第226話

 ミナと名乗った少女は、おおよそ子供の表情とは思えない不敵な笑みを顔に浮かべた。

 そんな大人を食ったような態度に、レティシアが眉を吊り上げる。


「おい、小娘。自分が何を言っているのか理解しているのか?」

「もちろん」


 レティシアの静かな剣幕にも怯むことなく、ミナはどこか冷ややかに応じた。

 レティシアの拳に力が込められる。


「もう面倒だ。このガキ、痛めつけてさっさと王女の居場所を吐かせるぞ」

「待て、レティシア。どう見ても普通の子供じゃないぞ。手荒な真似をして、俺たちの立場がさらに悪化することも考えられる」


 ミナに向かって歩みを進めようとしたレティシアだったが、すかさずセドリックが彼女を宥めた。


 その隙に、アルバートが再度ミナに話しかけた。


「君の言う通り、私たちは騎士だ。だが、不用意に扱いたくない話でもある。そして、公平な立場で話をしたい。まずは君の素性を教えてほしい」

「ヴァン・ジョルジェの孫」


 その名を聞いて、アルバートたちは互いに視線を合わせた。

 ヴァン・ジョルジェ――確か、このダキア公国に訪れた際に、三人の案内役となった老人である。常にオルト・アルカードの傍に立ち、彼の執事のような振る舞いをしていたと記憶している。


「ヴァン・ジョルジェって、オルト・アルカードの側近だよな? その孫がどうしてまた」

「孫という割には似ていないな。面影を全く感じない」


 セドリックとレティシアが各々の感想を呟くように言った。

 それを聞いたミナが、またもや不気味な笑みを顔に繕った。


「お祖父ちゃんはオルト・アルカードに殺されたよ。ちょっと前に」


 穏やかではない事実に、アルバートが目を細めた。


「仇を取りたい、ということか?」

「そういうわけじゃないよ。でも、お祖父ちゃんと同じことをしたい」

「同じこと?」


 ミナは頭を大きく縦に振った。


「オルト・アルカードを殺して、この国の貴族たちの立場をもっと強くしたいの」


 突然の意思表明に、アルバートたち三人は面食らった顔で数秒固まった。

 いったい何を言い出すかと思えば――最初にそうやって呆れたのは、レティシアだった。


「何だ、このガキ。革命家ごっこでもしたいのか?」


 しかし、ミナはいたって真剣な面持ちで――今までとは打って変わり、どこか切迫した真摯な表情を見せた。


「ごっこじゃない。革命を起こしたの」


 この少女が喋れば喋るほどに違和感が滲み出てくる。セドリックは露骨にそんな言葉を言いたいと表情に出し、小首を傾げた。


「どうして、またそんなことを? この国の貴族たちは今でも一般市民にはない幾つもの特級権限を持っていると聞く。なのに、何故?」


 刹那、空気が張り詰めた。

 歓楽街の喧騒が、一気に静まり返る。見ると、周囲から通行人の姿がいつの間にか消えていた。眩いネオンの点滅と、それに合わせて流れる軽快な音楽――それらの隙間を縫うようにして、今度は、続々と路地裏の暗闇の中から人影が現れた。


 その全員が漆黒のスーツを身に纏い、青白い肌と真紅の瞳を有していた。アルバートたちは、気付かないうちに、十人は超える吸血鬼の集団に取り囲まれていたのだ。


 ミナとの会話に意識を集中しすぎたと、三人は自身を戒めるように揃って歯噛みした。各々の武器に手をかけ、臨戦態勢を取ろうとした時、不意に吸血鬼の一人が歩み寄ってきた。


