第223話

 オルト・アルカードは晩餐室の床から徐に立ち上がった。おろしたての漆黒のスーツは騎士との戦闘で激しく損傷し、自身の血に塗れて赤く染まっていた。


「閣下! ご無事ですか!?」


 晩餐室の壊れた扉から慌てて入ってきたのは、燕尾服を着た初老の男――アルカードの付き人であるヴァン・ジョルジェだ。

 ジョルジェは、ぼろぼろになった主人の姿を見るなり、酷く狼狽しながら駆け寄った。


 そんなことなどいざ知らず、アルカードは長い疲労の息を吐く。


「少し強引にやり過ぎたか。あれが“天使化”した騎士……危うくこちらが返り討ちにされるところだったな」


 常人であれば立っていることすらままならないほどの重傷を負っているにも関わらず、アルカードはいたって平然としていた。一仕事終えたと言わんばかりの所作で、倒れていた椅子を立て直し、足を組んでそこに座る。


「確かに、あんなのが何人もいれば大陸の一つや二つ、楽に支配できるな。数で勝っていたとはいえ、昔の貴族たちが打倒教会を諦めたのも英断と言える」


 アルカードが負った体中の傷は、時計の秒針と同期をとっているかの如く、目に見える速さで治っていた。ジョルジェが傍らに付いた時には、すでにほぼ無傷の状態にまで回復した。


 何事もなかったかのように振舞う主人の姿を確認したジョルジェが、ほっと胸を撫でおろす。


「逃亡した騎士たちの処遇はいかがいたしましょう?」


 アルカードがこのような有様になっているのは、つい数分前まで、三人の議席持ちの騎士たちと交戦していたからだ

 騎士たちがこの国に来てから何回と実施した会談が、今日も始まろうとした時――アルカードは、騎士たちに、この国に来た本当の理由を問いただした。当然、騎士たちはそれをはぐらかしたのだが、アルカードは即座に実力行使に踏み切った。

 不意打ちを受けた三人の騎士は瞬く間にアルカードの前にひれ伏したが――騎士の一人が、“帰天”を使い、“天使化”したのだ。“天使化”した騎士の猛攻は、アルカードを刹那のうちに叩きのめし、文字通り一方的な戦闘となった。

 そうしてアルカードがなす術なく床に伏した隙に、騎士たちはこの場から姿を消し、今に至るのである。


「暫く泳がせておく」


 アルカードの答えに、ジョルジェが眉を顰めた。


「よろしいのですか?」

「騎士団と教皇庁の関係が悪化していることは聞き及んでいる。あの騎士たちの目的は恐らく、この国に潜伏している教皇と枢機卿、ログレス王国の王女だろう。見つけたあとどうするかは知らないが、互いに潰し合うつもりなら勝手にやればいい。それよりも気になるのは――」


 アルカードはそこで一度区切り、ジョルジェを睨むように見据えた。


「教皇や枢機卿、それに加えて大国の王女という大物たちが、どうやって俺が関知しないところでこの国に入ることができたか、だ。国の内部に手引きをした輩がいるとしか思えん。おおかた、あの騎士たちは、俺が手引きした線を疑っていたのだろうな」

「であれば、ヘンリー・ヴァーニィが濃厚かと。教会の勢力を国内に引き込み、三貴族のパワーバランスを乱そうと画策したのでは?」


 ジョルジェの推理に、アルカードは鼻を鳴らした。


「あの狡いチビデブにそんな度胸があるものか。それに、あいつの思考は保守そのものだ。俺とカーミラにどれだけ対抗意識を燃やそうとも、海外の勢力を呼び込むなんて発想には至らないだろう。もう死んだことだしな」

「では、カーミラ・カルンスタインが?」

「それもあり得ない。あの女は豪傑ではあるが、根っからの平和主義者だ。厄介事でしかない教会関係者を敢えて自分から呼び込むとは考えにくい。となれば――」


 アルカードが椅子から立ち上がった瞬間――ジョルジェの身体が背中から壁に叩きつけられた。アルカードが、ジョルジェの下顎を片手で掴み上げ、じわじわと圧力をかける。


「ジョルジェ、俺にはお前くらいしか見当がつかないのだが」


 仮面を被ったように表情を消した主人の顔を見て、ジョルジェが血の気を失わせる。


「お、お戯れを――」

「ほざくなよ。死にたくなければ、お前が知っていることを今すぐ話せ。何故、聖王教会の教皇たちを俺の国に入れた?」







「どうしたんですか?」


 不意に、ステラがガラハッドにそう訊いた。

 とある高級ホテルの晩餐室――就寝時以外、ステラは常にこの部屋に護衛のガラハッドと共にいた。

 今日も特に何もすることがない窮屈な一日が始まるのだと、ステラが表情を憂鬱に曇らせていた時だった。ガラハッドが突然、扉の方を向いて静かに佇んだのだ。

 その手には、抜身の長剣が握られている。


 ガラハッドから反応がなく、ステラはもう一度声をかけようと椅子から立ち上がった――その直後だった。


 晩餐室の扉が勢いよく開かれ、そこから武装した集団が流れ込んできた。


「全員、動くな――」


 身なりから察するに、恐らくはこの国の市警たちだろう。制服を纏い、小銃を担ぐ姿は警察組織というよりも軍隊に近いものがある。

 そんな彼らが、銃口を向けて制止を促す発言をした刹那――ガラハッドが、目にも止まらぬ速さで、一人残らず市警を斬り伏してしまった。まるで、時間の一部が欠落したような光景だった。


