第四章 王都奪還 前編
第242話
聖王暦一九三三年四月六日――ユリアラン大陸南西部にあるハイラックス半島は、一年を通して気温が高く、三月の終わりともなれば日中の最高気温は三十度に達する日もあるほどだ。半島の大部分を占める面積を小国であるグラーニャ共和国が有しており、同国は常夏の国として観光業で栄えていた。
ステラたちは、ダキア公国での一件を終えたあと、グラーニャ共和国の南海岸に位置する街に滞在していた。地理的にガリア公国から最も離れているこの国であれば、ステラの所在をガリア関係者に嗅ぎまわられることもなく、ゆっくりと彼女も体を休めることができるだろうと、騎士団からの案だった。また、王都での戴冠式開催に向けた準備も、この地にて秘密裏に進められていた。
滞在先のリゾートホテル――そこのスイートルームのバルコニーからは、青い海と白い砂浜を一望することができた。ビーチは四月に入って間もなく海開きがされており、早くも観光客たちによる賑わいを見せている。
ステラは、部屋の壁に立てかけられた大きな時計を見遣った。時刻は朝の十時になろうとしている。そろそろ移動せねばと、読みかけの本を閉じてソファから立ち上がった。
それを察したかのように、唐突に部屋のベルが鳴らされる。
ステラは速足で向かい、扉を開けた。
「ステラ、そろそろ時間だ」
廊下にいたのは、シオンとエレオノーラだった。
「はい」
三人は、やや緊張した面持ちで頷き、ホテルの晩餐室へと歩みを進めた。
※
「それでは早速、戴冠式開催に向けた作戦会議を始めましょうか。今日から決行の日まで毎日、この時間帯に実施させていただきますので、ご承知おきください」
晩餐室は、騎士団による厳重な警備態勢のもと、戴冠式開催に向けた作戦会議の場となっていた。
部屋の中央に備えられた円卓を囲うのは、シオン、ステラ、エレオノーラのほか、
議席Ⅱ番イグナーツ
議席Ⅴ番レティシア
議席Ⅵ番セドリック
議席Ⅶ番アルバート
議席ⅩⅠ番ヴィンセント
以上の議席持ちの騎士だった。騎士団最高幹部の半数近くが、本部以外の場で集い、会議を開催することは例外中の例外であり、稀有なことであった。ひとえにそれは、それだけログレス王国を取り巻く一連の事態が切迫しているとも言えた。
晩餐室の扉の両脇には、武装したユリウスとプリシラが控えており、両者の面持ちもいつになく真剣である。
「よろしくお願いします」
先のイグナーツによる会議開始の発言に対し、ステラが軽い会釈をして見せた。
イグナーツはそれを満足そうに見た後で、不意に椅子から立ち上がる。続けて彼は、卓上に広げられた王都周辺の地図を見遣った。
「今、テーブルに広げているのが王都キャメロットの周辺地図です。王都は大陸本土から南方へ少し離れたところにある離島の上に存在します。面積は約一五〇〇〇平方キロメートルで、それなりの大きさです。平時における大陸本土との交通網には、航路のほか、六本の巨大な橋が用いられますが、現在は駐在するガリア軍によって厳しい検問が実施されています。そして、島周辺にはガリア海軍の軍艦が二十隻以上展開されており、厳戒態勢といった状況です」
艦隊や兵士を模したミニチュアを地図上に置きながら、イグナーツがそう説明した。
セドリックが、トレードマークのサングラスを外しながら、卓上の盤面を見て小さく唸る。
「当然と言えば当然だが、ガリアも防衛にはかなり力を入れているな。まさか、国が保有する軍艦の半分以上を駆り出すとは」
「ログレス軍から鹵獲したものも含まれているようです。王都の制圧時、島の軍施設もすべて乗っ取られたようで、その時に」
そうやって飄々と答えるイグナーツに、今度はレティシアが鋭い視線を向けた。
「で、どうやって王都に王女を送り届ける? 荷物に忍び込ませるのか?」
