第232話
第三ターミナルの中階層――迷路のように入り組んだコンクリート造りの通路を、アルカードはステラを肩に担ぎ、走り抜けていた。
「放してください! 勝手なことされると困ります!」
非常用階段を目指す道中、ステラは手足をばたつかせながら終始喚いていたが、その一言がついにアルカードの顔を不快に歪めさせた。
「勝手なことをされて迷惑を被っているのはこちらだ。人様の国に土足で上がり込み、教会の内輪もめの舞台にしているのはそちらだろう」
アルカードに正論を言われ、ステラは、うぐ、と声を詰まらせる。
ステラが静かになったのをこれ幸いにと、アルカードはさらに足を速めた。しかし、不意に次の曲がり角から複数の足音が慌ただしく響き、咄嗟に身を隠す。
「さすがに気付かれたか?」
このまま気付かれずに非常用階段まで行けるのではと考えていたが、果たしてどうだろうか――そんな期待と不安を抱き、足音の動向を伺うと、
「四班は至急下層に迎え!」
曲がり角から飛び出てきたのは、武装した貴族たちだった。市警隊とはまた別の、軍属の兵士だ。恐らく、ジョナサンやミナと同じく、反体制派の思想を持つ貴族だろう。
彼らは何やら非常に慌てていたが、アルカードやステラを探しているという感じではなかった。
アルカードがそれに違和感を覚えていると、
「相手は騎士だ! 手加減の必要はない!」
兵士たちからそんな言葉が出てきた。
次いで、兵士たちが続々とエレベーターに乗り込み、下層へと降りていく。
「騎士?」
「下で何かあったんでしょうか?」
アルカードが眉間に皺を寄せると、肩の上のステラも胡乱な声を上げた。
「わからない。だが、好機だ。この騒ぎのお陰で、ここから脱出しやすくなるぞ」
そして、再度走り出す。
エレベーターの正面を横切った先の突き当り――視界に入ったのは、目的地の非常用階段の扉だ。
アルカードはさらに速度を上げる。
しかし――
「お待ちください、伯爵」
ジョナサンが脇の通路から姿を現し、アルカードの行く手を阻んだ。ジョナサンの顔には、微かな焦燥と怒りの色が浮かんでいた。
「やってくれましたね。まさか、大胆にも騎士にここを襲撃させるとは」
「何の話だ?」
心当たりのない発言に、アルカードは咄嗟に顔を顰めた。次いで、後ろに誰かの気配を感じ取る。
振り返ると、そこにはミナがいた。
「とぼけないで。騎士が二人、ここを襲撃しにきた。貴方と、そこの王女様を助けに来たんでしょ」
アルカードにとってそれは寝耳に水だった。まさか、騎士が助けに来てくれるとは、彼も思ってもみなかった。
「悪いが、俺は本当に何も知らない。しかし、もしそうだとすれば僥倖だ」
アルカードが不敵に笑うと、ジョナサンが呆れたように鼻を鳴らした。
「残念ながら、そう簡単に事がうまく運ぶなど、あり得ません。ガラハッド枢機卿猊下がすでに向かわれました」
しかし、アルカードはさらにそれを嗤笑で返す。
「それの何が問題だ? 騎士たちがあの化け物を引き付けてくれるおかげで、ここから確実に脱出できる条件が整った。嬉しい誤算だよ」
ぴくっ、とジョナサンのこめかみに力が入る。
「僕とミナを相手にここを突破できると、お思いで?」
直後、ジョナサンとミナから静かな殺気が放たれた。
アルカードはステラを降ろし、貴族特有の鋭い犬歯を見せびらかすように笑う。
「当然だ」
※
第三ターミナルの北東側から入ると、そこは物資運搬用の駐車場に繋がっていた。競技場並に広い空間にあるのは幾つもの支柱と、数台のトラックだけ――しかし、そこは今まさに騎士と吸血鬼が衝突する戦場と化していた。
ターミナルの中階層へと続く非常用階段の扉を目指すシオンとアルバート、それを阻む武装した吸血鬼の兵士たち――駐車場には、銃撃音と吸血鬼の悲鳴が絶えず響いていた。
「さすがに数が多い。倒してもすぐにエレベーターから増援が補充される。もう二十人は斬り伏せたぞ」
銃撃を避けるため、トラックの影にいったん身を潜めたアルバート――先に同じ場所に隠れていたシオンが、その隣で顔を顰めた。
「このままだとジリ貧だ。いつまでたっても上の階層に上がれない」
「だが、捨て身の強行突破は危険すぎる。相手がただの人間ならそれもできたが、さすがに吸血鬼の兵士相手では無理だ」
「俺とお前なら“帰天”で切り抜けることはできるが?」
「駄目だ。今ここで無駄に体力を消耗したくない。もしもガラハッド枢機卿猊下と交戦した時に、逃走する手段を失う」
シオンの顔が更に歯痒く歪められた。
