし、それには構わず、エレオノーラは続ける。


「“マリア”――それが、アタシのお母さんの名前」

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