第230話

「ほ、本当にいいんですか?」


 ステラは青い顔で訊いた。彼女は今、アルカードの右肩に刺さった杭に手を添えている。手足を自由に動かせるようになるため、アルカードから杭を引き抜いてほしいと頼まれたのだ。


 躊躇うステラに、アルカードは焦燥の色を顔に浮かべた。


「早くしろ。あの化け物が戻ってくる前に、身動きを取れるようにしたい」


 強めの口調で言われ、ステラは一度唾を大きく飲み込んだ。


「いきますよ……」


 意を決し、杭を握る手に力を込める。血肉と骨が杭との接触面に圧をかける生々しい感触がステラの掌に伝わってきた。そんな不快な感触と血の泡立つ音に顔を顰めつつ、ステラはアルカードの右肩から杭を一気に引き抜いた。瞬間的に、破裂した水道管のように血飛沫が穴から弾け飛ぶ。だがそれも、十秒とせずに治まり、傷口も完全に塞がった。


「だ、大丈夫ですか? そんなに血を流して」


 気づかわしげに訊くステラを余所に、アルカードは右腕の調子を確認した。右手を何度も握りなおしたり、肩を大きく回したりして、問題なく機能することを確認していた。


「問題ない。体の再生を妨げる杭さえなければ、かすり傷同然だ」


 アルカードは続けて左肩の杭を自ら引き抜いた。次に左右の足の付け根と、両膝に刺さっていたものも抜いていく。淡々と何の躊躇いもなく杭を抜く姿を、ステラは終始痛ましい表情で見遣った


「む、無理しないでください!」


 堪らず、ステラが制止の声を上げた。

 アルカードは呼吸を整えた後で、小さく右手を挙げる。


「俺は貴族だ。これくらいの傷、大したことはない。それよりも、恩に着る。まさか、ログレス王国の王女に助けられるとはな」


 そう言って、アルカードは壁伝いにゆっくりと立ち上がった。

 ステラが怪訝な顔で見上げる。


「あの……貴方は誰なんですか?」

「この国に足を踏み入れておきながら俺のことを知らないか。ある意味で、肩書以上の大物だな」


 アルカードは皮肉っぽい笑みを浮かべた。


「オルト・アルカードだ。こんなナリだが、一応、この国のトップをやっている」


 途端、ステラがハッとして立ち上がり、姿勢を正す。


「そ、そうだったんですね! すみません! 何かなれなれしくて!」

「そんなことより、貴女に聞きたいことがある」


 急に神妙になったアルカードを見て、ステラは小首を傾げた。


「騎士たちが貴女を連れ戻そうとこの街に来ていることは知っているか?」

「はい、それは知ってます。実際、その騎士たちと会いましたから」

「単刀直入に言おう。俺は、貴女がこの国に匿われていることを良く思っていない。何故なら、貴女がこの国にいる限り、教会のいざこざがいつまでたっても収束しないからだ。あまつさえ、ガラハッド・ペリノアのような化け物がいつまでもこの国にいることは腹に据えかねん」

「ご、ごめんなさい……仰る通りだと思います……」


 しゅん、と身を縮こまらせるステラ。

 構わず、アルカードは続ける。


「そこで一つ、提案だ」

「提案、ですか?」

「俺はこれから貴女を連れてここから脱出する。外に出た暁には、貴女の身柄を騎士に引き渡し、早々にこの国から出て行ってもらいたい。そうすれば、ガラハッド・ペリノアを含めた教会勢力は一斉にこの国から退場するだろう」

「ちょ、ちょっと待ってください! それは困ります!」


 ステラが両手を大きく振って話を止めた。


「私は自分の意思でガラハッドさんといるんです! 教皇と色んな約束をしていて、その条件が私の身柄をあの人たちに預けることなんです! もし、勝手にここから離れるなんてことをしてしまったら――」

