第243話

「み、皆さん……どうしてここに……! い、いや、それよりも、よくご無事で……!」


 ステラは、かつて旅の中で出会った者たちが全員で無事であったことに安堵する思いで、感極まった声を上ずらせた。

 そんなステラの前に、エルフのエルリオが立った。


「そこの軍人――ブラウン中尉が中心となり、ログレス国内で行き場を失った我ら亜人たちを守護してくれたのだ。しかもそれだけではなく、我らを守護しながら、国内各所に身を潜めていたログレス軍とも随時合流し、王都奪還に向けた準備を粛々と進めていた。さすがは、大国ログレスの軍人といったところか」


 エルリオの説明を聞いて、ステラは落ち着きを取り戻した面持ちになる。それから、改めてブラウンを見据えた。


「よかった……本当に、よかった……ありがとう、ございます……」


 緊張の糸がほぐれたように目を滲ませるステラだったが、顔には陰鬱な影が下りていた。


 軍人たちはしっかりと己の務めを果たしたというのに、自分はまだ何も成果を残せていない――ステラの胸中は、そんな焦燥感と羞恥心で満たされていたのだ。

 それを察してかどうかはわからないが、ブラウンはどこか慈悲深い表情でステラを見遣った。


「ほかならぬ我が国の王女殿下の頼みですから。そこでへばっている偽物二人も、囮としてよく働いてくれました」

「……皆さんが必死になって私の頼みを聞いてくれたのに、私はまだ、結局国を取り戻すことができないでいます……ごめんなさい」

「ステラ様、どうかお気を確かに。まだ、何も終わっていませんし、始まってもいません。これからです。我々の国は、我々の手で取り戻すのです」


 奮い立たせるようなブラウンの言葉に、ステラは徐に面を上げた。

 次いで、ブラウンの後ろから、ノラが前に出る。かつて、ガリアの第八旅団がリズトーンを襲撃した際に、ドワーフのオーケンと共に生き残ることができた、ライカンスロープの少女だ。


「ステラ様」


 ステラの前に立ったノラの表情は穏やかで、それにステラの心は救われるような思いになった。


「ノラさん……」

「リズトーンでステラ様たちに命を救われた恩返しを、私たちにもさせてください。直接戦う力はありませんが、亜人の私たちにしかできない方法で、微力ながら王都を取り戻すお手伝いをさせてください。それに、彼も、是非、協力させてほしいと」


 ノラはそう言って、自身の背後に視線を送った。そこにいたのは、オーケンに車椅子を押される何者かだ。衣服のない顔や手には何重にも包帯が巻かれており、おそらくは全身ミイラ状態なのだろう。しかし、顔面を巻く包帯の隙間から垣間見える双眸には確かな輝きがあり、戦う者の意思すら感じ取れた。

 ステラは、ハッとした。


「……まさか、その包帯だらけのヒトって、カルヴァンさん!?」


 驚くステラに続いて、当時、リズトーンで起きた惨劇を目の当たりにしていたシオンとエレオノーラも同じ反応をする。

 間髪入れず、ノラが頷いた。


「雷の直撃を受けて瀕死の状態だったんですが、どうにか一命を取り留めることができました。まだ、自力で歩いたり物を持ったりすることはできないですが」


 次にオーケンが口を開く。


「しぶとく生きてくれて、わしもホッとした。それにこの小僧、ガリア軍に関連した持ちうる情報は、今回の作戦に伴ってすべて提供してくれると言ってくれてな。ただ、その代わりにと言っては何だが……」

「王都を取り戻した暁には、カルヴァンがログレス王国に亡命することを許可いただきたいです。私とカルヴァンは、二人で新しい生活をログレスで始めたい――ステラ様、どうか、この願いを聞き入れていただけないでしょうか」


 オーケンが最後の方の声を尻すぼみにしたが、すぐにノラが続きを明瞭に補足した。

 人間の男と亜人の女が共に生活をする――つまりそれは、異種族の二人の間に愛が芽生えていることの証拠に他ならなかった。途端、その場にいた騎士たちの表情が少しだけ厳しくなる。教会の禁忌とされている人間と亜人の姦通――ひいては、混血児が産まれる可能性があることに、条件反射のようにして反応したのだろう。