「……ヴァン・ジョルジェ、しくじったな」


 ガラハッドが、長剣の血を払いながらぼそりと呟いた。


「あ、あの――」


 あまりにも突然の出来事に、ステラは顔を青くさせて狼狽えることしかできなかった。そんな彼女の腕をガラハッドが強引に引く。


「このホテルを離れる。ついてこい」


 それに頷くことも否定する間もなく、ステラは晩餐室から連れ出された。ガラハッドに誘導され、非常用の階段口から一階へ駆け下りる。


 一階に付いたあと、そのまま二人はホテルの裏口から外に出た。

 ネオンと街灯に照らされた人通りの多い場所に向かって足を速め――不意に、ガラハッドが立ち止まった。


 ガラハッドは少しだけ表情を険しくし、人混みのとある一点を睨みつけた。


「ステラ!」


 そこにいたのは、シオンだった。他に、エレオノーラとリリアン、見慣れない男が一人いる。

 四人は一瞬、死人を見たかのように硬直していたが――シオンがステラの名を呼び、駆け出した。







 それは突然の再会だった。

 今日の宿を探そうと、騒々しいネオンの街を適当に歩いていた時だった。


 シオンたちの目の前に、ステラとガラハッドが路地裏から姿を現したのだ。


 シオンは驚きに数秒固まっていたが、即座に意識を呼び戻し、ステラを呼んだ。人混みをかき分け、ステラに近づこうとするが――


「シオン、無理だ! ガラハッドがいる!」


 ヴィンセントの制止も虚しく、シオンとガラハッドが刃を交えた。

 突如として街のど真ん中で始まった剣戟に、周囲から悲鳴が上がる。


「こんな場所で剣を振るな」


 狂犬が噛みつくように刀を振るうシオンだったが、まるでガラハッドの相手にならなかった。

 ガラハッドはシオンの一刀を長剣で受け止めたあと、すぐさま身を翻し、シオンの側頭部に蹴りを見舞った。シオンが横に倒れる間もなく、今度は長剣の柄で腹を殴る。最後に、そのまま蹲るように地面に倒れ込むシオンの後頭部を靴の裏で踏みつけた。


 シオンがそのままうつ伏せに静かになったところで、ガラハッドは長剣を鞘にしまって踵を返した。

 そこへ、


「ガラハッド様、単刀直入に申し上げます。ステラ様の身柄を我々にお戻しください」


 リリアンが声をかけた。ガラハッドは足を止め、少しだけ顔を彼女に向ける。


「そんな話をしている余裕はない。お前たちも、今すぐここから離れるといい。間もなく、武装した吸血鬼たちがこの周辺一帯を取り囲むだろう」


 その言葉の意味を問う間もなく、突如として周囲が眩い光で照らされる。シオンたちを中心に、四方から強烈な照明が当てられたのだ。


 エレオノーラ、リリアン、ヴィンセントが眩んだ目を薄く開けると、そこにステラとガラハッドの姿はすでになかった。


 代わっていたのは、


「市警隊!? この騒ぎで通報されたとしても、さすがに早すぎない!?」

「いえ。理由はわかりませんが、恐らくは始めからこのホテル周辺に大勢潜んでいたのでしょう。迂闊でした」


 小銃で武装した制服の集団――この国の市警隊だった。恐らくは全員が吸血鬼で構成されているのだろう。ステラ、ガラハッドと思わぬ出くわし方をして混乱していたとはいえ、探知能力を持つリリアンに気付かれることなくこの距離まで接敵できるのは、騎士と同等の身体能力を持つ吸血鬼しか考えられない。


 ちょうどこの時、シオンが地面から体を引き剥がして立ち上がろうとしていた。


「クソ……!」

「もう姫もガラハッドもどっかいっちまったぜぇ。頼むからそのまま大人しくしてくれよ」


 もう急に暴れるなよと、ヴィンセントが肩を貸しながらシオンに釘を刺した。

 そんな時――


「その通りだ。そのまま大人しくしてもらおう」


 照明を逆光に、何者かが一人、シオンたちに向かって歩みを進めていた。

 警戒するシオンたちの少し手前で立ち止まると、その人物は慇懃無礼に、まずは一礼をして見せた。


「初めまして、密入国者諸君。それとも、騎士の諸君、と言った方が状況を早く飲み込んでくれるだろうか」


 すでに自分たちの正体が割れていることに、シオンたちは驚きと嘆きの混ざった複雑な表情になった。


「私はオルト・アルカード、この国を統治する三貴族の一人だ」


 目の前に立つ人物はそう名乗り、どこか不敵な笑みを口元に小さく宿した。


「今のところ君たちに敵意はない。だが、これ以上、俺の国で好き勝手に暴れるというのなら、相応の対応を取らせてもらおう」

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