第210話

 ヴァーニィの手下の吸血鬼は合計十二人。そこに白い双子の姿は見当たらず、どうやら表口からシオンたちを追いかけに行ったようだ。


 エントランスに残った吸血鬼たちは、リリアンを囲い込むと、一斉に襲い掛かった。


 派手な服装をしたチンピラのような吸血鬼が、奇声を上げながらリリアンへ飛びかかる。それを、リリアンは身体を少し横に引いて難なく躱した。吸血鬼はすぐさま体を翻し、怒涛の蹴りを連続で繰り出す。

 それに対してリリアンが距離を取ろうとした時、不意に後ろから強烈な殺気が迫った。別の吸血鬼が、エントランスに飾られていた大剣を手に、強襲してきたのだ。

 気付いたリリアンが咄嗟に体を捻り、大剣の軌道から外れる。大剣は上から下へ音を立てて振り抜かれ、床に巨大な陥没跡を残した。


 そして、リリアンが、床に突き刺さった大剣を蹴りで叩き割る。


 華奢な少女の身体からは想像もつかない膂力に、吸血鬼たちがこぞって目を見開いた。

 その間に、リリアンは大剣を持っていた吸血鬼の頭を蹴り飛ばした。蹴られた吸血鬼は首を一八〇度反対に回した状態で、よろよろとたたらを踏みながら壁際で倒れる。


「なるほど。そこそこやるようだ」


 ヴァーニィが苛立ちを孕んだ表情で呻った。


「だが、その程度では僕らは死なないよ」


 その言葉の通り、蹴られた吸血鬼は、自分で首の位置を正しい状態に戻し、何事もなかったかのように立ち上がった。


 リリアンが目を細めたのを、ヴァーニィは嬉しそうに厭らしく笑った。


「さて、君はどうやって“食べて”やろうかな、リリアン・ウォルコット。こんなのはどうだ? その若くて綺麗な体を犯しつくした上で首を斬り落とし、断面から浴びるように血を飲み干してやるっていうのは」


 ヴァーニィと手下たちが、すでに勝利を確信したかのように、嗤笑を浮かばせた。


 直後、リリアンが、先ほどのチンピラ吸血鬼に向かって、目にも止まらぬ速さで貫手を繰り出した。リリアンの細い腕は吸血鬼の胸を軽々と貫通し、その掌には心臓が収められていた。

 リリアンは、未だ脈打つ心臓を吸血鬼から引き抜くと――何が起こったのか理解できないでいる吸血鬼の目の前で、握りつぶした。

 心臓を潰された吸血鬼は、慄きと驚愕で目を見開いた顔のまま、派手な血飛沫を胸の空洞から上げながら、膝から崩れ落ちる。


「心臓が弱点というのは、本当のようですね。不死身でなくて何よりです」


 腕にべっとりと付いた血糊を払いながら、リリアンが無機質な瞳でぼそぼそと言った。


 ヴァーニィは、熱した鉄のように顔を赤くさせ、床を靴の裏で強く鳴らす。


「ぼさっとするな! さっさとこのガキを殺せ!」


 主人の叱咤激励を受け、手下たちが改めてリリアンへ襲い掛かった。

 それぞれがエントランスに飾られていた観賞用の武器を手に持ち、渾身の力でリリアンに向かって振るう。

 しかし、そのどれもがリリアンを捉えることはなかった。文字通り、蝶のように、優雅かつ鮮やかに、リリアンは、武器の隙間を縫って吸血鬼たちの猛攻を回避した。


「何をもたもたしている! 相手は人間の小娘一匹だぞ!」


 ヴァーニィから怒号が飛んだ。

 リリアンが普通の人間であれば、彼女はとっくに血と臓物を床一面にぶちまけていたことだろう。よもや、たった一人の人間相手に、ここまで苦戦するなど、吸血鬼たちは思ってもいなかったはずだ。次第にその表情に、焦燥の色が見え始める。


