第211話
リリアンと別れたシオンたちは、建物の裏手口から地下一階の駐車場へ向かって走った。
シオンとエレオノーラが先導し、次にカーミラとローランド、最後尾にヴィンセントという並びだ。
ヴィンセントが後方からの追手を警戒しながら口を開いた。
「ところでよぉ、逃げるにしてもどこに行けばいいんだぁ!?」
「街の北の方に非常用の隠れ家がある。私しか――ルスヴンも知らない場所だ」
カーミラの言葉に、ローランドが眉根を寄せた。
「そういえば、ルスヴン様は今どこに?」
「さあな。あいつなら、何かあってもまず無事だろう。私たちは自分のことを最優先に考えるぞ」
駐車場に続く長い廊下を駆け抜ける途中、ふとエレオノーラが何かに気付いたようにシオンを見遣った。
「そういえば、逃げるための足はどうするの?」
「この先の駐車場で適当な車を拝借する」
ああ、やっぱり、とエレオノーラが苦笑いする。
その時だった。シオンが急に顔つきを険しくしたのは。
シオンは、突然、隣を走っていたエレオノーラを床に倒し、上に覆いかぶさる。
「伏せろ!」
シオンが叫んだのとほぼ同時に、ヴィンセントとカーミラも“違和感”に気付いた。カーミラもシオンと同じように、隣を走っていたローランドを床に倒し、上に覆いかぶさった。ヴィンセントも、滑り込むようにして体を低くする。
直後、床に伏した四人の上を幾つもの弾丸が通り抜けた。激しい銃撃音と共に、廊下の壁が蜂の巣にされていく。
「おいおい! あいつら、機関銃でも持ち出してきたのかぁ!?」
ヴィンセントがぼやいている間に、突然の銃撃はぴたりと治まった。
シオンたちは腰を低くしたまま立ち上がる。
「走れ!」
シオンの号令を合図に、全員が一斉に駆け出した。駐車場の入り口に向かって、一目散に走っていく。
この時に、銃撃の第二波がやってきた。またしても廊下の壁越しに何発もの弾丸が放たれていく。
シオンたちは、後方から導火線が迫るような思いで一心不乱に走り抜け、ギリギリのところで駐車場に辿り着いた。
シオンは駐車場内を軽く見渡し、次にヴィンセントを見遣った。
「ヴィンセント、お前はカーミラとローランドを連れて車の確保を!」
「あいよ!」
ヴィンセントの了解を得たのと同時に、シオンは刀を引き抜いた。
刹那、天井の換気口の金網が勢いよく外れ、そこから二つの白い影が飛び出してきた。
ソドムとゴモラ、ヴァーニィのボディーガードを務めていた双子の吸血鬼である。白を基調にしたスーツとコートを纏い、白髪のドレッドヘアーに黒のサングラスを身に付けているところまで、まったく同じ見た目をしている。
双子はシオンに向かって急襲し、両手に持ったダガーで攻撃を仕掛けてきた。息の合ったコンビネーションで、うり二つの外見を活かし、分身で惑わすようにダガーを高速で振るう。
そんな双子の猛攻を、シオンは難なく刀でいなした。反撃を交えつつ、手加減なしに斬撃を相手の急所めがけて繰り出す。
吸血鬼の身体能力は確かに騎士に迫るものであったが――さすがに、議席持ちであり、近接戦闘を得意とするシオンに及ぶことはなかった。
シオンの振るった一刀が、双子の一人のダガーを弾き飛ばす。刀の刃はそのまま双子の片割れの頬を深々と斬り裂き、赤い鮮血を飛ばした。
頬を斬られた双子の一人が、大きく飛び退いてシオンから距離を取る。
対するシオンが、このまま一気に仕留めようと足に力を込め、床を蹴ろうとした――
「動くな」
その時だった。
不意に、もう一方の双子から制止の言葉が投げかけられた。
そこにあったのは、双子の一人にダガーを突きつけられているエレオノーラの姿だった。どうやら、いつの間にか双子の片割れがシオンとの戦線を離脱し、エレオノーラを人質に取っていたようだ。ダガーの刃はエレオノーラの頸動脈を正確に捉えており、後は引くだけで切断できる状態だ。
