第225話
「アルバートたち、かなり派手に暴れたみたいだな」
アルバートたちが逃走したとされる迎賓館の晩餐室は、未だ片づけがされておらず、現場の状態はそのまま保存されていた。散乱したテーブルや椅子の残骸に料理の破片が飛び散っており、微かな異臭が室内に充満している。
市警隊員の案内で入室したシオンたちは、現場が想像以上に荒れていたことに、揃って難しい顔になった。アルバートたちの逃走先に繋がる手がかりが何かないかと、オルト・アルカードの許可を得て無邪気に交戦現場を覗きに来たのだが――思いのほか激しい戦いが繰り広げられていたようで、少しばかり驚いた。
「先に仕掛けたのはオルト・アルカードだったらしいが――不意打ちとはいえ、あの三人を当初は圧倒していたと聞く」
室内の様子を伺いながら、シオンが呟くように言った。
隣のヴィンセントが肩を竦める。
「でも結局、アルバートが“天使化”して閣下を返り討ちにしたんだろ? で、その間にあいつらは逃げたと」
リリアンが開きっぱなしの窓の前に立ちながら頷いた。
「争った現場に、アルバート様たちの逃走先に繋がる何かが残されていればと思ったのですが――見た限りでは、なさそうです」
「こりゃあ、地道に街の中聞き込みする方が早いかねぇ」
嘆息してヴィンセントが壁に背を預けた。シオンとリリアンも、それしかないだろうなと、落胆気味に溜め息を吐く。
「ねえ、これ見て」
そんな時、不意にエレオノーラが、床に転がっていた小さな白い袋を引っ張り出した。日記帳が辛うじて入るくらいの、小物入れのような袋だ。テーブルクロスに被せられて、ぱっと見ではわからない場所に放置されていたのだ。
シオン、リリアン、ヴィンセントにはその袋に見覚えがあった。騎士団で支給される物だったからだ。
「アルバート様たちの手荷物、でしょうか? 逃げる際に回収できなかったようですね」
リリアンが言うと、エレオノーラは袋を彼女に手渡した。
リリアンは袋の紐を全開に広げ、中身を床の上にばらまいた。床に散乱したのは、紐で束ねられた何かの紙とペンが数本だ。
「宿泊施設のパンフレットと、切り抜かれた新聞の記事かぁ? なんでまたそんなもんを几帳面にまとめて……」
ヴィンセントは紙の束を捲りながら怪訝な顔になった。
同じように紙を手に取ったシオンが、はっとして気付いた。
「あの三人、オルト・アルカードとの会談を進める裏で、ステラの居場所についても独自に調べていたのかもしれない」
エレオノーラがシオンの隣に立ち、彼が手に持つ紙を覗き込む。そこには、このダキア公国に存在する宿泊施設が一覧化され、事細かにメモ書きでステラ捜索の詳細が記されていた。
「見た感じだと、この街のどこかのホテルに潜伏しているってところまでは突き止めていたみたいだね」
ヴィンセントが顔を顰めて肩を落とす。
「けど、今はもう姫様たちはそのホテルから出払っちまった。俺らと鉢合わせた以上、大人しく同じホテルに戻ってくるとは思えねえしなぁ。運がないっつーか、なんつーか……」
「すぐにこのホテルに行きましょう」
唐突にリリアンがそう言って、シオンも頷いた。
「そうだな」
「どうして? あのガラハッドって枢機卿がいる以上、さすがにステラがまた同じホテルに戻ってくるとは考えられないけど」
「来るのはステラじゃない。アルバートたちが、ステラがいたホテルに来るかもしれない」
エレオノーラの問いにシオンが答えた。隣で、ヴィンセントが納得したように両手を打ち鳴らす。
「ああ、なるほどなぁ。当初の作戦に失敗したから、アルバートたちが直接姫様を探しているかもしれないってことか。んで、直近、目星を付けていたホテルに向かっているんじゃないかと」
「当人たちがいなくても、あいつらの目撃情報を近くで拾えるかもしれない。吸血鬼の動体視力なら、騎士の隠密行動を察知できている可能性がある」
話がまとまり、早速、ステラと鉢合わせたホテルに向かおうと一行は踵を返した。
迎賓館を出た直後、ふとリリアンが珍しく表情を崩し、どこか不安げにしていた。
それにエレオノーラが気付いた。
「どうしたの、リリアン?」
「仮にこのまま無事にアルバート様たちと合流できたとして、ステラ様を取り戻すことができるのか、少々不安になりました。わたくしたちだけで、ガラハッド様を退けることができるのか……」
ヴィンセントが同調するように顔を顰める。
「まあ、そう思うのも無理ねえよなぁ。まさか、ガラハッドが護衛に付いていたんだもんな。ヴァーニィから聞き出した情報じゃあ、姫様は教皇と一緒にいるって話だったんだが」
「どこかのタイミングで護衛役を交代したのでしょう。さすがに教皇が世間の表舞台から何日も姿を見せずにいるのは限界があります」
そんな会話の傍らで、シオンもまた、いつも以上に険しい顔つきになっていた。
「どうしたぁ、シオン? お前もなんか悩み事か?」
「今更な話だが――ガイウスは、どうして自らステラの護衛に付いていたんだろうと、ふと不思議に思った。単純に強い戦力を護衛に当てたいのであれば、始めからガラハッドを当てればいいはずなのに……」
