第239話

 地下都市ランヴァニアのとある一画――中央区に位置する高層ビルの屋上に、オルト・アルカードは姿を現した。後ろに十名の市警隊を従え、厳かな足取りで端に向かって進む。

 そして、先に屋上にいた二人の背後に立ち、険しい表情を向けた。


「これで気はすんだか? いずれにせよ、お前たちが望む結果にはならなかったようだが」


 アルカードに声をかけられて振り返ったのは、ジョナサンとミナだった。

 両者とも、ひどく憔悴した顔で、ただでさえ青白い肌色がさらにその色を失っていた。空中戦艦の攻撃を受けて変わり果てた東区の様子を、ここからずっと見ていたようだ。


「……無様だと、僕たちのことを笑いますか?」


 十字軍が思いもよらぬ凶行に走った原因の一端が、反乱者である自分たちにあると、ジョナサンは自覚しているようだった。彼の双眸からは、諦めと後悔、懺悔の色が見て取れた。


「無様だとは思うが、笑えんな。この惨状だ」


 アルカードは厳しい顔つきのまま、淡々と言い放った。

 ジョナサンが、ミナを庇うようにして前に出る。


「伯爵、僕はどんな罰でも受けます。ですが、ミナだけは見逃してもらえないでしょうか? 彼女は――」

「虫がいい話だ。残念だが、その要望に応えることはできない。お前たちはクーデターを企てた主犯として、極刑を受けてもらう」


 アルカードは、一切の甘えを許さない強い口調で言った。


「いったいどれだけの犠牲が出たか――この地獄絵図は、お前たちが軍事力を頼りに教会勢力を手引きした結果に他ならない。これで、俺の言っていたことがよくわかったはずだ。高い授業料になったがな」


 ジョナサンは、ぐうの音も出ないと、小さく項垂れた。

 そんな彼の横をミナが通り過ぎ、アルカードの眼前に立った。


「……最後にひとつ、教えて」


 か細いミナの声に、アルカードは眉を顰めた。


「どうして貴方は、姉さんが貴族になることを頑なに許さなかったの? 姉さんは、あんなに貴族になりたがっていたのに」


 質問を受け、アルカードは目を瞑った。それから一度大きく息を吐き、口を動かす。


「ルーシーが貴族になりたがっていた理由を、お前たちは知っているか?」

「そんなの、貴方と同じになりたいから――」

「そうだ。だから俺は認めなかった」


 その答えにミナとジョナサンが怪訝になる前に、アルカードはさらに続けた。


「俺と同じになることに、いったい何の意味がある。貴族でなければ、俺がルーシーを愛せないわけでもない。超人的な身体能力がなければ、貴族の伴侶としてふさわしくないとも思わない」


 堂々と言い切ったアルカードだが、ミナはそれを鼻で笑い、殊更に馬鹿にした。


「やっぱり、わかっていないね、伯爵。理屈で話せることじゃない。姉さんは、ただ貴方と同じものを見て、痛みや苦しみを分かち合いたかっただけなのに」

「なら、なおさら貴族になる必要はない。種族が同じになったところで、同じものが見られるとも限らない。その逆も然りだ。それに何より、あいつがただの人間であることも含めて、俺はルーシーを愛していた」


 毅然とした佇まいのアルカードに、ミナとジョナサンは気圧されたように揃って口を噤んだ。


「お前たちも、ただの人間から貴族の体になったことで、その不便さがわかっただろう。たとえそれがエゴだったとしても、俺はルーシーに同じ苦しみを味わってほしくなかった。そして最終的に、あいつもそれを理解してくれた。それはお前たちも知っているはずだ」


 ミナとジョナサンは、沈黙したまま顔を俯ける。


「ミナの言う通り、仮にルーシーが貴族になっていれば、俺を狙った襲撃の時にあいつも生き延びることができたかもしれない。だが、そんなものは結果論だ。考えれば考えるほどに、残された者がもしもの未来にただ苛むだけだ」


