第245話

 シオンたちが宿泊するホテルから数十キロ離れた場所に、グラーニャ共和国でも屈指の工業地帯があった。小国でありながら、国土の大部分が海に面していることもあり、造船工場をはじめとした大規模な工業施設が多数存在する。


 騎士団はその一角――取り壊し寸前とされていた廃工場の一つを破格の値段で買い取り、王都突入に向けた各種準備をそこで推し進めていた。

 かつては海洋資源採掘のための重機が製造されていた工場であり、王都突入用の飛行機を調整する場として、急ごしらえにしては広さも設備も充分であった。


 部品製造機のシリンダーが油圧で動く音が忙しなく響くなか――エレオノーラは、工場の隅に積まれた鉄骨材の上に腰を掛けながら、目の前の機械を興味深く眺めていた。

 それは、小型のジェネレータと燃料タンクを備えた砲台だった。工場の各所にある基盤から伸びた数多の配線が繋がれており、脈打つような音を常に鳴らしている。また、近くの床には魔術の印章が二つ描かれていた。


 そして、砲台の両脇には、ドワーフのオーケンと、プリシラが立っている。


「しっかし、よくもまあこんな仕組みを考えたもんだ。人間の発想力は侮れんな」


 オーケンは顎鬚を撫でながらしみじみと言った。砲台に繋がれたジェネレータと、床に描かれた印章を見比べながら、何度も小さく唸る。

 プリシラがその隣に付き、手に持っていた何かの紙を広げて見せた。


「この設計図に書かれている廃熱機関、実現できるだろうか? 一度飛行状態になれば私は操縦に集中しなければならない。できれば、魔術による冷却を必要最小限にしたいのだが」


 オーケンは渋い顔で、プリシラが広げた設計書を見つめた。藪のように生えそろった太い眉の隙間から、職人特有の鋭い眼光が発せられる。


「どの程度機械制御に寄せられるかはわからんが、やれるだけのことはやってみよう。理論と仕組み自体は不可能ではなさそうだ。人間様にここまでお膳立てしてもらってとなっちゃあ、ドワーフの威信にもかかわることだしな」

「どうか、よろしく頼む」


 プリシラは設計書を丸め、オーケンに手渡した。


 そんな二人のやり取りを遠目で見ていたエレオノーラが、


「で、アタシは何をすればいいの? 最初に言っておくけど、アタシは機械いじりなんてできないからね」


 唐突にそう言って、プリシラを振り向かせた。


「飛行機に積む砲台の試験運転をやってほしい。無論、お前の火の魔術を弾丸にする砲台だ。予定より早く準備が整ったから、前倒しで進めるぞ」


 プリシラの言葉を聞いて、エレオノーラは再度、砲台を見遣る。


「最初見た時に思ったけど、なんか、想像以上に小さいね。会議で聞いた限りでは、使うときは結構な出力で、って注文だったけど、こんなんでアタシの魔術に耐えられるの? すぐにオーバーヒート起こして駄目になりそうな感じするけど」

「そうならないために、私と一緒に乗るんだ。私の氷の魔術で、火炎を射出した際にかかる機体と部品の熱の負荷を抑える」

「理屈はわかるけど、そんな簡単にうまくいくの? 一歩間違えれば、飛行機が丸ごと熱暴走起こしたり、氷漬けになったりしない?」

「それを防ぐためにも、こうしてオーケン氏からの協力も得るんだ。ドワーフ族の精巧な細工技術なら、廃熱制御をある程度機械側に委ねることが実現できると踏んでいる。しかし、だからと言ってそれだけに頼り切るのも心もとない。だから――」