「その心配には及ばない」

「え?」


 自信満々で言ったアルカードに、ステラが呆けた声を上げた。


「俺が貴女を人質にしたことにする。第三者が勝手にやったことに、貴女の責任が問われることもないはずだ」


 直後、アルカードはステラを右肩に担いだ。

 何の心構えもできていなかったステラが、アルカードの肩の上でジタバタする。


「ちょ、ちょっと! そういう話じゃ――」


 それからステラには有無を言わさず、アルカードは部屋から飛び出し、施設の廊下を走り抜けた。







 先の爆発により、オルト・アルカードの官邸は厳戒態勢となっていた。市警隊の大多数は街中を飛び回るストリゴイの対応に当たっているはずだが、それでもまだ官邸をぐるりと囲うほどの人員を配備していた。敷地内では、消防隊のポンプ車が五台並び、水道管からくみ上げた水を火元に向かってしきりに放射している。しかし、火の手は一向に収まる様子を見せず、鋼の空に向かって黒煙がもくもくと立ち込めていた。


 騒然とする現場から二百メートルほど離れた建物の屋上で、シオンとアルバートは官邸を見遣っていた。


「さすがに官邸に侵入するのは一筋縄ではいかなさそうだ。吸血鬼で構成された市警たちが敷地を丸ごと封鎖している」


 シオンが言って、アルバートは頷いた。


「だからこそ、リリアンは私たちに伯爵の安否確認を任せたのだろう。私たちなら“天使化”をうまく使えば、吸血鬼たちの警備の目を逃れることができる」


 同意して、シオンは官邸周辺を改めて見渡し、侵入経路に使える建物がないかを探した。そして、官邸と細い歩道を挟んで隣接する二十階建てのビルに目を付けた。官邸から立ち込める黒煙が、ちょうどそのビルの屋上に向かってスロープ状の懸け橋のように伸びているのだ。


「あの建物の屋上から飛び降りれば、官邸の屋根に移れそうだ。煙のお陰で姿も隠せる」


 すぐにシオンとアルバートはそのビルの屋上に移動した。外から見た通り、屋上は官邸からの黒煙でほぼ視界がない有様だった。

 二人は“帰天”を使い、“天使化”した。赤い光と青い光が黒煙の中でうっすらと浮かび上がるが、官邸から発せられる火災の光が強く、うまく目立たずにいられた。

 誰かに気付かれる前に、早速二人は煙伝いに官邸の屋上へと飛び移る。幸い、火災によってたびたび官邸の屋根は焼け落ちていたので、二人の衝突音に違和感を持たれることもなく、市警隊に気付かれることはなかった。


 シオンとアルバートは“天使化”を維持したまま、炎上する官邸の中を突き進んだ。炎の熱気で満たされたこの空間は、いかに騎士といえども“帰天”を使えなければ危なかったかもしれない。


 オルト・アルカードの亡骸がないか、二人は官邸内を走り回って探した。しかし、見つかるのは職員の死体ばかりだった。


「酷い有様だ。我々以上の再生力を持つ吸血鬼だが、これほどの火災ではさすがに耐えられないか……」


 アルバートが不憫な声色で呟いた。

 その時、不意にシオンがヒトの気配に気づいた。


「誰かいる」


 官邸の三階、客間の正面にある廊下で、一人の男が壁に背を預けて咳き込んでいた。病的なまでに白い肌と赤い目、それにスーツを着ていることから、この男も吸血鬼で、官邸の職員だろう。


「おい、大丈夫か?」


 男はうっすらと目を開け、視界に入ったシオンを捉えて驚いた顔を見せた。恐らく、“天使化”したシオンの容貌に慄いたのだろう。ついに悪魔が地獄から迎えに来たのか、そんなことを頭の中で言っていそうな顔だった。