「馬鹿な……!」


 一方のリリアンは、時間が経てばたつほどに、吸血鬼との戦闘にこなれていった。

 目つぶし、金的、四肢の骨を折る、腱の切断、頭部の破壊など、相手の動きを封じる攻撃を加えた後で、確実に心臓を狙い撃ち、貫手や蹴りで処理した。


 やがて、十二人いた吸血鬼も残り一人となり――


「は、放せ……!」


 リリアンが、最後の一人の首を片手で締め上げた。その吸血鬼の顔にあるのは、死への恐怖だけだった。


 刹那、吸血鬼の首を掴むリリアンの手から、眩い光が放たれる。その光は、病が蝕むようにして、吸血鬼の肌を焼いていった。

 吸血鬼は、この世の者から発せられたとは思えない断末魔を上げながら、五秒とせずに全身を焼失させた。残ったのは、身に付けていた衣服だけだ。


「何を、した……?」


 あんぐりと大口を開けるヴァーニィの声は、弱々しく震えていた。

 リリアンは、戦闘で乱れた着衣を軽く正しながら、ヴァーニィに向き直る。


「わたくしの魔術で光を――紫外線を作り出し、この吸血鬼に当ててみました。どうやら、太陽光ほどの強さがなくても、あなた方を死に至らしめるには充分な効力があるようです」


 電磁気力を自在に操る魔術を使えるリリアンは、光そのものを武器として利用することができる。今のように、光の波長を操作し、紫外線を敵に照射させるようなことも、彼女にとっては朝飯前なのだ。


 とどのつまり、吸血鬼にとって、リリアンは最大の天敵ともいえる存在だろう。


 リリアンが、足を踏み出した。


「ま、待て! 近づくな!」

「ご安心ください。命を奪うことはしません」


 ヴァーニィに近づきながらリリアンが懐から取り出したのは、銀の弾丸が込められた拳銃だった。リリアンはそれを、逃げようとして無様に背を向けるヴァーニィの両足に素早く撃ち込む。

 ヴァーニィは、解体直前の豚のような悲鳴を上げ、全身で床を滑った。


「ステラ様がどこにいらっしゃるのか、何故貴方がステラ様の居場所を知っているのか、何故それをわたくしたちに言えないのか――これらをご回答いただきたく存じ上げます」


 床を這いつくばるヴァーニィの傍らに、リリアンが立った。彼女は、自身の掌から光の剣を作り出し、切っ先をヴァーニィの顔に近づける。


「ひぃ!」


 光の剣はヴァーニィに触れていなかったが、ジュッ、という肉の焼ける音が鳴った。ヴァーニィの頬が、調理中のステーキ肉のように焦げていく。


「答えたくなるまで、これからいくつか体の部位を焼かせていただきます。どうか、命尽きることなく耐えていただきますよう、お願い申し上げます」


 淡々とリリアンが言い放ち、光の剣を振り被る――その時だった。


「――!?」


 リリアンは、不意に強烈なプレッシャーを感じ取り、反射的にその場から飛び退いた。

 直後、彼女が一瞬前までいた場所に現れたのは、無数の赤い槍だった。赤い槍は、まるで意思を持っているかのように床から生え――瞬きひとつの間に、今度は液体のような物質へと変化した。

 それは明確にリリアンへの敵意を持ち、波打つように、鞭のように、彼女へ急襲していく。


 リリアンはそれを紙一重のところで躱し続けた。体に直接触れることはなかったものの、その攻撃によって衣服の表面が所々裂けてしまう。


 そうしている間に、ヴァーニィが、その“赤い何か”に胎膜に包まれるかの如く覆われる。

 そして、次の瞬間には跡形もなく姿を消してしまっていた。


 エントランスに残ったのは、無惨に転がる吸血の死体と、リリアンだけだ。


「今のは……」


 ヴァーニィが消えるほんの一瞬前、リリアンは気になるものを視界に捉えていた。

 赤い物体が出現した時、カーミラの執事――ルスヴンの姿が見えたのだ。


 どういうことなのだろうと、リリアンが一人、眉を顰めて思案していた時――


「そこまでだ! 大人しく両手を挙げてその場に膝を付け!」


 エントランスの扉が勢いよく開かれ、大勢の警察が雪崩れ込んできた。


 リリアンはすぐさま身を翻し、建物の上へ続く階段を駆け上る。すぐ後ろを警察が追ってくるが、リリアンは広いバルコニーに出たのと同時に、夜の空へ向かって飛び発った。


 シオンたちは無事にカーミラを連れ出せただろうか――リリアンは月夜を背に、吸血鬼たちの街を空から一望した。

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