第227話
地下都市ランヴァニアのネオン街にそのホテルは存在した。貴族の御殿を彷彿させる高層建築物が、これ見よがしに聳え立っていた。それの上層階から一望できる景色は、さぞ素晴らしいものなのだろうと、昇らずとも察することができるほどに厳かだ。
シオンたちは、ステラが滞在していたと思しきこのホテルにて、アルバートたちの行方を追うつもりだ。回転式のガラス扉を抜けた先にあるロビーは、舞踏会の会場さながらに豪奢な内装で、その煌びやかさに一同が思わず目を眩ませたほどである。
それから数分、シオンたちは周囲を注意深く観察した。時折、それを不審に思ったホテルのスタッフが話しかけてきたが、一行は無視して淡々とアルバートたちを探す。
しかし、早々にヴィンセントが肩を落とした。
「見当たらねえなぁ、アルバートたち」
「少なくとも、今このホテルにはいないようです。建物の中を探知してみましたが、アルバート様らしき気配はありませんでした」
リリアンが周囲の電波を読み取り、アルバートに繋がる会話がされていないか調べたようだが、それも収穫なしだったようだ。
エレオノーラがソファに腰を下ろす。
「入れ違いになったとか」
「どうだろう。もしかするとこれから来るかもしれないし、休憩がてら、ここで少し待ってみるか?」
シオンの提案にリリアンが頷いた。
「それがよろしいかと。折角ですので、夕食も済ませてしまいましょう。アルバート様たちがホテルに入った際はすぐに気付くよう、わたくしが常にアンテナを張っておりますのでご安心ください」
このタイミングで、空腹を思い出したかのようにヴィンセントの胃から大きめの音が鳴った。
「そういや、暫く飯食ってなかったなぁ。腹減ったぁ」
エレオノーラが両腕を上に向かって大きく伸ばし、息を吐く。
「この街に着いてから休む暇なんて全然なかったしね。ちょうどいいタイミングで一息できそう――って、どうしたの? 三人とも急に真面目な顔になって」
エレオノーラが体の力を抜いたのとほぼ同時に、シオン、リリアン、ヴィンセントが唐突に神妙な面持ちなった。まるで、周囲を敵に囲まれた時のような顔つきで、ロビー内を注意深く見渡している。
「いえ、急に空気が張り詰めたような雰囲気が……」
息を潜めるようにリリアンが言った。シオンが、徐に首を回して周囲を確認する。
「……俺たち、誰かに監視されているのか?」
「え!?」
エレオノーラが驚きの声を上げたその瞬間――轟音と共にホテル全体が小さく揺れた。
館内が騒然とするなか、シオンたちは急いで外に出た。
外はホテルの中以上に混沌としていた。不安げな声を上げる通行人たち――彼らが見遣る箇所は、一点に集中していた。
「あの方角は、オルト・アルカードの官邸がある場所か?」
そう言ったシオンの赤い瞳に映るのは、鋼の空に向かって伸びる大きな黒煙と、不気味な広がりを見せる朱色の光だ。視界を建築物が邪魔して定かではないが、間違いなく何かしらの火災が起きている。恐らく先ほどの轟音と振動は、爆発だったのだろう。
不意に、それまで静かに目を閉じ、周囲の声を収集していたリリアンが驚きに顔を歪めた。
「……オルト・アルカード伯爵が暗殺された?」
リリアンからの思いがけない言葉に、シオン、エレオノーラ、ヴィンセントが目を見開く。
「あの爆発にやられたのか?」
「そこまではわかりません。ですが、官邸の方からそのような声がいくつも――」
刹那、上空から幾つもの奇怪な鳴き声が響き始めた。
カラス、あるいは猿が叫び散らすような声だ。思わず耳を両手で塞ぎたくなるような不快さに、外にいた誰もが怯み、顔を顰めた。
「あれは――ストリゴイ!?」
その発生源は、ストリゴイと呼ばれる魔物の群れだった。体躯は一五〇センチほどで、巨大な蝙蝠のような姿をしている。しかし、表皮に体毛は一切なく、赤熱した石のような体色をしていた。頭部は、蝙蝠に猿を掛け合わせた形状をしており、骨にそのまま薄皮を貼り付けた悍ましい見た目だった。さらには上顎から剣のように伸びた二本の牙が、その不気味さに一層の拍車をかけている。
ストリゴイたちは奇声あげながら、地上の住民たちを品定めするように飛行していた。その数は、ゆうに五百は超えている。
そして、ストリゴイの群れが成す赤い雨が、一斉に地上へ降り注いだ。
直後、吸血鬼、人間、亜人問わず、様々な種族の悲鳴が、街の至る場所から上がる。
「おいおい、何だってこんな街中に魔物の群れが!?」
