第212話

 双子の吸血鬼を倒したあと、シオンたちはすぐに隠れ家に向かって車を走らせた。車体はマイクロガンで穴だらけにされ、走るのもようやくという状態だ。


 そんな状況に輪をかけて、更なる難題が彼らに振りかかる。


 シオンたちが乗るワゴン車の後方から、幾つもの警察車両が迫っていた。双子を倒した際に生じた大爆発の影響で、追跡対象にされてしまったらしい。


「どうする? 応戦するか?」


 助手席に座るシオンが刀を構えながら後ろを見遣った。

 すぐにカーミラが首を横に振る。


「いや、さすがに警察を相手にするのはやめた方がいい。直接手を出してしまっては、私でも揉み消すのは難しい」


 エレオノーラが怪訝に顔を顰める。


「でもあのヴァーニィってチビデブは、いいように使ってなかった?」

「大義名分があったからだ。不審な外国人がいる――他国との国交を厳しく管理しているこの国では、十分すぎる動機だ」

「しっかし、このままじゃあ隠れ家に向かえないぜぇ? あいつらも一緒に連れていっちまう」


 ハンドルを切りながらヴィンセントがぼやいた、その直後だった。

 突如として、上空後方から、何かが猛スピードで飛来してきた。眩い光を放ちながら夜空を裂く様子はさながら彗星のようであったが――その正体はリリアンだった。

 リリアンは、あとすんでのところでワゴン車に衝突するというところで急減速し、ふわりとワゴン車の屋根に着地した。


「リリアン・ウォルコット、ただいま合流いたしました」

「び、びっくりした!」


 屋根から頭を下げてひょっこりと顔を出したリリアンを見て、エレオノーラが大袈裟に驚いた。


「よく俺たちの場所がわかったなぁ」

「先ほどの大爆発と、この大量の警察車両、上空からだとすぐに気付きました」

「そりゃそうか」


 ヴィンセントは肩を竦めて納得した。

 そのやり取りの後、シオンが神妙な面持ちでリリアンを見た。


「ヘンリー・ヴァーニィはどうした?」

「申し訳ございません。取り逃がしました。詳細は後でお伝えします。取り急ぎ、今どちらに向かっているのか、教えていただけますでしょうか?」

「カーミラ・カルンスタインの隠れ家だ。彼女しか知らない場所らしい。城にいた執事もその存在を知らないような場所だ。この騒ぎをやり過ごすにはちょうどいい」

「……なるほど。それは好都合です」


 シオンの話を聞いたリリアンの口調は、どこか含みのある言い方だった。

 それを尻目に、ヴィンセントが眉根を寄せ、あからさまに困った顔を周囲に見せる。


「で、どうするよ? この警察の大群を振り切る妙案、誰か持ってねぇ?」

「わたくしにお任せを」


 リリアンは頭を上げ、ワゴン車の屋根の上に立った。それから後方を向き、警察車両と対峙する。

 カーミラが慌てて窓から半身を乗り出し、リリアンに向かって口を動かした。


「リリアン卿、警察に直接手を下すのは――」

「存じております。ところで、次の分かれ道は左右どちらに曲がる予定でしょうか?」

「隠れ家に行くには右だが……」

「かしこまりました」


 不意に、リリアンは両腕を左右に広げた。すると、彼女の両手から仄かな青い光が放たれた。

 次の瞬間、ワゴン車全体が、薄い虹色の光に包まれる。起こった現象はそれだけではない。レーンの分岐に差し掛かり、ワゴン車が進行方向右に傾いた時だ。幽体離脱を起こしたかのように、ワゴン車の幻影が出現し、反対の左のレーンに向かって走っていったのである。

 リリアンが魔術で光を操作し、自分たちが乗るワゴン車そっくりの幻を創り上げたのだ。ワゴン車の周りを包む虹色の光は、外部からこちらの姿を見えなくするためのものだろう。


 一仕事終えたリリアンが、屋根から車内の後部座席へ移動した。


「光でこの車の幻像を作りました。これで警察たちは、実体のない幻の車の方を追跡するでしょう。わたくしたちの姿も、この虹色の光に包まれている間は、あちらからは見えなくなっております」


 リリアンの思惑通り、警察車両は幻の車の方を追って続々と左折していく。


「随分と芸達者なことできるのねー、アンタ」


 エレオノーラが感嘆の声を上げながら、興味深そうにワゴン車が纏う虹色の光を見た。


「幻像を操作できる有効範囲は五百メートルもありません。走行音がしないことにも、いずれ警察は気付くでしょう。エレオノーラ様、この車の外装を、魔術で何か適当な形へ変えられないでしょうか? わたくしの魔術でやり過ごしている間に、車体にもカモフラージュを施しておきたいです」

「ちょっと待ってて」


 そう言って、エレオノーラは口紅で手早く車の内装に何かの印章を描きだした。間もなく、ワゴン車が青い光と共に形状を変化させる。弾痕によって廃車寸前だった車体は、窓ガラスこそ元通りにはならなかったものの、それ以外は新品同様の見た目にまで回復した。外装の色も元の白ではなく、夜の中に紛れやすい黒に変えられている。


