第238話

「酷い有様だな」


 黒い空中戦艦の艦橋にて、ヴァルターは大した感慨もなさそうに、平坦な声で呟いた。その目に映るのは、“魔術の窓”に映し出された、地下都市ランヴァニアの変わり果てた姿だった。街全体の二割に及ぶ範囲が砲撃を受け、東区を覆う天井は無惨に崩壊していた。その隙間から見えるのは、荷電粒子によって焼き払われた地下街の姿――昼下がりの日の光が照らす光景には、家屋の残骸すらもなく、ただ焼け焦げた土地があるだけだった。


 ヴァルターの後ろに立つリリアンが、深々と一礼する。


「ご協力に感謝いたします、ヴァルター様」


 神妙な顔のリリアンを見たヴァルターが、小さく鼻を鳴らした。


「礼を言うのは早い、まだ私の手が必要だろう。あとでドローンを手配する。吸血鬼以外はそれで地上に避難できるはずだ」

「それは少しお待ちください。オルト・アルカード伯爵に我々の支援申し入れを受け入れていただく必要がございます」

「わかっている。私は、さっさとオルト・アルカードと話を付けろと言いたいのだ」


 しかし、リリアンはヴァルターの注文に難色を示した。


「早速そうさせていただきたいのですが、氏の姿がどこにも見当たらず……」

「逃げ出したのか?」

「いいえ、伯爵の人柄から、それはあり得ないかと」


 ヴァルターは呆れた溜め息を吐いて、艦橋の正面側に向き直った。


「まあいい。私の力が必要になったら、声をかけてくれ。私はそれまで、ガイウスたちが戻ってこないか、ここで見張っているとしよう」


 腰の後ろで手を組み、ヴァルターはそれきり黙ってしまった。

 そんな彼に、リリアンは再度一礼し、艦橋を後にした。


 艦橋を出たリリアンは、その足で会議室へ向かった。重々しい扉を開いた先にあるのは、三十人以上の収容を想定した巨大な部屋だ。無数のテーブルと椅子が並べられており、さながらホテルのラウンジを彷彿とさせる。


 会議室にはすでに先客がおり、ヴィンセント、レティシア、セドリックが時間を持て余した様子で各々寛いでいた。


 リリアンが会議室に入るなり、不意にヴィンセントが椅子から立ち上がった。ヴィンセントはそれから、右手の甲で軽く壁を二回叩いた。


「リリアンが言っていた“望み”ってのは、この空中戦艦のことだったんか。まさか、ヴァルターのジジイがこんなもんを隠し持っていたとはねぇ」

「はい。ヴァルター様は有事に備え、教皇庁に知られることなく、秘密裏に先代の“セラフィム”を改修し、保管しておりました。この街から脱出するための最終手段として協力を要請したのですが――」

「これがなかったら、俺たち皆、最悪死んでいたかもしれねぇなぁ」


 教皇とステラの取引で騎士たちの命は保障されていたとはいえ、短時間で大都市の二割を焼失させるほどの砲撃である。長引いた場合に、巻き込まれていた可能性もあった。ヴィンセントの発言には、その場にいた全員が無言で同意した。


 次に、セドリックがリリアンに向き直った。


「それにしてもリリアン、お前も人が悪い。こんなものがあるなら、せめて議席持ちの俺たちには知らせておいてもよかっただろう」

「申し訳ございません。騎士団内部でも、情報漏洩を防ぐために最重要機密の一つとして管理されておりました。ヴァルター様からも、実際に使用される場面にならなければ決して口外しないようにと口止めされており」


 それを聞いたレティシアが、足を組み直しながら忌々しそうに舌打ちをした。


「相変わらず隠し事が好きな、いけ好かない老害だ」

「それでもイグナーツよりはマシだろう」


 セドリックの突っ込みに、レティシアは苦虫を嚙み潰したような顔で黙った。どっちもどっちだ――そんなことを大声で言いたそうな表情だった。


「で――」


 仕切り直すように、ヴィンセントが声を張った。


「シオンとアルバートの容体はどうなんだ?」


 訊かれて、リリアンは下に視線を落とした。シオンとアルバート、それに王女を回収した後に、二人の応急処置を請け負ったのはリリアンだった。二人の身柄を回収してからつい一時間ほど前まで、瀕死の状態のシオンとアルバートに外科的な治療を施したばかりである。今は二人とも、艦内の医務室で体を休めているところだ。


「ここでできる処置は施しました。アルバート様については、暫く戦うことはできないと思われますが、命に別状はございません。二、三日もすれば、また剣を手にすることも可能でしょう」