 一瞬にして空気が張り詰めたが、ノラはそれでも、堂々と佇んでいた。


「あ、えっと――」


 それにステラが戸惑っていると、


「騎士の目の前で、人間と亜人の男女が堂々と交際宣言するとは、なかなかに肝が据わっていますね」


 イグナーツが呆れた息を吐きながら言った。


「い、イグナーツさん、今のは――」

「わかってます。別に、ただ一緒に暮らすだけの話であれば何も問題ありませんよ。子孫を残すかどうかは、また別の話だと思っていますので」


 とりあえずその件は騎士としては不問にすると、イグナーツは言いたげだった。他にも優先するべき話は山ほどある、だから今はそのことに構っていられない、という意図に感じられた。


 それをステラは、イグナーツなりのフォローなのだろうと、前向きに解釈した。

 ステラは、思考が止まりかけた頭を再度動かし、ノラに向き直る。


「ノラさん、私一人だけの力で何をどこまで認めることができるかはまだわからないですが、お二人に幸せな未来が訪れるよう、精一杯努力することだけはお約束します。すみませんが、今はまだ、これしか言えないです……」


 硬い面持ちのステラに対し、ノラは相変わらずの柔らかい物腰で頷いた。


「はい、今はそれだけでも充分です。ありがとうございます」


 そうやって話が一区切りついたところで――不意に、レティシアが眉に深い皺を作り、イグナーツを睨みつけた。


「イグナーツ、さっきから話が見えないぞ。ログレスの軍人たちはともかく、亜人の一般人なんかを集めていったい何になる?」


 聞かれて、イグナーツは恍けるような所作で肩を竦めた。


「“何になる?” それはもちろん、王都奪還に向けての大きな戦力になりますよ」

「彼らに何をやらせるつもりだ?」


 たまらず、シオンも詰め寄るようにイグナーツを睨んだ。


「順を追って話します」


 イグナーツは、テーブルの上に広げられた王都周辺の地図を見下ろした。


「先ほども言ったように、大前提として、ステラ王女はシオン、ユリウス、プリシラの三人で構成した精鋭部隊により王都へ送り届けます。ですが、いくら騎士三人がいたところで、大陸最新鋭の兵器で武装したガリア軍を前に、王女を守りながら聖堂まで突破するのは至難の業と言えるでしょう。そこで、ログレス王国軍と亜人たちの出番です」


 言いながら、イグナーツは赤と青の兵士を模したミニチュアを手に取り、地図の上に並べた。赤がログレス軍、青をガリア軍としているようだ。


「ログレス王国軍は言わずもがな、王都でガリア軍との交戦があった際の主戦力として戦ってもらいます。その際のログレス軍の勝利条件は、ステラ王女が大聖堂に入ること――一度入ってしまえば、あとは我ら騎士団と、教皇率いる十字軍が、戴冠式の終了までステラ王女をお守りします。シオンたち本命部隊が裏でステラ王女を送り届けている間、どうにかログレス軍が時間を稼いでください。ま、今までと変わらず、囮となって陽動してください、ってことです」

「で、亜人たちは?」


 セドリックが聞いて、今度、イグナーツは三種の亜人を模したミニチュアを握る。


「亜人と言っても、役割は種族ごとに異なります。まずは、エルフとライカンスロープたちから説明しますか」


 まず、エルフとライカンスロープのミニチュアが地図の上に置かれた。場所は、王都のど真ん中だった。


「エルフとライカンスロープたちの中でも戦闘員として活躍できる者たちは、ログレス王国軍と同様、王都でガリア軍と交戦があった時の戦闘要員として参加してもらいます。ただし、ログレス軍にそのまま合流するのではなく、遊撃隊として動いてもらいます。ログレス王国軍が攻め入るよりも前に予め王都に侵入してもらい、然るべきタイミングでガリア軍を背後から奇襲してください」


