第229話

 地下都市ランヴァニアを覆う鋼の空を支える巨大な支柱――大槍の如く地上から延びるターミナルビルの中には、地下と地上を繋ぐ大型エレベーターの他、多種多様な機能が備わっていた。この地下都市の空調や電源を管理するインフラ設備は勿論、貴族のみが利用可能とされる軍事機能を有する設備がある。街の中央部分に位置するターミナルビル――第三ターミナルと呼ばれる中階層にも、その設備はあった。

 そこは、打ちっぱなしのコンクリートで造られた無機質で冷たい空間――そんな部屋が無数に用意された階層だった。


 そのうちの部屋の一つが、不意に騒がしくなる。

 部屋の扉が開かれ、入ってきたのは二つの人影だった。


 一つは、聖王教会枢機卿にして十字軍指揮官の一人、ガラハッド・ペリノアだ。


「依頼通り、オルト・アルカードを連れてきた」


 ガラハッドがそう言って床に投げ落としたのは、血塗れのアルカードだった。アルカードは、両手両足の関節部分に太い杭を打ち込まれた状態で縛られており、身動きを完全に封じられていた。


 通常状態の騎士であれば終始圧倒することすら可能な戦闘力を有するアルカード――そんな彼を瀕死寸前にまで追い込んだにもかかわらず、ガラハッドは着衣の乱れ一つなく、いたって平然と佇んでいた。


「さすが、歴代最強の騎士と謳われた御仁だ。こうもあっさり成し遂げるとは」


 部屋の中には、すでに二人の吸血鬼が控えていた。

 そのうちの一人――ジョナサンが、目の前の光景に狼狽した声を上げる。もう一人の吸血鬼――隣にいた少女、ミナも、ガラハッドから発せられる静かな覇気に、微かな怯えの色を見せていた。


 ガラハッドは、そんな二人の様子にはまったく興味を示さず、足早に踵を返す。


「他に話がなければ、俺は王女の護衛に戻る」

「ええ、結構です。ご協力、感謝いたします」


 ガラハッドが退室し、扉が閉められた。

 ジョナサンとミナが、残されたアルカードを見遣る。


「お久しぶりです、アルカード伯爵」


 床に転がされたまま、アルカードは血の混じった双眸で声の主を見上げた。


「ジョナサン、ミナ……やはり、お前たちか」


 二人の姿を見るなり、アルカードが低く呻いた。

 ジョナサンが、酷く冷たい眼差しを返す。


「“やはり”、ということは、僕たちから命を狙われる心当たりがあったと?」

「ルーシーのこと以外に何がある」


 ルーシー――かつて、人間でありながらアルカードの妻であり、ミナの姉でもあった、故人の女性だ。

 アルカードがその名を口にした瞬間、ジョナサンとミナの目が細められた。


「貴方は為政者としてとても優秀だが、ヒトの真意を察するのは相変わらず苦手なようだ」

「伯爵、わたしたちはね、何も姉さんの事だけで貴方をどうこうしようと思い立ったわけではないの。ちゃんと、この国の未来を思ってやっているの」


 ミナの言葉を聞いたアルカードが鼻を鳴らした。


「お前のような子供に国の行く末を憂えられるとは。俺の信用も随分と地に落ちた。“あいつ”に叱られてしまう」


 直後、ミナがアルカードの身体を足で転がし、仰向けにさせた。おおよそ十歳前後の少女とは思えない脚力で蹴られ、アルカードは苦悶の声を上げる。


「姉さんのことをあいつ呼ばわりなんて、ホント、いいご身分。言っておくけど、私たちはもう人間じゃないから。今ここで貴方の身体を心臓ごと踏み潰すなんてことも、簡単にできちゃうから」


 ミナが、アルカードの胸の上に足を乗せる。

 アルカードは顔を顰めつつ、弱々しく口を動かした。


「……知っている。ルーシーが死んで間もなく、クドラクを培養して吸血鬼になったのだろう。まったく、カーミラ子飼いの薬師も、厄介なものを発見してくれた」

「この国の国家元首ともあろうお方が、我々のことを貴族ではなく吸血鬼という呼称で呼びますか」


 “吸血鬼”という言葉にジョナサンが反応した。それにアルカードが小さく笑って応える。


「貴族という言葉が独り歩きしてしまい、傲慢な勘違いをする馬鹿が最近増えているからな。ヴァーニィや、お前たちのような」


 アルカードは不敵な笑みを残したまま、さらに続ける。


「それで、念願の吸血鬼になった感想はどうだ? 生活は楽になったか? 人生を楽しめているか? お前たちの望みは手に入れられたか? ん?」

「思いのほか窮屈でした。様々な特権が与えられる一方で、日光が弱点という問題が行動の自由を著しく奪っている。ひとたび血の渇きに発作を起こしてしまえば、内から込み上げてくる狂暴性を抑えることも難しい。かといってそれに身を委ねてしまえば、今度はこの国の法律で厳しく罰せられてしまう。膂力や再生力こそ人間や亜人を遥かに上回るが、その実態は、非常にか弱く、脆い生き物だったと知ることになりました。しかし――だからこそ、僕たちは、貴族とこの国の在り方を変える必要があると考える」