エレオノーラは、心底申し訳なさそうな顔で、かつ悔しそうに歯噛みしている。
「言うこと聞かないと、この女、死んじゃうよ」
シオンは追撃の姿勢を解き、刀を鞘に納めた。
双子の片割れが、刀を床に捨てろと、顎でしゃくって指示する。それにシオンは大人しく従い、刀を投げ捨てた。
しかし、シオンの双眸は、この上ない殺意を孕んだ眼差しで、エレオノーラを人質に取る双子に向けられていた。
「彼女に指一本でも触れてみろ。その瞬間、お前の頭を消し飛ばす」
異様に落ち着いた声で言ったシオンの恫喝に、双子はニヤニヤと口元を厭らしく歪めた。
「ふーん……」
そして、悪戯をするようにエレオノーラの耳元に息を吹きかける。
「――!?」
刹那、エレオノーラに息を吹きかけた双子の頭が、文字通り跡形もなく吹き飛んだ。
“天使化”したシオンが、目にも止まらぬ速さで殴り飛ばしたのである。
頭部を失って派手にその場に倒れる双子の片割れ――シオンはそれを一瞥すらせず、エレオノーラを急いで自分の方へ抱き寄せた。
「大丈夫か?」
「う、うん……」
エレオノーラは驚きと緊張で顔を強張らせていたが、どこも怪我はしていないようだった。
シオンは安堵に胸を撫でおろし、“天使化”を解く。
「シオン、エレオノーラちゃん! イチャつくのは後にしてさっさと乗ってくれぇ!」
けたたましいブレーキ音を上げながら、二人のすぐ近くに一台のワゴン車が停まった。運転席のヴィンセントが急かすように言うと、シオンは急いで刀を拾ってエレオノーラと共にワゴン車に乗り込んだ。
シオンとエレオノーラを乗せたワゴン車は、扉が閉まるのを待つまでもなく急発進し、駐車場を後にした。
※
急発進したワゴン車を見送った後、双子の兄であるソドムは、頭部のない弟の方に向かって翻った。
「生きてる?」
ソドムが、頬についた自身の血を拭き取りながら訊いた。黒騎士に付けられた傷は、すでに痕もなく治っている。
兄の呼びかけに、弟のゴモラは、まず全身の痙攣で応えた。
直後、ゴモラの頭部が徐に再生していく。ボコボコと肉腫が音を立てながら沸き立ち、ものの数分で頭部が完全に復元された。
ゴモラは、鼻に溜まった血を雑に吐き出すと、兄の手を借りてゆっくり立ち上がる。
「びっくりした。何も触っていないのに、殴られた」
「馬鹿だなぁ、お前」
「黒騎士は、冗談は通じないタイプみたいだ」
ゴモラは次に、近くにあった車のガラスを使って自身の身なりを確認する。折角整えたドレッドヘアーの髪型は再生時の影響で解けており、サングラスも粉々に粉砕され、赤い目が剥き出しだった。
少しだけ悲しそうにする弟の肩に、兄が慰めるように手を置く。
「髪型、またセットしないとな」
「今度は違う髪型にしよう。サングラスも、もっといいのを買おう」
「なら、さっさと仕事を終わらせて買い物に行かないとな」
ソドムとゴモラが、カーミラ捕縛に向けて再び動き出した。
※
駐車場を飛び出してから十分ほど経過した頃――シオンたちを乗せたワゴン車は、シュタイファード市内の大通を全速力で走行していた。時刻は深夜三時になる数分前、車の交通量はピークを少し過ぎたところだ。
ワゴン車は法定速度を大きく超えた速さで、他の車の間を縫うように走り抜ける。
このまま追手を振り切ることができるだろうか――ワゴン車に乗り合わせた全員がそんなことを揃って考え始めた時だった。
「あのホワイトブラザーズ、もう追いつきやがった。いい車乗ってんなぁ」
ヴィンセントが、バックミラー越しに後ろを見て、舌打ちをした。
シオンたちの乗るワゴン車の後ろを、一台の高級車が追いかけていた。運転席と助手席にいるのは、あの白い双子の吸血鬼である。
どうやらあちらもこちらに気付いたらしく、助手席に座る方の双子と、シオンは目が合った。