「オンボロ状態を直して色を変えるだけでも、一時的なカモフラージュとしては充分でしょ」


 これくらいは朝飯前と言わんばかりに、エレオノーラが肩を竦めた。


 そんな二人の超常現象染みた魔術を目の当たりにしたローランドが、驚きと興奮で目を丸くさせる。


「凄い……外の国には、これほどまでに魔術に秀でたヒトたちがいるのか……」


 ヴィンセントが小さく笑った。


「この二人は大陸でも超天才の部類だけどなぁ。同じレベルの魔術を使えるような奴は、外の国でもそこら中にはいないぜぇ」


 こうして完全に警察を振り切ったあと、ワゴン車はカーミラの指示に従って北へ向かった。

 夜明けが近づくにつれ、車やヒトの通りは徐々に少なくなっていった。

 閑散とした道路の周囲にあるのは、霧深い林だけである。


 三十分ほど車を走らせたあと、シオンたちは目的地にたどり着いた。

 カーミラを除いた一行が、揃って怪訝な顔になる。

 何故ならこの場所は――


「墓地?」


 数多の墓石が並ぶ墓地だったからだ。宗教を禁止している国であるため、近くに教会のような建物は見当たらない。シオンたちにとっては、妙な違和感を覚える光景だった。


「そこの岩壁の近くに車を停めてくれ」


 そう言ってカーミラが指を差し、ヴィンセントは指定された場所にワゴン車を停めた。

 すぐにカーミラがドアを開け、岩壁に向かって歩く。それから彼女は、岩壁をぺたぺたと両手で触り出した。何かを見つけたのか、ふとその動きを止めると、今度は近くに落ちていた尖った石で何かの印章を刻み始めた。


「これで開くはずだ」


 その言葉を待っていたかのように、岩壁が音を立てて崩れていった。崩れた岩の先から姿を現したのは、暗闇へと続く、舗装された通路である。


「この広さなら車ごと入れる。先に進もう」


 カーミラがワゴン車に戻り、一行は通路へ入っていった。

 ワゴン車が通路に入った瞬間、後ろの方で大きな音が鳴った。見ると、先ほど入った場所が、再び岩壁で塞がれていた。その直後に、通路両脇に並べられた燭台が、仄かに周囲を照らし出す。


 立て続けに起こる数々の仕掛けに、ヴィンセントが興奮気味に口笛を鳴らした。


「いいな、ここ! 秘密基地みたいでかっこいいなぁ!」


 その隣で、シオンは注意深く周りを見ていた。奥に進めば進むほど、内装は自然的なものではなく、要塞のような無機質な造りに変わっていく。

 さながらそれは、軍事施設のようにも見えた。


「もしかして、ここは軍が利用していた施設なのか?」

「ああ。私の両親が昔造った施設だ。使われなくなって随分経つが、まだ辛うじて施設機能は維持できているようだ」


 リリアンが小首を傾げる。


「三貴族でありながら、ご両親は軍属であらせられたのでしょうか?」

「父が軍人だった。人間だったが、この国で大佐の地位にまで上り詰めた男だ。娘ながら、誇りに思うよ」

「父親が人間ってことは、母親がきゅうけつ――貴族だったってこと?」

「呼びやすい言い方でいい。吸血鬼と言われたところで私は気にしない」


 言い直しながら訊いたエレオノーラに、カーミラは肩を竦めて微笑した。


「私は人間の男と、当時三貴族の当主だった吸血鬼の女の間に生まれた存在だ。だが、少し前に話した通り、私たちはハーフというものにはならない。クドラクが母子感染することで、そのまま吸血鬼として生を受ける」

「興味本位で訊くが、人間と吸血鬼が結ばれることは珍しいことなのか? ちなみに、この国の外では――教会の影響下にある地域では、人間と亜人が結ばれることは禁忌とされている」


 シオンの質問に、カーミラはどこか愁いを帯びた双眸で視線を落とした。


「珍しい話だとは思う。私は自分の両親以外には、数件事例を聞いただけだ。ただ、吸血鬼の男が肉欲に任せて人間の女を孕ませるという話は腐るほど聞いたことがある。そして、産ませた赤ん坊を自らの餌にするという話もな」


 カーミラの回答を最後に、車内は暫く沈黙した。

 やがてワゴン車が到着したのは、開けた空間だった。

 ワゴン車から降りたシオンたちは、カーミラの案内でさらに奥へと歩みを進める。鉄骨が剝き出しの通路は迷宮のように複雑に入り組んでおり、案内がなければ確実に迷っていただろう。

 そんなところを五分ほど歩いた先で、重そうな金属で造られた重厚な扉の前に辿り着いた。さながら、銀行の大型金庫のようである。


「この奥に生活スペースがある」


 カーミラが扉を開けると、そこにあったのは、コンクリートの打ちっぱなしで造られた広大な部屋だった。隠れ家という言葉通り、派手さや快適さとは無縁の内装だったが、数日生活する分には何の不自由もなく過ごせそうなくらいには設備が整っている。