 その作戦内容に、室内にいた誰もが怪訝になった。


「予め王都に侵入? どうやって? 今の王都は無菌室状態じゃないのか?」


 レティシアに訊かれ、イグナーツは不敵に笑った。


「そこは、彼らが亜人であることをうまく利用します。彼らを、ログレス国内で捕獲した奴隷として、王都に忍び込ませるのです」


 その回答に、レティシアは嗤笑気味に鼻を鳴らした。


「バカみたいな作戦だな。そんな大量の亜人奴隷が流れ込んできたら、さすがにガリア軍も不審に思うはずだ」

「その点についてはご心配なく。不審に思われないよう、入念な準備を施します。そこで頼りになるのが、そこで包帯ぐるぐる巻きになっている元ガリア軍人――カルヴァン・クレール氏です」


 突然の指名に伴い、全員の視線がカルヴァンに集められた。


「聞いたところ、なにやら彼はガリア軍の情報連絡網についてかなり詳しいと伺いましてね。暗号化された軍用通信の復号に始まり、軍の要人たちが書簡でやり取りする際の運搬経路まですべて抑えているとか。これを利用しない手はない」

「具体的にはどう利用するのですか?」


 アルバートの問いかけに、イグナーツはまたミニチュアを使っての説明を始めた。


「ガリア本国から、ノルマ達成のきつい亜人奴隷の大量確保命令が出たと、王都に駐在するガリア軍に流します。もちろん、それはこちらが偽装して出した命令です。クレール氏が抑えている情報網を利用し、いかにも本国から出された命令に見せかけます。本国から下された命令、しかも短期完遂を目標にした最重要作戦ともなれば、軍人たちは非常に焦るでしょう。ただでさえ、王都の警備に手を焼いているところに、です。そんな時に、偶然にも大量の亜人たちが王都に奴隷として送られてきたとなれば――」

「ガリア軍にとっては渡りに船となり、怪しまれる隙もなく王都に入り込むができるというわけか」


 アルバートが締めて、イグナーツは満足げに頷いた。

 イグナーツはさらに続ける。


「最後に、ドワーフを含めた非戦闘員の亜人たちですが、彼らには物資の調達に努めてもらいます。主に、弾丸や銃火器ですね」

「んなもん、騎士団がキルヒアイス家から調達して横流しすりゃあいいんじゃねぇか? あとは、グリンシュタットをまたゆすったりしてよぉ」


 ヴィンセントのその案に、イグナーツは難色を示した。


「残念ながら、これについては先にガリアに手を打たれてしまいましてね。ガリア公国に拠点を置くキルヒアイス家の企業が丸ごと人質にされてしまいまして。王都奪還に関連した物資供給は直接的に支援できないと、キルヒアイス家の当主に釘を刺されてしまいました。それと、グリンシュタットからは当然支援してもらいますが、あの国からはすでに小型飛行機の提供を受けています。あまりログレスに肩入れしすぎると、他国の争いに巻き込まれるのではと、グリンシュタット国民の国民感情に過度な不信感を与えてしまうことになる。この一件が片付いた未来のことを考えれば、グリンシュタットの内政は安定した状態に保っておきたいところ、というのが背景で、あまりあの国ばかりに負荷をかけてたくないんですよ」

「なるほどなぁ」


 短く納得したヴィンセントをそれきりに、不意にイグナーツはオーケンを見遣った。


「そういうわけでして、ドワーフと非戦闘員の亜人の皆さまには、銃火器や弾丸、兵器の製造に努めてもらいたいです。武器製造の工場には、とある小国の軍事基地をこっそり借りることができそうなので、進展があり次第、今後の動きをお伝えします」


 その時ちょうど、室内の時計が鐘を鳴らし、正午を伝えた。

 イグナーツが、小気味よく両手を叩いて軽快な音を鳴らす。


「さて、まだまだ詰めなければならないことはてんこ盛りです。一度お昼休みを取り、一時間後に会議再開といきましょうかね」

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