「このまま馬鹿正直に吸血鬼を相手取っても、結局は体力切れを起こすぞ」
「ならどうする? 先走っても結果は同じだ」
シオンたちがオルト・アルカードの救出に乗り出し、第三ターミナルに侵入してからすでに十五分が経過した。当初は隠密行動による救出を試みたが、吸血鬼の索敵能力によってそれは叶わず、結果的にこのような大乱戦となってしまった。それから二人は、吸血鬼の兵士を相手取りひたすらに斬り伏せていたが、絶えず増員されるこの状況に、完全に膠着状態となってしまった。
先に進もうにも、自分たち騎士と同等の身体能力を持つ吸血鬼を何十人も相手に切り抜けるのは、騎士団屈指の戦闘力を持つシオンとアルバートであっても、さすがに二の足を踏まざるを得なかった。
どうにかしてこの状況を打開する方法がないか、戦闘しながらシオンとアルバートは会話を続けていたが、一向に妙案が思い浮かばなかった。
そうこうしている間に、そろそろ盾にしているトラックが耐久力をなくし、また攻撃に転じる必要が出てきた。
シオンとアルバートは互いに合図を出し、剣を構えてトラックから姿を出そうと足に力を込める。
不意に駐車場全体が眩い光で満たされたのは、その時だった。
「なんだ!?」
直後に起こったのは、吸血鬼たちの絶叫――光が止み、シオンとアルバートの視界に映ったのは、皮膚を焼かれ、痛みでのた打ち回る吸血鬼たちの姿だった。
光による吸血鬼への強襲――こんなことができる人物は、一人しか心当たりがない。
「リリアンか!」
アルバートが叫ぶと、それに応じるようにして、リリアンがふわりと姿を現した。その後を追うように、エレオノーラ、ヴィンセント、レティシア、セドリックも到着する。
シオンとアルバートに合流したリリアンたちは、すぐに陣形を確保して次の攻撃に備えた。
シオンがリリアンを見遣る。
「この街から脱出する手段は確保できたのか?」
「今、カーミラ・カルンスタインが準備を進めている最中です。それと、ヴァルター様にも協力の要請をいたしました」
「ヴァルターに? 何を頼んだ?」
「それは――」
リリアンが答えようとした瞬間、吸血鬼たちから複数の手榴弾が投げ込まれた。しかし、爆発の直前に床から巨大な防壁が現れ、難なく直撃を回避する。
防壁は、エレオノーラが魔術で造り出したものだ。
「ちょっと! 早くステラと伯爵を探してここから脱出しないと身が持ちそうにないんだけど!」
防壁を盾に、銃で応戦するヴィンセントがそれに同意する。
「エレオノーラちゃんの言う通りだ! やること済ましてさっさとここから出ようぜ! 吸血鬼の数が多すぎる! このままじゃあ数の暴力に負けちまう!」
それを殊更に証明するかの如く、駐車場の至る扉から吸血鬼たちの増員が送られてくる。
リリアンがシオンとアルバートに向き直った。
「アルバート様、シオン様。この場はわたくしたちが対応します。吸血鬼たちの注意がこちらに向いている間に、お二人はステラ様とオルト・アルカードの救出を」
リリアンの作戦に、二人は頷いた。
「シオン、今こそ強行突破だ! このまま非常用階段の扉に向かって――」
アルバートがそう言いかけて、すぐに黙った。
どういうわけか、あれだけ激しかった吸血鬼たちの攻撃が、嘘のように止まったのだ。
何が起こったのか確認しようと、シオンとアルバートが防壁の影から身を乗り出す。
視界に入ったのは、吸血鬼たちが不気味に整列する姿――物資運搬用の専用エレベーターの巨大な扉が、厳かな音を立ててこのフロアに止まった。吸血鬼たちの隊列は、まさにこのエレベーターの扉の前に道を作るようにして作られていた。
そして、そこから出てきたのは、ガラハッドだった。
「リリアン、作戦変更だ。ここは俺とアルバートが請け負う。俺たちが時間を稼いでいる間に、お前たちがステラと伯爵を救出してくれ」
急な提案だったが、リリアンは大人しく頷き、従った。
「かしこまりました。どうか、ご無事で」
それからリリアンは、エレオノーラたちを引き連れて非常口に向かって走り出した。その後を吸血鬼たちが追いかけ、再び激しい戦闘が繰り広げられる。
やがてその戦火が駐車場から移動し、この場に残ったのは、シオン、アルバート、ガラハッドの三人だけになった。
ガラハッドが一対の長剣を両手に取る。
シオンが刀を、アルバートが長剣を構える。
刹那、三つの銀閃が火花を散らして交わった。
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