第237話

 “銀翼の天使”たちは、日の出を光背に、東の空から姿を現した。

 “セラフィム”、“ケルビム”、“スローネ”――三隻の空中戦艦が、巨獣の唸り声のような稼働音を上げながら、凍てついた大気の中を厳かに突き進む。


 やがてその巨影がとある区画に差し掛かった頃、船体の下に備え付けられた無数の砲台が、一斉に地上へ照準を定めた。

 その先にあるのは、総人口二百万人は超える地下都市ランヴァニア――国家元首オルト・アルカードの失踪、及びストリゴイの襲撃など、今なお混沌とした状況にあるこの街に、聖なる魔の手が迫っていた。


 ふと、三隻の空中戦艦が前進をやめてその場に滞空する。その直下には、ちょうど地下都市ランヴァニアの東区がある。


 そして、三隻すべての砲台から、裁きの雷の如く、光の槍が放たれた。







 鋼の空に亀裂が入った。

 その異変にいち早く気付いたのはリリアンで、彼女の反応を見た他の騎士たちが、次々とその場所を見遣る。


 街の天井に走った亀裂が、徐々に大きくなっていった。そればかりか、亀裂は数を増やし、やがて赤熱するようになる。異様な重低音が鳴り出し、街全体が小刻みに震え出した。

 街の住民たちもそれに気付き、街中を飛び交うストリゴイの事など忘れ、不安げな面持ちで鋼の空を見上げる。


 直後、すべての亀裂が破裂し、いくつもの巨大な穴が天井に空いた。そうやって鋼の空を貫いたのは、無数の光の柱で――それらは、一瞬のうちに街の東部分を広範囲に焼き尽くしてしまった。


「始まった!」


 その光の柱の正体は、紛れもなく空中戦艦から放たれた荷電粒子による砲撃だった。電荷を帯びた重金属粒子を大量に収束させ、それを亜光速に匹敵する速度で一気に射出したのである。標的となった物体は重金属粒子との摩擦と衝突により莫大な熱を放出して消滅してしまう。先ほどの攻撃によって焼き払われた場所には、文字通り、何も残っていないだろう。


「リリアン、どうする!?」


 ヴィンセントに訊かれ、リリアンはその精巧な蝋人形のような顔を珍しく焦燥に曇らせた。


「……パーシヴァル様の情報を頼りに、避難いたしましょう。現状、わたくしたちにできることはそれだけです」

「街の住民は? オルト・アルカードがいつの間にか姿を消したぞ。住民の避難のために動いたと思われるが……」


 レティシアの問いに、リリアンは首を横に振った。


「今この時においては、何も打つ手はありません。住民の避難も、わたくしたちではどうにもならないでしょう。伯爵にお任せするしか……」


 リリアンは台詞の最後を尻すぼみにした。そんな彼女の肩を、エレオノーラが揺さぶる。


「パーシヴァルに教えてもらった場所に誘導するのは!? このままじゃ何人もの住民が犠牲になる!」

「住民全員の安全が確保できるほどの広さがあるとは思えません。下手に広めてしまっては、かえって大きな混乱を招いてしまいます」

「そんな……何もできないの……?」

「望みがあるとすれば――」


 リリアンが何かを言いかけた時、砲撃の第二波がきた。新たな光の柱が、天井に別の穴をあける。轟音と熱波が街全域に広がり、至る箇所から悲鳴が上がった。


 挙句、天井に開けられた穴からは太陽の光が差し込み、“天使の梯子”――薄明光線の如く地下に降り注いだ。それは吸血鬼たちの身体を瞬く間に焼き、彼ら彼女らに最大限の苦痛を与えたのち、死に至らしめた。


 審判の日――そう言われたとして、何も否定できない光景が、そこにはあった。







 ガイウス、ガラハッド、パーシヴァルの三人は“セラフィム”の艦橋にいた。床と、天井いっぱいに描かれた巨大な印章以外に何もない無機質な空間――印章の中央に立つパーシヴァルが、外の様子が投影された“魔術の窓”を見ながら肩を竦めた。


「東側の区画はもう少しでカタがつく。三隻もあると、さすがに進みが早い」


 “魔術の窓”には、穴ぼこにされた地上が映っていた。黒煙と炎が揺蕩う隙間から覗くのは、太陽のもとに晒された地下都市ランヴァニアの一部だった。


「ガイウス、ここまですることに、本当に意味があるのか?」


 不意に、ガラハッドが隣に立つガイウスにそう尋ねた。

 ガイウスは前を向いたまま口を開く。


「良心が痛むか?」

「いや、まったく」

「なら、何を気にしている?」

「わざわざ空中戦艦を三隻も出してまでこの国に深手を与えずとも、“セフィラ”を確認できた時点で目的は果たせたのでは? 空中戦艦を稼働させるにも、それなりの費用と労力がかかっただろう」

「この国は教会の管理下にない。ゆえに教皇庁による政治的な裏工作をすることも、継続的な圧力をかけることも難しい。国の復興に慌ただしくなってもらうことが、動きを封じるのに一番適した手段だ。ここまで来て、万が一にでも“セフィラ”の存在を知られ、破壊されては堪ったものではないからな」