 アルカードが軽く右手を上げると、後ろに控えていた市警隊が、ミナとジョナサンを手早く拘束した。


「俺の言っていることの意味が分からなければ、監獄の中でよく考えることだな。罪はしっかりと償ってもらうぞ」


 二人はそれに何ら抵抗の意思を示すことなく、市警隊に引かれ、大人しく屋上を去った。


 そして、一人残ったアルカードは――


「……身内ばかりが、俺の周りから消えていくな」


 自身の寂しさを吐露したあと、ランヴァニアを一望した。







 地下都市ランヴァニアの襲撃事件から一週間が過ぎた。

 いまだに街は復興と住民の避難の動きで慌ただしかったが、少しずつ、確実にかつての日常を取り戻しつつあった。


 そんな光景の中、この国の心臓部ともいえる伯爵官邸については、クーデター時の火災を受け、建物の半分が焼失していた。しかし、不幸中の幸いにも、火災時の風向きがよかったのか、残りの半分はほぼ被害を受けておらず、倒壊の恐れもない状態だった。


 官邸内部には、五十人以上の収容を想定した大会議室も無傷で残されており――今はそこに、ステラを含めたシオンたち騎士団の面々と、オルト・アルカード、復興協力に駆け付けたカーミラ・カルンスタインが集まっていた。


「街を襲撃に来た十字軍の迎撃と、住民の避難に協力してもらったことには感謝しよう。だが、この後始末、教会としてどうつけてくれるつもりだ?」


 全員が着席する長テーブルの上座にて、アルカードが不機嫌気味に騎士たちを睨みつけた。

 カーミラが、苦笑しながら大きなため息を吐く。


「まあ待て、アルカード。この惨状を引き起こしたのは間違いなく教会勢力だが、その被害を最小限に抑えてくれたのは騎士団だ。もし彼らがいなければ、被害はこんなものでは済まなかっただろう。礼こそ言って、責めるのは筋違いだ」


 カーミラに宥められ、アルカードはそんなことはわかっていると、鼻を鳴らして応えた。

 それを尻目に、カーミラは肩を竦め、騎士たちを見遣る。


「すまないな。この男も日々国家元首としての仕事に追われてひどく気が立っている。今回の後始末については、もう少し時間をおいてからゆっくりと会話させてほしい」


 カーミラの相談を受け、リリアンが真摯な態度で軽く一礼をして見せた。


「ご配慮いただきありがとうございます。騎士団の窓口にはわたくしが立ちますので、本件についてのお問い合わせは何なりとお申し付けください。つきましては、ここに我々をお招きいただいた件についてですが――」

「そうだな。さっさとそちらを話してしまおうか」


 早速、本題に入ろうと、カーミラとアルカードが少しだけ表情を険しく改める。


「単刀直入に訊こう。教皇たちは、この国に何をしに来たのか、君たちは予想できるか?」


 カーミラからの問いかけに、シオンたちは少しの間黙った。

 そんな中、先に口を開いたのは、ヴィンセントだった。


「何って……王女を隠すためだろ?」


 その答えに、アルカードは首を横に振った。


「それだけであれば、この国の反乱者と結託する必要はないはずだ。密入国のための内通者を用意するのであれば、馬鹿な役人を適当に捕まえて大金を渡すだけでいい。それこそ、ヴァーニィのようなやつをな」


 カーミラもそれに頷いた。


「不可解な点はまだある。というより、これが一番理解できない。何故、教皇たちは空中戦艦を三隻も出してまでランヴァニアを襲撃したか――それも、教皇自らと、直属の部下である枢機卿を二人も引き連れて」


 確かにと、騎士たちは難しい顔になった。

 そんな時、ふとアルバートがシオンに視線を送った。


「シオン、何か思いつくことはないか? この中では、弟子であった君が一番、教皇の思考パターンに詳しいはずだ」


 言われて、シオンは少しだけ不機嫌な顔つきになった。自分がガイウスの弟子であったことは紛れもない事実だが、それを改めて言われてしまうと、やはり不快な思いが湧き上がってくる。