 カーミラが空調や照明のスイッチを入れ、各々がソファや椅子に腰を掛けていった。


「これでようやく一息ってところか。んで、こっからどうする?」


 ヴィンセントが切り出すと、ローランドが反応した。


「僕だけの都合を言ってしまうと、遅くても二日以内にはここを出たいと思っています」

「何かあるのでしょうか?」


 リリアンが訊くと、ローランドは懐から小型の薬箱を取り出し、中身を見せた。そこには、残り数錠となった錠剤が収められている。


「カーミラの薬の備蓄量が、あとこれだけなんです。今回は突然の事だったので、あまり多く持っておらず……」

「私のことなら気にするな。ただの発作だからな、少し寝ればすぐに落ち着く」

「落ち着いても放置すれば命に係わるだろう。カーミラ、最後に血を飲んだのはいつだ?」

「二週間前だ。お前に貰った献血用の血を飲んだのが最後だ」

「だとすると、そろそろ内臓に重篤な症状が出始める頃じゃないか……」


 何の悪びれもなく、臆した様子もないカーミラに対し、ローランドは自分の事のように酷く落ち込んだ。頭を抱え、嘆かわしそうに眉間に皺を寄せる。

 そんな二人を見たリリアンが、


「何故、カーミラ様は血を飲むことをそこまで拒むのでしょうか?」


 そんな質問をすると、カーミラは少しだけ言い辛そうになった。数秒、渋い顔で黙っていたが、徐に口を開いた。


「……ただのくだらない意地さ。自分が吸血鬼であることを認めたくない、その一心だ。人間になれるわけでもないのにな」


 今度はエレオノーラが首を傾げた。


「どうしてそこまで人間の身体に憧れるの? 太陽の光を浴びたいからってだけで、そこまでやるとは思えないんだけど。死んじゃったら元も子もないじゃん」

「私はこの国の一領主だ。いずれ世継ぎの子供を産むことになるだろう。だが、吸血鬼である私が子を産めば、その子もまた吸血鬼となってしまう。それだけは、どうしても避けたい」

「なんで? やっぱり、太陽の光を浴びられないとか、色々不自由な面があるから?」

「そうだな、それもある。だが一番の理由は、人間や亜人から恐れられることだ。それが怖いんだ。彼ら彼女らの大多数が私たちを見る目は、間違いなく化け物を見る目なのだ。そんな世界に、自分の子を産み落としたくはない。君たちも、超人的な身体能力持つ身なら、そういう視線を感じたことはないか?」


 ヴィンセントが、うーん、と難しい顔で呻る。


「言われてみりゃあ、あるにはあった。俺はそうでもなかったが、自分の身体を受け入れられずに病んでいった奴を何人も見てきたしなぁ」


 次にシオンが口を開いた。


「ただ、俺たちの場合は吸血鬼と違って、子供が生まれたとしてもその子供は騎士にはならない。騎士から生まれた子供はただの人間だ」


 リリアンが頷く。


「ですので、カーミラ様からの問いの回答としては――そういう視線を感じたことはありますが、あくまでそれは、自分が受け入れられるかどうかの話に留まっております。カーミラ様のような悩みを抱いたことはありません」

「そもそも俺ら騎士の身分って、騎士である限りは結婚も子供を作ることも禁止されてるしな。自分の子供がどうのこうのって悩みを持った奴は、騎士にはいないだろうなぁ」


 カーミラは、馬鹿なことを訊いたと、自嘲気味に笑った。


「そうか。それは羨ましい限りだ」

「カーミラ……」


 そんなカーミラを、ローランドが気遣わしげに見遣る。何か思うことがあるのか、沈痛な面持ちで顔を少し伏せた。


 エレオノーラもまた、どこか他人事とは思えないような顔で、いたたまれなさそうにしていた。


「誰が、クドラクなんて魔物を造ったんだろう……」


 ぽつりと、エレオノーラが零す。


「……知りたいか?」


 反応したのはカーミラだった。


「知ってるの?」


 エレオノーラの問いに、カーミラはしっかりと頷いた。

 リリアンが訝しげに眉を顰める。


「クドラクの存在が明らかになったのは、ローランド様の研究によってつい最近であったと以前伺いました。なのに、何故?」

「ローランドからクドラクの存在を聞かされたあと、私はここにあった昔の“資料”を調べてみることにした。もしかしたら、そこにクドラクについて情報が記されていないと思ってな。そして、当たりだった。何故、我々のような存在が生み出されることになったのか――さらには、何故、この国が宗教を禁止しているのか、そのすべてが記録されていた」


 思いがけない話に、シオンたちは驚いた。


「何だ、その“資料”っていうのは?」

「“写本の断片”――もとは教会が管理していた、特殊な記録媒体群だ。その一つが、この施設にある」

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