 だが、シオンの隣にいたアルバートを見て、それが勘違いだったと気付いたらしい。

 男は少しだけ安堵したあと、表情を引き締めた。


「……そこにいるのは、騎士のアルバート・クラウスか?」


 アルバートは頷き、男の容体を確認した。


「爆発と炎にやられた――というわけではなさそうだな。この衣服の破れ方、刃物で斬られたような痕だ」


 見ると、男のスーツには至る箇所に長い切り傷のような痕が残されていた。どう見ても爆発などの衝撃でつくようなものではなく、刀剣類で刻まれたものである。


 男は、息も絶え絶えの様子で口を動かした。


「そうか……お前たち騎士は、教皇庁と対立しているんだったか」

「何の話だ?」

「閣下が、聖王教会の枢機卿に攫われた。爆発が起きた直後にだ」


 男から聞かされた真相に、シオンとアルバートは目を見開いた。


「枢機卿……ガラハッドか」

「攫われたということは、伯爵はまだ生きている可能性がある」


 男は震える手でアルバートの腕を掴んだ。


「頼む……閣下を助け出してくれないか。とてもではないが、我々貴族ではあの化け物に太刀打ちできない……」

「申し訳ないが、それは私たちも同じだ。騎士から見ても、ガラハッド枢機卿猊下の強さは異次元の領域だ。それに、どこに連れ去られたのかも――」

「恐らく、街の中央部分にあるターミナルビル――第三ターミナルの中階層にある軍用施設だ。あそこの設備と警備なら、厳重な環境下で監禁することができる」


 男は藁にも縋るような声で懇願した。

 アルバートは、いったん男の手を腕から引き剥がす。


「聞かせてほしい。今回の件は、開国計画を推し進めている貴族の一派が暗躍したものと私たちは予想している。今教えてくれたその場所が、奴らの本拠地なのか?」

「確証はないが、多分そうだ。あそこは権限を持った軍属貴族からの承認がなければ、閣下すらも立ち入りが制限される場所だ。この街で閣下の監視の目を逃れて暗殺計画の準備を整えることができるのは、あそこ以外に考えられない。要人を監禁することも然りだ」


 男の情報に、アルバートとシオンは互いに顔を見合わせて頷いた。


「シオン、これはもしかすると――」

「ああ。ステラもそこにいるかもしれない」


 アルバートは改めて男に視線を向けた。


「その第三ターミナルの中階層にはどうすれば行ける?」

「地上に繋がる大型エレベーターとは別に、専用のエレベーターがある。それを使えば楽に行けるが、恐らく関係者以外は動かすことができないだろう。となれば、非常用階段を利用するしかない」

「非常用階段はどこにある?」

「第三ターミナルの北東に位置する場所に、施設従業員用の裏口がある。そこから侵入すれば、非常用階段の場所はすぐにわかるはずだ。だが、中階層への扉が開けられているとは限らない。問題はそこだ」


 男の心配をよそに、シオンは、なんてことはないと肩を竦めた。


「問題になるのが扉だけなら、俺たちは大丈夫だ。こじ開ける」


 それを聞いて、男が小さく笑った。


「そうか……やってくれるか……」


 そして、そのまま静かになった。頭をがくりと下に倒し、動かなくなってしまった。


「死んだか?」


 シオンが訊いて、アルバートが男の脈を取る。アルバートは首を横に振った。


「いや、まだ息はある。貴重な情報を提供してくれた礼をしなければ。火の手のないところに移動させよう」


 二人は男の身体を担ぎ、官邸の外に出た。官邸の周囲にいる市警たちが気付きそうな適当な場所に男を横に寝かせ、すぐさまその場から離れる。


 そのまま二人は、人気のない路地裏へと移動した。


「第三ターミナルの北東側、まずはそこに向かえばいいんだな」


 シオンが言って、アルバートは頷いた。


「恐らく、第三ターミナルの周辺と内部は武装した吸血鬼が大勢いるだろう。それに、ガラハッド枢機卿猊下も。足を踏み入れれば、彼らとの戦闘は避けられないだろうな」

「先にリリアンに報告しておくか?」

「ああ。もしそこにステラ様がいた場合は、彼女の奪還が最優先になる。うまく保護したあとはこの街からすぐに脱出しなければならない」

「リリアンたちが手配する脱出手段が先に確立されていないと駄目ってことか」

「難しい仕事になりそうだ。気を引き締めていこう」


 シオンはさらに続ける。


「リリアンに連絡を付けるにはどうすればいい?」

「彼女の名前を叫べばいいと言っていた。そこから私たちの現在位置を探知して、最寄りの電話ボックスに通信を試みるはず」

「なるほど。便利な能力だ」


 そして、シオンは大きく息を吸い込み、鋼の空に向かって口を開けた。


「――リリアン!」


 それから一分とせず、路地裏の電話ボックスがけたたましく鳴り響いた。

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