「問題は、シオンか」


 セドリックの言葉に、リリアンは頷いた。


「生きているのが不思議なほどのダメージを受けております。今は眠っている状態ですが、いつ目を覚ますか……」


 レティシアが、つまらない漫談を聞かされたような溜め息を零した。


「ガラハッドと教皇相手に正面から挑むからだ。性懲りもなくな」

「お前も人のことが言えた口か、レティシア。聖王祭で教皇に斬りかかったこと、忘れたとは言わせないぞ」


 すかさずセドリックからお前が言うなと、鋭く刺された。レティシアは少しだけバツが悪そうな顔になって、それきり黙り込んだ。


 そんなやり取りを遠目から見ていたヴィンセントが苦笑しつつ、


「そんで、俺たちはこれからどうする?」


 リリアンにそう訊いた。

 リリアンは、珍しく自分から椅子に座り、自身の体を休めながら口を動かした。


「まずは、伯爵の行方を追いましょう。街の住民の避難に協力し、その後で共に状況の整理ができればと」


 セドリックが顎に手を添え、低く呻る。


「王女を取り戻すという目的は叶ったはずだが、どうにも後味の悪い結果になったな」

「今となっては、王女を教皇罷免の一番槍にすることも難しい状況だ。それに、いつまでも子守をするわけにもいかない。王女の扱いを見直す頃合いだろうな。今の騎士団では、完全に持て余した状態だ。恐らくはガイウスも、それがあって王女をこちらに引き渡したのだろう」


 シビアな見解を出したレティシアだが、それは時期尚早だとリリアンが視線で返した。


「しかし、ログレス王国をいつまでもガリア公国の支配下に置いておくことはできません。ステラ様についてのこれからは、総長と副総長の御判断を仰ぐしかないでしょう」


 確かに、と全員が沈黙で肯定する。


「王女様も、肩身の狭い思いをすることになりそうだなぁ」


 ヴィンセントが、ソファの上に腰を下ろしながら、何気ない様子で言った。







 何の前触れもなく、シオンは目を覚ました。彼の赤い双眸に映るのは、無機質な医務室の天井――それを理解した時、ふと口から大きな吐息が漏れた。

 その直後、不意に二つの顔が、ベッドで仰向けになるシオンを覗き込んだ。


「シオンさん!」「シオン!」


 シオンの右側から姿を現したのは、ステラとエレオノーラだった。両者とも、不安げな面持ちで、今にも泣き出しそうな顔だった。


 シオンは数回瞬きした後で、徐に上体を起こす。


「……ステラ?」


 ガラハッドに負けたというのに――そればかりか、ガイウスまでもが現れたあの状況で、どうしてステラが今自分の近くにいるのか――シオンはそんな疑念を抱きつつ、眉間に深い皺を作った。


「ここはどこだ? ガラハッド――いや、ガイウスは!?」


 そうだ、ガイウスがいたのだと、シオンは一気に頭に血を昇らせた。

 若干、取り乱しそうになっているシオンを、ステラとエレオノーラが慌てて落ち着かせようとした。


 そこへ――


「ここは先代の“セラフィム”の中、医務室だ。教皇たちは、ヴァルター卿がこの船を使って追い払ってくれた。ステラ様も、この通り、奪還に成功している。だが……」


 隣のベッドに腰を掛けていたアルバートが、立ち上がり、シオンの左側に付いた。

 体中包帯まみれのアルバートの姿を見て、シオンが平静さを取り戻す。


「……何があった?」

「私から、今の状況を説明しよう。結論から最初に言っておくと、あまり芳しいものではない」


 それからアルバートは、十五分にわたって、シオンが意識を失ってからの事の顛末を話した。

 ガイウスが騎士団にステラの身柄を預けたこと。三隻の空中戦艦が地下都市ランヴァニアを強襲したこと。それをヴァルターが阻止したこと。今はその騒動が終わってから六時間ほどが経ち、空中戦艦内部で一時休憩の状態となっていること。


 すべてを聞き終えたシオンは、難しい顔で改めてアルバートを見遣った。


「つまり、ステラはもう教皇罷免に向けた一番槍として機能しなくなったと?」

「ああ。それに恐らく、今のステラ様の存在は、教皇たちすらも持て余してしまうのだろう。奴らは我々よりもガリアと距離が近い分、ステラ様の扱いに悩むはずだ。手元で匿えば、ステラ様の身柄を引き渡せとガリアから執拗に迫られるのは目に見えている。適当にあしらうだろうが、煩わしいことに違いはない」