すると、その双子の片割れが、窓から上半身を乗り出して箱乗りの体勢になった。その手に持っているのは、四つの銃口を持つ小型のガトリング――マイクロガンだった。
シオンとヴィンセントが目を見開く。
「マイクロガンなんて持ってんのかよ! 最新兵器だぞ! どっから仕入れやがった!」
ヴィンセントが堪らず叫んだのと同時に、マイクロガンから無数の銃火が放たれた。
驟雨のような弾丸が、シオンたちが乗るワゴン車のトランク、後部のガラス窓を悉く撃ち抜いていく。ヴィンセントがハンドルを左右に切って射線から外れようとするも、マイクロガンの連射性の前に、振り切ることができないでいた。
「アタシに任せて!」
エレオノーラが、自身のライフルを手にワゴン車の横窓から身を乗り出した。
そして、後ろに付く双子の車に目掛けて、最大出力の火球を撃ち込む。
火球は、車に当たる寸前のところで躱された。だが、エレオノーラの攻撃はまだ続く。
エレオノーラは今度、ライフルを大杖に見立て、道路に勢いよく擦りつけた。ワゴン車の後方のコンクリートが、意思を持ったかのようにうねり出す。歪に変形したコンクリートであれば、さすがに奴らも車を走らせることはできないだろう――誰もがそう思った。
しかし、
「吸血鬼の反応速度は俺たちと同じくらいか。あれを避けるとはな」
シオンが忌々しげに言ったように、双子は見事、エレオノーラの攻撃をすべて避け切った。高級車をぼろぼろにさせながらも、火球とコンクリートの波を、ハンドル捌きで攻略したのである。
仕切り直しかと、エレオノーラが改めて攻撃の準備に入る。
その隣で、シオンがカーミラに訊いた。
「カーミラ、隠れ家にはどうやって行けばいい?」
「このまま街の北の方角に向かってくれ。そのまま道なりに行けば、あと一時間もしないで着く」
それを聞いたヴィンセントが顔を顰めた。
「その前に、後ろの蠅二匹を何とかしねえとなぁ」
次に、バックミラー越しにシオンとエレオノーラを見遣る。
「シオン、運転変わってくれぃ。次は俺があの双子をどうにかする。エレオノーラちゃん、バトンタッチ!」
「わかった」
流れるような所作でシオンへ運転席を譲ったあと、ヴィンセントは自身の大型拳銃を二丁取り出し、車の屋根に上った。
その直後に、再度マイクロガンから弾丸の雨が放たれる。
だが、ヴィンセントは笑った。
彼は二丁拳銃から左右それぞれ二発ずつ弾丸を飛ばした。放たれた弾丸が飛んだ先は、双子の持つマイクロガンである。
合計四発の弾丸は、マイクロガンの四つの銃口へ吸い込まれるように撃ち込まれた。そして、小さな爆発を起こし、双子の手の中で派手に壊れた。
ヴィンセントが、得意げな顔で頭を下げ、車の中を見遣る。
「厄介なマイクロガンは潰した。後は適当にあいつらを――」
その矢先のことだった。ダンッ、という衝撃がワゴン車に走る。
ヴィンセントが振り返ると、なんと、双子の一人がワゴン車の屋根に飛び移っていた。
「ハァイ♪」
飛び移った双子は、マイクロガンで銃撃してきた方だ。車を運転する方とは違い、髪型を崩し、サングラスをかけていない。シオンに頭を殴られた方だろう。
双子はダガーを取り出し、ヴィンセントへ襲い掛かった。ヴィンセントはすぐさま二丁拳銃で応戦する。
この狭い足場では、近接戦闘をする双子の方に分があった。ヴィンセントは瞬く間に距離を詰められ、最適な射撃距離を保つことができないでいた。
そのことをわかっているのか、双子は歓喜の声を上げながらダガーを振り回す。
防戦一方となってしまったヴィンセント――そんな時、
「ヴィンセント、体をどこかに固定しろ!」
運転席のシオンからそんな指示が飛んだ。
ヴィンセントはすぐにその意図を理解し、瞬時にボンネットの方へ移動する。左手の拳銃を口で一時的に挟み、そうやって空いた手でワゴン車のピラーを掴んだ。