「それは私から話しましょう」


 見た目が三十歳前後の背の高い男だ。吸血鬼特有の肌と瞳でなければ、ごく一般的な風貌の成人男性という雰囲気だ。


「初めまして、騎士の皆さま」


 男は丁寧な物腰で一礼した。こなれた振る舞いと落ち着いた声色に、アルバートたちの警戒も自ずと解ける。


 レティシアが拍子抜けしたように、鞘から抜きかけていた双剣を戻した。


「また変なのが増えたな」


 アルバートとセドリックもそれに倣い、敵意を治め、武器から手を外した。


「貴方は?」


 アルバートが訊くと、男は徐に面を上げる。


「ジョナサン――そうお呼びください」


 男はジョナサンと名乗り、改めてアルバートたち三人に向き直った。

 セドリックが怪訝に眉を顰める。


「それで、アンタはこの子とどういう関係だ?」

「ミナは私の婚約者です」


 思いがけない回答に、三人は揃って目を丸くさせた。

 ミナの背格好はどう見ても十歳前後で、とても成人しているようには見えない。もしやダキア公国では未成年者との結婚が認められるのかと、アルバートたちは狼狽えるように困惑した。


「婚約者? この国はこんな小さな子供と結婚ができるのか?」

「いえ、この国でも未成年者との結婚は認められていません。許婚、と言った方がより実態に近いでしょう」


 なるほど、と三人は渋い顔になりつつ、とりあえずは納得することにした。話の本筋はそこにあるわけではない。


「で、何なんだ、貴様らは? とどのつまり、私たちに何を求めている? こっちも暇じゃない。王女の居場所を教えるつもりがないのなら――」

「貴方たちには否応なしにご協力いただきます」


 レティシアが皆まで言うのを遮り、ジョナサンがやや語気を強めた。同時に、周囲の吸血鬼たちから微かな殺気が放たれるようになる。

 空気が緊張で張り詰めたのと合わせて、三人の騎士は目つきを鋭くした。


「騎士の皆さま。あなた方には、この国の“開国計画”に賛同いただきたい」

「そんなもの、勝手にすればいい。何故、私たちが賛同しなければならない?」


 レティシアが鼻を鳴らして一蹴した――直後、周囲の吸血鬼たちが一斉に懐から拳銃を取り出し、銃口を三人に向けた。


「“いいから黙って聞け”、と言いたいようだな。面白い。何なら、今ここで一戦交えるか?」


 セドリックが不敵に笑い、大剣を手に取った。レティシアも双剣を手に取り、嗜虐的な笑みを口元に浮かばせる。

 完全に臨戦態勢に入った二人だったが、アルバートが慌てて腕を伸ばした。


「待ってください、セドリック卿、レティシア卿。これ以上、敵を作るのは得策ではありません。こちらとしても、この国の実態を知るチャンスです。まずは、彼らから話を聞きましょう」


 そう諭され、セドリックとレティシアは溜め息を吐きながら武器を収めた。

 ジョナサンが満足げに大きく頷く。


「まずは場所を変えましょう。そこで、ゆっくりと……」







『どうだ、いい奴らだろう?』


 オルト・アルカードは、電話先から放たれた女の言葉に顔を顰めた。

 地下都市ランヴァニアの官邸内に設けられた宿泊用の私室――細かい金細工が敷き詰められた壁と天井に、踝まで埋まるほどに柔らかい赤絨毯で造られたこの空間は、まさに貴族の居城と呼ぶにふさわしい内装だった。そこの窓際に備えられた小さなバースペースで、アルカードは受話器を片手に、琥珀色の酒をカットグラスに注いでいた。その後で、赤い錠剤型の血液製剤を三粒口に含み、酒で胃の中に流し込む。