「試験運転を今から入念にやろうって話か」


 エレオノーラはそう納得して、鉄骨材の上から勢いよく降りた。そのまま砲台近くの印章に近づいたあと、改めてプリシラを見遣る。


「で、早速やる?」

「ああ。試験運転では、飛竜を連続で何体も屠ることを想定した負荷をかけてくれ。その時の熱を私が魔術で冷やし、クールタイム諸々を計測する」


 エレオノーラとプリシラは、各々、二つの印章の中央に立ち、魔術の実行に備えた。







「もう少し出力を抑えろ! ジェネレータが壊れるだろうが!」


 試験運転開始から三時間、工場内にプリシラの怒号が響いた。同時に、砲台に繋がれたジェネレータから異様な音と臭いが零れ出す。

 エレオノーラはプリシラを横目で睨んだ。


「アンタが出力上げろって言ったんでしょうが!」

「加減というものがあるだろうが、馬鹿が!」


 直後、エレオノーラの額に一本の青筋が走る。エレオノーラは魔術の実行を止め、隣の印章に立つプリシラに詰め寄った。


「あ゛!?」

「お゛!?」


 長時間、魔術を使い続けたことによる疲労もあり、エレオノーラとプリシラは酷く気が立っていた。売り言葉に買い言葉で、両者の間に一触即発の空気が張り詰める。


 若い娘二人のそんな諍いを遠くから見ていたオーケンの口から、大きな溜息が漏れた。


「喧嘩するなら外でやってくれ。続きは頭を冷やしてからだ。もう三時間、休みなしにやっていることだしな。二人とも、頭に昇った血を一度落ち着かせて来い」


 呆れた声でオーケンが言うと、エレオノーラとプリシラは数秒無言で睨みあった後で――ふん、と勢いよく鼻を鳴らしてその場を立ち退いた。

 しかし、その険悪なやり取りに反し、二人は同じ方向に向かって歩き出した。


「仲がいいのか、悪いのか……」


 そんなオーケンの苦言を背に受けつつ、エレオノーラとプリシラは工場外の広間に足を運ぶ。

 時刻は十四時を過ぎたあたりで、雲一つない空から差し込む日差しが強かった。

 エレオノーラがそれに目を眩ませていると――


「おい」


 不意に、隣を歩くプリシラから声をかけられた。

 エレオノーラはしかめっ面のまま振り向く。


「シオン様たちは、今どうしている? 昨日まで、ずっと傍にいたんだろ」

「シオンとステラなら、ホテルにずっと缶詰め状態。イグナーツ卿たちと、ずっと作戦会議している」

「そんなことを知りたいんじゃない。お二人の様子や調子はどうなんだと訊いている」


 若干、プリシラが苛立った声色で言ったのを聞いて、エレオノーラは反射的に口の端をピクつかせたが――それをぐっと堪えてから、口を動かした。


「シオンは特に変わったところなし。相変わらず、何考えてるかわからない顔で淡々としてる。ステラは――ちょっと疲れてる感じかな。慣れてないことに追われて、毎日大変そうにしていた」


 それを聞いたプリシラは、そうか、と一言だけ残し、再度歩みを進めた。


「ねえ、アタシも訊いていい?」


 その背にエレオノーラが声をかけ、呼び止める。


「アンタさ、どうしてステラには威嚇しないの?」

「は? 威嚇?」


 突拍子もない質問に、プリシラは怪訝に顔を顰めた。


「アンタ、シオンに近づく女にはいつも牙剥いて威嚇するじゃん」

「ヒトを猟犬のように言うな」

「で、なんでステラには威嚇しないの? ステラもシオンのこと好きなはずだけど」


 エレオノーラの話を聞いたプリシラは、どこか辟易したような息を吐いた。


「お前は意外に人のことを見ていないな」

「どういう意味?」

「ステラ様がシオン様に好意を抱いていることは間違いない。誰の目から見てもそれは明らかだ。だが、恐らく、私やお前がシオン様に抱く感情とは、また少し違ったものだろう」


 歯切れの悪いプリシラの見解に、エレオノーラは難しい顔になった。両腕を胸の前で組み、露骨に態度で表す。


「なんでそう思うのさ」

「女の勘だ」


 エレオノーラは一層怪訝な顔になり、首を傾げた。


「意味わかんないんだけど……」

「ならこの話はここまでだ。試験運転は三十分後に再開する。それまで体を休め――」

「じゃあ、もう一つ訊かせてよ」

「今度はなんだ?」


 唐突に言ったエレオノーラに、プリシラが今度こそ嫌な顔を返す。

 だが、それには構わず――


「“リディア”って、どんな人だったの?」


 エレオノーラは、訊いた。


 途端、プリシラの顔から表情が消えた。数秒の沈黙が二人の間を満たし、少し空気が重くなる。


「……悪いが、私にはもう“リディア”様のことを語る資格はない」


 そして、声のトーンを抑えめに、プリシラが呟くように言った。

 エレオノーラは、やはり駄目か、という諦めの思いで肩を竦める。


「わかった。ならせめて、どんな見た目だったか、教えてくれない?」


 プリシラが眉を顰める。


「なんでそんなことを知りたがる?」

「いや、だって……あのシオンが好きになった女のヒトだよ? 普通、気になるじゃん? シオンに訊いても教えてくれないし……」


 やれやれと、プリシラが頭を徐に横に振って息を吐く。


「呆れた女だ――と、言いたいところだが、気持ちはわかる。あのシオン様が唯一好意を寄せた女性だ。どれだけ魅力的なヒトだったかは、気になるところだろう。実際、私も昔はそうだった」

「ほら」

「昔の写真でよければ、手元にある」


 そう言って、プリシラは懐から一冊の手帳を取り出した。

 すかさず、エレオノーラが隣に付いて覗き込む。


「見せて!」


 プリシラは手帳を開き、挟まれてあった数枚の写真から一枚を取り出した。


「この右側にいるシスターが、“リディア”様だ」


 そう言って、エレオノーラに手渡す。

 エレオノーラはそれを嬉々として受け取り、“リディア”を探した。

 しかし――


「どうした? エレオノーラ?」


 エレオノーラは写真を見た瞬間、凍り付いたように固まった。それを、プリシラが心配そうに見遣る。


「え、い、いや……」


 その視線に気づいたエレオノーラが、震えた声で応じた。その流れでプリシラに写真を返し、逃げるように踵を返す。


「もういいのか? って、おい、どこに行く?」

「ちょ、ちょっとトイレに」


 怪訝な顔のプリシラを放置し、エレオノーラは駆け出した。


 ――そんな、ありえない。


 この時、エレオノーラの頭の中では、その言葉が何度も木霊していた。

 なぜならば――


「お母さんにあんな顔の傷はなかった……だからそんなはずはない……! でも、他人にしては、似すぎている……!」


 “リディア”と、自身の母の顔が、同一人物と言っていいほどに似ていたからだ。


 エレオノーラは、心臓を悪魔に鷲掴みにされたような焦燥感を抱きながら、あてもなく全力で走った。

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