第231話
不意にシオンからの合図を察知したリリアンは、市警隊の目を搔い潜り、急いでスラムの片隅にあった電話ボックスに駆け込んだ。それからリリアンは、シオンの声を頼りに彼の現在位置に最も近い場所にある電話ボックスに向け、魔術による電磁気力の操作で通話の発信を試みた。結果として回線は無事に繋がり、そこで互いの近況報告を交わした。
シオンからは、オルト・アルカードが拉致されたこと、ステラも同じ場所に監禁されている可能性があること――これからシオンとアルバートの二人で敵の本拠地に侵入することを知らされた。
リリアンはそれを了承し、二人に作戦継続を指示することで彼との通話は終了した。
そして、今はまた別の相手と、リリアンは通話をしている。
『今の状況で君たちをランヴァニアの外に連れ出すのは、私でも難しい。その街はアルカードの管轄だ。私の権力がどこまで効くか、正直あまり見えない』
「打つ手なし、ということでしょうか?」
通話先の相手――カーミラ・カルンスタインの芳しくない声色に、リリアンは思わず声のトーンを下げた。地下都市ランヴァニアからの脱出方法について、カーミラから助力を得ようとしたのだが、一筋縄ではいかないようだった。
『いや、やれるだけのことはやろう。君たちには計り知れない恩がある。だが、あまり期待はしないでほしい。すまない』
「いえ、こちらこそ無理を言って申し訳ございません。ご協力、痛み入ります」
『私の息がかかっている貴族がそちらに何人かいる。君たちがターミナルビルを抜けられるよう、裏工作に協力してもらえないか声をかけてみる。街中でストリゴイが暴れている今なら、混乱に乗じて策を打てるかもしれない』
「ありがとうございます」
カーミラが力なく笑う吐息が受話器の奥で聞こえた。
『礼はまだ早い。さっきも言ったように、あまり期待はしないでほしい。その代わりと言っては何だが、最新の情報を一つ君たちに提供しよう。アルカードを攫った貴族たちから私に接触があった』
「どのような接触があったのでしょうか?」
『アルカードの身柄と引き換えに、三貴族の立場から退けと言われた。おかしなことを言ってきたものだ』
カーミラの情報に、リリアンは目を細めた。
「なるほど。つい先ほど、わたくし共もオルト・アルカードが生きているという情報を仕入れたばかりですが、本当のようですね」
『ああ、間違いないだろう。どうしたものかな。あいつとはそれなりに持ちつ持たれつでやってきた縁もある。さすがにこのまま無視もできない』
「いかがされるのでしょうか?」
『一応、強引だが手段はある。三貴族の立場を捨てるには、私がこのまま世間から消えてしまえばいい。言ってしまえば、無責任にどこか別の国に亡命なりをするだけだ。敵はそれで満足するだろう』
「しかし、そんなことをしてしまったら――」
『今私が管轄しているカルンスタイン家とヴァーニィ家の領地は混乱するだろうな。もっとも、敵はそれを起点に国の政治体制を奪うつもりでいるのだろうが』
そうなれば、クーデターを目論む貴族を窓口に、奴らの協力者である教皇庁と十字軍がこの国に何かしらの影響を与えるようになるだろう。クーデターの首謀者たちはそうならないよう貴族の立場を強めることで阻止しようと考えているらしいが、教会の権威と強さを知るリリアンからしてみれば、それは甘すぎる見積だった。最悪、ダキア公国が教皇庁に乗っ取られることも考えられる。それは、騎士団にとっても都合の悪い話だった。
リリアンは続けた。
「カーミラ様、こちらからも一つ情報を共有させていただきます」
『なんだ、急に改まって?』
「つい先ほど、こちらの騎士二名がオルト・アルカードの安否確認、及び身柄保護のため、敵対勢力の本拠地に侵入することを決定しました」
カーミラから驚きの声が上がった。
『敵対勢力の本拠地? どこだ?』
「第三ターミナルの中階層にあるとされる軍事設備です。そして、そこには我々が探し続けているステラ王女も監禁されている可能性があります。僭越ながら、もし仮にステラ王女がそこにいた場合は、騎士たちの優先順位は王女の奪還になります。その時、オルト・アルカードの扱いについては完全に放棄されることになるでしょう」