「知ったことではない。それよりも、お前こそ何を考えている、カーミラ? お前の書状を読んだ時は面食らった。何故、騎士たちに協力する?」

『彼らには色々と助けてもらった。単純に、その恩返しだ』

「馬鹿が。お前のヒト好きも、来るところまで来たな」

『人間の女を妻に迎えたお前が私を馬鹿にするか、オルト・アルカード』


 電話先のカーミラから言われた一言に、アルカードは殊更に不快な表情になった。


「その話はやめろ」


 アルカードは怒りで声が荒げそうになるのを酒で押さえ込み、長い溜め息を吐いた。

 だが、カーミラはさらに続ける。


『お互いに難儀だな。愛する者が、日向に生きる存在だなんて』

「だからお前はただの人間になったと? 人間になった後もそのまま三貴族の一角を担えると、本気で思っているのか?」

『ヴァーニィが死んだお陰で、領地の暴動も大分沈静化している。人間の身体でも政治は充分にできるさ。まあ、最後に決めるのは領民たちだ。辞めろと言うのであれば、私は一向に構わん。ローランドと一緒に外国に行って、自由気ままに生きるとするさ。何なら、いっそお前も人間になる気はないか? 日の下に出られるというのは、想像以上に気分がいいぞ。ネギもニンニクもおいしい』

「馬鹿を言うな。この国を統治するには、ただの人間の身体はあまりにも弱すぎる。この国のトップに座する以上、貴族の身体であることは必要最低条件だ。それがわからないお前じゃなかろうに」


 それが当然であるべきと言い切ったアルカードだったが、カーミラの声色にはどこか呆れの色が含まれていた。


『貴族の身体か。私からしてみれば、人間の身体の方がより自由で強いと思うんだがな』

「……もし本当にそうであれば、“あいつら”は人間のままでいたはずだ」


 ぼそりと、アルカードが呟いた。


『一言、言わせてほしい。ローランドは悪くない。確かにクドラクの存在を国内に知らしめたのはあいつだが、あいつが“人間を吸血鬼にする方法を生みだした”わけではない』

「そんなことはわかっている。その分別ができないほど、自分の頭が悪いとも思っていない」

『お前の妻の妹と、その婚約者の男――ミナとジョナサンは、誤解しているだけだ。色んな事に関してな』


 アルカードは、電話先のカーミラの言葉に、露骨な嫌悪感を覚えた。ここにあの女が目の前にいたら、グラスを投げつけていたところだ――そう思いながら、電話本体に向かって足を動かした。


「もう話すことはないな。切るぞ」

『待て。まだ話したいことがある。リリアン卿たちの処遇は今後どうするつもりだ?』


 急に領主の声になったカーミラに驚きつつ、アルカードは受話器を置く手を止めた。酒を一口飲んだ後、改めて受話器を耳に当てる。


「さっき言った通りだ。まずはこの国に潜伏している騎士たちを全員俺の目の前に連れてこさせる。その後はログレス王国王女を探させ、見つかり次第、さっさとこの国から出てもらうつもりだ」

『教皇庁の件はどうする? この国には枢機卿も紛れ込んでいるのだろう?』

「王女がいなくなれば、枢機卿もいなくなるだろう」

『それはどうかな』


 アルカードは怪訝に眉を顰めた。


「どういう意味だ?」

『お前も知っているだろう? ヴァン・ジョルジェが教皇庁と内通していたことを。そして、ヴァーニィ家の領地内のとある平野を教会に明け渡す予定だったことも』

「それがどうした?」

『お前は気にならないのか? 教皇庁が何を目的にその平野を秘密裏に手に入れようとしていたことが』

「その平野を国で差し押さえればそれで話は終わりだ。カーミラ、今はお前がヴァーニィ家の領地を代理で治めているんだ。さっさとその平野を封鎖しろ。それで万事解決だ」

『そんなことはお前から依頼された時にとっくにやった。だが、封鎖したあと、現地の作業者からの報告書を見て、違和感を覚えずにはいられなかった』

「何がだ?」

『あの平野、本当に何もないんだ。海からの強い潮風のせいで草木すらほとんど生えていない。立地としても最悪で、荒れやすい海のせいで漁港にすることもできず、碌に建造物を建てることすらままならない場所だ。そんな場所を、何故教皇庁は必要としていたのか――考えれば考えるほどに気味が悪い』