「さあなぁ。姫様の護衛以外に何か目的があったんじゃねえの? ほら、閣下も言っていただろ。ヴァン・ジョルジェっていう吸血鬼と内通して、この国のどっかの平野を明け渡す予定だったって。十字軍の新しい拠点か何かを秘密裏に造ろうとして、その下見でもしたかったんじゃねえのかぁ?」
「……下見、か」
最後にシオンがぽつりと呟いて、一行は、最後にステラを見たホテルへと向かった。
※
地下都市ランヴァニアの郊外――地上の岩盤を支える果ての壁近辺は、中央の煌びやかさとは別に、スラムのような街並みだった。露店が建ち並ぶ通りには当たり前のように浮浪者が徘徊し、吸血鬼、人間、亜人の区別なく、各々が怪しい取引を堂々と行っている。
そんな場所のとある一角――廃墟となった古い建物の中に、三人の男女がいた。
「替えの服を予め隠しておいて正解だったな」
褐色肌の大柄な男――議席Ⅵ番セドリックが、黒スーツの襟を正しながらホッとしたように呟いた。セドリックはその後すぐ、マッチで火を点け、それを足元に落とした。そうして闇の中で燃え上がるのは、騎士の正装だ。
その炎の灯りが、セドリックの影にいたアルバートとレティシアを照らす。セドリック同様に、二人も黒スーツに着替えていた。
不意に、レティシアが脇腹を押さえ、苦悶に表情を歪めた。
「レティシア卿、大丈夫ですか?」
「いらん心配だ」
アルバートの気遣いに、レティシアは悪態をつくような声色で応えた。
その様子を見ていたセドリックが溜め息を吐く。
「無理はするなよ。お前、オルト・アルカードの蹴りをまともに腹から受けただろ」
「心配いらんと言っているだろうが。少し痛むだけだ。軽い内臓破裂が起きているかもしれんが、騎士の体なら三日もすれば治っている。それより――」
レティシアは、ガラスの割れた窓に近づき、街中に立ち並ぶ巨大な支柱を見上げた。
「本当に、この街にステラ王女がいるのか? さっさとこの街を脱出したかったんだが」
まさか、オルト・アルカードとの会談のために訪れたこの街に、ステラ王女がいる可能性もあるとは、レティシアたちも思っていなかった。オルト・アルカードと交戦してしまった以上、一刻も早くこの街から出る必要があるのだが、ステラ王女がいるとなれば、話は別だ。
「調べた限りではここが最有力候補でしょう。しかし、ほんの少し前に、これから向かおうとしているホテルで争いごとがあったようです。もしかすると、ステラ王女はそれを機に移動してしまった可能性があります」
アルバートの言葉にセドリックは頷いた。
「そうだな。だがどのみち、状況を確認しておく必要がある。オルト・アルカードとの交渉に失敗した以上、自分たちの不始末にはケリを付けなければ」
それから間もなく、騎士の正装を燃やし切った上で、三人は廃墟から出た。黒スーツに合わせたハットとコートを纏い、スラムから足早に離れる。
その流れで歓楽街へと足を運び、人混みの中に自然な流れで合流した。目指す先は、ステラ王女が滞在したと思われる、街の高級ホテルである。
だが――
「ねえねえ」
気を張り詰めた矢先、不意にそう呼び止められた。
三人は同時に足を止め、一斉に振り返る。
三人を呼び止めたのは、一人の少女だった。
歳は十歳前後。蝋人形のような色白の整った顔立ちだった。幼いながらもその容姿は、艶のある漆黒の髪と鮮血のような赤い瞳に彩られ、妖美な雰囲気を携えている。恐らく、吸血鬼の子供だろう。
アルバートたちは警戒心を高めた。
「何だ、小娘?」
レティシアが、相手を射殺すような眼光で尋ねた。
しかし、少女は臆した様子も見せず、口元に微かな笑みを浮かばせる。
「貴方たち、お姫様を探しているんでしょ?」
予想だにしなかった言葉が少女の口から発せられ、三人の間に緊張の糸が張り詰めた。
咄嗟に武器を手にしようとしたレティシアだったが、セドリックに無言で宥められる。
アルバートが目線を少女に合わせる形で向き直った。
「お姫様って?」
「ログレス王国のお姫様。ステラ王女」
核心を突く回答に、堪らずアルバートが表情を強張らせる。
「どこでそれを?」
「この先のホテルにはもういないよ。でも、わたし、知ってる。今、どこにいるか」
ただの子供ではないことは、もはや明らかだった。
困惑したアルバートは一度、セドリックとレティシアに振り返る。二人が軽く頷くと、アルバートは再度、少女を正面に据えた。
「君の名前は?」
「ミナ」
「ミナ……さっきの話、よければ詳しく教えてもらえるかな?」
「いいよ。わたしのお願い事を聞いてくれたら、お姫様のいる場所、教えてあげる」
少女は不気味な笑顔を携えたまま、突然交渉を持ち掛けてきた。
「私たちは何をすればいい?」
戸惑いつつ、アルバートがそう尋ねたが――
「えっとね、オルト・アルカードを殺してほしいの」
少女は、無邪気な声色でそう答えた。
「貴方たちならできるよね、騎士のお兄さんたち?」
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