『まあ、そうなるだろうな。そこは気にしなくていい。私たちの国の問題だから――』
「ですが、もし仮にこのまま敵対勢力によるクーデターが成功した場合、ダキア公国全体が我々騎士団の新たな敵となり得ることも考えられます。何故なら、クーデターを画策する勢力の協力者が我々の敵である教皇庁と十字軍だからです。そこで、ご提案があります」
『提案?』
「王女の奪還を第一位に動くことに変わりはありませんが、オルト・アルカードの救出についても我々の方で預からせていただけないでしょうか? 救出に成功した暁には、是非、ダキア公国が国として我々騎士団の協力者になっていただきたく。それに、オルト・アルカードを保護すれば、我々がこの街から脱出するための手引きも楽になるでしょう」
『協力者? 私たちは具体的に何をすればいい?』
カーミラの声には戸惑いの息遣いがあった。リリアンからの思いがけない話に、整理が追いついていないようだった。
そんな緊張をほぐすようにして、リリアンは、らしくない、柔和な声色をしてみせる。
「なんてことはありません。わたくし共が帰国した後も、これまで通り、このような形で気軽にやりさせていただける“良好なお付き合い”を継続していただければ充分です。ただそこに、今度は会話だけではなく、お互いに有益な情報、資源等も盛んに交換できれば、なお幸甚に存じます。」
受話器の向こうから聞こえる音で、カーミラが最初はぽかんとして、その後で小さく笑う様子がよくわかった。
『アルカードが知ったら激怒しそうな話だ。だが、いいだろう。クーデターが成功してしまったら、どのみち教会勢力の影響を受ける社会体制になってしまう。であれば、君たちとの付き合いを続ける方が遥かにマシだ。むしろ、私個人としては大歓迎だ』
「ありがとうございます」
『だが、くれぐれも無理はしないでほしい。敵の話によれば、あちらにはガラハッド・ペリノアというとんでもなく強い枢機卿がいるらしいじゃないか。聞けば、もとは歴代最強の騎士と言われたほどの実力者だと。率直に訊いて、そんな奴を相手に勝算はあるのか?』
「今ここにいる全戦力を当てたとしても、勝つことは不可能でしょう。ですが、出し抜くことはできるはず。必ずや、成功させてみせます」
リリアンの回答に、カーミラは小さく笑った。
『頼もしい。では、私はこれから準備に入る。健闘を祈る』
カーミラとの通話が終わり、リリアンは受話器を電話本体に置いた。
その後すぐ、電話ボックスの外で待機していたレティシアが扉を開けた。
「リリアン、ここもそろそろもまずい。ストリゴイはどうにでもなるが、市警隊が近づいてきている。奴らに一度見つかると振り切るのは難しいぞ」
電話ボックスの外では、エレオノーラ、ヴィンセント、セドリックが飛び交うストリゴイを相手に奮戦していた。しかし、それが仇となっているのか、市警隊の気配も徐々にこちらに向かって近づいていた。
リリアンは再度受話器を手に取った。
「承知しております。ですが、最後にもう一人だけ連絡を取らせてください」
「二分が限界だ。手早く終わらせろ」
「かしこまりました」
電話ボックスの扉が閉められたのと同時に、リリアンは硬貨を電話本体の投入口に入れる。それから番号を回し、受話器を耳に当ててコール音が終わるのを待った。
そして――
『――私だ』
「お久しぶりでございます、ヴァルター様。リリアン・ウォルコットです」
議席Ⅳ番――ヴァルター・ハインケルに繋がった。
『一般回線で繋げてきたか。盗聴を恐れずに話せることは多くないぞ。世間話でもするつもりか?』
老騎士から返ってきたのは、冷ややかな挨拶だった。
リリアンはそれを気にせず、受話器を握る手に少しだけ力を込めた。
「“地に堕ちた天使たちの翼”を、我々に授けてはいただけないでしょうか?」
受話器からの返答は無言の間――だが、すぐにヴァルターの吐息が聞こえた。
『それで隠語のつもりか? まあいい。こちらとしても都合のいいタイミングだ。手を貸してやろう』
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