 カーミラの言うことには、アルカードも一定の理解を示した。カーミラは基本的に察しが良く、人間や亜人を贔屓すること以外については、政治の手腕もアルカードは認めていた。

 そんなカーミラがここまでの懸念を示していることに、アルカードも無視はできない胸中だった。

 アルカードは受話器を耳に当てたまま、カーミラからの次の言葉を待つ。


『アルカード、悪い事は言わない。リリアン卿たちに協力を仰ぎ、今のうちに教皇庁の目論みをはっきりさせておいた方がいい。彼女たちには少し気の毒だが、王女の確保よりも前に、そちらを優先するように指示を誘導してみてはどうだ? これは国のためを思って言っている。お前の考えに難癖を付けているわけじゃない』


 カーミラの打診は最もだと、アルカードは考えた。教皇庁の目論み――これがはっきりしない限りは、確かに余計な不安の芽をこの国に残すことになる。


 しかし――


「考えておく。だが、この国の治世に、よそ者の手を借りるつもりは一切ない」


 この国は貴族によって統治されるべきであるとの信念が、アルカードの根底にある。まして、相手は教皇庁と対立しているとはいえ教会関係者である。この国が宗教を禁止している以上、騎士に首を垂れて協力を仰ぐなどとは、矜持が絶対に許さなかった。


「話は以上だ。切るぞ」


 受話器の先でカーミラが何か言いたげに喚いていたが、アルカードはそれを無視して電話を切った。







 ダキア公国ヴァーニィ家領地――海岸に面した大陸の南側に位置するこの場所には、不毛の大地と呼ばれる平野が存在していた。天候は常に荒れており、日中であっても太陽の光が差し込む日は年間を通して十日もない。荒れ狂う沖から押し寄せてくる潮風は動植物を一切寄せ付けず、大地はやせ細り、黒ずんだ土色で辺り一面が満たされていた。


 ガイウスは、そんな死後の世界のような場所のど真ん中で、一人立っていた。強風で法衣が激しく靡くのも気にせず、ただただ広大なこの平野を冷たい金色の瞳で見遣っていた。


「何故、ここにいる。お前には別の持ち場があったはずだ」


 不意に、ガイウスが正面を向いたままそう言った。


「パーシヴァル」


 呼ばれて、ガイウスの背後からパーシヴァルが姿を現す。

 パーシヴァルは眼鏡を外し、おどけるように小さく笑った。


「上司が“宝探し”に苦労していないかと思って」


 しかし、ガイウスは何も反応を示さなかった。

 そんな素っ気ない態度に、パーシヴァルは肩を竦める。


「安心してほしい、言われた仕事はちゃんとやっているよ。ちょっと息抜きに様子を見に来ただけさ」


 パーシヴァルはガイウスから視線を外し、どこまでも続く黒ずんだ大地の先を見て目を細めた。


「この平野、今はカーミラ・カルンスタインによって封鎖されている状態らしい。吸血鬼たち、僕らがここに何かを建造するつもりでいると考えているのかな」


 ガイウスは相変わらずパーシヴァルの言葉に応じなかった。

 パーシヴァルが、嘆息気味に溜め息を吐く。


「ところで、“探し物”は見つかったのかい? 見た限り、芳しくなさそうだけど」


 不意に、ガイウスがその場に片膝をついた。それから右手で軽く土を浚い、地面の状態を伺う。


 そして、


「パーシヴァル、ここの岩盤を掘り起こせ」


 パーシヴァルにそう指示を出した。

 パーシヴァルは、ガイウスの意図を汲み取り、にやりと口元に笑みを浮かばせる。

 それから間もなく、微かな青白い光が地中から溢れ出し、地雷が爆発したように地面が捲れ上がった。


「これが一番懸念していたが、どうにか見つけることができた」


 宙に舞った土埃が強風に浚われ、地面の中に隠れていたものが露わになる。


「――ネツァクだ」


 それは、固い地盤に直接刻まれた巨大な印章の一部だった。

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