「青二才が、言うじゃないか。で、その考えた結果が、教会に媚びを売ることだったと。とんだ笑い話だ」

「伯爵。貴方を始めとした歴代の国家元首たちが、頑なに他国との外交を制限し、宗教を排斥する意図は、この体になってとてもよくわかりました。教会がこの国に干渉することになれば、異質な存在である貴族は間違いなく立場を追われてしまう。そうなれば、貴族はもはやただの魔物に成り下がる。だから貴方たちは、貴族を守るために国外との交流を厳格に規制した。その一方で、人間や亜人との共存を図るため、敢えて特権階級にいる貴族に厳しい法律を定める。そうして、内政のバランスを保ってきた」


 そこでジョナサンは一度区切った。大きく息を吐き、改めてアルカードを見据える。


「だがそれも、次第に限界が見え始めている。人間や亜人の反貴族的な思想は、この数年間で爆発的に強まった。もはやこの閉鎖的な統治体制では、早晩、国が崩壊するでしょう」

「だから、教会勢力の流入を恐れずに他国との国交を盛んにすればいいと? だとすれば、随分と浅い考えだな。お前がさっき言った通り、一度教会の干渉を許してしまえば異端の存在である我々貴族は淘汰され、それこそ国が崩壊する」

「貴方の考えこそ太古からの習わしに囚われ、陳腐なものになっている。教会からの干渉も、貴族の立場と支配体制を強化すれば恐るるに足らず。教会の最大戦力とされる騎士団も、戦闘員となる貴族の数が増えればどうとでもなる。ただの人間が貴族になる前例は僕たちがこの身を以て証明した。あとは単純に母数を――」


 途端、アルカードが負傷の痛みも忘れ、声を上げて笑った。


「何がおかしい?」

「もし本気でそれを言っているのであれば、お前の頭は大分クドラクに侵されているようだ。馬鹿なことをしたツケかもしれないな。カーミラ子飼いの薬師に、一度診てもらうといい」


 刹那、ジョナサンのつま先がアルカードの脇腹に勢いよく刺さった。アルカードの身体はコンクリートの壁に強く叩きつけられ、そのまま力なく床に倒れる。


 蹲るアルカードの前に、ミナが立った。


「ねえ、伯爵。貴方はわたしたちのことを馬鹿にしているけど、姉さんも貴方と同じ貴族になりたがっていたよ。それに、貴族になっていれば、きっと姉さんは死なずに済んだ。貴方に向けられた人間と亜人たちの怨みに巻き込まれて、姉さんは死んだの。本来なら貴方が死ぬべきだったのに。あの時すでに人間が貴族になる手段は確立されていた。でも、貴方はそれを許さなかった。姉さんは貴方のエゴに殺されたようなものだよ」

「……かもしれないな。だが――」


 憎悪の籠った瞳で見下ろすミナを、アルカードは睨み返した。


「姉の無念を理由に、見当外れな思想を抱いてクーデターを起こすお前たちも、随分と厄介なエゴを持っているぞ」


 そう言って、アルカードは口を挑発的に歪める。


「お前たちの話を聞けば聞くほどに、要所が穴だらけで惰弱な思想としか思えん。色々と理由を付けてはいるが、結局のところは“お前たちが人間を辞めた理由”そのものに帰結するのだろう。ルーシーを殺した人間と亜人、ついでにこの俺の事が憎くて堪らず、それらすべてを滅茶苦茶にしたいという願望にしか聞こえないな」


 ジョナサンが不快に顔を顰めた。


「何度も言わせないでください。僕たちは、ルーシーの死だけが原因でこのクーデターを起こしているわけではない」

「だったら、さっさと俺を殺してクーデターを成功させたらどうだ? 俺はてっきり、恨みつらみを晴らすのに嬲って楽しむため、生かされているものだと思っていた」

「世間的には、すでに貴方は騎士に暗殺されたことになっている。この国の土台になっている三貴族の崩壊は時間の問題です。あとは、カーミラ・カルンスタインさえ失脚させれば実現できる。伯爵、貴方には、カーミラ・カルンスタイン失脚のための交渉材料になってもらいます」