「少し前の状況であれば、それも選択肢の一つでした。それこそ半年以上前に、シオンが単独でステラ王女を王都に連れて行こうとした時であれば、まだうまくいく可能性はありましたね。ですが、今は無理です」
「どう無理なんだ?」
「ステラ王女がラジオで戴冠式の開催を宣言した日を皮切りに、ガリアは王都での検閲、検問を日に日に厳しくしています。今は、王都に輸送される荷物はビンの中身一つ取っても中身を確認させられるほどです」
「そんな面倒なことをしていたら、物流に深刻な影響が出そうだがな」
「ええ、まさにその通りです。戴冠式を妨害するために色々と軍備を強化しようとしているみたいですが、そのことが足枷にもなっているようです。まあ、彼らにとっては、ステラ王女が王都に入り込む可能性を考えれば、たとえ物資供給が滞ったとしても、検問はすべからくやるべきという考えなのでしょう。聞いただけだと、間抜けなジレンマにも思えますがね」
イグナーツは皮肉交じりに言って肩を竦めた。
次に、アルバートが口を開く。
「変装するのはどうでしょうか?」
「もっと無理ですね。ステラ王女の顔は、今となってはガリア軍人全員の頭に焼き付けられているようです。ステラ王女はもともと国内外で顔の露出をほとんどしないお方でしたが、すでに時遅しです。整形でもしない限り、軍人たちに顔を見られることを前提に突破するのは無理でしょう」
レティシアが、苛立ち混じりのため息を漏らした。
「なんだお前、何も案がない状態で会議を開いたのか?」
「まあ、そう焦らず。一つずつ整理していきましょう。まず、平時によく使われる航路と橋を使うのは無理でしょう。検問が厳しすぎます。となれば、あとは島の南側から侵入するしかないですが――」
「ガリアの艦隊が邪魔になるよなぁ」
ヴィンセントが天井を仰ぎながら言った。
「ですね。空中戦艦を使えればなんてこともないのですが、今回、騎士団が直接的にステラ王女の戴冠に手を貸すことは禁止されています。あくまで、ログレスが持つ力でこの艦隊を突破しなければなりません」
それを聞いたレティシアが、呆れた様子で頭を横に振った。
「もはや死に体状態のログレス軍にガリアの艦隊を突破する力なんてないだろ。それならまだ、橋を使って強行突破する方が実現性としてはマシじゃないのか?」
「まあまあ、話は最後まで聞いてください」
イグナーツはそうやってレティシアを宥めたあと、改めて卓上の地図に目を向けた。
そして、新たなミニチュアを一つ、手に握りしめる。
「確かにログレス軍がガリアの艦隊を正面から相手にして突破することは不可能です。しかし、何も馬鹿正直に艦隊を相手にする理由もありません。艦隊を突破する手段は、空にあります」
そう言って、イグナーツは鳥を模したミニチュアを、軍艦のミニチュアの隊列が組まれた場所に置いた。
「空? だが、アンタがさっき言ったように空中戦艦は使えないぞ」
シオンの指摘に、イグナーツは小さく笑った。
「何も空を飛ぶ手段は空中戦艦だけではありません。シオン、ヴィンセント卿、それは貴方たち二人がよく知っているでしょう」
シオンとヴィンセントは互いに顔を見合わせ、ああ、と小さく納得した。
「グリンシュタットの小型飛行機を使うのか」
「正解です。グリンシュタットにはすでに話をつけてあります。戴冠式開催のためにログレスに力を貸してほしいとお願いしたところ、飛行機をはじめとした物資の供給を“快く”引き受けてくれました」
その言葉とは裏腹に、イグナーツの顔はどこか含みのある表情だった。おそらくは、大統領を相手に、これまでに騎士団が握ったグリンシュタットの弱みをチラつかせ、半ば脅迫的に話を進めたのだろう。
ヴィンセントが苦笑し、やれやれと肩を竦める。
「まあ、あの国に関して、ゆすりのネタは尽きねぇからなぁ……」
しかし、その案にはセドリックが難色を示していた。卓上の地図を見ながら、懐疑的な目つきをしている。
