幕間 王女の敵

第221話

 地下都市ランヴァニアにある高級ホテル――そこの晩餐室のテーブル席にて、ステラは一人、憔悴した面持ちで座っていた。鋼の空で覆われたこの街に長くいたことで、体内時計が狂ってしまったことも一因しているが――それ以上に、何一つとして外の情報が入っていないこの状況に、今までに感じたことのない強い閉塞感と孤独感を覚えていた。


 いつになったらここから出られるのだろう、シオンたちは今何をしているのだろう、ログレスは無事なのだろうか――色んな考えが、ステラを苛ませた。


 不意に、晩餐室の扉が開かれた。

 入ってきたのは、ガイウスだ。


「ガリアを黙らせるには、まだ時間がかかりそうだ。戴冠式の準備が整うまで、もう少し待ってほしい」


 ガイウスは、テーブルを挟んでステラの正面に座った。


「奴らが実効支配している王都キャメロット、そこの領有権を主張し始めている。面倒なことを言い出したものだ」

「もとは貴方がガリアの言い分を認めたことが発端でしょう」


 お前がそれを口にするかと、ステラは少女らしからぬ厳しい目つきでガイウスを睨んだ。

 ガイウスは軽く目を瞑ったあと、小さく息を吐いた。


「俺が黙認したのは代理統治という間抜けな口実だけだ。国際的な条約に則った正規の手続きを踏んだものでもない、ただの口約束だ」


 それこそ屁理屈ではないかと、ステラは怒りの表情で訴えた。

 ガイウスは肩を竦める。


「心配はない。いざとなれば、十字軍を向かわせる。教皇庁の執行権限を使い、騎士団に代わって武力行使で王都に駐在するガリア軍を排除する」

「街を戦場にするつもりですか?」

「被害は最小限になるよう努める。多少の犠牲は出るだろうがな」


 まるで他人事のように言い放つガイウスに、ステラは有りっ丈の理性で怒りを抑えた。両肩を小さく震わせ、今にも感情任せに怒鳴り散らしそうだった。

 それを見たガイウスの表情が、途端に冷たくなった。


「どんなことでも、望みを叶えるのに犠牲はつきものだ。犠牲を出さない手段はあるのかもしれないが、時間とヒト、資源がそれを許さない。本当に得たいもの、守りたいものには、いつだって時限爆弾が括りつけられている。政治の場で非情な判断が下される時は、一様にそういう話だ」


 しかし、そんな正論でもステラは納得しなかった。彼女は依然として、殺意と侮蔑を孕んだ眼差しでガイウスを睨みつける。


 ガイウスは嘆息した。


「……君は、前女王の思惑通り、庶民的でとてもやさしい人間に育ったようだな」


 突然、祖母の話になり、ステラは思わず呆けた。


「お祖母ちゃんの思惑?」

「身分を隠し、普通の子供として生活させていたのは、君の祖母、ヴィクトリア二世の計らいと聞いている。前女王が何故、君をそのように育てたのか、理由を知っているか?」


 ガイウスの言う通り、ステラもその話に覚えがあった。王族として人前に立つことがほとんどなく、身分を隠して他の少年少女たちと同じような生活を送っていたのは、祖母の考えであったと。

 両親が亡くなり、物心がついた時からそうした生活を送っていたため、それが普通なのだと何も疑問を抱くことはなかった。何故、と理由を考えることも。


「前女王は、絶対王政を自分の代で終わりにするつもりだった。一極集中の権力を基盤にした政治体制は今の時代には合わず、非常に脆い。より民主主義寄りの政治体制に変えようと画策していた。つまり、前女王は自らの手によって、ログレス王国を立憲君主制に移行しようとしていた」