 ジョナサンの回答に、アルカードは怪訝になった。


「俺があの女を失脚させるための交渉材料? 驚いたな、俺の命にそんな使い道があったとは」

「彼女は自分が認めた人物に対し、とても慈悲深く優しい。それにあのヒトは、三貴族の立場にさほど執着もない。貴方の命と引き換えに表舞台からの退場を願えば、彼女は容易く応じるでしょう」

「どうかな。あの女、意外に非情で冷酷だぞ」


 アルカードが皮肉っぽく嗤笑したのを最後に、ジョナサンとミナは扉に向かって歩みを進めた。


「それでは、貴方には暫くここで大人しくしていただきます。カーミラ・カルンスタインとの交渉が終わるまで、しばしお待ちを」


 そして、部屋にはアルカードだけが一人取り残された。

 扉が完全に閉まった後で、アルカードは芋虫のように体をくねらせた。


「クソ、手足の関節に杭を打ち込まれているか」


 完全に手足の動きを封じられており、その場から動くどころか、体勢を変えることすらままならない有様だった。

 アルカードは肺を大きく膨らませ、


「おい、誰かいないか!」


 出せるだけの声量でそう叫んだ。虚しく反響し、換気扇の稼働音だけが再び部屋の静寂を満たすが――


『――あの、隣の部屋に誰かいるんですか!?』


 分厚いコンクリートの壁から、そんな応答があった。

 声質からして若い女だ。


「誰だ、そこにいるのは!?」


 もう一度呼びかけてみるが、今度は反応がなかった。


「おい、返事をしろ!」


 アルカードがもう一度声を張り上げる。

 すると、少しの間を置いて、部屋の扉が外から恐る恐る開けられた。


 空いた扉から、何者かが控えめな様子で姿を現す。


「ガラハッドさんがついさっきどこかに行ってしまったみたいで、今なら少しだけ自由に動けるんですけど――あ、あの……お体、大丈夫、ですか?」


 入ってきたのは、一人の少女だった。

 少女は、アルカードの姿を見るなり、その怪我だらけの様相に驚いていた。


 だが、それ以上にアルカードは驚愕に目を丸くさせた。


「まさかお前は――ステラ王女か?」







 ターミナルビルのとある一室――他の部屋の例に漏れず、一面コンクリートで造られた部屋だった。そこには机と椅子、それに軍用通信機が一つずつあるだけだ。

 そんな空間にて、ガラハッドは一人、通信機の受話器を耳に当てていた。


『――俺だ』


 受話器の向こうから聞こえたのは、ガイウスの声だ。


「目当てのものは見つけられたのか?」

『ああ、自分の目で確かめた。間違いない』

「そうか。であれば、アンタはもうこの国に用はないな。すぐに聖都へ戻るのか?」

『お前と王女もだ、ガラハッド』


 意外な回答に、ガラハッドは眉根を寄せた。


「戴冠式の開催について、まだガリアと揉めている認識だが? なのに、王女を匿う必要がもうないと?」

『話の決着は付けた。条件付きだが、王都で戴冠式を開催することにガリア大公も合意した。もうここに王女を匿う必要はない』

「了解した。少し前にシオンたちと接触したこともある。ここから出られるなら、それに越したことはない」

『シオンたちと接触したこと以外、他に変わりないか?』


 ガイウスからの問いを受け、ガラハッドは手元のメモに視線を向けた。


「少し前に、協力者の吸血鬼たちがクーデターを実行した。今は、オルト・アルカードが騎士の手によって暗殺されたことになっている。実態は、俺が拉致し、吸血鬼たちが監禁している状況だがな」

『他は?』

「吸血鬼たちは当初、本当に騎士たちにオルト・アルカードを暗殺させるつもりだったようだ。王女の居場所をあいつらに提供する代わりに」


 受話器の向こうで、ガイウスがつまらなさそうに鼻を鳴らす。


『大胆なことを考えたな。よりにもよって、俺たちと敵対する勢力を引き込もうとするとは』

「ヴァン・ジョルジェが内通者だとオルト・アルカードに知られ、焦ったのだろう」

『なるほど。だが、つまらない裏切りに対するケジメは付けさせてもらおう』


 ガイウスの言葉に、ガラハッドは呆れた溜め息を吐いた。


「何を今更。当初からこの国のクーデターに武力介入し、最終的に国全体を疲弊させる計画のはずだ」

『理由と納得は大義名分に繋がる。仕事がやりやすい』


 ガイウスは、さて、と言ってさらに続ける。


『次の日の出に合わせてパーシヴァルと空中戦艦を向かわせる。粛清に巻き込まれる前に、王女と共に地上へ避難しておけ』

「了解した」


 指示を受けたガラハッドは、静かに通信を切った。

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