第208話

 シオンたちが連れられてきたのは警察署ではなく、シュタイファード市内にある娯楽施設だった。歓楽街の怪しげな路地裏、その奥に建物があった。そこには、カジノや飲食店のような幾つもの商業施設が併設されている。


 ヴァーニィが案内したのは、その施設の中にある高級レストランだった。内装は、シュタイファードの古風な街の景観にはそぐわない、やけにぎらついたものだ。壁、天井、床のすべてが黒光りするタイルで設計されており、照明の反射を受け、中全体が無駄に眩しい。間取りは開放感のあるホール状で、そこから何かの個室へと続く扉が幾つかあった。テーブルは満席の状態で、貴族の客が談笑しながら高級料理を楽しんでいる。


 ホールの出入り口とは反対側に、少し高さのある舞台上のスペースがあった。ヴァーニィは、そこに備えられた長テーブルの中央に座って、シオンたちを迎えた。


「座ってくれたまえ」


 長テーブルを挟んで、正面に立ったシオンたち――ひとまず、ヴァーニィの指示に従うことにした。

 シオンたちが座ると、ヴァーニィは満足そうに頷いた。


「よろしい。さて、まずは腹ごしらえといこうじゃないか。どうぞ、好きに食べてくれ。ここは僕が経営するレストランだ。何一つ遠慮することはない。ここで一番のフルコースを用意したんだ、冷めないうちに」


 ヴァーニィは、長テーブルに並べられた高級料理を見せびらかすようにして、両腕を広げた。彼の周りを取り巻く手下たち――マフィアのような黒服姿から、場末のチンピラのような恰好をした吸血鬼たちが、ニヤニヤとその様子を見ている。その中には、ソドムとゴモラと呼ばれた白スーツの双子もいた。


 シオンたちは料理には目もくれず、じっとヴァーニィの動向を伺った。


「食事が進まないというのであれば、そうだな、ワインはどうだい? 確か、そこのお嬢さんの好物なんだろう?」


 そう言って、ヴァーニィはエレオノーラを見た。彼女の身体を舐めまわすように、下から上へと、ねっとり眼球を動かす。


「“紅焔の魔女”――エレオノーラ・コーゼル。聞いていた以上にいい女じゃないか。色々とそそられるよ」


 シオンたちの表情が少しだけ強張った。ヴァーニィが気色悪い笑みを見せてきたからではない。こちらが何かを言うまでもなく、エレオノーラの正体を知っていたからだ。


「ご用件は何でしょうか?」


 リリアンが針を刺すような鋭さで訊いた。ヴァーニィは椅子にふんぞり返り、短い足を組んで体勢を変える。


「“ご用件”は、君たちの方にあるんじゃないのかな? 議席持ちの騎士たち」


 ヴァーニィが得意げな顔で言って、リリアンが癪に障ったように瞼を一瞬動かした。


「ああ、失礼。そっちのイケメンくんは黒騎士だったか」


 エレオノーラだけではなく、シオン、リリアン、ヴィンセントの正体もすでに知られている状態だった。


「まあ、そう怖い顔をしないでもいいじゃないか。折角の可愛い顔が台無しだよ、議席Ⅲ番リリアン・ウォルコット卿?」


 周囲から、くすくすと嗤笑の音が幾つも聞こえた。ヴァーニィの手下たちだ。すでに正体を知られていることに、間抜けとでも言いたいのだろう。

 シオンたちは不快な感情を押し殺すように、無言で深い息を吐いた。


 そんな時、不意に甲高い女の悲鳴がホールに響いた。

 ホールの中央近くにあるテーブルで、何やら騒ぎが起きていた。吸血鬼の男が、人間の女の髪を掴んでテーブルの上に叩きつけていたのだ。さらには、泣き叫ぶ女の衣服をすべて剥ぎ取り、突然強姦を始める。突然の異様な光景だったが、他の吸血鬼の客はというと、少しだけ迷惑そうな顔をしているだけで、それ以上の関心は持たずに淡々と食事を続けていた。