直後、ワゴン車がロデオの如く左右に大きく荒ぶる。シオンが、ハンドルを激しく左右に振ったのだ。
屋根にいた双子がたたらを踏み、バランスを大きく崩す。
そこへ、ヴィンセントが渾身の飛び蹴りを放った。
バランスを失った状態で正面から蹴りを受けた双子は、なす術なく、ワゴン車から落とされた。あわよくばそのまま体をコンクリートに激しくぶつけて死んでくれないかというところだったが――さすがは吸血鬼、動じることなく受け身を取り、後ろを走っていた自身の車に綺麗に乗り移った。
「しつこい奴らだな。次は車を狙って無理やり止めるかぁ」
ワゴン車の中に戻ったヴィンセントが、苛立ち気味に言った。
「そこの直線で車を停める」
だが、不意にシオンが低い声で、上から被せるように言った。
この時のシオンはやけにピリついていた。そのことは、ワゴン車に乗り合わせていた全員が感じ取っていた。
エレオノーラが、恐る恐る、シオンの顔を覗き込む。
「と、停めるって?」
「俺があいつらを始末する」
ヴィンセントが苦笑しながら肩を竦めた。
「シオン、らしくない苛立ち方してんねぇ」
※
「この仕事終わったら、何をして遊ぶ?」
ソドムは、カーミラが乗っているワゴン車を追跡しながら、助手席に座るゴモラに何気なくそう訊いた。
蹴り落とされたゴモラを回収するために、車の速度を大きく減速させてしまい、前を走るワゴン車との距離はかなり空いてしまっている。だがそれも、車の性能差ですぐに追いつけるだろう。
「うーん、そうだな。あのピンクの髪の女を生け捕りにしよう。それで遊ぼう」
ゴモラの思い付きに、ソドムは小首を傾げた。
「女を使って何をして遊ぶ?」
「じっくり、ねっとりと、俺たちのオモチャにする」
弟の提案に、ソドムは小さく笑った。
「いいね。俺も無理やりするのは趣味じゃない。あっちからシたくなるように、薬漬けにしてちょっとずつ気持ち良くしてやろう」
「順番にやろう。先に欲しいって言われた方が、最後に血を独り占めできるってルールで」
「いいね、面白そうだ」
そうと決まれば、さっさとこんな仕事を終わらせなければ――と、双子が思った時だった。
閑静な直線に差し掛かった時、追跡していたワゴン車が、数百メートル先の所で停車していたのだ。
そして、そこから少し離れたところで、双子の車を待ち受けるかのように、黒騎士が一人佇んでいた。
「何のつもりだ?」
「さあ? 轢き殺しちゃえ」
ソドムがアクセルを全開に踏み込み、黒騎士に向かって車が突き進む。
※
ワゴン車から降りたシオンは、一人、道路の中央に立った。追跡してくる双子の吸血鬼を待っているのだ。
他に車が走っていない閑散とした直線の道路――標的は、間もなくやってきた。エンジン音を全開にし、真っすぐシオンへ向かってきている。
シオンは、その軌道上に立ったまま、腰を低く落として刀を構えた。
双子の車との距離は、もうすでに目と鼻の先である。
瞬き一つの間にシオンへ車が到達する――その刹那だった。
シオンが瞬時に“帰天”を使い、“天使化”する。
そして、間髪入れず、神速の一刀を見舞った。
いつの間にかシオンの身体は、刀を横に引き抜いた姿勢の状態で、双子の車の後ろにあった。
恐らく、双子はそのことに気付くこともなかっただろう。
双子の乗っていた車は、彼らもろとも、横一線に両断されてしまっていた。
車の慣性に合わせて、双子の上半身と車体の上半分が、宙へ向かって離れていく――シオンが“天使化”を解除し、刀を鞘に納めた。同時に、双子の車が大爆発を起こした。
その間際に聞こえた短い苦悶の叫びは、双子の断末魔に他ならなかった。
「お見事。さっすが、議席ⅩⅢ番の黒騎士様」
爆炎の光を背に戻ってくるシオンに、ヴィンセントが賛辞の拍手を送った。
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