 ガイウスの回答に、ガラハッドはさらに眉を顰めた。


「オルト・アルカードとカーミラ・カルンスタインが“セフィラ”の存在をすでに知っている可能性は? もしそうであれば、この粛清も意味をなさなくなるのでは?」

「その可能性はないだろう。あれの存在は、“聖域”にある“写本”にしか記されていない。今この世において、“セフィロト”を知っているのは俺たち五人だけだ」


 なるほど、とガラハッドは最後に言って、それきり黙った。


 二人がそんなやり取りをしている間にも、地上への攻撃は続いていた。

 パーシヴァルが後ろを振り返り、ガイウスを見遣る。


「もうすぐ、街の二十パーセントに対して砲撃が完了する。まだやるかい?」

「ああ。だが、やり過ぎるな。街を捨てきれず、復興可能と判断される程度には損害をとどめておく必要がある」

「難しい注文をしてくれるね、教皇猊下」


 パーシヴァルは鼻を鳴らして前に向き直った。


「まあ、いいさ。空中戦艦を三隻も駆り出した折角の機会だ。どうせなら色々試しておこう。“あれ”のための予行練習も兼ねて――」


 突然、船内に警報が響いたのは、そんな時だった。


「会敵? 何が起こった?」


 通常、空中戦艦が会敵を起因に警報を鳴らすことは、あり得ないことだった。

 会敵による警報が鳴る条件は、空中戦艦に匹敵しうる何かしらの強大な戦力が迫っている場合のみ。しかし、空中戦艦を除く既存兵器――銃火器や戦車ではまったく以て相手にならず、警報を出す条件を満たすことはない。可能性としては、同じ空中戦艦からの会敵だが、今は、十字軍がそのすべてを独占している状況だ。


 いったい何が迫っているというのだろうか――


「――まずい!」


 パーシヴァルが焦りの声を上げつつ、滞空状態だった“セラフィム”の舵を即座に右に切った。直後、“セラフィム”の脇を一本の巨大な光の槍が通り抜ける。それは、地下都市ランヴァニアを焼き払った荷電粒子の砲撃と同様の光であり、出力はそれの数倍はあった。“セラフィム”は直撃こそ避けられたものの、船体の左部分に光を掠めてしまい、火を上げていた。


 何事かと、ガイウスたちは揃って“魔術の窓”に映し出された外の景色を見た。

 “セラフィム”、“ケルビム”、“スローネ”のいる場所から遥か数十キロ先の空――そこに、一つの巨大な黒い空中戦艦が浮かんでいた。


「あれは……」

『――聞こえるか、クソガキども』


 突如として、艦橋内部に年老いた男の声が響いた。どうやら、“セラフィム”の通信電波をジャックし、艦内放送として流しているようだ。

 ガイウスたちは、その声の主が誰なのか、すぐに理解した。


「ヴァルター・ハインケル……」


 議席Ⅳ番――ヴァルターであることは、自明だった。恐らく、正体不明の黒い空中戦艦を操舵しているのも、あの老騎士なのだろう。

 そして、“セラフィム”に向かって放たれた先の砲撃も、ヴァルターの仕業のはずだ。


『お前たち、少々はしゃぎ過ぎだ。それ以上好き勝手に暴れるのであれば、私が相手をしよう』


 その警告から間髪入れず、今度は“ケルビム”と“スローネ”に向かって光の槍が放たれた。二隻は電磁波による防御障壁を展開しながら横に舵を切り、どうにか直撃を避けた。だが、咄嗟の砲撃に反応しきれず、光の槍は二隻の船体の一部に触れてしまい、“セラフィム”と同様に火を上げる事態になってしまった。


「あの黒い空中戦艦は先代の“セラフィム”……廃棄せずにリビルドしていたか。やってくれたな、クソジジイ……!」


 パーシヴァルが、強く歯噛みしながら唸り、笑った。


『聞こえているぞ、パーシヴァル。お前のそんな悪態は久しぶりに聞いた。私の弟子だった頃を思い出す』


 ヴァルターが揶揄うと、パーシヴァルは心底悔しそうに拳を床に叩きつけた。

 そこへ、


「パーシヴァル、ここは退くぞ」


 ガイウスが前に出て、パーシヴァルを宥めた。


「街への攻撃は?」

「少し心もとないが――まあ、いいだろう。それよりも、今この局面で“あの機体”に乗ったヴァルターを相手にしたくない」

「僕が負けると? こっちは三隻だ、やれるは――」

「あの機体は、約三十年前にヴァルターが一人で幾つもの国を武力制圧した際に用いたものだ。一筋縄で討ち取れるものではない。ここで真正面からやりあうのはリスクが大きすぎる。それに――今は、空中戦艦を一隻たりとも無駄にすることはできない」


 ガイウスの最後の一言に、ヴァルターが、ほお、と声を漏らした。


『興味深い話だな。お前たち、空中戦艦を随分と大事にしているようだが、それを使って何を企んでいる?』


 それを聞いたパーシヴァルが、犬歯を剥き出しにし、引きつった笑顔で応えた。


「貴方には関係ありませんよ、先生――」


 刹那、また黒い空中戦艦から光の槍が放たれた。今度は、“セラフィム”に直撃した。


『そうか、野暮なことを聞いて悪かった。では、とりあえずお前たちの乗る“セラフィム”を沈めておくことにしよう』


 艦橋内に更なる警報が鳴り響く。“セラフィム”は墜落こそしなかったものの、もはや半壊一歩手前の状態だった。あと一発、荷電粒子による砲撃を受ければ、沈むことは火を見るよりも明らかだ。


「パーシヴァル、急げ!」


 パーシヴァルは、なおもヴァルターに挑みたそうにしていたが――ガイウスからその命令を受け、三隻の空中戦艦を地下都市ランヴァニアの上空から遠ざけた。

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