 ガイウスから唐突に明かされた真相――しかし、ステラは眉間に皺を寄せた。


「え……でも、以前猊下は、立憲君主制を目指していたのは改革派の政治家たちだって――」

「そう。皮肉なことに、前女王の意向は、王を立てる保守派の考えではなく、改革派の考えに近かった。そしてそれが、歪な政治抗争を生み出すことになった」

「歪な政治抗争?」


 ガイウスは頷いた。


「前女王の死因は知っているか?」

「老化による急性心不全と聞いています」

「前女王は保守派に暗殺された」


 衝撃的な一言に、ステラは言葉を詰まらせた。


「当時、騎士を使って調べさせた情報だ。真実とみて間違いないだろう」


 にわかに信じられない話だったが、ガイウスが嘘を吐いているようにも見えない。

 ステラは、震える唇を弱々しく動かした。


「絶対王政を望む保守派が、どうして――」

「君を王にするためだ」


 平常心を失ったステラに構わず、ガイウスは続けた。


「君は身分を隠して普通の少女として生活していた――それは間違いなく前女王の計らいだ。より国民の立場に寄り添う考え方ができるようにと、いつか来る立憲君主制を下地にした民主主義により適した王になるべく。そこまではよかった。だが、君と前女王の間に入っていた保守派の政治家たちは、そこに目を付けた。君をはりぼての王に祭り上げ、傀儡政治とすることで、国の実権を自分たちで握ってしまおうと目論んだ」


 ログレスを混沌に陥れた輩が改革派の政治家以外にもいたのかと、ステラは息を呑む。


「君の学業の成績は、お世辞にもいいとは言えないらしいな。王族として持つべき文化的な教養も、政治的な知識も、同年代と比べても極端に乏しい。だが、恥ずべきことではない。仕方がないことだった。何故ならそれらすべて、保守派の政治家たちによる、君を人形に仕立て上げるための“教育”だったからだ。前女王には、君が次世代の王になるべく順調に成長していると虚偽の報告を流し、その裏では、君が都合のいい権力の塊になるように教育する――保守派の政治家たちは、君と前女王の接触機会を減らしつつ、そうした工作活動を長年続けていた」


 自分の頭が悪いことは、ステラも自覚していた。旅が始まってシオンたちに指摘される以前からも、それはわかっていた。学友たちからもそれをネタに揶揄われるので、テストがいつも憂鬱だった。

 それは、ただ自分が勉強嫌いで、真面目に勉学に励まなかったことが原因だと、何の疑いもなく思っていたが――まさか、政治家たちの力によって、そうなるように仕向けられていたとは。

 ステラは、心臓が締め付けられるような痛みに、身体を強張らせた。


「少しだけこれから先の――未来の話をしよう。仮に君がこのまま無事に女王になったとして、周辺には保守派の政治家たちの卑しい謀略が付きまとうはずだ。だが、俺の後援を得て女王になった暁には、教皇庁がそれを阻止することを約束しよう。この問題を解決できるのは、現状、我々しかいない」


 ガイウスからの唐突な提案に、ステラは驚きに固まったままの面を上げた。


「王になることそれ自体は、諸々の課題を解決する手段ではない。なってから考える必要がある。国を建て直すのに、第三者からの助力は必要不可欠だろう」


 それにステラが何かを呈する前に――ふと、晩餐室の扉が開かれた。

 入ってきたのは、ガラハッドだ。


「ガイウス、交代だ」


 ガラハッドに言われ、ガイウスは席から立ち上がった。

 二人がすれ違う時、


「パーシヴァルから言伝がひとつ」


 ガラハッドがそう言ってガイウスを呼び止めた。


「“聖女は騎士団本部にいる。必要なら攫いに行くがどうする?” とのことだ」

「居場所を追跡できる状態になったのならいい。今は放っておけ」

「聖女が持っている“写本の断片”は?」

「それも今は必要ない。必要な時に奪う」


 小声での短い会議を終え、ガイウスは扉の前で一度、ステラに振り返った。


「ステラ王女、俺はここで失礼する。君とはまたどこかで、ゆっくり話したいものだ」

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