「だが、あんな貧相な機械で艦隊の上空を飛ぼうとした瞬間、狙い撃ちにされないか? それこそ七面鳥撃ちにならなければいいが」
イグナーツが、指をパチンと、軽快に鳴らす。
「いいところに気が付きました。無策で突っ込めば、まさにその通りです。そうならないため、島への突入タイミングは、“盾”が張られるタイミングを狙います」
「“盾”?」
イグナーツ以外の全員が、そろって疑問の声を上げた。
イグナーツはさらに続ける。
「王都が存在する島の近海は、この時期、天候が荒れやすいことで有名です。発達した積乱雲が海側に防壁のように立ち並ぶことで姿を現す巨大な入道雲は、王都名物――“王の盾”と呼ばれるほどです」
ヴィンセントが気付きを得たように、目を見開いた。
「まさか、積乱雲の上空を飛ぶことで、艦隊の目を避けようってか?」
「その通りです。例年通りであれば、この時期は週に一回のペースで王都南側に積乱雲が広範囲に出現します。そのタイミングを見計らって、ステラ王女には上空から島に侵入してもらいます」
これぞ妙案だと言わんばかりに、イグナーツは自信満々だった。
しかし、シオンが即座に怪訝な顔つきになる。
「積乱雲は乱れた気流と雷の塊だ。ログレスの軍人はろくに小型飛行機の操縦に慣れていないのに、大丈夫なのか?」
「国の存亡をかけた一大イベントです。ログレスの軍人にはそれこそ死に物狂いで操縦を短期間でマスターしてもらいますよ。それに、シオン。貴方も他人事のように言っていますが、ステラ王女を送り届ける本命は貴方なので、あしからず」
イグナーツの突然の発言に、シオンだけではなく、ほかの面々も呆けた顔になった。
「どういうことだ? 俺たち騎士は、今回の件に直接手を下すことは禁止されているんじゃないのか?」
「実は今の貴方の立場、“非常に不安定”で面白いことになってるんですよ。これを利用しない手はない」
この男はいったい何を言っているのだと、シオンたちは揃って奇怪なものを見遣る顔になった。
混乱する一同を置き去りに、イグナーツは説明を続ける。
「去年、貴方の死を偽装した際、貴方は一度騎士団から除籍されたことになっています。つまり、厳密にいえば今の貴方は、教会勢力とは無関係の死人という状態です」
「いや、でも十字軍がラグナ・ロイウを襲撃した時、騎士団が黒騎士と結託していたとメディアで流された。それに、ステラがガイウスと取引をして俺に免罪符を発行し――」
「死亡により除籍された騎士が実は生きていたところで、自動的に騎士団に戻るなんて決まりはないですし、死人にも罪はあります。それらの事実は貴方が騎士団に所属していることと結びつける証拠にはなんらなりません」
「キルヒアイス家の令嬢を助けた時に議席持ちの騎士として任務を――」
「あんなの、キルヒアイス家を騎士団の後援者にするために言った出鱈目に決まっているじゃないですか。私が、副総長権限で勝手なことをしただけですよ。正式な任務の記録に残っているわけでもないです」
「え、エレオノーラを従者に――」
「ああ言った方が、気持ちがより引き締まったでしょう? 危険な国に送り込んで、エレオノーラを失うわけにもいかなかったですし。主従契約としては、騎士団内部で正式な手続きはまだ何もしていないです。そもそも、貴方を騎士としてまた迎え入れるところからやらないと」
このようにして、イグナーツはシオンの指摘と懸念を悉く潰した。対するシオンは、眉間に深い皺を寄せたまま、呆然と口を開けていた。
一連のやり取りを少し離れていたところで見ていたユリウスとプリシラが、苦虫を嚙み潰したような顔になる。
「俺たちの上司ながら、とんでもねぇな……」
「こういう人だと、わかってはいたがな……」
そんな苦言が本人に聞こえていたかどうかは別にして、