 シオンは一度深呼吸をしてそんな感情を無理やり飲み込み、


「……本当にただの思い付きだが――」


 そう切り出し、徐に口を動かした。


「従騎士だった時、ガイウスからは色んな戦い方を学んだ。そのうちの一つに、混乱を陽動にした襲撃作戦がある」


 それを聞いたレティシアが舌打ちした。


「そんなもの、別に特別な戦法でもなんでもないだろう」


 何を当たり前のことを、と、露骨に苛立ちを見せる。

 シオンは苦虫を嚙み潰したような顔になった。


「わかっている。ただ、ガイウスにしては――なんというか、粗末な戦い方なのに、結構多用することが多かったから、記憶に強く残っている」


 シオンの言葉に、アルバートが首を傾げた。


「粗末?」

「ガイウスは基本的に勝てる見込みのある戦いしかやらない。単純な武力だけではなく、政治や人脈を使い、詰めるような戦い方を好んでいた。だが、時々、考えることが面倒くさくなったのか、手段がほかにないからかはわからないが、敢えて場の混乱を生み出し、その隙に本命を打ち取るという大胆な作戦を取ることがあった」

「今回もそれに類するものだと?」

「この国には教会の権力が一切効かない。いくらガイウスでも、政治的な圧力を利用しての謀ができないはずだ。もしかすると、反乱因子を扇動し、この街を襲撃することで、何か別の目的から俺たち騎士団や三貴族の目を欺きたかったのかもしれない。まあ、さっきも言ったように、本当にただの思い付きだけどな」

「そういえば――」


 アルカードが、思い出したように口を挟んだ。


「反乱者たちは、見返りの代償に“ある土地”を教会に明け渡すことも予定していたようだ。ヴァーニィの領地にある南の海のすぐ近く、広大な平野だが――」

「あそこは不毛の大地で、文字通り何もない。年中通して荒れた海からくる潮風のせいで、草木すらまともに育たない。建物についても同じだ。強い潮風のせいで、施設の維持が非常に難しい」


 カーミラが、そう詳細を補足した。

 それを聞いたセドリックが、ふむ、と顎に手を添えて呻った。


「その土地から、我々の目を逸らしたかったと?」

「あんな不毛の大地を手に入れたところでなんのメリットがあるのか、まったく見当がつかないがな」


 結局、今の手持ちの情報では何もわからなかった。

 大会議室に、停滞の雰囲気を孕んだため息が一斉に放たれる。


 そんな時――


「ステラ? 何ぼーっとしてんの?」


 エレオノーラが、隣に座るステラに声をかけた。


「え、あ、ご、ごめんなさい。話はちゃんと聞いてます」


 ステラは、彼女の正面の壁に掛けられていた、大陸の地図を興味深げに見ていた。

 唐突に声をかけられ、慌てた様子で皆の方に向き直るステラ――その姿に、シオンが何気なく首を傾げた。


「その地図が気になるのか?」

「はい。なんか、珍しいなって思って」


 ステラが気になって見ていたのは、ユリアラン大陸の全体図――しかし、それは北を上にしたものではなく、東を上に記していた。世に流通している地図のほとんどが北を上にした横に長い地図だが、この部屋にある地図に関しては、縦に長かった。


「確かに、珍しいな。大陸の東側を上にした地図か。この国での大陸地図はこれが標準なのか?」


 シオンの問いに、カーミラが頷いた。


「標準といえば、そうかもしれない。大陸全体の地図に限っては、なぜか東を上にしたものが多いな、この国では」


 それ聞いたエレオノーラが、物珍しそうに驚く。


「へー、なんで?」

「さあ。“写本の断片”にも記されていない。昔からそうだったから、としか言いようがないな」


 そんな余談に花が咲く一方で――


「なんか、縦に細長くて、こうして見ると“大きな樹”みたいですね……」


 ステラが、ぽつりとそう言った。

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