「だったらいっそ、騎士団に奪われたことを口実に、戴冠式の開催まで身柄を預けてしまおうってことか」


 シオンの考察に、アルバートは深く頷いた。


「それと不都合なことに、ステラ様が女王になったとしても、教皇が戴冠式の舞台を整えてしまった以上、彼に批判的な立場を取ることは非常に難しいだろうな。現時点で、大陸四大国のうち、アウソニア連邦、ガリア公国、ログレス王国が教皇に逆らえない立場になったと言っていい。グリンシュタットは政教分離に動いてはいるが、表立って教皇を罷免に追い込むほどの度胸はないだろう。それこそ、ログレスがいれば、一緒になって戦ってくれたかもしれないが……」


 アルバートが最初に言った通り、騎士団側として非常に芳しくない状況であった。シオンが重い息を吐いたのと同時に、室内に良くない雰囲気が蔓延する。


 その時、それまで借りてきた猫のように大人しく、俯いていたステラが、口を開いた。


「――私が、浅はかだったんです」


 ステラの声色には、明らかな悔恨と反省の情が込められていた。


「どんな手を使ってでも、さっさと私が女王になれば、色んな争いが収まるだろうと考えてしまったんです。それに、教皇と取引をして、騎士団にも手を出させないようにすれば、周りの誰も死ぬことはないだろうって、勝手に判断して……」

「ステラ……」


 膝の上で両拳を強く握りしめるステラに、エレオノーラが寄り添った。

 ステラの青い瞳は、今にも涙がこぼれ落ちそうなほどに滲んでいた。しかし、気丈にも唇を上の歯で噛み締め、何とか堪えようとしていた。


 シオンが、憂いを帯びた顔つきで、ステラに向き直った。


「お前なりに、ログレスの国民と、俺たちのことを考えて取った選択なんだろ? 事実、国を取り戻す手前まで来ている状況ではあるし、お前の取引で救われた命が今ここに二つある。騎士団の思惑にならなかったというだけで、お前の振る舞いは王族然としたものだ。それに何より――」


 ステラが、ふるふると、弱々しく面を上げる。


「戻ってきてくれて、本当によかった。騎士団の作戦以前に、俺もエレオノーラも心配した」


 そしてついに、シオンのその一言を聞いて、涙が決壊した。嗚咽こそ出さなかったものの、ぽろぽろと涙の雫を幾つも落とし、両腕を何度も顔に擦りつける。そんな様子のステラを、エレオノーラが微笑みながら抱き締めた。


 次にシオンは、アルバートに視線を戻した。


「ところでアルバート、俺たちはこれからどうなる?」

「私と君は暫くここで養生だ。恐らく私は三日もすれば解放されるだろうが、君に関しては、一週間は見ておいた方がいい。今も、上半身を起こしていることすら辛いだろう」

「リリアンたちは?」

「住民たちの避難に協力しようとしているみたいだが、伯爵を見つけられないでいる。よそ者の私たちが勝手なこともできない、まずは彼の許可を得る必要がある」

「許可を得るって……今更感があるな」

「これも政治だ。然るべき順序を踏めるときは、そうすることが先決だ。ただ、いつまでも被災した住民を放置するのも忍びない。短めの時間制限を設け、それでも見つからなかったら未許可で救助に当たるだろう」


 言って、アルバートは扉に向かって踵を返した。


「どこに行く?」

「リリアンたちに君が目覚めたことを伝えに行く。怪我人――それも大けがを負った君は、ここで大人しくしているように」


 どこか釘を刺すような言い方に、シオンは少しだけむっとなった。

 そんな彼の横顔を、ステラが心配そうにのぞき込む。


「あの……大丈夫、なんですか? 一般人だったら、もう手遅れみたいな怪我を負っているって、リリアンさんが……」


 しかし、シオンはステラのそんな問いには答えず、


「お前は元気そうだな」


 皮肉っぽく、それでいて少しだけの羨ましさを込めてそう言った。

 そんなシオンの、共に旅をしていた時と同じような口調に、ステラは緊張が解けたように微笑した。


「そう言うシオンさんは、ぼろぼろですね」

「主にお前のせいでな」

「ちょ、ちょっと、さっきと言っていること違くないですか?」


 急に辛辣になったシオンに慌てるステラ――そんないつもの二人のやり取りを見て、エレオノーラが笑った。それから彼女は、シオンの上半身をやんわりとベッドに寝かせた。


「はいはい。言い合いもほどほどにして、シオンもステラも、まずはゆっくり休んで。これから先のことは、休んだ後で考えよ?」


 掛け布団をかけられ、シオンは全身の力を抜きながら、大きく深呼吸をした。


「ああ、そうだな……」

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