「おい、うるさいぞ。こっちは大事なお客様を招いている。やるなら個室でやれ」


 ヴァーニィが若干苛立ちながら注意した。吸血鬼の男は舌打ちをした後で、女を引きずりながら奥の個室の中へ消えた。


「失礼。彼は僕の知り合いなんだが、ちょっと素行が悪くてね。で、何の話をしていたっけ?」

「こちらの用件はすでに把握しているとお見受けいたします」


 リリアンが、蝋人形のような表情で静かに言った。

 対するヴァーニィは、恍けた顔になる。


「んー、何だろうな。わからないな。言ってみてくれるかい」


 誰の目から見ても、ヴァーニィがリリアンを揶揄っているのはわかった。そのあまりの露骨さに、普段温厚なヴィンセントが、珍しく額に青筋を浮かばせていた。


「ご当主様、あんまりウチのお嬢を揶揄わないでくれますかね。冗談が通じるタイプじゃないんだ」

「それはまたまた失礼した。じゃあ、改めて質問してくれ、どうぞ」


 今度はシオンが口を開いた。


「どうして俺たちのことを知っている?」

「こう見えて僕は情報通でね。隣の家で痴話喧嘩が起きた理由から、大陸の果てにある国の機密情報まで、色々知っている。君らが密入国してきた騎士であることもすぐに知った」


 ヴァーニィは、インテリぶって自分の頭を指でトントンと軽く叩く。


「ずばり、君たちの用件を当ててみよう。君たちは、ログレス王国のステラ王女を探しているのでは?」


 言い当てられ、シオンたちは軽く目を剥いた。

 ヴァーニィの口の端が厭らしく歪められる。


「彼女がどこにいるのか、僕は知っている。だが――君たちには教えてあげない」

「では、どうすれば教えていただけるのでしょうか?」


 すぐにリリアンが訊くと、ヴァーニィは意外そうに目を細めた。


「なかなかに殊勝な態度だ。騎士はもっと、不遜で傲慢な人種だと思っていたよ。でも駄目だ」

「何故?」

「それも言えない。言う義理もない」

「教会に――教皇に口止めされているのか?」


 シオンの質問に、ヴァーニィは声を上げて笑った。


「面白いことを言うね。まあ、好きに思ってくれて構わないよ」

「いいからさっさと答えろ。言えない理由は?」


 シオンが殺気を放つと、ヴァーニィの手下たちが少しだけ動いた。だが、ヴァーニィが自ら軽く手を挙げてそれを宥める。


「そうだなー。リリアン卿と“紅焔の魔女”が、裸になってこのテーブルの上に寝そべってくれたら考えてやらなくもない」


 ヴァーニィの回答を聞いた手下たちから、再び嘲笑が起こった。

 悉く馬鹿にされ、シオンたちはいよいよ怒りに表情を険しくする。

 特にエレオノーラは、先のセクハラ発言も相俟って、今すぐにでもキレそうな顔になっていた。


「いい加減にしてよね。結局、アンタらはアタシたちに何を求めているの?」

「いい質問だ。それには答えよう」


 ヴァーニィは指を鳴らし、組んでいた足を解いた。長テーブルに両肘を置き、少し真面目な顔になる。


「君たちのような輩が長時間この国に居座ることは、いかなる理由があれど、許容することはできない。まして、僕は三貴族の一角を担う立場だ。違法に入国してきた外国人――しかもそれが、この国で禁止されている宗教の関係者ともなれば、当然のことだ。そしてこれは、君たちの身を案じての言葉でもある。どういう意味か、わかるだろう?」


 先ほど女が連れ込まれた個室から、断末魔のような叫び声が上がった。その直後、ホールの出入り口からまた別の女が吸血鬼に引きずられて運ばれてきた。女はそのまま、悲鳴の上がった個室へと入れられる。

 ヴァーニィが、どこか優越感に浸った顔で、シオンたちを見遣った。


「僕が伝えたいのは、次に言うことだけだ。“さっさとこの国から出ていけ。さもなければ、穴という穴を犯しつくした上で干物にするぞ”」


 その言葉に、手下たちが爆笑した。腹を抱え、手を叩き、涙を流しながら笑う。


「さて、もう話すことはない。腹を満たしたら、早々に出国いただこうか」

「どこへ行かれるので?」


 一方的に席を立ちあがったヴァーニィを、リリアンが視線を合わさずに呼び止めた。


「これからちょっとしたレクリエーションが催されるのでね。ここのオーナーとして、参加義務がある。というわけで、君たちも早めにお引き取りを」


 そう言い残し、ヴァーニィは先ほど女が連れ込まれた個室へと消えていった。

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