「ユリウス卿、プリシラ卿、貴方たちもシオンに同行してもらいますよ」
「は!?」「え!?」
今度、イグナーツはユリウスとプリシラにも衝撃の一言を放った。
「半年前、副総長である私の命令を無視して黒騎士と協力し、聖都セフィロニアを襲撃した罰です。二人には騎士を辞めてもらいます」
そう言って懐から取り出したのは、二人を解雇するために用意された書類だった。そこにはどういうわけか、予め、教皇庁のサインがしっかりと書かれていた。
その隣にある騎士団の承認欄に、イグナーツが手早く署名する。
「はい、これでただいまを以て、ユリウス・マイヤーとプリシラ・メイズは “元騎士”になり、形式上、教会とは無縁の人物になりました。“元騎士”は他国の軍事に係ることは禁止されています。間違っても、“ログレス王国に協力する”なんてことはしないでください。やるのであれば、バレないようにやってください」
中身の伴わない都合のいい言葉を述べ、イグナーツは一仕事終えたような顔でユリウスとプリシラに歩み寄り、解雇を宣告した。
シオンが慌てて椅子から立ち上がる。
「ま、待て! こんなことをしたらガイウスたちが――」
「これは、ガイウスからの提案なんですよ」
イグナーツの言葉に、会議の場が一瞬にして凍り付いた。
シオンが、驚きと緊張を孕んだ眼差しで、イグナーツを睨む。
「ガイウスが……?」
「あの男は、貴方たちがステラ王女を守ることに目を瞑ると言っていました。ただし、現場で起きることに関しては、一切関与しないと。まあ、ガイウスの真意は相変わらずさっぱりですが、ガリアがログレスを完全に支配することに難色を示しているという点では、我々と利害は一致しています。敵とはいえ、今は大人しくその好意に甘えようじゃないですか」
しかし、シオンはまだ納得していない様子で引き下がらなかった。
「たとえステラを小型飛行機で島まで送り届けたとしても、その後はどうする? さっきアンタが言っていたように、島にはガリアの軍人が大勢駐在している状況じゃないのか? まさか、小型飛行機に乗ったまま王都の大聖堂まで突っ切るわけにもいかないだろうし」
それに同意するように、レティシアが頷いた。
「シオンの懸念はごもっともだ。シオン、ユリウス、プリシラがいたとして、王女を守りながらガリアの包囲網を突破するなんてこと、あまりにも無謀だ」
イグナーツは自席に戻ると、手早く煙草に火を点けて軽く吹かした。
「まあ、そうでしょうね。少数精鋭とは言っても、下地となる戦力がなければ意味がない」
そんな時、不意に部屋の扉がノックされた。
イグナーツが、どこか小気味よい微笑を口元に携える。
「ちょうどいいタイミングで来たようです」
それを“扉を開けろ”という指示に捉えたユリウスとプリシラが、徐に扉を開ける。
開かれた扉の先に立っていたのは――
「ブラウンさん!? それに偽物の二人も!」
ステラが驚きの声を上げた。
そこにいたのは、かつてログレス王国国内でシオンとステラの名を騙り、ガリアと結託して偽物騒動を引き起こした二人の男女と、ログレス王国国軍中尉、ブラウンだった。
偽物の二人は、酷くやつれた顔をしており、息絶えるような力の抜け方でその場でステラに跪いた。
その隣では、ブラウンが再開を喜ぶ笑みを携えながら、きびきびとした動きで敬礼をして見せる。
「お久しぶりです、ステラ様。諸々の事情はあとで話すとして、まずは彼らとお会いになっていただきたいです」
「彼ら?」
ステラは首を傾げつつ、ブラウンの背後に視線を送った。
そして、驚きに目を見開く。
そこには、エルフのエルリオ、ライカンスロープのノラ、ドワーフのオーケンと、かつての旅の中で出会った亜人たちがいたのだ。
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