幕間 聖女の証

第220話

「聖女の護衛、ご苦労だった」


 騎士団本部――“円卓の間”に入ると、総長ユーグ・ド・リドフォールが労いの言葉をかけてきた。

 イグナーツ、メイリン、ユリウス、プリシラの四人は、それに軽い会釈で応える。四人の中心で守られるように立っていた聖女は、深々と一礼を返した。


 ステラを教皇たちに奪われてから今日でちょうど二週間が経過した。イグナーツたちは、シオンたちがダキア公国へ出立したのを見届けたあと、グリンシュタット共和国から騎士団本部に聖女を連れて帰還した。


 “円卓の間”にはユーグの他にヴァルターも在席しており、両者の前には膨大な紙の資料が置かれていた。そのどれもが、教皇庁、十字軍に係わる調査資料だった。


 ユーグとヴァルターは資料を読み漁る手を止め、大きく一呼吸をしたあとで、帰還した騎士たちに向き直った。


 ヴァルターが、イグナーツたちの顔を見て怪訝に眉を顰める。


「無事に帰還できたというのに、表情が芳しくないな。何かあったのか?」


 訊かれて、イグナーツは肩を竦めた。


「それが、まったく苦労してないんですよ。足が付かないように色々手を回したとはいえ、十字軍から何もちょっかいがなかったのは、少し気になります」


 隣のメイリンが、うんうんと頷いた。


「ここまで何もないと気味が悪いな!」

「単純に、聖女の居場所を捕捉できなかっただけなのでは? 我々もかなり慎重にここまでのルートを選びましたし……」


 プリシラの見解を聞いたヴァルターが顎を手で擦った。


「その可能性はある。奴らの今の優先順位としては、大陸各国への十字軍のプレゼンス向上と、戴冠式の開催の二つが高い。聖女の捜索に人員を割く余裕が今はないのかもしれん」


 消化不良感はあるものの、納得するための根拠としてはそれなりだった。これ以上は何を考えても憶測にしかならず、時間を浪費するだけだと、一同は暗黙の裡に割り切ることにした。


 次にユリウスが口を開く。


「ところで、これから騎士団はどうするんだ? シオンたちが王女を取り戻すまで、ここで聖女の護衛に回んのか?」

「基本的にはそうなるでしょう。ただ、十字軍――教皇庁が政治的な圧力をかけて聖女の身柄の引き渡しを求めてくるとも限りません。最悪、聖女にはまた、巡礼という名の逃亡生活を強いることになるかもしれませんね。ただその前に――」


 イグナーツはそこで区切って、聖女を見遣った。


「聖女アナスタシア、貴女が持っているという“写本の断片”の正体を教えていただけませんか? それと、何故ガイウスたちがそれを欲しがっているのかも。本部に着いたら、教えていただけるというお話でしたよね?」


 聖女は一瞬、怯えたように瞳を震わせた。その後で顔を少し俯け、弱々しく唇を動かす。


「……わかりました。まず先に、“写本の断片”の正体からお教えしましょう」


 そう言って、唐突に一同に背を向けた。

 そして、服を脱いで上半身を――背中を露わにする。白い柔肌に刻まれていたのは、背面いっぱいに描かれた何かの印章だった。


「“騎士の聖痕”――とはまた違いますね。それが何なので?」


 “騎士の聖痕”と似たところはあるものの、まったくの別物であった。

 イグナーツが怪訝にしていると、


「これが、“写本の断片”です」


 聖女が答えた。

 “円卓の間”にいた聖女以外の全員が、驚愕に目を剥く。


「写本と言うので何かの書物だと思っていましたが、まさか印章だとは……」

「しかも人体に刻印するタイプか。もしかしてだが、聖女は代々これを引き継いでんのか?」


 プリシラとユリウスの発言に、聖女は静かに頷いた。


「はい。これは、遥か昔に存在した最初の聖女から現代の私に至るまで、代々引き継がれたものになります。そして、この印章こそが、聖女の証なのです」


 聖女の説明を聞いて、ヴァルターの年老いた顔に一層の皺が寄せられた。


「して、それは何をするための印章だ? “写本”と呼ばれている以上、何かしらの情報を引き出すためのものと予想できるが?」

「情報を引き出すための印章というのは、その通りです。ですが……私では、その情報を引き出すことはできても、知ることはできないのです」


 言葉を詰まらせつつ回答した聖女に、ユーグが首を傾げた。


「どういう意味かな?」

「私は“これ”から、直接その情報に触れることができないのです。ですが、皆さまになら、お教えすることはできます」


 全員が困惑の顔を見合わせた。


「姐さん、まったく意味がわからないぞ!」


 メイリンが全員の頭の中を代弁すると、聖女は服を着直して向き直った。


「……この印章を発動させるのは禁忌とされているのですが、状況的にやむを得ないでしょうね。暫しお待ちを」


 そして、聖女の体から青白い光が放たれる。

 その実行反応はまるで――


「……“帰天”?」


 騎士の“帰天”のようだった。

 “茨の光輪”を頭上に宿すその様は、まさしく“天使化”した騎士そのものである。


 突然の出来事にイグナーツたちが揃って驚いている矢先、


「――ヒトの身体を得るのは久しぶりだ」


 聖女が、やけに落ち着いた声色でそう言った。


「聖女? どうされました?」


 イグナーツに訊かれ、聖女は何かに納得したような顔になる。それから、自身の両手を見つめ、小さく一回頷いた。


「なるほど。この体は聖女のものか。彼女の魂は今、この体から離れている。代わりに、私が借りている状態だ」


 これまた唐突に意味不明なことを発した。

 ユリウスが、堪らずといった様子で前に出る。


「は? どうしちまったんだ、いったい――」

「貴方は何者ですか?」


 それを、イグナーツが腕を伸ばして止めた。


「私は、聖王の人格を模した対話型インターフェース、それを有するシステムの一部だ。今はこの体を借りて君たちと接触している。予め言っておこう。私の意識の占有時間が長引くと、持ち主の魂が消費されてしまう可能性がある。訊きたいことがあるのなら、可能な限り早くした方がいい」

「な、何が何だか……」


 困惑して狼狽するプリシラを尻目に、イグナーツはさらに続けた。


「わかりました。では早速、訊かせていただきます。貴方は何を知っているのですか?」

「答えよう。私は“ヒト”の創り方を知っている。かつて聖王が亜人を創り出した具体的な手法だ。ルーデリア大聖堂の地下にある“写本の断片”にもその情報は記されていない。私からしか取り出せない情報だ」


 予想だにしなかった回答を聞いて、一同は驚愕に言葉を失った。


「――ガイウス……それを知って、何を成そうとしている?」


 ユーグが呻った。

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