ヴィンセントが堪らず声を上げるも、当然、この場にいる誰一人としてその解を持ち合わせていない。
さらには――
「いたぞ! 騎士たちだ!」
突然、街の市警隊が、シオンたちを取り囲むように人混みをかき分けて迫ってきた。武装した吸血鬼たちのその鬼気迫る表情には、ただならぬ雰囲気がこれ見よがしに滲み出ている。
ヴィンセントが露骨に顔を顰め、後退した。
「ひょっとして、この騒動、俺たちのせいにされているとか?」
「見た限り、その説が濃厚だな」
眉間に深い皺を寄せたシオンが吐き捨てるように言った。
エレオノーラが吃驚してシオンを見る。
「なんでアタシたちのせいになってんの!?」
「わからないが――もしかすると、アルバートたちに何かあったのかもしれない」
襲い掛かってきた市警隊の隊員を殴り倒しながら、シオンは首を横に振った。
次いで、リリアンが周囲を見渡し、難しい顔になる。市警隊の隊員が、絶えることなくこちらに向かって駆けつけているのだ。
「非常にまずいことになりました。もはや、人探しどころではない状況です」
「まずはホテルの中へ逃げよう。ホテルの正面は完全に包囲されている。上層階から隣の建物に飛び移って、ここから離れるぞ」
シオンの号令を合図に、一同は一斉にホテルの中に向かって駆け出した。
それから四人はホテルの上層階に向かって階段を駆け上り、十五階に辿り着いたところで非常口から外に出た。
出た場所は空中庭園に続く非常通路で、シオンたちはひとまずそこを目指すことにした。
その道すがら、ヴィンセントが下の様子を覗き込むが――
「もう街中大騒ぎじゃねえかよぉ!」
サイレンが絶え間なく鳴り響き、ストリゴイが人種問わず強襲して捕食を始め、市警隊が忙しなく動き回る地獄のような光景に、珍しく悲鳴混じりの弱音を上げた。
シオンが強く歯噛みする。
「リリアンの言う通りなら、国家元首が暗殺されたんだ。こうもなるさ」
その時だった。
突如として、隣の高層ビルの屋上から、三つの人影がこの空中庭園に飛び移ってきた。
三つの人影は、ズンッという鈍重な音を立てて着地すると、すぐにシオンたちの存在に気付いて驚きの声を上げた。
シオンたちはすぐさま臨戦態勢を取り、武器に手を添えるが、
「シオンか!?」
その声を聞き、虚を突かれたように固まった。
三つの人影はその間にシオンたちに駆け寄る。すると、周囲の照明が正体を露わにした。
「アルバート!? それにセドリックとレティシアも!」
そこにいたのは、アルバート、セドリック、レティシアの三人だった。
「アンタたち、今までどこにいた? 俺たちはアンタたちを探して――」
「詳しい話は後だ。まずはここから移動しよう。私たちについてきてほしい」
そう言って走り抜けようとするアルバートたちだったが、リリアンがその行く手に立ち塞がった。
「お待ちください。アルバート様、この騒ぎは、貴方たち三人の仕業でしょうか? それだけは、今ここではっきりさせていただきます」
その問いに、アルバートは首を横に振って即答した。
「違う。私たちは、“アレ”を阻止しようとして官邸に向かっていたところだ。だが、一足遅く、逆に実行犯として市警隊に追われてしまう事態になってしまった」
「阻止、ということは、オルト・アルカードが暗殺されることをご存じだったのでしょうか?」
それにはセドリックが頷いた。
「それも含めて何があったのかは後で話す。とりあえず俺たちについてこい。少し前まで潜伏していたスラムに隠れる場所がある」
「市警隊の隊員たちも足が速い。遅れるなよ」
レティシアの忠告を合図に、シオンたちは一斉に駆け出した。
※
「閣下! ご無事でしたか!」
黒煙が立ち込める官邸の回廊にて、部下の一人がオルト・アルカードに駆け寄った。
オルト・アルカードは軽く咳払いをした後で、煙のない場所に移動する。
「この程度で死ぬものか。火の手が回る前にさっさと避難するぞ。他の従業員たちにも急ぎ避難指示を――」
そこまで言ったところで、口を噤んだ。
回廊の先に、何者かが一人立っていたのだ。
そして、オルト・アルカードはその人物を見て、驚愕に目を丸くさせる。
「お前は確か……ガラハッド・ペリノア」
聖王教会の枢機卿――ガラハッド・ペリノアだったのだ。
ガラハッドが、徐に歩みを進める。
「オルト・アルカードだな」
「何故、聖王教会の枢機卿が……?」
「協力者からの依頼だ。お前の身柄を拘束する」
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